孫子塾塾長 佐野寿龍

・山梨県出身
・拓殖大学政経学部卒(拓空会OB)
・元ラジオ日本・報道部放送記者、報道番組制作、都庁鍛冶橋記者クラブ他
・宝飾品販売会社経営
・(財)中小企業経営者災害補償事業団 教育学院副学院長
・現在、一般社団法人 孫子塾の塾長として「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」オンライン通信講座、「孫子兵法」通学ゼミ講座を主宰し、関連書籍の執筆活動を行うと共に、付属機関である日本空手武道会 拓心観道場の主席師範として「古伝空手・琉球古武術」の指導と普及に当る。
・拓殖大学政経学部卒(拓空会OB)
・元ラジオ日本・報道部放送記者、報道番組制作、都庁鍛冶橋記者クラブ他
・宝飾品販売会社経営
・(財)中小企業経営者災害補償事業団 教育学院副学院長
・現在、一般社団法人 孫子塾の塾長として「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」オンライン通信講座、「孫子兵法」通学ゼミ講座を主宰し、関連書籍の執筆活動を行うと共に、付属機関である日本空手武道会 拓心観道場の主席師範として「古伝空手・琉球古武術」の指導と普及に当る。
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孫子塾塾長 佐野寿龍の作品
和書
倭人はどこから来たのか
2017/01/15
¥500
ポイント:
1%
(5pt)
なぜか今日、「日本人は、北からも南からも西からもやって来た、つまり、混血した民族であって、純血種の単一民族とは、見なしがたい」「日本人は混血人種である」などの考えが日本人の底流にあります。
だとすれば、論理的に我々日本人にとっての「母国」は、朝鮮、もしくは中国と言うことになり、我々の血筋は朝鮮人、もしくは中国人の末裔(まつえい)ということになります。
であるとすれば、それはまさに日本人のアイデンティティーに深く関わる極めて重要な事柄であり、看過するわけにはいかない由々しき問題でありす。
もとより、そのような風潮・風説が何の根拠もないデマ・捏造(ねつぞう)の類であることは論を俟ちませんが、問題はそのような真っ赤な大嘘を頭から漠然と信じて疑わない日本人は決して少なくはないということであり、とりわけ、分別ざかりのオヤジ世代、もしくは団塊の世代を中心として多々見受けられるということであります。
顧みて今日の国際情勢は、多様な価値観が対立しせめぎ合う憂慮すべき状況を呈しており、かつポピュリズムの熱狂ムードも台頭するなど世界の秩序はまさに安定から混乱に向かう転換期にあると言わざるを得
だとすれば、論理的に我々日本人にとっての「母国」は、朝鮮、もしくは中国と言うことになり、我々の血筋は朝鮮人、もしくは中国人の末裔(まつえい)ということになります。
であるとすれば、それはまさに日本人のアイデンティティーに深く関わる極めて重要な事柄であり、看過するわけにはいかない由々しき問題でありす。
もとより、そのような風潮・風説が何の根拠もないデマ・捏造(ねつぞう)の類であることは論を俟ちませんが、問題はそのような真っ赤な大嘘を頭から漠然と信じて疑わない日本人は決して少なくはないということであり、とりわけ、分別ざかりのオヤジ世代、もしくは団塊の世代を中心として多々見受けられるということであります。
顧みて今日の国際情勢は、多様な価値観が対立しせめぎ合う憂慮すべき状況を呈しており、かつポピュリズムの熱狂ムードも台頭するなど世界の秩序はまさに安定から混乱に向かう転換期にあると言わざるを得
【孫子正解】シリーズ 第一回 孫子兵法の学び方
2013/11/20
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
人が「生きている」ということは、つまるところ「生きるため」の様々な問題やトラブルを惹き起こすことであり、好むと好まざるとに関わらず、ことの広狭大小を問わず、実人生の日々は戦いの連続であり、その最高形態が則ち戦争であると言わざるを得ません。
