初版発行時、このタイトルでいったい誰が読むのだろうかと疑問に思い、手にさえ取らなかった。でも、著者の近著「自衛隊失格」は破格におもしろかった。その勢いで、本書も購入した。中身は、本書と近著にダブりも多い。どちからというと、本書は総論、近著は著者の一代記のような感じだ。
タイトルの問いかけは、じつに重い。小生自身、あまりの重さに近年、考えることを半ば放棄してきた。著者の場合、能登半島沖の北朝鮮不審船追尾事件を実際に体験し、不審船に自衛隊員の立ち入りを命じた立場にあったのだから、この問いに回答を出さねばならない。死にに行くかもしれなかった自衛隊員に答える立場にあり、特殊部隊の創設は一つの回答だったのだろう。でも、大きな答えは得られていないし、今後もそう簡単には得られないだろう。多くの日本人が目をつぶるか、あるいは答えの追求を半ば放棄しているのだから。
著者は、国のために死ねる理念なり、環境なりを求めていよう。でも、そんなたいそうなものは、そう簡単につくりだせっこないのだ。来る東アジア有事で多くの自衛隊員が命を失い、内閣が何度も吹っ飛んで、初めて理念の形成があろう。いや、それでもないような気がする。
著者の父は、戦前には理念があったという。だから、著者は戦後にも求めているようだが、その理念なんて、たかが一度の敗戦で壊れるくらいの脆弱なものだったではないのか。著者の父の理念は、中野学校出身という強靱で異色のエリートだからこそもちうるものであり、一般の兵士にはどうか。だから、兵士は戦友に「靖国で会おう」と言うしかなかった。だが、その靖国はいまは係争の地にされてしまっている。
著者の自問自答は、フィリピンの女性との邂逅によってより深刻化する。たしかに、戦うことでしか部族を守れないというラレインという女性の言葉は、一面の真理である。17世紀ごろまでなら、日本でもどこでも真理だったと思うが、それは部族社会の原則でしかない。日本の場合、豊臣、徳川の時代に部族社会を捨ててしまっている。戦国時代、多くの戦国大名家は、戦いのすえの滅亡を甘んじて受け入れた。彼らが部族社会にあったからだ。だが、日本が一統されていくにあたって、部族は滅ぼされ、生き残った部族は、豊臣につくかどうか、さらには豊臣と徳川のどちらにつくかを選ぶようくになる。流れを見極めて最後に勝ち馬に乗る。幕末の戦争でもそうだった。こうして、日本は平和を築き、産業を興し、国家として世界に伍してきたのもまた事実だ。そこには「卑怯」「惰弱」「怯懦」という非難もあろうが、生き残った者でしか達し得ない世界でもある。
そして、日本はアメリカに破れ、またも「卑怯」「怯懦」のなか、生き残った。戦前の軍隊は国民を信用せず、国民に多大な犠牲を強いながら、屈辱的な敗北を喫しつづけてきた。日本人は戦前の皇軍を見限り、拒絶し、あまりに強かったアメリカ軍をあてにしはじめたといっていい。結果だけを見るなら、その後、アメリカ軍が血を流してくれたおかげで、日本人は血を流さずにすんできた。そんな虫のいい時代は終わろうとしている。日本人は、またも「卑怯」「惰弱」といわれながらも、自らが生き残る道を自ら見つけるしかない。
著者がやや危惧しているように、日本人が「戦闘民族」に戻るのはそうむずかしいことではなかろう。ブラック企業や理不尽な部活に耐える日本人なら、戦闘生活にも耐ええよう。問題は、そんな時代をできるだけ回避する政治力、国力をつけることではないのか。日本は部族社会ではないのだから。
また、著者の各国の特殊部隊論はおもしろい。最強と目されるアメリカの特殊部隊の練度がさほどでないという指摘は、なるほどねと思う。でも、練度が低くとも、数と最高の武器を揃え、専門性を高くするスタイルは悪くないと思う。少なくとも、特殊部隊が1回や2回の任務で完全に損耗してしまうことはない。日本の特殊部隊の場合、予算不足のせいか、あまりに精鋭すぎ、替えがきかない。
あと、最後のところで、海自特殊部隊の訓練中の死亡事故についての言及がある。訓練についていけず除隊を決心した隊員への過酷な組み手が死因であり、当時、小生はこの事件からこの特殊部隊のあり方に疑念をもっていた。著者はすでに退官し、その場にいなかったのだが、この事件に対してやはり疑問を投げかけている。そう、組織はすぐに変質するのだ。著者の強い理念のともとに生まれた特殊部隊でさえも、すぐに変質する。その変質が、退化よりも進化に回ることを期待するしかないが。
