夏物語 (日本語) 単行本 – 2019/7/11
川上 未映子
(著)
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本の長さ545ページ
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言語日本語
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出版社文藝春秋
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発売日2019/7/11
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ISBN-104163910549
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ISBN-13978-4163910543
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1976年大阪府生まれ。2007年『わたくし率イン歯ー、または世界』『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』で早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、08年『乳と卵』で芥川賞、09年詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞、13年詩集『水瓶』で高見順賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年『マリーの愛の証明』でGRANTA Best of Young Japanese Novelists、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞を受賞。17年には「早稲田文学増刊 女性号」で責任編集を務めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社より
毎日出版文化賞 芸術部門受賞/2020年 本屋大賞ノミネート/ニューヨーク公共図書館 2020年ベスト・ブックス・・・世界が震えた川上未映子の圧倒的長編

世界25カ国で翻訳! 米TIME誌が選ぶ 2020年ベスト小説10冊/米New York Timesが選ぶ今年の100冊
世界的ベストセラー作家、エレナ・フェッランテが選ぶ「20世紀の女性作家40人」に選出されるなど。いま世界が最も注目する作家の最新作。
ニューヨーク・タイムズを始め、英ガーディアン、フィナンシャルタイムズ、アイリッシュ・タイムズ、ニューヨーカー、バルチャー、BBC、独フォーカス、南ドイツ新聞、伊ラ・レプッブリカ、伊コリエーレ・デラ・セラ……欧米各誌紙、ラジオなどで絶賛、大きな話題に。
発売から一年以上経っても反響は止まらない
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テレビほかメディアで大きな話題に!NHK「あさイチ」プレミアムトーク(2019年12月6日) TBS「王様のブランチ」(2019年7月27日) フジテレビ「タイプライターズ」(2019年7月6日) 朝日、読売、毎日、日経ほか各紙誌に書評掲載。 亀山郁夫、鴻巣友季子、三浦雅士、阿部公彦、武田将明、清水良典の各氏が「今年のベスト3」に挙げる。 |
書店員からも熱い支持が進むしかないのだと、生きるしかないのだと、まるで生きる事そのもののような読書体験をさせていただきました。(明林堂書店南佐賀店・本間悠さん) まさに川上未映子さんの正真正銘の最高傑作、人生を賭けた1冊、という重みが伝わってきて、読んでいるこちらも、息をつめて物語の世界に没頭してしまうような素晴らしい内容でした。(HMV&BOOKS HIBIYAコテージ・花田菜々子さん) |
海外でも絶賛の嵐鋭い観察力と心を揺さぶるような筆致で、日本で女性として生きることについて描ききった作品。(米「タイム」誌 2020年11月11日) 川上は親しみやすい筆致と夢の中のような描写で自由とは何か、女性の身体とは何かを探求している。 (英「ガーディアン」2020年9月11日) |

生まれてくることの意味を問い、 人生のすべてを大きく包み込む、 泣き笑いの大長編。
大阪の下町に生まれ育ち、小説家を目指し上京した夏子。38歳になる彼女には、ひそやかな願いが芽生えつつあった。「自分の子どもに会いたい」――でも、相手もおらんのに、どうやって?
周囲のさまざまな人々が、夏子に心をうちあける。身体の変化へのとまどい、性別役割をめぐる違和感、世界への居場所のなさ、そして子どもをもつか、もたないか。悲喜こもごもの語りは、この世界へ生み、生まれることの意味を投げかける。
パートナーなしの出産を目指す夏子は、「精子提供」で生まれ、本当の父を探す逢沢潤と出会い、心を寄せていく。いっぽう彼の恋人である善百合子は、出産は親たちの「身勝手な賭け」だと言う。
「どうしてこんな暴力的なことを、みんな笑顔でつづけることができるんだろう」
苦痛に満ちた切実な問いかけに、夏子の心は揺らぐ。この世界は、生まれてくるのに値するのだろうか――。
芥川賞受賞作「乳と卵」の登場人物たちがあらたに織りなす物語は、生命の意味をめぐる真摯な問いを、切ない詩情と泣き笑いの極上の筆致で描き切る。
ページを繰る手が止まらない、エネルギーに満ちた世界文学の誕生!