言い換えれば、人生は常に冷酷な生存競争の戦いの連続でありますから、そのような場における、それぞれの矛盾解決をめざす自己の主体的な努力なしには、我々の善く生きる道はないのであります。矛盾に満ちた俗世を達観し世捨人的な世界に遊ぼうとする人は別にして、このような見方に、もし抵抗を感じる人があるならば、その人は、自分の人生をよりよく生きようとする努力と、真の意味での人生の成功者となることに背を向ける人であるとも言えます。
ともあれ、矛盾そのものたる人間社会の対立闘争関係の中でも、とりわけ集団的で、最も激烈にして凄惨かつ極めてマクロな人為的現象が戦争であります。その本質たる対立闘争の原理を鋭く洞察し、高度な抽象的思考をもって簡潔、かつ体系的に論じたものが孫子です。
その根底には「変化」を重視する弁証法的思考が一貫しているゆえに、その応用範囲は極ә
言い換えれば、人生は常に冷酷な生存競争の戦いの連続でありますから、そのような場における、それぞれの矛盾解決をめざす自己の主体的な努力なしには、我々の善く生きる道はないのであります。矛盾に満ちた俗世を達観し世捨人的な世界に遊ぼうとする人は別にして、このような見方に、もし抵抗を感じる人があるならば、その人は、自分の人生をよりよく生きようとする努力と、真の意味での人生の成功者となることに背を向ける人であるとも言えます。
ともあれ、矛盾そのものたる人間社会の対立闘争関係の中でも、とりわけ集団的で、最も激烈にして凄惨かつ極めてマクロな人為的現象が戦争であります。その本質たる対立闘争の原理を鋭く洞察し、高度な抽象的思考をもって簡潔、かつ体系的に論じたものが孫子です。
その根底には「変化」を重視する弁証法的思考が一貫しているゆえに、その応用範囲は極ә
【孫子 一問一答】シリーズ 第六回
2015/12/27
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
古来、有名な孫子を学び活用しようとしても、結局、一知半解に終始し、心ならずも消化不良を来たしてしまうのは、誰しもが経験されたことではないでしょうか?
たとえば「孫子は難解であり、何度読んでも疑念が生じてくる」「個々の金言名句には深く感銘を受けるものの、各篇とのつながりが不明確で、全体を通しての体系に一貫した理解が得られない」「軍事だけに止まらず、政治・経済・外交・思想・法令・教育など幅広く多岐に亘って包括する内容は、一体何を主張したいのか釈然としない」などであります。
実は、そのような孫子に関わる様々なご質問がこれまでに、孫子塾のサイト「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」に三百件余り寄せられております。そのような個別具体的なご質問に対し、とりわけその趣旨に即しての明快な答えを提示し、かつ肩の凝らない読み物として整理しまとめたものが、第六弾としての【孫子 一問一答】シリーズ 第六回です。
この【孫子 一問一答】シリーズは、孫子兵法独習用テキストとして御好評を頂いております【孫子正解】シリーズ(第一回~十回まで既刊)と表裏一体の関係にあり、言わばその入門篇的なものです。併せてお&
たとえば「孫子は難解であり、何度読んでも疑念が生じてくる」「個々の金言名句には深く感銘を受けるものの、各篇とのつながりが不明確で、全体を通しての体系に一貫した理解が得られない」「軍事だけに止まらず、政治・経済・外交・思想・法令・教育など幅広く多岐に亘って包括する内容は、一体何を主張したいのか釈然としない」などであります。
実は、そのような孫子に関わる様々なご質問がこれまでに、孫子塾のサイト「孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法」に三百件余り寄せられております。そのような個別具体的なご質問に対し、とりわけその趣旨に即しての明快な答えを提示し、かつ肩の凝らない読み物として整理しまとめたものが、第六弾としての【孫子 一問一答】シリーズ 第六回です。
