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大声で歌え「君が代」を 単行本 – 2009/5/26
ケヴィン・M・ドーク
(著),
工藤 美代子
(翻訳)
本居宣長から福沢諭吉、和辻哲郎、そして安倍晋三まで──
近代日本の「ナショナリズムの歴史」を解き明かした話題作を邦訳。
ナショナリズムはけっして危険思想ではない。むしろ欧米の民主主義の発展にとって
必要不可欠な思想だったし、日本も例外ではあり得ない。
国旗を振らず、国歌を歌わない国が、はたしてあるだろうか。
著者は米国ジョージタウン大学の教授をつとめる国際的な日本研究者。
高校時代に日本に留学し、東京大学、京都大学、立教大学、甲南大学で
日本近代史を学んだのち、シカゴ大学大学院で博士号を取得した異色の経歴の持ち主。
数多くの日本語文献を読みこなす一方、本格的に政治学研究を究めた成果が、
本書に結実した。
第一章 国家と市民の基盤
第二章 明治維新と民権運動
第三章 天皇制度の戦前と戦後
第四章 国民と社会の契約
第五章 戦後における国民の登場
第六章 民族と戦争を超えて、結び 市民ナショナリズムの可能性。
近代日本の「ナショナリズムの歴史」を解き明かした話題作を邦訳。
ナショナリズムはけっして危険思想ではない。むしろ欧米の民主主義の発展にとって
必要不可欠な思想だったし、日本も例外ではあり得ない。
国旗を振らず、国歌を歌わない国が、はたしてあるだろうか。
著者は米国ジョージタウン大学の教授をつとめる国際的な日本研究者。
高校時代に日本に留学し、東京大学、京都大学、立教大学、甲南大学で
日本近代史を学んだのち、シカゴ大学大学院で博士号を取得した異色の経歴の持ち主。
数多くの日本語文献を読みこなす一方、本格的に政治学研究を究めた成果が、
本書に結実した。
第一章 国家と市民の基盤
第二章 明治維新と民権運動
第三章 天皇制度の戦前と戦後
第四章 国民と社会の契約
第五章 戦後における国民の登場
第六章 民族と戦争を超えて、結び 市民ナショナリズムの可能性。
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2009/5/26
- ISBN-104569708129
- ISBN-13978-4569708126
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
国際的な日本研究者の話題作を邦訳。ナショナリズムはけっして危険思想ではない!本居宣長から福沢諭吉そして安倍晋三まで―近代日本の「ナショナリズムの歴史」を解き明かす。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ドーク,ケヴィン・M.
1960年アメリカ生まれ。高校時代に日本に留学し、東京大学、立教大学、甲南大学などで日本近代史やナショナリズムを研究。82年、イリノイ州クインシー・カレッジ卒業。89年、シカゴ大学大学院で博士号取得。現在はジョージタウン大学教授、東アジア言語文化部長。日本近代思想史専攻
工藤/美代子
昭和25年(1950)東京生まれ。ノンフィクション作家。ヴァンクーヴァーのコロンビア・カレッジを卒業後、カナダ在住。平成3年(1991)『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞。平成5年(1993)帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1960年アメリカ生まれ。高校時代に日本に留学し、東京大学、立教大学、甲南大学などで日本近代史やナショナリズムを研究。82年、イリノイ州クインシー・カレッジ卒業。89年、シカゴ大学大学院で博士号取得。現在はジョージタウン大学教授、東アジア言語文化部長。日本近代思想史専攻
工藤/美代子
昭和25年(1950)東京生まれ。ノンフィクション作家。ヴァンクーヴァーのコロンビア・カレッジを卒業後、カナダ在住。平成3年(1991)『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞。平成5年(1993)帰国(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : PHP研究所 (2009/5/26)
- 発売日 : 2009/5/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4569708129
- ISBN-13 : 978-4569708126
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,187,773位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 2,343位日本の思想(一般)関連書籍
- - 2,989位東洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち3.0
星5つ中の3
2 件のグローバル評価