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国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書) 新書 – 2016/7/21
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新安保法制が施行され、自衛隊員の「戦死」がいよいよ現実味を帯びてきました。入隊にあたって、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務める」と宣誓してきた隊員たちは、命令一下、「死地」に飛び込むことが求められます。
ぎりぎりの状況に置かれた隊員たちの最後の願いは、自分の死が国家、もしくは公のために役に立つことです。つまり「私」を捨てきった境地にあるからこそ、「国のために死ぬ」ことを受け入れることができるのです。
しかし、その命令が、たとえば「他の国とのお付き合いのため」に発せられたものであったり、政治家の人気取りのためのものであったりしたら、その命令は本当に「正しい」ものと言えるのでしょうか。つまり、今の日本に、自衛隊員に「死ね」と命じる資格はあるのでしょうか。
1999年の能登沖不審船事件をきっかけに創設された自衛隊初めての特殊部隊「特別警備隊」の先任小隊長として、足掛け8年にわたって部隊を率い、国防のまさに最前線にいた筆者が、「国のために死ぬこと」の意味をとことん突きつめたのが本書です。
戦前、陸軍中野学校で教育を受け、蔣介石暗殺を命じられたが果たせないまま終戦を迎えた父親、上官を「こいつ」呼ばわりしながらも、最強の戦闘員ゆえに異例の出世を遂げた陸上自衛官X、自衛隊を辞めたあと移り住んだミンダナオ島で死線をくぐりながら一緒に戦う技術を練磨した美しき女性戦士など、多彩な人物が織り成す物語は、やがてあるべき国家像をわれわれの前に見せてくれます。
ぎりぎりの状況に置かれた隊員たちの最後の願いは、自分の死が国家、もしくは公のために役に立つことです。つまり「私」を捨てきった境地にあるからこそ、「国のために死ぬ」ことを受け入れることができるのです。
しかし、その命令が、たとえば「他の国とのお付き合いのため」に発せられたものであったり、政治家の人気取りのためのものであったりしたら、その命令は本当に「正しい」ものと言えるのでしょうか。つまり、今の日本に、自衛隊員に「死ね」と命じる資格はあるのでしょうか。
1999年の能登沖不審船事件をきっかけに創設された自衛隊初めての特殊部隊「特別警備隊」の先任小隊長として、足掛け8年にわたって部隊を率い、国防のまさに最前線にいた筆者が、「国のために死ぬこと」の意味をとことん突きつめたのが本書です。
戦前、陸軍中野学校で教育を受け、蔣介石暗殺を命じられたが果たせないまま終戦を迎えた父親、上官を「こいつ」呼ばわりしながらも、最強の戦闘員ゆえに異例の出世を遂げた陸上自衛官X、自衛隊を辞めたあと移り住んだミンダナオ島で死線をくぐりながら一緒に戦う技術を練磨した美しき女性戦士など、多彩な人物が織り成す物語は、やがてあるべき国家像をわれわれの前に見せてくれます。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2016/7/21
- 寸法18.2 x 11.3 x 2 cm
- ISBN-104166610694
- ISBN-13978-4166610693
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商品の説明
出版社からのコメント
これまで多くの自衛官に会ってきましたが、伊藤氏はいろいろな意味で、「最強」の男でした。その思想の堅固さ、肉体の強靭さ、どれをとっても瞠目すべき人物です。しかし、我々日本人が70年以上もおろそかにしてきた「国のために死ぬ」というテーマにおける伊藤氏の思想と行動はあまりに驚きに満ちていて、簡単に飲み下すことはできませんでした。これは愛国心なのか、それとも危険思想なのか。読者の一人ひとりに真剣に考えてほしい1冊です。
内容(「BOOK」データベースより)
新安保法制が施行され、「自衛隊員の戦死」が現実味を帯びてきた。しかし、今の日本という国家に、「死ね」と命じる資格はあるのだろうか。自衛隊でも、もっとも死ぬ確率が高い特殊部隊の創設者が、自分の経験をもとに「国のために死ぬ」ことを、とことん突き詰めて考えた衝撃の手記!