この【孫子 一問一答】シリーズは、孫子兵法独習用テキストとして御好評を頂いております【孫子正解】シリーズ(第一回~十回まで既刊)と表裏一体の関係にあり、言わばその入門篇的なものです。併せてお&
【孫子正解】シリーズ 第二回 孫子十三篇の理論体系(全体構造)と体系図
2014/01/08
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
人が「生きている」ということは、つまるところ「生きるため」の様々な問題やトラブルを惹き起こすことであり、好むと好まざるとに関わらず、ことの広狭大小を問わず、実人生の日々は戦いの連続であり、その最高形態が則ち戦争である、と言わざるを得ません。
その本質たる対立闘争の原理を鋭く洞察し、高度な抽象的思考をもって簡潔かつ体系的に論じたものが孫子です。その根底には「変化」を重視する弁証法的思考が一貫しているゆえに、その応用範囲は極めて広く、ひとり軍事面のみに止まらず、あまねく人間の社会生活に通用する道を説くものであり、これを学ぶことは、まさに戦いの連続たる実人生の世界を強く生き抜くための叡智を磨くことに他なりません。孫子が「最古にして最新の稀有な書物」と評される所以であります。
今回の内容は、下記の目次に示す通りですが、とりわけここでは孫子兵法の理論体系(全体構造)と体系図についてご紹介いたします。
孫子研究者として夙(つと)に有名な佐藤賢司氏はそのご著書において(日本と中国を通じて)孫子の理論体系(全体構造)を最初に見い出した人は彼の山鹿素行であると絶賛されております。
山
その本質たる対立闘争の原理を鋭く洞察し、高度な抽象的思考をもって簡潔かつ体系的に論じたものが孫子です。その根底には「変化」を重視する弁証法的思考が一貫しているゆえに、その応用範囲は極めて広く、ひとり軍事面のみに止まらず、あまねく人間の社会生活に通用する道を説くものであり、これを学ぶことは、まさに戦いの連続たる実人生の世界を強く生き抜くための叡智を磨くことに他なりません。孫子が「最古にして最新の稀有な書物」と評される所以であります。
今回の内容は、下記の目次に示す通りですが、とりわけここでは孫子兵法の理論体系(全体構造)と体系図についてご紹介いたします。
孫子研究者として夙(つと)に有名な佐藤賢司氏はそのご著書において(日本と中国を通じて)孫子の理論体系(全体構造)を最初に見い出した人は彼の山鹿素行であると絶賛されております。
山
【孫子正解】シリーズ 第三回 孫子の戦争観と用兵思想〈第一篇 計〉
2014/01/08
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
〈第一篇 計〉の内容は、下記の目次に示す通りでありますが、とりわけここでは、彼の有名な巻頭言、則ち『兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり。』を論じております。俗に「バカにつける薬はない」と謂われますが、冷厳な現実世界を直視すれば、戦争とはまさに「つける薬のないものにつける薬」であり、言わば必要悪と言わざるを得ません。このような戦争にいかに対処すべき、それを集約して論ずるものが「巻頭言」であり、それを受けて「勝ち易きに勝つ」ための方策を論ずるものが『五事』であり『七計』である、という関係になります。
孫子は戦争の範疇をこれ以上外しようがない「天・地・人」、則ち『五事』という大網を掛けて括り、(戦争に勝つための)平時から厳に実践すべき必須項目を列挙し、最低限クリアーすべき基準たる実践目標を示したのです。そして、そのような具体的実践の事実を「私心のない・曇りのない心」をもって比較考量するというのが『七計』であります。その結言たる『吾れ、此れを以て勝負を知る』とはまさに彼我の具体的な実践結果を客観的に厳しく比較検討することにより、自ずからなる結論を得ることを曰うも