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年11月18日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
当初、この本を読んでみようと思ったのは、記述の中にマイネッケに対する評価があったためであるが、内容的には国家意識の高揚を主張するものを期待してのことだった。しかし、本のタイトルの日本語名から想像されるものとは大きく違う内容だった。その意味では期待はずれであったが、実際の記述内容は、ナショナリズムという物の多義的な性格や、日本での変遷を詳しく論じたものであり、とりわけ国家とネイションを区別して考える視点には感銘を受けた。但し、自分の基本的な知識の乏しさゆえにすべてを完全に理解しきれないことが残念である。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2010年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の邦訳が出たと知った時は少なからず驚いた。
著者ドーク氏は、米国の日本思想史研究の重鎮で、小泉政権時代、産経紙上で靖国参拝支持の論陣を張ったことでも知られる。本書でも著者は、「市民的ナショナリズム」の旗手として安倍総理に期待感を示し、櫻井よしこ、藤岡信勝両氏を肯定的に評価している。こうした立場は、欧米の学界には日本のナショナリズムを反射的に嫌う人の多いことからすれば新鮮である。カナダ在住歴が長く、いまだに根強い日本への無知と偏見を見てきた訳者が、本書に飛びついた気持ちは私にも理解できるような気がする。
しかし、本書の原著は、専門的で地味な著作であり、帯にあるように「ナショナリズムは危険思想ではない」ことを論証した本ではないし、「日本人は自国に誇りをもつべきだ」と説いた本でもない。著者は日本に市民的なナショナリズムが育つことを期待しているが、それは本書の眼目ではない。
本書の内容は、少し変わった視点からの日本のナショナリズムの歴史である。ナショナリズムの歴史というと、日本の自画像がどのように形成され、変容してきたか、あるいはナショナリズムを掲げる団体、運動の歴史などが分析されるのが一般的だが、本書は違う。著者はむしろ、日本のナショナリズムの発展に重要な意味をもった概念(天皇、社会、国民、民族)に注目し、そうした概念(とその相互関係)がいかに変化してきたかを追跡している。その結果浮かび上がる歴史像は、左右の対立を軸とする標準的な歴史像とはかなり異なり、「戦前日本では真のナショナリズムは弱かった」、「日本のマルクス主義では民族ナショナリズムが大きな潮流だった」、といった主張がなされている。著者の議論は専門的で、近代日本思想史についての知識がなければ理解できないし、邦訳にあたり省略された部分があるため、筋が通らなくなっている箇所も多い。
要するにこの訳書は、固い本に人目を引くタイトルをつけて無理な役回りを演じさせようとした試みであり、その結果は失敗である。日本人の愛国心を外国人が認めてくれるのは嬉しいが、笛を吹いても、学術書は注文通りに踊ってはくれない。著者の学問的主張に興味のある人は苦労しても原著(私の評価は星四つ)を読んだ方がよい。
著者ドーク氏は、米国の日本思想史研究の重鎮で、小泉政権時代、産経紙上で靖国参拝支持の論陣を張ったことでも知られる。本書でも著者は、「市民的ナショナリズム」の旗手として安倍総理に期待感を示し、櫻井よしこ、藤岡信勝両氏を肯定的に評価している。こうした立場は、欧米の学界には日本のナショナリズムを反射的に嫌う人の多いことからすれば新鮮である。カナダ在住歴が長く、いまだに根強い日本への無知と偏見を見てきた訳者が、本書に飛びついた気持ちは私にも理解できるような気がする。
しかし、本書の原著は、専門的で地味な著作であり、帯にあるように「ナショナリズムは危険思想ではない」ことを論証した本ではないし、「日本人は自国に誇りをもつべきだ」と説いた本でもない。著者は日本に市民的なナショナリズムが育つことを期待しているが、それは本書の眼目ではない。
本書の内容は、少し変わった視点からの日本のナショナリズムの歴史である。ナショナリズムの歴史というと、日本の自画像がどのように形成され、変容してきたか、あるいはナショナリズムを掲げる団体、運動の歴史などが分析されるのが一般的だが、本書は違う。著者はむしろ、日本のナショナリズムの発展に重要な意味をもった概念(天皇、社会、国民、民族)に注目し、そうした概念(とその相互関係)がいかに変化してきたかを追跡している。その結果浮かび上がる歴史像は、左右の対立を軸とする標準的な歴史像とはかなり異なり、「戦前日本では真のナショナリズムは弱かった」、「日本のマルクス主義では民族ナショナリズムが大きな潮流だった」、といった主張がなされている。著者の議論は専門的で、近代日本思想史についての知識がなければ理解できないし、邦訳にあたり省略された部分があるため、筋が通らなくなっている箇所も多い。
要するにこの訳書は、固い本に人目を引くタイトルをつけて無理な役回りを演じさせようとした試みであり、その結果は失敗である。日本人の愛国心を外国人が認めてくれるのは嬉しいが、笛を吹いても、学術書は注文通りに踊ってはくれない。著者の学問的主張に興味のある人は苦労しても原著(私の評価は星四つ)を読んだ方がよい。