登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2019/7/11)
- 発売日 : 2019/7/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 545ページ
- ISBN-10 : 4163910549
- ISBN-13 : 978-4163910543
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- - 12位芥川賞受賞(126-150回)作家の本
- - 262位日本文学
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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飛び交う大阪弁の臨場感、登場する女性たちの生々しさ、抽象的だけど腑に落ちる比喩表現、どれもが川上未映子さんならでの魅力を孕んでおり、ぐいぐいと物語に引き込まれていきます。
この小説の中で度々議論される家族観や倫理観は、これまで培ってきた知識や経験から自分の中で確立しているものだと思っていました。けれども、登場人物たちのさまざまな思想に触れながら読み進めていくと、自分の既成概念は簡単に揺らいでしまいます。
物語には終わりがあるため、主人公は最後にひとつの答えを導き出しましたが、私はこれからもゆっくりとこのテーマついて考えていきたいです。
人の心に残り続ける名作だと思います。
文章は一段と洗練され読み易くなりました。
ただ顔面のイボを憎悪の象徴みたいに描くのは如何なもんでしょうか。
過去の自作「乳と卵」を発展させる小説の作り方や、比喩を貫くあたりは村上春樹の影響かなと思いました。
しかし著者は以前は無痛分娩に失敗して帝王切開した話を書き、今回はありえない苦痛を味わう自然分娩を描き、器用な人だなと思いました。いずれにしても子育て日記的な作家に落ち着かず、一安心です。
白い光の下でビーズのクッションを用意して読みましょう。(笑)
以下、ネタバレあり。
独りよがりな感想ばかりです。
緑子と観覧車に乗って、ぶどう刈りの話をするシーン。ぶどう刈りに行きたくて行きたくて行きたかったのに行けなかった夏子(主人公)のために、巻子(主人公の姉)が家でしてくれたぶどう刈り。泣けました。
私は若くして亡くした兄と2人兄妹でしたが、私も兄も子どもだった頃よく遊び、時には兄ぶってみる姿を思い出してさらに涙が出ました。
全編、ヘブンと乳と卵を併せた感じの文章。言葉えらび、言葉ならびが大好きです。情景の描き方が緻密で、いま目の前で見ているように浮かび上がってきます。
緑子の成長が姪っ子の成長を見ているようで胸が詰まります。
子どもを持つということについて、ぐるぐると考えを巡らせ、様々な他人の価値観に触れる夏子。私も子どもができるまで長い間、色々なことを考えて考えて、人工授精で授かることができました。なので、夏子が子どもに会いたいと思う気持ち、脳内にぱんぱんに詰まる切迫感めいたもの、考え続けてしまう止められない感じ、は痛いほどわかります。
私は自己肯定感が低く、子どもを産んでもなお(子どもはとても愛していますが)自分自身が産まれてくるんじゃなかった、このまま生きてていいのだろうかと思いつめることが未だにあります。なので百合子の気持ちもまた共感するところがありました。
生きるのはしんどいことの連続だし、何が正解かわからないし、いつ死のうかいつ死のうか彷徨うこともあるけれど、この一冊を読めて、生きていてよかった……!と思っています。今後も楽しみにしています!
