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圏外へ (小学館文庫) Kindle版
価格 | 新品 | 中古品 |
小説家の頭の中をめぐる冒険!冒険!
主人公は、「カタリテ」と名乗る小説家。書き出しで行き詰まり、書き続けることができなくなってしまう。そんななか、小説内の登場人物が、痺れを切らして「蝙蝠」に変身しながら新たな話を始めてしまったり、<南の鞄>という謎の巨大鞄から生まれた、過去形で予言をする「ソボフル」なる人物の壮絶な半生が突如長々と語られ始める。
一方、ようやく自ら「語り」を再開させることになった「カタリテ」は、自らの作品世界に入り込んだ後、南を目指し、<エッジ>という名の作中人物や作家たちが集う奇妙な療養所に辿り着くのだが――。
主人公は、「カタリテ」と名乗る小説家。書き出しで行き詰まり、書き続けることができなくなってしまう。そんななか、小説内の登場人物が、痺れを切らして「蝙蝠」に変身しながら新たな話を始めてしまったり、<南の鞄>という謎の巨大鞄から生まれた、過去形で予言をする「ソボフル」なる人物の壮絶な半生が突如長々と語られ始める。
一方、ようやく自ら「語り」を再開させることになった「カタリテ」は、自らの作品世界に入り込んだ後、南を目指し、<エッジ>という名の作中人物や作家たちが集う奇妙な療養所に辿り着くのだが――。
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2013/5/13
- ファイルサイズ823 KB
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
大変だ。「カタリテ」と名乗る小説家は、書き出しで行き詰まる。やがて、物語は自在に動き出す。「カタリテ」の手を遠く離れて―。南新宿路地裏の「亀裂」に注意せよ。小説家の頭のなかを旅する魔術的長編小説。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉田/篤弘
1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を続けてきた。2001年講談社出版文化賞・ブックデザイン賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を続けてきた。2001年講談社出版文化賞・ブックデザイン賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B00GIKQREE
- 出版社 : 小学館 (2013/5/13)
- 発売日 : 2013/5/13
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 823 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 456ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 312,524位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年12月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
主人公は「カタリテ」と名乗る小説家
書き出しで行き詰まり書き続けることができなくなってしまう
そんななか、小説内の登場人物が痺れを切らして「蝙蝠」に変身しながら新たな物語を始めてしまったり、〈南の鞄〉という謎の巨大鞄から生まれた過去形で予言をする「ソボフル」なる人物の壮絶な半生が突如語られる
一方、ようやく「語り」を再開させることになった「カタリテ」は自らの作品世界に入り込んだ後、南を目指し、〈エッジ〉という名の作中人物や作家たちが集う奇妙な療養所に妻と共に辿り着くのだが…
これまでに読んだ吉田さんの作品中、最も奇妙奇天烈な世界でした
初読だった「つむじ風食堂の夜」がとても『普通』の作品に思えてきます
『言葉』というものを大切にされる作家さんだということが改めてわかります
ワタクシごときがどうのこうの書ける作品ではありません
しをんさんですらシャッポを200個くらい脱ぎまくったというのですから
〈エッジ〉で背中を揉み解され人生最良の眠りを手に入れたというカタリテ