著者について
伊藤祐靖(いとう すけやす)
1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『とっさのときにすぐ護れる 女性のための護身術』がある。
1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『とっさのときにすぐ護れる 女性のための護身術』がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
伊藤/祐靖
1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1964年東京都出身、茨城県育ち。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事件を体験。これをきっかけに自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊の「特別警備隊」の創設に関わる。42歳の時、2等海佐で退官。以後、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国警察、軍隊に指導を行う。現在は日本の警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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著者について
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カスタマーレビュー
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本書を読もうと思ったのは、トレーニング仲間でもある自衛隊員から、本書に登場する著者の師匠であるミンダナオ島の20歳そこそこの女性の話を間接的に聞いて興味を持ったからです。ただ読み始めてすぐに話に引き込まれたした。本の構成、表現、すべて素晴らしいと思います。文学的なテクニックとかそういうレベルでなく、信念を持って壮絶な経験をしながら考え続けてきた人のみが書ける生の気迫や息づかいが本のページから届いてきました。また普通では知ることのできない発想や思考も新鮮でした。それに著者自身が気づかされ、心を揺さぶられた内容にもすごく共感できました。実際、P202の辺りでは感情が高ぶり、胸が苦しく涙が出そうになりました。本書は戦争や軍隊、戦闘などにまったく興味のない人も読んでおくべき一冊だと思いました。個人的にはピンと来る箇所やハッとさせられる箇所多数でしたが、もしかしたら今まで考えることを避けていたことを含めて、何らかの気づきや答えを得られるかもしれません。追伸本書を勧めてくれた自衛隊員は著者に直接会って話を聞いたそうですが、本書は出版上の理由からかなりマイルドに表現されてるそうです。私には十分過激に感じ刺激的でしたが、機会があれば直接生の話を聞いてみたいものです。追伸2特にミンダナオ島の若い女性師匠の感性、視点、考え方は一般的なものを超越しており、普通では聞けない類のもので、その賛否は別として、知ることができて良かったです。著者とその女性はお互い第二言語の英語でコミュニケーションを取っていたと思いますし、著者もあまりの衝撃で記憶がおぼろげで10分の1も覚えていない、と書いていた場面もあることを考えると、ここまで理解して言語化できているのは言外に通じ合うという特殊部隊員同士の必須のスキル故かなとも思いました。(以下ネタバレメモ一部)2001年3月海上自衛隊内に初の特殊部隊である特別警備隊を創設統御指揮官が嘘、ごまかし、背伸びなしにただひたすらに任務を全うしようとすれば組織内の各個人は自ら色されようとする気持ちが沸き上がる特殊部隊員同士は生まれてきた理由も生きている目的も命より大切にしているもの全てが一致しているそれはただただ任務達成なのである。公務とグアムの決定的な違いは私を伴う命令に対して拒否権があるのかないのか。警察官消防官に拒否権はあるが自衛官にはない。