戦後の憲法学会で「宮沢憲法学」の影響下になかった憲法学者は存在しないと言われる。
宮沢俊義東大教授が提唱する学説は、日本国憲法は、ポツダム宣言を日本政府が受諾した1945年8月に、法学的には革命が起きて、日本の国体は根本的に変革されたとする八月革命説を主張した。憲法改正の限界を超えた新たな法秩序の確立が起きた瞬間だから革命が起きたというのである。
宮沢教授の学説が、戦後の憲法学会で、純粋な学理を離れて、ある意味で政治性を帯び、教授の学説に疑問を呈したり、反対するような学者は、徹底的に排除され、その言論が抹殺されて隠然たる存在となるに従い、宮沢憲法学に異議を唱えることなど、学者生命を絶たれることを意味してきた。
今日、日本の憲法学の主要な教授陣は、ほぼ全て、宮沢憲法学の思想下で育った者たちで、その教えを土台に、政界、法曹界、言論界を一色に染め上げて、一種の思想統制が行われて現在に至る図式が完成したと言える。
明治憲法と現行憲法を「分断」し、歴史的相関性を否定する考え方は、天皇についても、今上陛下は第125代天皇ではなく、1945年8月の法学的革命によって、天皇としての法的根拠は、新たな日本国憲法によって担保されたものであるから、昭和天皇が日本国の初代天皇であり、今上陛下は第2代天皇であると、驚くべき主張が行われるのだ。
憲法学者の多くは、宮沢教授の八月革命説を前提にするなら、法学的学理に沿って、この主張を是認する立場を執るしかない。
こうした分断が、日本の歴史、ひいては天皇の地位、権能に如何なる影響をあたえるものか、著者が、飽くまでも学理の追及という立場から著したのが本書である。
一見、難解な専門用語が並び、如何にもとっつきにくい印象だが、最も重要な点は、天皇を、一般国民とは対立する関係としか見ず、その見地からしか理解しようとしない欧米流の王室史観と日本の皇室を同列に論ずることが、如何に大きな誤りかが、論理的に解明されていることだろう。天皇が、現実の政治の中で、特に明治以後、どれほどの権能を持ち、どれほどの影響力を行使し得たか、それが、現行の日本国憲法下での天皇の役割と、どれほどの差異があるかを丹念に、飽くまでも学理の追及という視点から行われたことは注目に値する。
こうした研究は、大学の憲法研究の基礎の段階で、もっと積極的に行われてこなければいけなかったのに、宮沢憲法学の呪縛から逃れられない殆どの学者によって黙殺されてきた。
もうひとつ興味深いのは、「天皇主権」と「国民主権」という一見対立する概念を、理念の上からの解釈と実体法上からの解釈という二つの解釈を試みることによって、その実情の差異を明らかにしている点だろう。
宮沢憲法学の立論の根本は、天皇主権を恰も、天皇が独裁者のように日本の政治を執り行ってきたかのような論理展開を為し、それが、根本的に覆されて国民に主権が移ったことによって、法学的な意味での革命が起きたという論理だが、それが、如何に誤りで、また、明治憲法のみならず現行の日本国憲法についても理解不足かを辛辣に批判している。
天下の大学者を、一切の感情を排して学理の上で批判した論文を見たことはない。
天皇の憲法上の地位を、如何に理解すべきか、明治憲法と現行憲法を比較することによって、浮き彫りにしていく試みは、実に新鮮だった。
そして、著者が最も言いたいことは、現在においても、天皇は、単にハンコを押すだけのロボットではなく、相応の政治的権能を有した存在であるということを国民に正しく知ってほしいということだろうと思う。
ひとつ、難を言えば、冒頭、小林節との対談が載っているが不要だ。
武田氏の恩師かも知れないが、この人物が本書に載るだけで、内容が正しく理解されない虞がある。次回の版からは削除された方がよい。
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