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夜と霧 新版 Kindle版
「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお贈りする。
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2002/11/5
- ファイルサイズ3173 KB
商品の説明
商品説明
ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。
このような経験は、残念ながらあの時代と地域ではけっして珍しいものではない。収容所の体験記も、大戦後には数多く発表されている。その中にあって、なぜ本書が半世紀以上を経て、なお生命を保っているのだろうか。今回はじめて手にした読者は、深い詠嘆とともにその理由を感得するはずである。
著者は学者らしい観察眼で、極限におかれた人々の心理状態を分析する。なぜ監督官たちは人間を虫けらのように扱って平気でいられるのか、被収容者たちはどうやって精神の平衡を保ち、または崩壊させてゆくのか。こうした問いを突きつめてゆくうち、著者の思索は人間存在そのものにまで及ぶ。というよりも、むしろ人間を解き明かすために収容所という舞台を借りているとさえ思えるほど、その洞察は深遠にして哲学的である。「生きることからなにを期待するかではなく、……生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題」というような忘れがたい一節が、新しくみずみずしい日本語となって、随所に光をおびている。本書の読後感は一手記のそれではなく、すぐれた文学や哲学書のものであろう。
今回の底本には、旧版に比べてさまざまな変更点や相違が見られるという。それには1人の哲学者と彼を取り巻く世界の変化が反映されている。一度、双方を読み比べてみることをすすめたい。それだけの価値ある書物である。 (大滝浩太郎)
--このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。著者からのコメント
そんな特別な本を訳し直さないか、とのお話に、とんでもない、と私は何カ月も逃げまわりました。けれど最後には、いまの高校生に読んでもらいたい、という編集者の熱意に折れました。
もちろん、旧訳者の霜山先生のご承諾がなければ、改訳などできません。編集者がお宅に何度か通ううち、霜山先生は、私の試訳を見てみよう、とおっしゃいました。それを受けて、ほんの少し、400字原稿用紙で20枚足らずを訳しました。緊張したのはいうまでもありません。
届けられた拙訳をごらんになった霜山氏は、即座に出版社に電話を入れられ、「今すぐ訳してもらいたい」とおっしゃったそうです。そう伝える編集者からの電話を切って、私は声を挙げて泣きました。この本は、2000年にある大手新聞がおこなった、21世紀に残したい世界の名著というアンケートで、海外の名著ベスト3になりました。そのことを、霜山氏がご存じないわけはありません。なのに、この本が未来へと読み継がれるとき、ご自身の訳でなくてよい、とおっしゃったのです。その高潔なお人柄に感動するとともに、身の引き締まる思いでした。
けれどいまは、訳してよかった、と思っています。なぜなら、霜山版が依拠したのは初版(1947年館)ですが、このたび訳したのは、1977年の改訂版だからです。そこには、胸の奥底から震撼させられるような手直しがなされていました。その手直しから読みとれるのは、自著が政治プロパガンダに利用され、おびただしい血が流れていることに、フランクル氏が心を痛めていた、ということです。いままたパレスティナが悲惨な状況にあります。そんなとき、新たに『夜と霧』を世に送ることになったことを、厳粛な歴史の巡り合わせと受けとめています。
フランクル氏は、被収容者にとってもっともつらかったのは、この状況がいつまで続くかわからないということだった、といいます。そんななかで、「生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。『生きていることにもうなんにも期待がもてない』」
私はこうした記述に愕然とし、暗澹としながら訳しました。なぜなら、私は『夜と霧』を訳すかたわら、茨城県の牛久に通っていました。そこには、難民申請を認められず、強制送還を待つアフガンやクルドなどの方々を収容する施設があるからです。そして面会室で、「私はこの人生いらない」ということばをしばしば耳にしました。牛久の収容は、アウシュヴィッツと同じく、無期限です。フランクル氏が、もっともつらかった、と言った、無期限の暫定的存在……。フランクル氏が『夜と霧』に記録したむごい状況は、ナチという、絶対悪とされている特殊な人間たちがひきおこした特異な事例ではありません。アウシュヴィッツと同じ状況が、国際難民条約を違反するかたちで、この現代日本社会にあるのです。
私は一介の翻訳者ですが、市民として、いますべきことに目覚めつつあります。そのエネルギーの源泉は、高校のときに読んだ『夜と霧』に、遠くさかのぼるのかもしれません。霜山氏がお寄せくださった、非戦への熱い思いのこもった旧訳者あとがきが、新たな導きの星となって、これからの道を照らしてくださると信じています。
おそるおそる上梓した改訳でしたが、幸い、みなさまのあたたかいご支持をえています。さらには、霜山訳をもう一度読んでみよう、と思われる方々も多いと聞きます。これは特権的な本なのだ、という思いを強くするとともに、なんとすばらしいことだろう、と感激しています。
--このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。内容(「MARC」データベースより)
--このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1905年、ウィーンに生まれる。ウィーン大学卒業。在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後まもなく『夜と霧』に記す。1955年からウィーン大学教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開する。1997年9月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
著者について
Viktor Emil Frankl
1905年、ウィーンに生まれる。ウィーン大学卒業。在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後まもなく『夜と霧』に記す。1955年からウィーン大学教授。人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開する。1997年9月歿。
著書『夜と霧』『死と愛』『時代精神の病理学』『精神医学的人間像』『識られざる神』『神経症』(以上、邦訳、みすず書房)『それでも人生にイエスと言う』『宿命を超えて、自己を超えて』『フランクル回想録』『〈生きる意味〉を求めて』『制約されざる人間』『意味への意志』(以上、邦訳、春秋社)。
池田香代子
いけだ・かよこ
1948年東京生まれ。ドイツ文学翻訳家。
主な著書に『哲学のしずく』(河出書房新社、1996)『魔女が語るグリム童話』(正は宝島社、1999 続は洋泉社、1998)『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス、2001)『花ものがたり』(毎日新聞社、2002)など。
主な翻訳にゴルデル『ソフィーの世界』(NHK出版、1996)、『完訳クラシック グリム童話』(全5巻、講談社、2000)などがある。『描たちの森』(早川書房、1996)で第1回日独翻訳賞受賞(1998)。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B00P7C2D2O
- 出版社 : みすず書房 (2002/11/5)
- 発売日 : 2002/11/5
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 3173 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 144ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 3,090位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 40位思想
- - 48位哲学・思想 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について

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カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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一回目の読了後には感動はなかったです。そのため、自分はつめたい人間なのかと落ち
込みそうになりましたが、原因を考えてみました。
1. この本に書かれている収容所の体験が、現在の日本の生活とあまりにかけはなれてい
て、実感を持って受け入れることが出来きませんでした。
2.著者もこの本で書いているように、あまりに凄惨な体験の中では、人間は感動の消滅
が起きるらしい。読み手の私も、防衛本能として感動の消滅が起きたのかもしれない。
3.この本は読み手を選ぶ。随所に哲学的な思考が出てきて、ある程度の読解力に達して
いないと読み込むことは出来ないと思います。
ただ、とても大切なことが書かれている希少な本ということは分かりました。時間を置
いて、読書習慣を続けて読解力が高まったら、読み返してみて感じ方が変化するかをみ
てみたいです。
正直、極限状態における人間が見えてくるというかこの受難の民のユダヤ人たちが、イスラエルを建国して、これまたスファラディを差別するのだから、歴史は「負の連鎖」を断ち切れないと思える。
フランクル自身が悲惨な収容所の体験だからこそ、書けた文章であるのだが、民族による優越性とかの差別もまだまだ多かった時代の文章だ。だから人類として普遍性をもって考えたい理由から、「ユダヤ人」という人種の言葉を慎重に避けていたことは、訳者の後書きの指摘からもわかります。
「人間ひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ」
「苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在は完全なものになるのだ」
「脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ」
「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって正しい答えは出される」
この「行動」というやつが大切で、考えるより先に行動することで本物の思想が反対に生まれるということだ。
意識でもって行動を考えるのではないのだ。
シオランは「涙ぐむことこそ福音である」(E・M・シオラン「 涙と聖者 」)と言ったのを思い出した。されど、フランクルのこの態度は、むしろキルケゴールを思い出した。
最近では「本気になるのは勘弁してね」という感じが蔓延していて、「本気にならないこと」がクールだと勘違いしている。今や、多くの人達が苦悩や死に関して、真摯に向き合うことを避けている。そんなことでは、人生の意味を問う入口にすら立てないだろう。