孫子は戦争の範疇をこれ以上外しようがない「天・地・人」、則ち『五事』という大網を掛けて括り、(戦争に勝つための)平時から厳に実践すべき必須項目を列挙し、最低限クリアーすべき基準たる実践目標を示したのです。そして、そのような具体的実践の事実を「私心のない・曇りのない心」をもって比較考量するというのが『七計』であります。その結言たる『吾れ、此れを以て勝負を知る』とはまさに彼我の具体的な実践結果を客観的に厳しく比較検討することにより、自ずからなる結論を得ることを曰うも
【孫子正解】シリーズ 第四回 孫子の戦争観と用兵思想〈第二篇 作戦〉
2014/01/08
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
〈第二篇 作戦〉の内容は、下記の目次に示す通りでありますが、とりわけここでは、孫子の曰う『善後策』は、一般に謂われている「善後策」とは似て非なるものであること、同じように、孫子の曰う『拙速』は、一般に謂われている「拙速」とは似て非なるものであること、また〈第二篇 作戦〉の中でも、とりわけ誤解されている『故に、敵を殺す者は怒りなり。』について、その真意を論じております。
例えば、『拙速』の誤解に対するその要点を述べれば次ぎようになります。則ち、「拙速」は、一般には手段の「巧拙」及びその「スピード」の意と解されています。言い換えれば、「やり方・手段が多少拙劣であっても、速戦速決、速勝に出た方が、手段の万全を期してことを長引かせるよりも有利である」ということであります。
因みに、孫子の最古の註釈者たる魏の曹操は「拙と雖も、速を以てする有らば、勝を未だ睹(み)ざる者は無きを曰うなり」と、また次ぎに古い梁の孟氏(彼の孟子ではない)は、曹操の説を敷衍(ふえん)して「拙と雖も、速を以てする有らば勝つ」と註しています。孫子の曰う『拙速』の真意に対する誤解の大本はまさにこの辺りに起因するものと言ӛ
例えば、『拙速』の誤解に対するその要点を述べれば次ぎようになります。則ち、「拙速」は、一般には手段の「巧拙」及びその「スピード」の意と解されています。言い換えれば、「やり方・手段が多少拙劣であっても、速戦速決、速勝に出た方が、手段の万全を期してことを長引かせるよりも有利である」ということであります。
因みに、孫子の最古の註釈者たる魏の曹操は「拙と雖も、速を以てする有らば、勝を未だ睹(み)ざる者は無きを曰うなり」と、また次ぎに古い梁の孟氏(彼の孟子ではない)は、曹操の説を敷衍(ふえん)して「拙と雖も、速を以てする有らば勝つ」と註しています。孫子の曰う『拙速』の真意に対する誤解の大本はまさにこの辺りに起因するものと言ӛ
【孫子正解】シリーズ 第五回 用兵総論〈第三篇 謀攻〉
2013/12/01
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
孫子十三篇の首(かしら)の部分を構成する〈第三篇 謀攻〉は、その前半で「戦わずして勝つ」、その後半で「戦いて勝つ」を論じております。とりわけ後半では、具体的な数値を示してまで「兵力比に応ずる戦いの理」を説いております。則ち『十なれば、則ち之を囲み、五なれば、則ち之を攻め、倍すれば、則ち之を分かち、敵すれば、則ち能く之と戦い、少なければ、則ち能く之を逃れ、若かざれば、則ち能く之を避く。』であります。
が、しかし、まさにその核心部分たる「兵力比互角の戦法」を論ずる『敵すれば、則ち能く之と戦い』については、これまでいわゆる現行孫子の立場から極めて不自然・不明瞭な解釈がなされておりました。例えば、「兵力が等しければ努力して戦い」あるいは「互角の兵力なら勇戦する」のごとしであります。一体、何を言いたいのか、その言葉の中味たる具体的説明が空っぽゆえに、まさに意味不明であると言わざるを得ません。
そのゆえにまた、右の言と密接に関連する「倍すれば、則ち之を分かち」も全く見当違いの解釈とならざるを得ず、おのずから「勝ちを知る五法」の一たる「衆寡の用を知る者は勝つ」の「衆寡」についても具体的なࠦ