体力錬成は特に酸素負債運動(300〜600mの全力疾走)2本、後で立っていられないほどのレベル1日12時間を超える訓練を継続的に実施すると疲労が蓄積する回復の時間を要する筋肉疲労については筋肉そのものをつけすぎないようにした同じ力を発揮するにしても筋量を増やして発揮しようとするのではなく身体操法の技術により発揮しようとした筋肉に大きなダメージを与えるウェイトトレーニングのような訓練はほとんどやらなかった留学したものがその本質をまだ理解していない段階で完成品を見てしまうと参考と言う名のもとに模倣から入ってしまいがち国家理念も戦術思想も国民性もまるで違う他国の部隊にそのまま使えるものなどあるわけがない特殊戦の世界において米軍の評価は非常に低い手にしている武器を始め装備品は高価で最新のものだったが個人の技量は驚くほど低レベル米軍が最強であり得る大きな理由米軍の特徴は兵員の業務を分割し個人の負担を小さくしてそれをシステマティックに動かすことで強大な力を作り出す仕組みにある。それは個人の能力に頼っていないので交代要員をいくらでも量産できるシステムでもある。さらに個人の負担が少ないので持久力がある。要はそこらにいるごろつき連中をかき集めてきて短時間に少しだけ教育し簡易な業務を確実に実施させて組織として力を発揮するビークルコンバットでの指揮官の存在意義は戦闘中にある。それは報告させて自分が判断して実施させるからである。インディビジュアルコンバットにおける指揮官の存在意義は戦闘前にある。それは作戦の真の目的を理解させ、なぜこのような組織編成や任務分担したのか、なぜこのような命令を出したのかを事前に理解させるからである。陸上自衛隊特殊部隊初代指揮官、現、至誠館館長荒谷卓氏は別格レンジャー訓練は陸上自衛隊の中の最高峰の訓練と言われるが実際は昭和30年代にアメリカから持ってきて内容がほとんど変わっておらず無駄な科目も多い。地図も読めず紐も結べず爆破もできず山に行っても食料品を支給されないと死んじゃう陸上自衛官をとりあえず山に入れるようにして戦術行動の一端を体験させる程度のもので大した事は無い教育と言うのは難しいことをいかに簡単に理解させるか人間は自然には絶対に勝てない日本舞踏の重心移動を参考にしたりバレリーナの肩甲骨の使い方に惚れ惚れしたりする生身の人間へのヘッドショットをするにはサイトピクチャー、トリガープル、ノンフリンチの3つの技術が必要照準とはターゲット、照星、照門、自分の目を一直線にすることというのは間違いかつ不可能。人間の目は1箇所にしか焦点を合わせられないから。組織戦闘力の強弱についてはバックに国家があるのかないのかと生命を失う気があるのか無いのかの2つの要素の有無で比較されることが多い日本は何に関してもトップレベルの突出したものがないが、どういうわけかボトムのレベルが他国に比べると非常に高い。優秀な人が多いのではなく優秀じゃない人が極端に少ない。日本人はモラルが高いといわれるがそれはモラルの高い人が多いのではなくてモラルのない人がほとんどいないと言うことである。一般的傾向として軍隊にはその国の底辺に近いものが多く集まってくるもの。オリンピックやワールドカップのようにその国のエース同士が勝負する戦いではない。要するに戦争とはその国の底辺と底辺が勝負をするもの。だから軍隊にとってボトムのレベルの高さと言うのは重要ポイント。自衛隊が他国と共同訓練をするとなんて優秀な兵隊なんだ、こんな国と戦争したら絶対に負けると毎回言われる。最強の軍隊はアメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官と言うジョークがあるが頷ける自衛隊に半日もいれば俺は指揮官だぞと地団駄を踏みながら絶叫してるおじさんや上目遣いが癖になっている若い幹部に会えるもの馬鹿は物が持てる手に目が行く自分の目と首と心臓を守りながら相手の目と首と心臓を壊す。手足を切り離して考える。自分の体を餌にして相手の命を取る無意識のうちにいつの間にか実際に遭遇する環境よりも訓練しやすい環境を優先してしまっていた自分が能力を発揮できる環境ではなく自分も発揮しにくいが、相手がさらに発揮しにくい環境を創出すべき。なぜなら相手の方が戦闘能力が高くてもそれを発揮しづらい状況に引きずり込んでしまえば勝てるから。勝てるのはいかなる環境においても自分の持ってる戦闘能力を発揮できるための努力を怠らず戦闘時には本能が拒絶する劣悪な環境に自ら飛び込んでいけるものである。