この作品は過去に『国境巡礼歌』として編集して発表され、2008年に発売された『天井棧敷音楽作品集』のdisc1、2に完全盤が収録された73年J・A・シーザーリサイタルの単独販売です。
BOX版からのただ単純な分売ではなく、最新のミックス、マスタリングが加えられています。
まずBOXを持ってない人から見ればこれは十分に買う価値があるでしょう。
レコードや再発のCDでは「転生譚」や「狂女節」などの曲は大幅に短縮されて収録されているほか「母恋しや珊瑚礁」などはイントロ部分に「母捨般若経」の一部が挿入されているなどかなり大胆な編集が加えられていて、レコード発売から約30年での新事実にかなりカルチャーショックです。
新規収録された曲も、「首吊りの木」のハードロック編曲、「母捨般若経」の独唱版などのシーザー歌唱曲、ノイジーな展開を見せるインスト「エンプティ・バード変奏曲」や、『邪宗門』の他に映画『書を捨てよ町へ出よう』でも使用された、蘭妖子さんの歌う「東京巡礼歌」などの名曲、また「和讃」や「大鳥の来る日」に匹敵、あるいは凌駕するような大作「オルフェ・ヒロシマ」「帝政ロシア顛落のロック」2012年度のシーザーのコンサートでも歌われた「山に上りて告げよ」などの数々の重要作品が目白押しで、これらの楽曲が今まで切り捨てられていたことに目を疑うような思いを抱きます。
また『天井棧敷音楽作品集』を購入した方にしてみれば、今回の完全盤は買う価値があるのか?という疑問があると思いますが、個人的に言わせていただければこれももちろん買う価値があります。
BOX発売当時にある程度言われていたと思うのですが、私自身の印象としても『国境巡礼歌』に比べてミックスが微妙というか、聴きやすさや一部のコーラスのバランスなど、気になる部分がありました。
今回ブックレットにてこの謎が明らかにされたのですが、BOX製作にあたって本来レコード発売時にミックスされた楽曲編集前のマスター音源を予定していたところ発見することができず、シーザーが保存していたテープを使用してBOX収録のものや、今回の完全盤が作られたようです。
ただ問題だったのが2008年時点で予算の関係か時間の問題かわかりませんがプロのエンジニアに依頼することができず、ミックスを施したのが総合プロデュースの井上誠さん(元ヒカシュー)ご当人だったらしく、実際に今回発売された完全盤と比べると明らかな違いがあります。
BOX版のミキシングは保存されていた古いテープに録音されていた音源を出来るだけ忠実に聞き取りやすくしようと言うような感じでわりと無難に仕上がっています。
それに対し今回の完全盤で施されたミキシングは、当時会場で響いたであろう音そのままの再現を試みたということで、まさしくライブ・アルバムという感じの仕上がりです。
実際聞いてみると全然違うのにびっくりですね。音の空間的な広がりが凄まじく、インスト曲なんかはその恩恵をフルに受けた感じで個人的には「エンプティ・バード変奏曲」などを聴いて、ああこの曲はこういう曲だったんだ、とすら思いました。
その他にも「首吊りの木」のハードロック編曲verなどもBOX版では、いまいちピンとこない感じもあったのですが、今回はバックの演奏の迫力がもはや段違いで受ける印象もかなり変わりました。その他の曲もその迫力を増していたり、楽曲本来の魅力を存分に発揮しているような印象です。
ただBOX版だと捉えることが出来ていた微妙なニュアンス、歌の聞き取りにくい部分などが演奏の音の広がりでわかりにくくなっている部分も一部の楽曲でほんの少しながらあるようにも感じました。
そういう意味では歌声などの聞き取りやすさに注視したBOX版のミックスも全部が悪いと言うわけでもなく、たまに聞き返してみると面白いのかもしれません。
ついでに言うなら「国境哀歌」では新高恵子さんが歌い間違えをしていて、ひとつ先のフレーズを先に歌ってしまったので同じフレーズを二回歌っています。BOX版ではここの失敗部分を出来るだけ消して自然に処理してあったので(新高さんがメインとはいえ合唱なので)今まで気づかなかったのですが、ライブ音源としてはこちらのほうが正しいとはいえ、BOX版準拠のほうが気持ち良く聴けるのは確かです。
ただBOXの3、4、5枚目を考えずに1、2枚目と今回のアルバムを比較するのならやはりこちらが優勢だと思われます。
ブックレットの内容に関しては基本的にBOX版の楽曲解説や歌詞掲載がそのままになっており、写真掲載もシーザーリサイタルに関連するものを抜粋した形です。それにプラスして今回の完全盤発売にあたってのシーザーのコメント、井上誠さんによる今回の完全盤製作についての解説が収録されています。
従来シーザーや寺山修司に興味がある人以外からも、初期ジャパニーズロックの名作として評価をされてきた『国境巡礼歌』という作品ですが、今回の完全盤は本当の意味で70年代前半の日本のロックにおける金字塔と言っても良いのではないでしょうか。
※『天井棧敷音楽作品集』のレビューも書かせていただいてますが、そちらでも個別の楽曲に少し触れていますのでよろしければご覧ください。