が、しかし、まさにその核心部分たる「兵力比互角の戦法」を論ずる『敵すれば、則ち能く之と戦い』については、これまでいわゆる現行孫子の立場から極めて不自然・不明瞭な解釈がなされておりました。例えば、「兵力が等しければ努力して戦い」あるいは「互角の兵力なら勇戦する」のごとしであります。一体、何を言いたいのか、その言葉の中味たる具体的説明が空っぽゆえに、まさに意味不明であると言わざるを得ません。
そのゆえにまた、右の言と密接に関連する「倍すれば、則ち之を分かち」も全く見当違いの解釈とならざるを得ず、おのずから「勝ちを知る五法」の一たる「衆寡の用を知る者は勝つ」の「衆寡」についても具体的なࠦ
¥1,000
ポイント:
1%
(10pt)
本篇の篇名は「火攻」であるが、その内容からみて、本来の火攻作戦篇(特殊的用兵論)は、篇首から『故に火を以て攻を佐(たす)くる者は明なり。水を以て攻を佐(たす)くる者は強なり。水は以て絶つ可きも、以て奪う可からず。』までの前半部を以て終り、後半部は別個の独立した篇となっている。
則ち『夫れ、戦いて勝ち攻めて得(う)るも、その功を修めざる者は凶なり。之を命(な)づけて費留と曰う。』以下は、火攻作戦篇(特殊的用兵論)たる前半部をも含めた全用兵論の総結言であり、〈第一篇 計〉の巻頭言に照応して、あらためて孫子の戦争観・用兵思想を明らかにしたものである。
さらに言えば、本来の火攻篇・前半部の最後に、「火攻」に対する、言わばアンチテーゼとしての「水攻」を対比させ、その機能面・効率性から両者の「拙速」と「巧久」の違いを示唆し、火攻(ひぜ)めの水際立った速効性を強調することにより、改めて『拙速』と『敵に勝ちて強を益す』のテーゼに立ち帰りこれを再論する本篇・後半部たる総結言篇への伏線を張るのである
言い換えれば、そもそも戦争は、戦争それ自体が目的なのではなく、政治上の目的を達成するための、一つの手段にすぎない&
則ち『夫れ、戦いて勝ち攻めて得(う)るも、その功を修めざる者は凶なり。之を命(な)づけて費留と曰う。』以下は、火攻作戦篇(特殊的用兵論)たる前半部をも含めた全用兵論の総結言であり、〈第一篇 計〉の巻頭言に照応して、あらためて孫子の戦争観・用兵思想を明らかにしたものである。
さらに言えば、本来の火攻篇・前半部の最後に、「火攻」に対する、言わばアンチテーゼとしての「水攻」を対比させ、その機能面・効率性から両者の「拙速」と「巧久」の違いを示唆し、火攻(ひぜ)めの水際立った速効性を強調することにより、改めて『拙速』と『敵に勝ちて強を益す』のテーゼに立ち帰りこれを再論する本篇・後半部たる総結言篇への伏線を張るのである
言い換えれば、そもそも戦争は、戦争それ自体が目的なのではなく、政治上の目的を達成するための、一つの手段にすぎない&
【孫子正解】シリーズ第十四回 死地作戦・其の二〈第十一篇 九地〉
2017/05/02
¥1,250
ポイント:
1%
(13pt)
本篇は、客戦である死地作戦を理論的に論ずる部分と、その具体的かつ実践的な適用・応用の実際を示す部分の二つから構成されている。前者(其の一・理論篇)は、本篇・篇首から、『利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止む。』までの段まで、後者(其の二・実践篇)は、『敢(あ)えて問う、敵、衆にして整い将(まさ)に来(き)たらんとす。之を待つこと若何(いかん)。』から、本篇・結言までの段を曰うものである。
前者(其の一)は、理論篇・総括的用兵論として、客戦と密接不可分の関係にある九地の解説を行うことと併せて、弱者の戦法の要訣たる〈第六篇 虚実〉の相対的局所優勢論を再説することにより、そもそも死地作戦を敢行する意義・狙(ねら)いは何処(どこ)にあるのかを改めて再確認させることを目的としている。前回の【孫子正解】シリーズ 第十三回は、とりわけこの部分を詳説するものである。