整体に行こうかと真剣に考え中です
以前エッセイで読みましたが、吉田さんは体調不良を訴えた時期があり、その原因は睡眠不足、睡眠の質の悪さ、だったとか
ご自分の実体験も小説の要素になっているようです
カタリテが友人の円田くんと通う南新宿の雲呑の店
雲呑や店の描写があまりに美味しそうで、夕飯に雲呑スープを作りました
吉田さんに慣れている方にしかお薦めできない作品です
ヨロシク
(^_^)
書き出しで行き詰まり書き続けることができなくなってしまう
そんななか、小説内の登場人物が痺れを切らして「蝙蝠」に変身しながら新たな物語を始めてしまったり、〈南の鞄〉という謎の巨大鞄から生まれた過去形で予言をする「ソボフル」なる人物の壮絶な半生が突如語られる
一方、ようやく「語り」を再開させることになった「カタリテ」は自らの作品世界に入り込んだ後、南を目指し、〈エッジ〉という名の作中人物や作家たちが集う奇妙な療養所に妻と共に辿り着くのだが…
これまでに読んだ吉田さんの作品中、最も奇妙奇天烈な世界でした
初読だった「つむじ風食堂の夜」がとても『普通』の作品に思えてきます
『言葉』というものを大切にされる作家さんだということが改めてわかります
ワタクシごときがどうのこうの書ける作品ではありません
しをんさんですらシャッポを200個くらい脱ぎまくったというのですから
〈エッジ〉で背中を揉み解され人生最良の眠りを手に入れたというカタリテ
整体に行こうかと真剣に考え中です
以前エッセイで読みましたが、吉田さんは体調不良を訴えた時期があり、その原因は睡眠不足、睡眠の質の悪さ、だったとか
ご自分の実体験も小説の要素になっているようです
カタリテが友人の円田くんと通う南新宿の雲呑の店
雲呑や店の描写があまりに美味しそうで、夕飯に雲呑スープを作りました
吉田さんに慣れている方にしかお薦めできない作品です
ヨロシク
(^_^)
2010年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全体として、著者独特の言葉遊び的なものがあり、らしさがある。
内容としては、やはり難しい…
今語られていることがどの階層なのか?そもそも語られている舞台はどこ?と考えてしまう。
不安定な登場人物の立ち位置を理解するために、読み手としての立ち位置もしっかり意識して読まないと難しい。
最終的にはなんとか理解出来たが、「らくだこぶ〜」的な、意外だけど上手い終わりが逆にその先が気になってしょうがない。
その終わり方こそが、まさに言わんとすることなのだが…
内容としては、やはり難しい…
今語られていることがどの階層なのか?そもそも語られている舞台はどこ?と考えてしまう。
不安定な登場人物の立ち位置を理解するために、読み手としての立ち位置もしっかり意識して読まないと難しい。
最終的にはなんとか理解出来たが、「らくだこぶ〜」的な、意外だけど上手い終わりが逆にその先が気になってしょうがない。
その終わり方こそが、まさに言わんとすることなのだが…
ベスト1000レビュアー
たいへんにレビューが難しい小説でした。
作中人物の台詞にあるとおり「あらすじなど無い」話ですから。
まず作者の分身とおもわれる小説家とそれを取り巻く日常世界、それから作者が現在執筆中と思われる小説内の世界。この二つが入り混じり交錯しながら境界がしだいにあいまいになってゆく…というような説明しか出来ないです。
詳しい内容を書いてもネタばれっぽくなりますし。
作者のファンなのでがんばって最後まで読みましたが、私にはかなり難解でした。
「つむじ風食堂の夜」「それからはスープ…」といったような物語とは毛色がたいへんに違います。
「夜に猫が身をひそめるところ」のような話をさらに推し進めた感じといえないこともありません。音ちゃんも登場しますし。
私にとって救いだったのは「序の口」「南」などの言葉を分解して視覚イメージに置き換えてゆくような、作者お得意の言葉遊びが随所にちりばめてあったことです。
作中人物の台詞にあるとおり「あらすじなど無い」話ですから。
まず作者の分身とおもわれる小説家とそれを取り巻く日常世界、それから作者が現在執筆中と思われる小説内の世界。この二つが入り混じり交錯しながら境界がしだいにあいまいになってゆく…というような説明しか出来ないです。
詳しい内容を書いてもネタばれっぽくなりますし。
作者のファンなのでがんばって最後まで読みましたが、私にはかなり難解でした。