キルケゴール自身が婚約破棄をしたりと、色々と不明瞭な行動が多い人物ではある。自らの行いに真剣でありすぎたために、レギーネ・オルセンの結婚破棄は「結局は愛するといっても、彼女自身を求めている欲望(性欲も含む)に突き動かされているだけではないのか」という苦悩になってしまう。純粋すぎたのだろう。
でも、死後の遺産を、別の人の妻になったレギーネに譲ろうとしたことは、レギーネの兄宛の手紙に残っている。
苦悩を引き受けるというのは、易々と言える時代ではない。最近は過労死や労働問題が増えているのは当然だ。本当にしたいことがあるくせに、周りの目を気にして、自分を誤魔化しているうちに、世の中こんなものだよと勝手に解釈して「物事に本気になれない」という態度で装うことにあるからではないか、という気がする。けれど、こんなことをブログなどに書こうものなら、即刻炎上必至(笑)。そんな時代そのものも、どこかおかしい。だから、こんなところでコッソリと言いたい(笑)。でも若いうちから、自らの生きる意味なんて簡単にわかってはたまらない。
外的なものに期待を持つこと、まずこれを改める必要があり、行動によりどう応えていくことが重要ではないだろうか。
小関智弘氏の本を読んでいると、今ではパワハラとか、労働災害とかに直結する内容も多いけれど、危険から逃げようとしないからこそ、真実は見えてくる面までも否定してはいけない。これははっきりと言いたい。ならば安々とした状況に甘んじる態度が根元にあるならば、状況に不平を言うのもどうかと思う。
苦悩を引き受ける覚悟と、運命の問いの前に立たされいるのだという、人間という存在を考えていくべきではないだろうか。生きることそのものに意味があるのではない。そうではなく、どう答えていく人間であるかが問題なのだ、ということではないだろうか?(2017.5.17読了)
「あらゆるものを奪われた人間に残された、たった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。」
今自分が生きているこの運命に対し、どのような態度を取るのかという自由は常に私に与えられているのだ。どのような状況に置かれていてもそれをどのように捉えるのかという自由を有している私は幸せなのだと思うことができた。
アウシュビッツ、強制収容所について読むのは怖かったというのが読む前の私。読後、高揚感に包まれた。ナチスの中でもサディスト傾向の強い者が監視員に選ばれ虐待を楽しむ。絶望の中で人はどうなっていくのか。自身も収容所に入れられ、精神科医として人が極限状態に置かれるとどう壊れていくのかを観察していたフランクル。
まず初めになくすのが感情なのだ。私は子ども時代を思い出した。いちいち泣いていられるか、同情していたら生きていけない。痛みを与えてくるものから逃れられないなら体も感情もストップをかける。動いたらよけいに痛いだけ…とクールになっていた小学生時代を…
そして絶望の中だからこそ光に敏感になる。思い出した。近所の優しいおばちゃんたちにお礼をいう時もなかったが優しい眼差しと誉め言葉にどれだけ癒されていたか。
生まれるに値しない、つまり望まれずに生まれてきたことは開き直っていたもののコンプレックスにはなっていた。そしてこの「夜と霧」を読んで、はっとしたのだ。私は母に望まれなくてもこの世に望まれて生まれてきたのだということを。必然があって生まれてきて生きてきた。私がこの世に何を望むのかではなく、人生の方から望まれている。
亡くなった人に二度と会えなくても触れられなくても、彼らと過ごした日々は強烈に私の体内に記憶されている。父が夢に出てきて「いつもいるよ」と言ったのはこのことだったのだ。人間だけではない。虹の橋を渡った犬も猫も、私の中にこうしている。感情をなくしたはずだった私に無二の愛をくれたものたち。感動させてくれた父、兄、妹、犬、猫たち。鬼籍に入っても決して私の中から消えたりしないのだ。絶望の中にいたことがあるからこそフランクルの深い思いやりに満ちた言葉は私を動かした。読んだ後から今にも泣きそうな、でもそれを抑える自分の二面性を自覚しながら、抑えただけで感情は死んでいないと歓喜に溢れた思いである。
そして、最後の方に作者の精神論がこれでもかと放たれる。
この展開は、まるでオペラを観てるようでした。
収容されていた頃の体験記も、
作者の気骨さや優しさが感じ取れるためか、
悲惨さよりも、人間の芯のある強さ、明るさを感じました。
恐らく作者はそう意図して書いたのでしょう。
最後の方に、
辛辣を舐め尽くしてようやく解放され、
何度も夢に見て諦め、でも何度もやっぱり夢にみた、愛する人との再会が
叶わず、絶望に追い討ちがあったことを、
自分の事と伏せて書いています。
そして彼は
この本を書き上げ、
人としての心のあり方、持ち方をはっきりと語る。
兎に角、
この作者を尊敬します。素晴らしい人だと思う。
どんな状況下でも、
暗い方、酷い方、愛のない方、優しくない方、責任のない方は選ばない。
自分の誠意と信念に基づく行動と考え方をしたい、
と穏やかな勇気をくれた本でした。
読書はあまりする方ではありませんが、夢中になって読みました。
アウシュビッツと聞いて、覚悟して読み始めましたが、体験記でありながら論文のように淡々としていて、感情移入して精神的に読み進めるのが辛くなることはありませんでした。それどころか、感動が大きく何度も読み返ました。
学んだことは、どんな辛い状況でも自分を見失わず生きることは可能なこと、苦しむことも何かを成し遂げることであること、人生に期待するのではなく、人生の期待に応えようと考えること、です。
困難な状況の人に対して「それがあなたの運命なら受け入れるしかない」というのは決まり文句のようで、簡単に言うなと反感を覚えそうな言葉ですが、筆者の言葉だと重みがあり、心に響きます。この考えに至るまでの壮絶な体験があったからこそ出る言葉だと思えるからです。
"具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという、意識にまで到達しなければならない"p131
この本は反戦的な本でも歴史の本でもありませんでした。
素晴らしい本に出会えてよかったと思います。