後者(其の二)は、実践篇・応用的用兵論として、その理論の具体的な適用・応用の実際を示すものであるが、それと併せて、〈第一篇 計〉から前篇の〈第十篇 地形〉に至るまでの所論を総括するとともに、これまでの重要命題を再説し、あるいは視点を変えて再論するこ
前者(其の一)は、理論篇・総括的用兵論として、客戦と密接不可分の関係にある九地の解説を行うことと併せて、弱者の戦法の要訣たる〈第六篇 虚実〉の相対的局所優勢論を再説することにより、そもそも死地作戦を敢行する意義・狙(ねら)いは何処(どこ)にあるのかを改めて再確認させることを目的としている。前回の【孫子正解】シリーズ 第十三回は、とりわけこの部分を詳説するものである。
後者(其の二)は、実践篇・応用的用兵論として、その理論の具体的な適用・応用の実際を示すものであるが、それと併せて、〈第一篇 計〉から前篇の〈第十篇 地形〉に至るまでの所論を総括するとともに、これまでの重要命題を再説し、あるいは視点を変えて再論するこ
【孫子正解】シリーズ第十三回 死地作戦・其の一〈第十一篇 九地〉
2016/08/09
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
本篇は、客戦である死地作戦を理論的に論ずる部分と、その具体的かつ実践的な適用・応用の実際を示す部分の二つから構成されている。
前者(其の一・理論篇)は、本篇・篇首から、『利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止む。』までの段まで、後者(其の二・実践篇)は、『敢(あ)えて問う、敵、衆にして整い将(まさ)に来(き)たらんとす。之を待つこと若何(いかん)。』から、本篇・結言までの段を曰うものである。
前者(其の一)は、理論篇・総括的用兵論として、客戦と密接不可分の関係にある九地の解説を行うことと併せて、弱者の戦法の要訣たる〈第六篇 虚実〉の相対的局所優勢論を再説することにより、そもそも死地作戦を敢行する意義・狙(ねら)いは何処(どこ)にあるのかを改めて再確認させることを目的としている。今回の【孫子正解】シリーズ 第十三回は、とりわけこの部分を詳説するものである。
後者(其の二)は、実践篇・応用的用兵論として、その理論の具体的な適用・応用の実際を示すものであるが、それと併せて、〈第一篇 計〉から前篇の〈第十篇 地形〉に至るまでの所論を総括するとともに、これまでの重要命題を再説し、あるいは視点を変えて再論するこӗ
前者(其の一・理論篇)は、本篇・篇首から、『利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止む。』までの段まで、後者(其の二・実践篇)は、『敢(あ)えて問う、敵、衆にして整い将(まさ)に来(き)たらんとす。之を待つこと若何(いかん)。』から、本篇・結言までの段を曰うものである。
前者(其の一)は、理論篇・総括的用兵論として、客戦と密接不可分の関係にある九地の解説を行うことと併せて、弱者の戦法の要訣たる〈第六篇 虚実〉の相対的局所優勢論を再説することにより、そもそも死地作戦を敢行する意義・狙(ねら)いは何処(どこ)にあるのかを改めて再確認させることを目的としている。今回の【孫子正解】シリーズ 第十三回は、とりわけこの部分を詳説するものである。
後者(其の二)は、実践篇・応用的用兵論として、その理論の具体的な適用・応用の実際を示すものであるが、それと併せて、〈第一篇 計〉から前篇の〈第十篇 地形〉に至るまでの所論を総括するとともに、これまでの重要命題を再説し、あるいは視点を変えて再論するこӗ
【孫子正解】シリーズ第十二回 用兵は結局「人にあり」〈第十篇 地形〉
2016/06/01
¥700
ポイント:
1%
(7pt)
孫子の曰う『道・天・地・将・法』の五事は、『道・将・法』が『人(人事)』で括(くく)られるため、「天・地・人(道・将・法)」の三事に集約されますが、その基本的立場は、天の時よりは地の利を貴び、地の利よりは人事(道・将・法)を重んじています。