本気で戦おうとしているものは氷点下、飢餓状態、漆黒の闇、暴風雨、水中、ぬかるみ、熱帯、密林と本能が拒絶する劣悪な環境下で訓練をする実行するべきか否かを決める際には自分の何を失っていてもやる価値があるのかを判断する次に自分で決めた失っても構わないものを失っても必ず作戦を成功するような方法考える最後に成功の確実性が変わらずに自分のダメージがより少ない方法はないかを模索する自分が大切だと決めたもののために何か(自分の命含む)を諦める国家の意思を達成するために出撃するものとして食べることを非常に大切にしていたタンパク質、炭水化物、脂質、糖質、ビタミン、ミネラルをバランスよく規則的に取る高めなければいけない身体能力酸素負債能力(ダッシュ型)、酸素摂取能力(持久系)、筋力(ウェイトトレーニング)、身体操作能力(運動神経)、特殊環境下の身体(体重が足の裏にかかっていない運動、鉄棒、水泳、逆立ちなど)の5つの能力をバランス良く高めないといけない平時と非常時の思考の切り替えの難しさ現在の防衛省は頑張るだけで評価されると言う子供じみた発想から抜け出せないところに致命的な欠陥も抱えている戦争当時の日本の沈没船の鉄板には結構な値段がつく、品質が良いから。エンペラーが願うんじゃなくて命令する。エンペラーが願っても何も変わらない。願うだけで変えられるのは部族長だけ。6千万人全部が1つの部族でそれに部族長がリクエストを出す。日本という国の本質掟と言うのは若い人が作るものじゃない。通りすがりの旅人が作るものでもない。ましてや向かいの島のやつが作るなんてありえない。この土地に本気で生きている者のために、この土地で本気で生きた祖先が残してくれるもの。それも長老が自分の生涯を閉じる直前に修正をして次の長老に渡して試行と修正を数限りなく繰り返してきたもの。だからこの土地に生きる者にとってどんなものより大切なもの。その国に本気で生きる気のある人が作ったものでなければその土地に合うわけがない。日本国憲法アメリカの掟がそんなに大事なのか?その掟を大事にしていればアメリカが何かしてくれるのか?自分の国に原爆を2発も落としたやつにしてもらいたい事は一体何なのか?他国の意思が大きく影響しているように見えてしまう祖国の国家姿勢に対して不信感の根本を突きつけられた国刑務所の牢屋の中にいるのはみんな黒人黒人の主張黒人はバスケットでも野球でもやらせてくれと言ったのではなく白人がやってみるかといったときにすごい成績を残してきた。認めてくれなんて言ったんじゃなく認めざるを得ない結果を積み重ねてきた。差別をひっくり返すにはそれしかない。主張じゃない、要求じゃない、認めざるを得ない結果。ネイティブインディアンの主張黒人は生きていたいからと奴隷になったような奴ら。ネイティブインディアンはそんなことしない。誇りがある。ネイティブアメリカンは奴隷になることより死ぬまで戦うことを選んだ。だから1千万人が殺された。95%が死んだ。狩のできない奴は餓死、とろい奴は餌日本の本土では原爆、空襲で100万人以上の非戦闘員が殺傷され全戸数の2割が被災したと言われている自然界のルール全部を生き残らせようとしたら全滅する必要以上に殺してしまえば自分が飢える民族の尊厳と自立を守るための戦いは富や快楽を手に入れるための戦争とは明らかに区別すべきもの満ち足りて直資源、市場の獲得のために活動する軍隊こそ自然界のルールを無視した人類の敵、自然界の敵韓国人八幡パハンと海乱鬼カイラギは日本人韓国とラオスに共通する日本人の話日本人はだましやすく同じ手口で何度も騙せる。でもいい気になって騙しているとある日突然見境なく殺しに来るから絶対に騙してはいけない。動物の世界で群のために自ら犠牲になる個体生きていたいと言う本能も失っていないのだが、無理に危機が訪れると自分が犠牲になってでもそれを守ろうとする本能が発動する。どの種にも何%かはそういう傾向のある個体が存在している。情が覚悟を邪魔する事は一切なかった。満腹でもなお貪欲に喰らい続けるような国家ではなく、肌の色や宗教と言わず、人と言わず、命あるものと言わず、森羅万象全てのものとの共存を目指し、自然の摂理を重んじる国家であって欲しいロンメル訓練士のない訓練は戦死のない戦闘と同じで芝居と同様である
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年8月27日に日本でレビュー済み
