石川さんの写真集や講演を聞くに連れ、興味が湧いて本書を手に取りました。
うっかり写真が主の構成だと思っていましたが、本書は随筆に写真が少し添えられている構成でした。
とはいえ読み進めると、実際に行った者が語る、その言葉の向こうに見える光景にワクワクしました。
写真を通して見る石川さんの光景も本当に興味深いですが、言葉が描く光景も同じくらい面白く、私の心に何かが残りました。
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地上に星座をつくる 単行本(ソフトカバー) – 2020/11/26
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ヒマラヤ遠征を繰り返し、旅から旅へ。未知の世界と出会い続ける7年間。
北極海でシロクマと出会い、沖縄で漂着クジラの亡骸に手を合わせ、シベリアで流氷の誕生を見つめ、ユーコン川をカヌーで下りアラスカへ。富士山に海抜0メートルから登り、知床でヒグマと一夜を過ごし、ペルー、チベット、パリ、サハリン、ベトナム、カナダ、オーストラリア、能登、国東、白老、鹿児島、宮古島。カメラを携え未知の世界と出会い続ける7年間の旅の軌跡。
かけがえのない日々の経験が、まだ見ぬ新しい星座を次々に浮かび上がらせてくれることを信じて、 ただ歩き続けていくだけだ。ぼくは未だ、旅の途上にいる。――あとがきより
北極海でシロクマと出会い、沖縄で漂着クジラの亡骸に手を合わせ、シベリアで流氷の誕生を見つめ、ユーコン川をカヌーで下りアラスカへ。富士山に海抜0メートルから登り、知床でヒグマと一夜を過ごし、ペルー、チベット、パリ、サハリン、ベトナム、カナダ、オーストラリア、能登、国東、白老、鹿児島、宮古島。カメラを携え未知の世界と出会い続ける7年間の旅の軌跡。
かけがえのない日々の経験が、まだ見ぬ新しい星座を次々に浮かび上がらせてくれることを信じて、 ただ歩き続けていくだけだ。ぼくは未だ、旅の途上にいる。――あとがきより
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2020/11/26
- 寸法12.2 x 2 x 19.1 cm
- ISBN-104103536918
- ISBN-13978-4103536918
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ヒマラヤ遠征を繰り返し、旅から旅へ。北極海でシロクマに出会い、沖縄で漂着クジラの亡骸に手を合わせ、シベリアで流氷の誕生を見つめ、ユーコン川をカヌーで下ってアラスカへ。未知の世界を旅する7年間。
著者について
1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』、『POLAR』で日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞を受賞、11年『CORONA』で土門拳賞、20年『EVEREST』、『まれびと』で日本写真協会賞作家賞を受賞。08年に開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』ほか著書多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
石川/直樹
1977年東京生まれ。写真家。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』、『POLAR』で日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞写真賞を受賞、11年『CORONA』で土門拳賞、20年『EVEREST』、『まれびと』で日本写真協会賞作家賞を受賞。08年に開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』ほか著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1977年東京生まれ。写真家。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』、『POLAR』で日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞写真賞を受賞、11年『CORONA』で土門拳賞、20年『EVEREST』、『まれびと』で日本写真協会賞作家賞を受賞。08年に開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』ほか著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2020/11/26)