言い換えれば、孫子は全篇がリーダー論であり、用兵は、つまるところ「人にあり」を論じています。
そのゆえに、「天」に関しては〈第一篇 計〉と〈第十二篇 火攻〉で少し触れる程度で、特に篇を設けることはしていませんが、「地」に関しては〈第一篇 計〉〈第四篇 形〉〈第七篇 軍争〉〈第八篇 九変〉〈第九篇 行軍〉〈第十篇 地形〉において、また〈第十一篇 九地〉では視点を変えてこれを論じています。
なかんずく本篇は、とりわけ地形を一篇として設け、地形(地理的条件)に基づいて行なう地形判断(地形の対処法・地の利)と、それを踏まえて、敵を料(はかり)り、勝ちを制するために行なう情勢判断の能力を、将軍の資質に関連する問題として論じている所に特色があります。
その意味において、もとより本篇は孫子十三篇中における地形論の中心を成すものでありますが、同時に、孫子の主要テ
言い換えれば、孫子は全篇がリーダー論であり、用兵は、つまるところ「人にあり」を論じています。
そのゆえに、「天」に関しては〈第一篇 計〉と〈第十二篇 火攻〉で少し触れる程度で、特に篇を設けることはしていませんが、「地」に関しては〈第一篇 計〉〈第四篇 形〉〈第七篇 軍争〉〈第八篇 九変〉〈第九篇 行軍〉〈第十篇 地形〉において、また〈第十一篇 九地〉では視点を変えてこれを論じています。
なかんずく本篇は、とりわけ地形を一篇として設け、地形(地理的条件)に基づいて行なう地形判断(地形の対処法・地の利)と、それを踏まえて、敵を料(はかり)り、勝ちを制するために行なう情勢判断の能力を、将軍の資質に関連する問題として論じている所に特色があります。
その意味において、もとより本篇は孫子十三篇中における地形論の中心を成すものでありますが、同時に、孫子の主要テ
【孫子正解】シリーズ第十一回 将の情勢判断〈第九篇 行軍〉
2016/03/14
¥1,000
ポイント:
1%
(10pt)
孫子は、本篇冒頭で『凡そ軍を処き、敵を相る。』と論じています。この句は、一見すると、凡そ行軍においては、処軍、則ち軍を良き地形において彼を伺いて兵を用うるやり方、および相敵、則ち敵情判断の方法という二つの要素が重要であるとし、以下、それら一定の原則について述べるという体裁をとっていますが、同時にこの句は、言外の意として、次のように本篇の内容を総括しているものと解されます。
則ち、『山を絶れば谷に依り』から『此れ伏姦の処る所なり』までは『処軍』について、また『敵近くして静かなる者は』から『必ず謹みて之を察せよ。』までは『相敵』について論じるものではありますが、『処軍』にせよ『相敵』にせよ(言い換えれば、将軍がどのような作戦を構想し、あるいは臨機応変・状況即応の用兵を企図するにせよ)、つまるところその目的を達成するためには、麾下の軍が訓練精到にしてよく統率され、手足のごとく動くものであることが理の当然として要求されます。
まさに、そのゆえに孫子は『兵は多きを益とするには非ざるなり。』から最終句までは、軍事の根本としての「人を用うる法」、則ち用兵は「結局は人にあり」を説くのであ
則ち、『山を絶れば谷に依り』から『此れ伏姦の処る所なり』までは『処軍』について、また『敵近くして静かなる者は』から『必ず謹みて之を察せよ。』までは『相敵』について論じるものではありますが、『処軍』にせよ『相敵』にせよ(言い換えれば、将軍がどのような作戦を構想し、あるいは臨機応変・状況即応の用兵を企図するにせよ)、つまるところその目的を達成するためには、麾下の軍が訓練精到にしてよく統率され、手足のごとく動くものであることが理の当然として要求されます。
まさに、そのゆえに孫子は『兵は多きを益とするには非ざるなり。』から最終句までは、軍事の根本としての「人を用うる法」、則ち用兵は「結局は人にあり」を説くのであ
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