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69人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2020年4月3日に日本でレビュー済み
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本書は、Kindleアプリの「貴方へのおすすめ」にしばしば表示されていたので、気にはなっていたものの、内容については完全に誤解していました。
本書のタイトルは「国のために死ねるか」ですよね。
私はこれを読んだ時に「国のために死んでたまるか!」と言っていると、誤って解釈してしまったのです。
しかも著者は元自衛官。そのような経歴の方が「死んでたまるか!」と主張している本ってどうなの? 何で私へのおすすめに表示されてるの?(いやその時点で気づけよって話しですがw) と思ってしまい、今まで敬遠して来てしまいました。
でも、やっと今日その誤解が解けました。「私(あるいは君)は国のために死ぬことができるか?」と言う問いかけだったのですね。それをようやく理解出来たので、遅ればせながら速攻で購入しました。
私と同じ勘違いをして、購入を敬遠している人って一定数いるんじゃないかなぁ? これからタイトルを修正することって出来ないんですかね?
2020年4月6日追記
読了したのでレビューを追記します。
著者の伊藤祐靖氏は、海上自衛隊に20年間在籍し、42歳で退官しています。著作活動は50歳前後から始めたらしく、本書は単書としては2作目とのことですが、非常に読みやすい文体、かつ情報量に過不足がなく、とても好感が持てます。
第一章では、1999年3月に海上自衛隊のイージス艦が、北朝鮮の不審船を追った顛末が描かれています。これは、自衛隊発足後初めての「海上警備行動」が発令された事件でもあったわけですが、一級のドキュメンタリーに仕上がっています。何しろ取材では無く、著者が現場で実際に体験した事を綴っているのですから。特に北朝鮮工作員と視線が絡んだ時の心理描写には唸らされました。どんなに有能な小説家でも、想像力だけでは、この心理の境地を紡ぐことは不可能だと思います。実体験恐るべしです。
その後は幼少期に戻り、陸軍中野学校での軍事訓練中に密命を受けたまま、終戦を迎えてしまった父親との回顧録や、自らが海上自衛隊に入隊するまでの経緯が綴られます。
第二章では、いよいよ本書のメインテーマである「特殊部隊」創設秘話が語られます。普段は公にされないであろう自衛隊の内情が描かれていたり、「普通の人生観」を持つ大多数の自衛官でも「国のために命を捧げる覚悟」は持っているが、特殊部隊員になるためには「特別な人生観を持っている必要がある」と言う著者の持論が展開されたりと、目から鱗な話しが続きます。
思いつくままに書いてしまうと、あまりに長文になってしまうので以下省略としますが、とにかく「騙されたと思って一度読んでみてください」としか言えません。必ずや「心に響く」あるいは「心に刺さる」言葉を、幾つも拾う事が出来ると思います。
最後に注意点をひとつだけ。
不謹慎な感想かもしれませんが、本書は「非常に面白い」です。そこいらの半端な小説なんか相手になりません。しかも、冒頭に書いたとおり「読みやすい」ので、時間を忘れて読み耽ってしまう可能性が大です。くれぐれも睡眠不足にならないよう、ご注意ください。
本書のタイトルは「国のために死ねるか」ですよね。
私はこれを読んだ時に「国のために死んでたまるか!」と言っていると、誤って解釈してしまったのです。
しかも著者は元自衛官。そのような経歴の方が「死んでたまるか!」と主張している本ってどうなの? 何で私へのおすすめに表示されてるの?(いやその時点で気づけよって話しですがw) と思ってしまい、今まで敬遠して来てしまいました。
でも、やっと今日その誤解が解けました。「私(あるいは君)は国のために死ぬことができるか?」と言う問いかけだったのですね。それをようやく理解出来たので、遅ればせながら速攻で購入しました。
私と同じ勘違いをして、購入を敬遠している人って一定数いるんじゃないかなぁ? これからタイトルを修正することって出来ないんですかね?
