哲学とはどういうものか みたいな解説本はせいぜい焚き火の材料にしかならない。
しかし これは著者の体験を通して哲学的な考え方がどんな風に役立ったかが具体的に書かれていて、そこが良かった。
それにしてもこの作者、相当こじらせている。そこがいい!私の中の作者のイメージは 丸坊主のデスノートLだ。
内容を一言で説明するのは難しいが、一つはこういうことだと思う
例えば 最近ツイッターや動画のコメントを見ていると、当たり障りのないコメントで「お前さ、それってただ万人受け狙ってコメントしてるだけだろ、そんなにいいねが欲しいんか」といいたくなるようなコメントを連投してる人がいる。
ヤフーコメントも似たようなもんで、いわゆる過激派のネトウヨ巣窟になっているし、Youtubeのコメント欄も基本的にアホすぎてゾッとする。
で、「そんなのくだらないから読むな」で片付けるのは簡単だし楽なんだけれども、問題はそこじゃなかったりする。
問題はそのカキコミの背景に その人にはどんな思想があるという事を想像するってことなんじゃなかろうかと思う
まぁ全部この本の受け売りなんだけどね、そんな捉え方を根本から変えてくれる良い本だと思う。
すまん、俺の解釈だからちょっと外してるかもしれん。
この考え方を身につけると 専門用語をひけらかして批評ぶっこいてるここのレビューも見てて「おめぇ痛いな」と笑えるようになるとおもう。
しかし役立つ内容なだけに できれば文庫にして780円位にして学生の方にも読めるようにした方がいいんじゃないかと希望してたりする。先生お願いします。
P.S.熊日のコラムいつも見てます。
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子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」! 単行本(ソフトカバー) – 2016/5/25
苫野 一徳
(著)
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Yahoo! ニュースで大反響! 続々増刷。
「何のために生きているんだろう」「なぜ生まれてきたんだろう」「なぜ死ぬんだろう」…
小学校1年生の頃から、私はそんなことを本気で悩み考えていた“ 哲学的" な少年でした。
もっとも、子どもながらにプライドはあったので、傍目には友達がいるフリはしていましたが、
内心では、話の合う友達がいないことに長らくずっと悩んでいたのでした。
(「yahoo!ニュース」より引用)
装丁家・鈴木成一さん絶賛!
全国の書店員さんも笑った!
歴代哲学者もとんでもない“中二病"だった――。
絶望の達人キルケゴール
人間を知りすぎたヘーゲル
人でなしの天才ルソー
ルサンチマンの鬼ニーチェ
理性の精密機械カント
さてこの本は、哲学者の経験に基づいた、まったく新しい“劇場型"哲学入門書です。
・だれも僕のことなんてわかるもんか(わかられてたまるか)
・友だちがいない
・便所飯のパイオニア
・全校生徒からバッシング
・教祖様になってお布施生活
・躁うつ8年間
・「今から死ぬわ」(ああ、できない(涙))
めんどくさ過ぎる「絶望の達人(著者)」が哲学と出会い、
哲学を使って鮮やかに「絶望からの脱出」を果たした再生の物語であり、
超速・哲学入門書である。
哲学の大テーマ
「承認欲求」
「絶対の真理」
「至福」
「絶望と希望」
「普遍的モンダイ」
「欲望」
を理解するめくるめく心の旅。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社大和書房
- 発売日2016/5/25
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104479392718
- ISBN-13978-4479392712
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
便所飯のパイオニア、躁ウツ8年間、人類愛教の教祖さま…どんなにこじらせても、絶望したとき人は前に進める。歴代哲学者もとんでもない中二病だった!?