- 発売日 : 2020/11/26
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 304ページ
- ISBN-10 : 4103536918
- ISBN-13 : 978-4103536918
- 寸法 : 12.2 x 2 x 19.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 62,833位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 242位紀行文・旅行記
- カスタマーレビュー:
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石川直樹(1977年~)氏は、日本 5人目、世界 85人目の七大陸最高峰登頂(2001年、当時世界最年少記録) 、8000メートル峰5座(6回)登頂(エベレストに2回登頂)などの実績をもつ冒険家(本人は「冒険家」と呼ばれることに違和感があると言っているが)、写真家。
本書は、月刊誌「新潮」に2012~19年に連載された「地上に星座をつくる」を時系列に一冊にまとめたもので、著者は「あとがき」で「都度、1ヶ月間に起こった最も印象的な出来事について毎月書いてきたので、忘れっぽい自分にとって、この連載は自分の歩みそのものであり、生の記憶と直結しているといってもいい」と記している。
私はこれまで著者の、『最後の冒険家』(2008年開高健ノンフィクション賞受賞)のほか、『全ての装備を知恵に置き換えること』(2005年)、『いま生きているという冒険』(2006年)などのエッセイ・紀行集を読んできたが、常に驚き感心するのは、著者の幅広い好奇心と人間離れした行動力、そこから何かを感じ取る鋭い感性、そしてそれを他人に伝える文章表現力であり、本書においてもそれらは遺憾なく発揮されている。
本書に登場する場所は、山形、ネパール、バングラデシュ、ムスタン(ネパール)、国東半島、韓国、ペルー、福島、ヒマラヤ、チベット、岩手、富士山、パリ、斜里、サハリン、ベトナム、アルバータ(カナダ)、パキスタン、新潟、アメリカ、沖縄、オーストラリア、能登、知床、札幌、白老、ノルウェー、富山、鹿児島、シベリア、ユーコン、アラスカ、宮古島・・・と、例によって、国内外の実に様々な国・地域である。
長引くコロナ禍の中で、ついつい内向きの発想になってしまう昨今だが、本書からは大いに元気を与えてもらえたし、また、著者が『いま生きているという冒険』の中で「冒険とは何か?」について語っていた、「現実に何を体験するか、どこに行くかということはさして重要ではないのです。心を揺さぶる何かに向かいあっているか、ということがもっとも大切なことだとぼくは思います。」という件を、思い出すことができた。
自らの「冒険心」に刺激をもらえるエッセイ集である。
(2020年12月了)
本書は、月刊誌「新潮」に2012~19年に連載された「地上に星座をつくる」を時系列に一冊にまとめたもので、著者は「あとがき」で「都度、1ヶ月間に起こった最も印象的な出来事について毎月書いてきたので、忘れっぽい自分にとって、この連載は自分の歩みそのものであり、生の記憶と直結しているといってもいい」と記している。
私はこれまで著者の、『最後の冒険家』(2008年開高健ノンフィクション賞受賞)のほか、『全ての装備を知恵に置き換えること』(2005年)、『いま生きているという冒険』(2006年)などのエッセイ・紀行集を読んできたが、常に驚き感心するのは、著者の幅広い好奇心と人間離れした行動力、そこから何かを感じ取る鋭い感性、そしてそれを他人に伝える文章表現力であり、本書においてもそれらは遺憾なく発揮されている。
本書に登場する場所は、山形、ネパール、バングラデシュ、ムスタン(ネパール)、国東半島、韓国、ペルー、福島、ヒマラヤ、チベット、岩手、富士山、パリ、斜里、サハリン、ベトナム、アルバータ(カナダ)、パキスタン、新潟、アメリカ、沖縄、オーストラリア、能登、知床、札幌、白老、ノルウェー、富山、鹿児島、シベリア、ユーコン、アラスカ、宮古島・・・と、例によって、国内外の実に様々な国・地域である。
長引くコロナ禍の中で、ついつい内向きの発想になってしまう昨今だが、本書からは大いに元気を与えてもらえたし、また、著者が『いま生きているという冒険』の中で「冒険とは何か?」について語っていた、「現実に何を体験するか、どこに行くかということはさして重要ではないのです。心を揺さぶる何かに向かいあっているか、ということがもっとも大切なことだとぼくは思います。」という件を、思い出すことができた。