もし現代日本文学が常に危惧されているように末期を辿っているのなら、この本は何かしらの賞を受賞するだろうと思っていたところ、案の定毎日出版文化賞を受賞した。只でさえ幼稚さは否めない日本の世論に左右される、素晴らしき現代日本文学。
第一部の完成度は素晴らしい。『乳と卵』の書き直しということもあって、テーマも骨組みもしっかりとしているし、もとの作品よりも夏子と緑子の人物像が浮かび上がることで、どこか『ミス・アイスサンドイッチ』に似た匂いを思わせる、川上未映子らしい敏感な生理的感覚に満たされた佳品であった。
しかし第二部は、いとも簡単にその先入観を裏切る。
「生殖倫理」をテーマにしているはずが、この問をフィクションの中に成り立たせる客観性・倫理性に乏しく、作家の所感(考察ですらない)の枠を出ない。AIDの具体的な情報(たとえば夏子が調べた情報、逢沢潤の語る話など)はもはや引用さながら、作家の手によって調理されなかった青臭い記述として並べられる。つまり、作家にとってAIDの詳細な情報は、残念ながら力量不足で消化できなかったもの、あるいは物語のディテールを固めることにおいてむしろ「書きたいもの」に邪魔をするものであった、ということがうかがえる。
作家はきっと、「生殖倫理」を問うことに興味をあまり置いていない。逢沢潤の人物像の薄さ、精子提供者の性格の歪み様に表れるように、むしろ「出産における女性の劣等性」を書くことにこそ作家の熱量を感じる。したがってそれは両性の観点をもとにした「正しい」生殖倫理というよりは、女性にのみ肩入れした感情論である。女性文学としての歴史の譜に並べるのなら、十分すぎるほどの「性的自意識」が滲み出ているけれど、文学の一作品として見るならいかがなものか。
そもそもテーマが現代的というだけで、作中で何度も同じ表現を繰り返し、挙げ句の果てにはかつての作品に用いた表現も持ってきて、同じような構成の繰り返しで進んでいくこの作品はそのテーマを伝えられるほどに「優れて」いたか? というのも、十分考えどころではあるけれど、両性の性差別を撤廃するよりも先に「女性の地位向上」を謳いあげる施策が行われる日本での受賞は当然だとも言える。
女性が男性による差別を問題として提言するのは一つの人権表現である。
しかし、この作者のような怒りをもつ女性たちが思い違いしているところは、自分の生理的好き嫌いを世論で持て囃される「政治正義」によって有無を言わさず肯定し、よくよく考えれば権利を侵害してるとは言えない些細な点(この作品で言うなら、夫が家で出す日常音が耳障りでうるさい、など)も大きく祭り上げるところである。また、それこそが男性への弾圧になっているということも省みない。
別の話で言えば、繊細で感情的、物事について細かな機敏で感覚する複雑な『女心』という立派な建前を、両性で尊んでいる風潮。
それに対比して、単純脳回路で愚直という固定観念を揺るがなく張られ続ける男の窮地。その優劣を、両性で暗黙に認めている価値観がある。
脳の造りが違うという事実からどちらも性の違いの範疇なのに、いつだって女心ばかり美しげに尊ばれるのはなぜだろう。
男女の差別をまっさらなくすのなら、両性によって根も葉もなく尊ばれる女心の聖性は、男性による盲目的男性優位主義の概念とともに、なくなるべきものだと思う。
女心がいかに繊細かを説き、男と比べ、無意識であっても結果的には差別的な男性糾弾、性的優位を得ようとする一部の動きは、盲目的男性優位主義と変わらぬ『盲目的女性優位主義』だ。
世界的な女性差別撤廃の裏側に、男性と女性という区切りの持つ偏見、隔たりをなくすべき倫理が出来上がりつつある。
恐らくは、お互いが差別になり得ない性差の違いからしっかり知ることで、相互の性を尊ぶ考え方が生まれることが、全く理想だったのだろう。
相手の差別意識を批判するのなら、まずは自分の持つ差別意識を批判することから始めなければならない。今作品では、白々しいほど、それができていない。
どれだけ世界がこの作品を認めたとしても、ディストピアにおける一時の自己満足に他ならないか、個人主義が現代においては自己中心主義であり、相応に間違った価値が置かれているためだと考える。
いま、女性作家からひとつの雪玉が投げられた。男性らはそれを食らってしまったが、どう反撃をするのだろう。それとも反撃などはせず、和解にも持ち込まずに、食らったままで沈黙をつづけるか。
男性も存分に「性的自意識」を滲ませた生殖倫理を説けばいいのに、とも思うけれど、そういうことを客観的に書ける迫真さを持ち合わせた作家は今のところいないのが現状だ。
レビュー(?)が長くなって失礼しました笑