著者について
苫野一徳(とまのいっとく)
1980年生まれ。哲学者。熊本大学准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了後、早稲田大学教育・総合科学学術院助手、日本学術振興会特別研究員などを経て現職。専攻は哲学・教育学。 著書に、『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』(NHK出版)、『教育の力』(講談社)、『勉強するのは何のため? ― 僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社)、共著書に、『知識ゼロからの哲学入門』(幻冬舎)、『哲学書で読む最強の哲学入門』(学研パブリッシング)など。DVDに「明日の教室DVDシリーズ『教育をテツガクする ~相互承認の感度を育む~』」(有限会社カヤ)などがある。 苫野一徳Blog: http://ittokutomano.blogspot.jp/
Twitter: @ittokutomano
1980年生まれ。哲学者。熊本大学准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了後、早稲田大学教育・総合科学学術院助手、日本学術振興会特別研究員などを経て現職。専攻は哲学・教育学。 著書に、『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』(NHK出版)、『教育の力』(講談社)、『勉強するのは何のため? ― 僕らの「答え」のつくり方』(日本評論社)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社)、共著書に、『知識ゼロからの哲学入門』(幻冬舎)、『哲学書で読む最強の哲学入門』(学研パブリッシング)など。DVDに「明日の教室DVDシリーズ『教育をテツガクする ~相互承認の感度を育む~』」(有限会社カヤ)などがある。 苫野一徳Blog: http://ittokutomano.blogspot.jp/
Twitter: @ittokutomano
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
苫野/一徳
1980年生まれ。哲学者。熊本大学准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了後、早稲田大学教育・総合科学学術院助手、日本学術振興会特別研究員などを経て現職。専攻は哲学・教育学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1980年生まれ。哲学者。熊本大学准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了後、早稲田大学教育・総合科学学術院助手、日本学術振興会特別研究員などを経て現職。専攻は哲学・教育学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 大和書房; 四六判版 (2016/5/25)
- 発売日 : 2016/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 224ページ
- ISBN-10 : 4479392718
- ISBN-13 : 978-4479392712
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 108,615位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 308位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 586位哲学 (本)
- - 1,338位思想
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2018年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は、自身のことを「"実存”にまみれた人間だ」と言う。
実存とは、現に今ある、唯一の<わたし>であり、多様に変わり得る可能性をもっている、変わり得る存在である。
無常としての、自己である。
人びとのなかにあって、悩み苦しみ、絶望に打ちひしがれる。
なぜ、誰にも理解されないのか、と問う。
なぜ、誰をも理解できないのか、と問う。
このような問いが、新たな自己の可能性としての実存へと向かわせるのであろう。
そこでは、自己を打ち砕くように、問い続けなければならない。
それは、生きづらさを徹底的に味わうことでもある。
哲学に向かう著者は、ヘーゲルの「自由の相互承認」について知る。
それよって「"実存”の問題もまた、いつのまにかかなり解消」されたと言う。
しかし、それもまた実存の内側であろう。
実存の外側に出ることは、できない。
「実存」から逃れようとするのも、実存なのである。
救われたのであれば、「自由の相互承認」ではなく、実存によってのことであろう。
実存とは、現に今ある、唯一の<わたし>であり、多様に変わり得る可能性をもっている、変わり得る存在である。
無常としての、自己である。
人びとのなかにあって、悩み苦しみ、絶望に打ちひしがれる。
なぜ、誰にも理解されないのか、と問う。
なぜ、誰をも理解できないのか、と問う。
このような問いが、新たな自己の可能性としての実存へと向かわせるのであろう。
そこでは、自己を打ち砕くように、問い続けなければならない。
それは、生きづらさを徹底的に味わうことでもある。
哲学に向かう著者は、ヘーゲルの「自由の相互承認」について知る。
それよって「"実存”の問題もまた、いつのまにかかなり解消」されたと言う。
しかし、それもまた実存の内側であろう。
実存の外側に出ることは、できない。
「実存」から逃れようとするのも、実存なのである。
救われたのであれば、「自由の相互承認」ではなく、実存によってのことであろう。
2021年10月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の苫野一徳さんが書かれた、ちくまQブックス「未来のきみを変える読書術」がとても良い読書体験だったので、他の作品も読んでみたいと思い、こちらの書籍を購入した。