自らの「冒険心」に刺激をもらえるエッセイ集である。
(2020年12月了)
ベスト50レビュアー
『地上に星座をつくる』は、旅する写真家のエッセイ集です。写真に語らせるという流儀がエッセイにも敷衍されており、驚くべき体験が淡々と記されています。
例えば、「手で尻を拭く」――。
「(ネパールの)トイレに紙がないのは、山でも街でも同様である。カップの水をちょろちょろとお尻に注ぎながら、左手を使って、拭く。これはインドやバングラデシュをはじめ南アジア、中東や東南アジアその他多くの地域で根付いている習慣であり、人力のウォシュレットとして、慣れればすこぶる快適である。たとえ何日間も風呂に入らなくても、尻の穴だけは常に清潔であるというのは、決してウソではない」。
「ガンジスの河口にて」――。
「初めてのインド旅行で触れたガンジス河では、水を吸って膨らんだ女性の遺体が上流から流れてくるのを見た。ぼくが立ち尽くすその横で、人々は脇目もふらずに道を行き交っている。遺体が流れ去った川の下流では男が歯を磨き、子どもがはしゃき、女たちが沐浴をしていた。牛たちが川から陸にあがりざまに糞をし、野良犬が得体の知れない肉を銜え、その横で洗濯をしている老婆がいて、老人が口をすすぎ体を清めている。そして、火葬された人間の灰はそのまま川に入り交じり、川の流れの一部となる。ガンジスはそんな川である」。
「ミイラの少女」――。
「ぼくはペルーのリマへ向かう。今から500年以上前、インカの時代に生け贄としてアンデスの山頂で命を捧げることになった(15歳の)少女『ドンセリャ』の足跡を辿り直すためである。・・・アンデスの山頂で凍結ミイラとなって見つかった『ドンセリャ』は、このクスコの街で育った。現在はサンタカタリーナ修道院となっているが、昔はそこに太陽の処女の館なるものがあり、ドンセリャをはじめとする子どもたちが暮らしていたという。生け贄にされた子どもたちが辿ったであろう道は、クスコから標高4335メートルのラ・ラヤ峠を越えて、琵琶湖の12倍もの大きさを持つチチカカ湖のほとりへと続く。・・・この高さまでドンセリャをはじめとする子どもたちが登ってきたという事実を、すんなりと受け入れることができない。ここに至るアプローチは、生きるべくして死ぬ道を選ばざるをえなかった少女たちにとって、あまりにも過酷な道のりだったろう。彼らはここでトウモロコシの酒『チチャ』を飲んで昏睡状態となり、そのまま凍死して、神に捧げられることになった」。
例えば、「手で尻を拭く」――。
「(ネパールの)トイレに紙がないのは、山でも街でも同様である。カップの水をちょろちょろとお尻に注ぎながら、左手を使って、拭く。これはインドやバングラデシュをはじめ南アジア、中東や東南アジアその他多くの地域で根付いている習慣であり、人力のウォシュレットとして、慣れればすこぶる快適である。たとえ何日間も風呂に入らなくても、尻の穴だけは常に清潔であるというのは、決してウソではない」。
「ガンジスの河口にて」――。
「初めてのインド旅行で触れたガンジス河では、水を吸って膨らんだ女性の遺体が上流から流れてくるのを見た。ぼくが立ち尽くすその横で、人々は脇目もふらずに道を行き交っている。遺体が流れ去った川の下流では男が歯を磨き、子どもがはしゃき、女たちが沐浴をしていた。牛たちが川から陸にあがりざまに糞をし、野良犬が得体の知れない肉を銜え、その横で洗濯をしている老婆がいて、老人が口をすすぎ体を清めている。そして、火葬された人間の灰はそのまま川に入り交じり、川の流れの一部となる。ガンジスはそんな川である」。
「ミイラの少女」――。
「ぼくはペルーのリマへ向かう。今から500年以上前、インカの時代に生け贄としてアンデスの山頂で命を捧げることになった(15歳の)少女『ドンセリャ』の足跡を辿り直すためである。・・・アンデスの山頂で凍結ミイラとなって見つかった『ドンセリャ』は、このクスコの街で育った。現在はサンタカタリーナ修道院となっているが、昔はそこに太陽の処女の館なるものがあり、ドンセリャをはじめとする子どもたちが暮らしていたという。生け贄にされた子どもたちが辿ったであろう道は、クスコから標高4335メートルのラ・ラヤ峠を越えて、琵琶湖の12倍もの大きさを持つチチカカ湖のほとりへと続く。・・・この高さまでドンセリャをはじめとする子どもたちが登ってきたという事実を、すんなりと受け入れることができない。ここに至るアプローチは、生きるべくして死ぬ道を選ばざるをえなかった少女たちにとって、あまりにも過酷な道のりだったろう。彼らはここでトウモロコシの酒『チチャ』を飲んで昏睡状態となり、そのまま凍死して、神に捧げられることになった」。