2020年4月6日追記
読了したのでレビューを追記します。
著者の伊藤祐靖氏は、海上自衛隊に20年間在籍し、42歳で退官しています。著作活動は50歳前後から始めたらしく、本書は単書としては2作目とのことですが、非常に読みやすい文体、かつ情報量に過不足がなく、とても好感が持てます。
第一章では、1999年3月に海上自衛隊のイージス艦が、北朝鮮の不審船を追った顛末が描かれています。これは、自衛隊発足後初めての「海上警備行動」が発令された事件でもあったわけですが、一級のドキュメンタリーに仕上がっています。何しろ取材では無く、著者が現場で実際に体験した事を綴っているのですから。特に北朝鮮工作員と視線が絡んだ時の心理描写には唸らされました。どんなに有能な小説家でも、想像力だけでは、この心理の境地を紡ぐことは不可能だと思います。実体験恐るべしです。
その後は幼少期に戻り、陸軍中野学校での軍事訓練中に密命を受けたまま、終戦を迎えてしまった父親との回顧録や、自らが海上自衛隊に入隊するまでの経緯が綴られます。
第二章では、いよいよ本書のメインテーマである「特殊部隊」創設秘話が語られます。普段は公にされないであろう自衛隊の内情が描かれていたり、「普通の人生観」を持つ大多数の自衛官でも「国のために命を捧げる覚悟」は持っているが、特殊部隊員になるためには「特別な人生観を持っている必要がある」と言う著者の持論が展開されたりと、目から鱗な話しが続きます。
思いつくままに書いてしまうと、あまりに長文になってしまうので以下省略としますが、とにかく「騙されたと思って一度読んでみてください」としか言えません。必ずや「心に響く」あるいは「心に刺さる」言葉を、幾つも拾う事が出来ると思います。
最後に注意点をひとつだけ。
不謹慎な感想かもしれませんが、本書は「非常に面白い」です。そこいらの半端な小説なんか相手になりません。しかも、冒頭に書いたとおり「読みやすい」ので、時間を忘れて読み耽ってしまう可能性が大です。くれぐれも睡眠不足にならないよう、ご注意ください。
2020年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私もこの筆者のように「空気が読めない性格」ではありますが、ここまでの「ストレートな性格」には勝てません。
笑ってしまいながらも、心が動かされたののは、彼が防災訓練で部下に放った以下の言葉。
号令係が、部隊に「休め」といっただけで、「地面に寝て休め」と言わなかったとき。
「訓練中に寝転がってたら怒られるって考えてるんだろ。そんなことが頭をよぎってるってことは、真剣にやってない証拠だ! 自衛隊劇団やってんじゃねえ」
「いいか、正しいと思ってることを実行できない奴は、敵より怖いんだ」
伝令係が本部に走っていたときに、「そこにあるオートバイを盗んででも急ぐんだ」とアドバイスした際に、その学生が「防大生はオートバイに乗ってはいけないことになってます」と回答したとき。
「今は非常時だぞ。校則なんかどうでもいいだよ。”正確に早く”が大事なんだろ?バイクに乗れよ!」
筆者の本はこの3日間で2冊目ですが、3冊目は図書館で予約しました。
こういった人物が自由奔放に活躍できる日本であって欲しいです。国靖かれ。
笑ってしまいながらも、心が動かされたののは、彼が防災訓練で部下に放った以下の言葉。
号令係が、部隊に「休め」といっただけで、「地面に寝て休め」と言わなかったとき。
「訓練中に寝転がってたら怒られるって考えてるんだろ。そんなことが頭をよぎってるってことは、真剣にやってない証拠だ! 自衛隊劇団やってんじゃねえ」
「いいか、正しいと思ってることを実行できない奴は、敵より怖いんだ」
伝令係が本部に走っていたときに、「そこにあるオートバイを盗んででも急ぐんだ」とアドバイスした際に、その学生が「防大生はオートバイに乗ってはいけないことになってます」と回答したとき。
「今は非常時だぞ。校則なんかどうでもいいだよ。”正確に早く”が大事なんだろ?バイクに乗れよ!」
筆者の本はこの3日間で2冊目ですが、3冊目は図書館で予約しました。
こういった人物が自由奔放に活躍できる日本であって欲しいです。国靖かれ。
2020年6月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
海上自衛隊にて特殊部隊を作り上げ、方針に沿えず退官し、そしてフィリピンにて戦う男の物語。
本というものは書き手のみならず、その素材を適切に活かす編集者・校正者というものがさらに重要かもしれないと思うに至った。
まず、これほどの人となればまずその来歴、仕事の中身がとても重要。
なのになぜ新書?この枚数で語り切れる?