読んでみると、哲学の入門書というより「苫野先生の大スペクタル半生記」であった。そこまでさらけ出して大丈夫?!とドギマギするほどのライフヒストリーが語られているのだが、身につまされる児童・思春期の痛みに自分自身を重ね、一緒に悶えてしまう。大学生になって開眼した「人類愛教」のくだりは、はっきり言って「ヤバイ」「キモい」極みであり、「もしや選書を間違えたか・・」と不安になるほどだが、この最大級に膨れ上がったキモさの死と再生こそ本書の真骨頂である。危うさMAXになった苫野青年は「哲学」をインストールすることで、それまでの脳内OSを入れ替え、心身の健康を回復する以上に、学者としても眩しい成長を遂げられる。誰しも先生のようになれる訳ではないが、なぜか「私も先生と同じようにできるかもしれない」と思わせる親近感がこの本にはある。これまで読んできた哲学書/哲学者のエッセイは、どんなに「入門」と書かれていても、難解かつ貴族的で「しょせんワシら庶民には手の届かぬ高級品」としてひがみの対象にしかならなかった。かの「ソフィーの世界」は夢中に読んだ記憶があるが、それによって哲学的思考が自分の生き方に組み込まれた訳ではないし、今となっては何も覚えていない。しかしこの作品は、苫野先生が「わたしの分身」として悩み苦しみ、どうやって哲学的素養を「体の一部」に組み入れ「人生に役立てているか」実体験として報告してくれる。まさに山本五十六の「やってみせ」手法であり、先生が教育学者でもあることを思い出させる。「ああ、このように哲学は私を変えてくれるかもしれない」とイメージできるから、次は、もう少し哲学に踏み込んだ入門書を読んでみよう、と(脳内の苫野先生に)励まされるのである。
読んでみると、哲学の入門書というより「苫野先生の大スペクタル半生記」であった。そこまでさらけ出して大丈夫?!とドギマギするほどのライフヒストリーが語られているのだが、身につまされる児童・思春期の痛みに自分自身を重ね、一緒に悶えてしまう。大学生になって開眼した「人類愛教」のくだりは、はっきり言って「ヤバイ」「キモい」極みであり、「もしや選書を間違えたか・・」と不安になるほどだが、この最大級に膨れ上がったキモさの死と再生こそ本書の真骨頂である。危うさMAXになった苫野青年は「哲学」をインストールすることで、それまでの脳内OSを入れ替え、心身の健康を回復する以上に、学者としても眩しい成長を遂げられる。誰しも先生のようになれる訳ではないが、なぜか「私も先生と同じようにできるかもしれない」と思わせる親近感がこの本にはある。これまで読んできた哲学書/哲学者のエッセイは、どんなに「入門」と書かれていても、難解かつ貴族的で「しょせんワシら庶民には手の届かぬ高級品」としてひがみの対象にしかならなかった。かの「ソフィーの世界」は夢中に読んだ記憶があるが、それによって哲学的思考が自分の生き方に組み込まれた訳ではないし、今となっては何も覚えていない。しかしこの作品は、苫野先生が「わたしの分身」として悩み苦しみ、どうやって哲学的素養を「体の一部」に組み入れ「人生に役立てているか」実体験として報告してくれる。まさに山本五十六の「やってみせ」手法であり、先生が教育学者でもあることを思い出させる。「ああ、このように哲学は私を変えてくれるかもしれない」とイメージできるから、次は、もう少し哲学に踏み込んだ入門書を読んでみよう、と(脳内の苫野先生に)励まされるのである。
2022年1月25日に日本でレビュー済み
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著者自身の人生のエピソードを交えながら、哲学的考察をされているところにグッと引き込まれる。とてもユニークでおもしろく、ここまで話してくれていいのか!?とこちらが驚くような人生エピソードでいっぱいだ。自分自身から一歩距離を置いて、過去の自分にメスを入れる技はなかなか簡単にはいかないだろうが、苫野氏はそれを率直に誠実にこなしているところに感銘した。
哲学の言葉は日常生活では馴染みのない物が多いので、初めて聞いた言葉は頭をふっとかすめて消えてしまうことが多い。しかしこの本では著者の人生エピソードが間近にあることで、心に残りやすく、読んだ数日はずっとこの本で語られていた事柄について考えていた。
この本は哲学を初めて読む人には易しく解説されていて、哲学をもっと読んでみようと思わせてくれるきっかけになると思う。
そして哲学ファンの人には、1人の友達の半生を聞いているような親近感や共鳴を感じるかもしれない。その友達はどうして哲学に行きついたのか、どうやって哲学で苦しい時を乗り切ったのか、今どういう態度で哲学に向かっているのかを包み隠さずに語ってくれる。
それを通して、読者である自分も人生を振り返ったり、これからの哲学との向き合い方をもう一度新しく考えさせられたりする時間となった。
哲学の言葉は日常生活では馴染みのない物が多いので、初めて聞いた言葉は頭をふっとかすめて消えてしまうことが多い。しかしこの本では著者の人生エピソードが間近にあることで、心に残りやすく、読んだ数日はずっとこの本で語られていた事柄について考えていた。
この本は哲学を初めて読む人には易しく解説されていて、哲学をもっと読んでみようと思わせてくれるきっかけになると思う。
そして哲学ファンの人には、1人の友達の半生を聞いているような親近感や共鳴を感じるかもしれない。その友達はどうして哲学に行きついたのか、どうやって哲学で苦しい時を乗り切ったのか、今どういう態度で哲学に向かっているのかを包み隠さずに語ってくれる。
それを通して、読者である自分も人生を振り返ったり、これからの哲学との向き合い方をもう一度新しく考えさせられたりする時間となった。
2019年5月24日に日本でレビュー済み
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苫野さんの本は何冊か読んでいるのですが、これはその中ではかなり異質で、かなり面白い。生きることに悩んでいる、苦しんでいる若い人(いえ、若くない人でも!)にぜひ読んでほしい一冊です。
変な言い方ですが、苫野さん自身にとっても(ちょっと)「恥ずかしい」というか、あまりに赤裸々に語ってしまった一冊なのだろうと思います。(「だから思い入れがある本だ」と仰ってましたし。)
苫野さんという人物が見えるのが、読んでいてとても嬉しいです♪
変な言い方ですが、苫野さん自身にとっても(ちょっと)「恥ずかしい」というか、あまりに赤裸々に語ってしまった一冊なのだろうと思います。(「だから思い入れがある本だ」と仰ってましたし。)
苫野さんという人物が見えるのが、読んでいてとても嬉しいです♪