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[夏目 漱石]の坊っちゃん
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坊っちゃん Kindle版

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商品の説明

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内容紹介

明治期の文学者、夏目漱石の中編小説。初出は「ホトトギス」[1906(明治39)年4月。親譲りの無鉄砲で江戸っ子気質の主人公「坊っちやん」が四国の中学校に数学教師として赴任し、わんぱくな生徒たちのいたずらにあったり、教頭の「赤シャツ」一派と数学教師「山嵐」との内紛に巻き込まれ、正義感に駆られて活躍するが、最後には辞表を出してただ一人の理解者のばあやの清の待つ東京に戻る。漱石は1895(明治28)年から翌年にかけて、松山中学の英語教師だった。その体験が元になっていると言われる。歯切れのいい文章と「坊っちやん」の個性の魅力によって、多くの人に愛読されている作品の一つである。

登録情報

  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 338 KB
  • 紙の本の長さ: 91 ページ
  • 同時に利用できる端末数: 無制限
  • 販売: Amazon Services International, Inc.
  • 言語: 日本語
  • ASIN: B009IXJVVO
  • X-Ray:
  • Word Wise: 有効にされていません
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.4 368件のカスタマーレビュー
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カスタマーレビュー

トップカスタマーレビュー

形式: Kindle版 Amazonで購入
84歳になるが、タブレットのお陰で文字が大きくできるので楽に読めた。
中学生の時に漱石全集を読んで以来の再読で、自分の当時の事が思い出されて
懐かしい思いです。手が震えるのでタップやスワイプが巧くできず、ページが飛ん
だり辞書がでたり、思わぬ画面が出たりで苦労したが慣れてくれば楽しく読めるでしょう。
とにかく大きな字で読めるので中学生の頃に戻った気で読んで読みました。
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投稿者 coca-k 投稿日 2009/7/6
形式: 文庫
この小説は松山に赴任した中学校教師の奮闘記…なんてものじゃない。そこだけ取ったらそんなに面白くないと思う。 キーになっているのは清への思い。坊ちゃんはいつでも清を支えにしている(そんなこと坊ちゃんは言いませんが)、清を自分の中心に置いていて、いつも気にかけていて…読者もそれを常に感じとる事が出来ていつも温かい気持ちになる。坊ちゃんも読者も常に心の中で清の存在をそばに感じるからメゲないし真っ直ぐ正直でいられる。親から愛情をあまり注がれず育った坊ちゃん(漱石も同様らしいですが)を、唯一温かく見守り支えてくれたのが清で、そんな坊ちゃんのパーソナリティーを見事に描いていると思う。 そして私は不覚にも毎回泣いてしまう。 こんなにサラリと書いているのに坊ちゃんと清の事で胸を一杯にさせてしまう漱石はやはり流石だと思う。
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投稿者 河童の川流れ トップ500レビュアー 投稿日 2015/3/18
形式: 文庫 Amazonで購入
 評者は、海外ものミステリ以外小説など読まなくなったのだが、中学のころから何度も読んだ漱石の『坊ちゃん』を読むことにした。
 なぜかというと、先に再読した半藤一利著『漱石先生ぞな、もし』から『倫敦塔・幻影の楯』と読了してきたら、わけもなく漱石の小説を読みたくなったからである。
 『漱石先生ぞな、もし』のなかで井上ひさしさんが『坊ちゃん』を三十六回も読んだ、まだ足りない、七十二回ぐらいまでいくかもしれない、などと半藤さんに語っていたそうである。(『漱石先生ぞな、もし』P29)
 評者などは、『坊ちゃん』を四五回読んだだけの記憶である。
 漱石に関する本を何冊か読むうち必ず『坊ちゃん』からの引用があり、面白い場面での内容はかなり記憶しているから再読にもかかわらず、やはりその場面にくると面白い。
 赤シャツに誘われて釣り舟に乗った折、「あの松を見給え、幹が真直ぐで、上が傘のように開いていてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うところなどは何冊の本で読んだかしれないのである。
 このターナーの松の画も『夏目漱石の美術世界』では、第一章「漱石文学と西洋美術」で二ページにかけて掲載されていたからあらためて見ることができた。
 『坊ちゃん』は、とにかくテンポがいい。
 たった一週間で一気呵成に漱石が書き上
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形式: ペーパーバック
夏目漱石さんの有名な小説。
よく痛快だと言われている(ような気がする)。
しかし私には最後まで、いつも、どこか哀しかった。

主人公で、語り手である「坊っちゃん」は、ほとんど一人だ。
はじめから最後まで、味方と呼べる人間はほとんどいない。
家族でさえ否定的で、冷淡で、「親譲りの無鉄砲」とはいうものの、
その裏側に乾いた「諦観」すら感じてしまう。
それでも不思議と深刻さを感じさせないのは、
彼が自分に同情しないからだと思う。そして「清」の存在。

もう「坊っちゃん」ではなくなった語り手が語る、
「坊っちゃん」だった頃のエピソードは、それがまっすぐで
痛快であればあるほど、同じくらいの強さで哀しくなる。
面白いのに哀しい。ぽっかりと哀しいのに、十分すぎるほど面白い。
お見事。
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形式: 文庫
「坊ちゃん」は他のレビューに書かれているとおり、明るさの背後に哀しみがある。坊ちゃんは孤独である。孤独な坊ちゃんが大切にするのはキヨであるが、キヨは過去への憧憬であり、最後に書かれているとおり、「坊ちゃん」の語り手の現在にはもうキヨはいないのである。
漱石の作品の背後には近代化によって失われていくものへの哀惜があるが、後期になると話の暗さや重さをさらに深める効果を発揮し、前期においては文章や会話のユーモアと絶妙な相乗効果を発揮し合っていると思う。
坊っちゃんは正義漢だが、実は弱い、ずっと東京に早く帰りたいと思っている。寂しがり屋なのだ。うらなりに対しても、同情ではなく、共感なのだ。本当の正義漢は山嵐で、坊っちゃんはただの風変わりな異邦人なのだ、みんなからくすくす笑われるような。自分がなんで笑われているのかに気づかない坊っちゃんのおかしみは、現代でも通じる滑稽な喜劇である。
漱石は「吾輩は猫である」と「坊っちゃん」があるから、その成功と、漱石という人間の明るい部分が担保されたことで、その後の深刻な作品群を書き続けることができたのではないか。
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