「つむじ風食堂の夜」「それからはスープ…」といったような物語とは毛色がたいへんに違います。
「夜に猫が身をひそめるところ」のような話をさらに推し進めた感じといえないこともありません。音ちゃんも登場しますし。
私にとって救いだったのは「序の口」「南」などの言葉を分解して視覚イメージに置き換えてゆくような、作者お得意の言葉遊びが随所にちりばめてあったことです。
ベスト500レビュアー
作家(語り手)が小説(物語)に対して如何なる役割を果たすべきかを考察した書と言って良い内容。あるいは、物語を紡ぐ上での作家の腐心を恣意的に綴ったもので、本来、作家の仲間内(あるいは作品そのもの)だけで論じられるべき類のもので、これを一般読者に晒す意図が良く分らなかった。物語の中に作者自身が入り込んだり、登場人物達が作者の分身(しかも作者の意図の先を行く)であったりする手法も"ありきたり"で、読んでいて少しも面白くない点が致命的。"聴く"を十四の心を聴く耳といった言葉遊びの多用、両性具有・蝙蝠といった「圏」の両側を象徴するモチーフの繰り返し、"キミ"を主体とした二人称という実験等が披歴されるが、お寒い限り。
小説が目指すべき物やそのための作家の心構え等は作家自身が考えれば良い事で、それをこうした形で読者に押し付けられても困惑するだけ。「圏外へ」という題名は、物語が終ってしまえば登場人物も作家もその世界の「圏外へ」去るとも取れる(作者自身、本作を完了しないと次作へ移れないと書いている)し、作家が物語の「圏外へ」去ってしまって良いのだろうかという煩悶とも取れる(人称に関する再三の考察がある)が、むしろ作者の意図は真逆にあったのではないか。作家は作品と濃密に結び付いているし、作品の登場人物は時(作中では敢えて自由軸として扱っている)を越えて活き続けて欲しいという願いが込められている様に思う。それだけが本作の唯一の取り柄か。
小説が目指すべき物やそのための作家の心構え等は作家自身が考えれば良い事で、それをこうした形で読者に押し付けられても困惑するだけ。「圏外へ」という題名は、物語が終ってしまえば登場人物も作家もその世界の「圏外へ」去るとも取れる(作者自身、本作を完了しないと次作へ移れないと書いている)し、作家が物語の「圏外へ」去ってしまって良いのだろうかという煩悶とも取れる(人称に関する再三の考察がある)が、むしろ作者の意図は真逆にあったのではないか。作家は作品と濃密に結び付いているし、作品の登場人物は時(作中では敢えて自由軸として扱っている)を越えて活き続けて欲しいという願いが込められている様に思う。それだけが本作の唯一の取り柄か。
2014年12月11日に日本でレビュー済み
最後まで読み通すことが困難でした。
吉田篤弘さんの作品はクラフトエヴイング商会の頃のものから大好きでずっと愛読してきました。
装丁、挿し絵も含めてすべてに作者の美意識が行き届き、独特の世界を展開している魅力がありました。
吉田篤弘さんが単独で小説を書かれるようになってからも、ずっと愛読してきましたが、このところ以前のような面白さを感じられなくなりました。
はっきり言って、物語として全くおもしろくないのです。
カタカナ表記の登場人物たちの名前も記号じみていて馴染めません。
作者が自分の頭の中だけでこね回したものを記号めいた登場人物をコマを動かすように使って表現しているだけで、物語としての面白さが読者には伝わってきません。
作者のひとりよがりの気がして仕方がありません。
このままどんどんこの方向に進んでしまうのなら、私はたぶんもう彼の作品から離れていくと思います。
吉田篤弘さんの作品はクラフトエヴイング商会の頃のものから大好きでずっと愛読してきました。
装丁、挿し絵も含めてすべてに作者の美意識が行き届き、独特の世界を展開している魅力がありました。
吉田篤弘さんが単独で小説を書かれるようになってからも、ずっと愛読してきましたが、このところ以前のような面白さを感じられなくなりました。
はっきり言って、物語として全くおもしろくないのです。
カタカナ表記の登場人物たちの名前も記号じみていて馴染めません。
作者が自分の頭の中だけでこね回したものを記号めいた登場人物をコマを動かすように使って表現しているだけで、物語としての面白さが読者には伝わってきません。
作者のひとりよがりの気がして仕方がありません。
このままどんどんこの方向に進んでしまうのなら、私はたぶんもう彼の作品から離れていくと思います。