巷に溢れる「孤独本」のなかで、一歩踏み込んだ孤独を解説、提案する本である。
著者は孤独には、死別・離婚など社会的に孤立した「非選択的な孤独」、他社とのしがらみ等から解放され、自分の意志で選んだ「選択的な孤独」、自分の内側と深くつながった「深い孤独」の3種類があるとし、この最後のレベルに達することで「単独者」として「孤独の達人」になるとしている。
この「単独者」は、他社と比較しない、一人の時間を持つことなどによって「真に心が自由な生き方」ができる者のことだという。
第二章では、現在は孤独に対するネガティブとポジティブの見方が拮抗している、と書いてはあるものの、よく読むとポジティブを支持する展開になっている。
ちなみに、ポジティブな現象として「学食のぼっち席」「恋愛、結婚観の多様化」など、ネガティブな反応としては「アラフォー女性の負け犬」「友達のできない子供の登校拒否」を挙げている。
だが登校拒否について著者は、特に友達を作ることはいいことだという「同調圧力」が多くの子供たちを苦しめていると指摘し、「ともだちひゃくにんできるかな」の歌詞で有名な「一年生になったら」ついて「非常に病的な歌」とまで厳しく批判している。
もっとも「一人でいてどこが悪い」というメッセージは単なる開き直りではなく、「人間は多様であっていい」という意味だ、という著者の言葉には、共感できると思う人も多いのではないだろうか。
第4章では実践編とも言うべき内容で、「単独者」として生きるための手段として人間性回復運動の精神である「ゲシュタルトの祈り」を大声で毎日30回唱える、「こんなふうに生きたいなと思える人生のストーリー」を一日30回叫ぶ、という具体的な『行動』を勧めている。とは言いつつ、第6章では「一日5分でもいいから一人静寂に自分と向き合う」という全く逆の手法も紹介している。
まあ読み手がこの正反対の手法をどう受け止めるかは自由だが、個人的には前者は想像しただけで恥ずかしくてできないが、後者は「座禅」にも通じるものがあり、理解できなくもなかった。
本書後半では、定期的なカウンセリングや心の声を聴くというフォーカシングのメリットにも触れているが、プロとはいえ第三者であるカウンセラーに心を開くのには抵抗のある人は私も含めて多いはずだし、あくまで参考情報として受け止めた。
本書にある事例をすべて実践できれば、著者のいう「孤独の達人」にはなれるのだろうが、自分にとってどこまでが必要なレベルなのかを冷静に判断することが、まず大事ではないだろうか。無理や我慢をしてまで「達人」を目指すのは本末転倒だろう。
個人的には「所詮人は人、自分は自分」と常に割り切っていれば、あまり悩むこともないのではと思っている。もっとも「お前は何も深く考えていないからだ」と言われれば、何も言い返せないのだが。
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