以下、本書の要約です。
近代以降の日本文学があまたの名作を生みだせた理由は、
⑴古代から、漢文圏の影響を受けつつも距離をとり、俗語としての「日本語」が知識階級から下層民まで浸透したこと。特に、近世以降の江戸文学の読み手のすそ野の広さを想起されよ。
⑵英語での学問では表現できない、人生の意味・葛藤などの問題について、より生活に密着した解答を与えられる「小説」という媒体に、多くの優秀な人物(鴎外、漱石、四迷など)が集まって書いてきたこと。彼らは当時盛んに輸入された西洋の学問では、解決できない日本の道徳的問題に、「小説」によって取り組もうとした。
このように日本文学が栄えたのは、圧倒的な西洋学問と、日本でしか通じない日本語、という緊張があったのが理由だということです。
ところが現在は、世界を相手に意味のあることをしたい、功績を残したいという人は、日本語ではなく、英語で物事をやるやるだろう。ほかのレビューにも書いてあるように、カズオイシグロ氏がノーベル賞に輝いたとき、私は本書の慧眼にゾッとした。もちろんイシグロ氏が自分で選択的に英国籍を選んだのではないだろうが、今後も英語圏への頭脳の流出は続くだろう。
他方、こうした英語の権勢に対抗すべき日本語の前途も暗い、という。日本のみで自己完結してしまうせいで、日本語・日本人は世界から(才能的にも言語的にも)取り残された人の「吹き溜まり」(!)になりつつある。あまりにどぎつい表現にへこむが、以上のように、著者である水村が言わんとしていることは、日本語の話者人口が減っているなどという単純な話ではなく、日本語が、優秀なあるいはおもしろいことができる言語として、もはや存在できない、ということなのである。現にtwitterなので毎日吐き散らかされる散文を見ていると、この感を強くする(まともに本の内容を要約できていないレビューが多いのも、日本語話者の能力が下がっている証拠だろうw)。
さらに、以上のことは、日本人がますます日本語を勉強せず、英語学習にふける傾向を惹起する。もちろん英語のできる人材が育たなければ、日本は外交的に孤立する。だがこのトレンドが続くと、日本語はますます腰が弱くなる。どうすべきかというと、著者は、英語を幼いころから学び、世界で活躍できる英語エリートを国家の手で育成すべき、とする。ここで著者は、戦後日本の悪しき平等主義を批判する。
以上が本書の要約です。文学問題から文明論まで広げるのはさすがだなと感心しますし、かといってかっちりした評論でなく、エッセイ的な語り口なのも、好感が持てます。著者の、日本語が「亡びる」ことへの危機感が、ひしひしと伝わっては来るでしょうね。
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