案の定、一番美味しいと思われる退官後のフィリピン編はまたいつか、という感じで尻切れトンボ。
肝心の主題も、安っぽい邦画のシナリオを見るよう。
たまに一言二言入る鋭い洞察にハッとさせらるが、それも一瞬にして三文芝居に戻る。
なぜそうなるのか?
枚数が足らないからだ。
ではなぜ枚数が足らないのか?
テーマが広すぎるのだ。
著者に問題はない。まさしくプロフェッショナル。
戦場の武士だ。
このまさに生きる戦闘マシーンの著者の主張を、新書の薄い枚数で語らせる愚。
つまり、この本の企画者・編集者・そして三文芝居を許す校閲者が間違っているのである。
こんな生き字引みたいなリアルターミネーターの人生を賭けた主張を、他のパソコンがみるみるうちにできる!とか方法序説とか、既に定見があるものと同列な枚数で語るには無理があろうというものだ。
素材をしっかり封印した残念な書である。
この内容を十分に語るなら本来ならハードカバー上下セット1000ページは必要であろう。
だがこの著者の主張を受け止め、軍事的内容を理解し咀嚼し表現し、世に訴えてインパクトを与えようと考える編集者がいないのであろう。その能力がないのであろう。
だからこのようにプレイボーイの連載毎週2ページ分をまとめたような内容で「良いだろう」と、考えたのだろう。
読書もナメられたものだ。
だから、断固編集者の能力不足だと言いたい。
本というものは書き手のみならず、その素材を適切に活かす編集者・校正者というものがさらに重要かもしれないと思うに至った。
まず、これほどの人となればまずその来歴、仕事の中身がとても重要。
なのになぜ新書?この枚数で語り切れる?
案の定、一番美味しいと思われる退官後のフィリピン編はまたいつか、という感じで尻切れトンボ。
肝心の主題も、安っぽい邦画のシナリオを見るよう。
たまに一言二言入る鋭い洞察にハッとさせらるが、それも一瞬にして三文芝居に戻る。
なぜそうなるのか?
枚数が足らないからだ。
ではなぜ枚数が足らないのか?
テーマが広すぎるのだ。
著者に問題はない。まさしくプロフェッショナル。
戦場の武士だ。
このまさに生きる戦闘マシーンの著者の主張を、新書の薄い枚数で語らせる愚。
つまり、この本の企画者・編集者・そして三文芝居を許す校閲者が間違っているのである。
こんな生き字引みたいなリアルターミネーターの人生を賭けた主張を、他のパソコンがみるみるうちにできる!とか方法序説とか、既に定見があるものと同列な枚数で語るには無理があろうというものだ。
素材をしっかり封印した残念な書である。
この内容を十分に語るなら本来ならハードカバー上下セット1000ページは必要であろう。
だがこの著者の主張を受け止め、軍事的内容を理解し咀嚼し表現し、世に訴えてインパクトを与えようと考える編集者がいないのであろう。その能力がないのであろう。
だからこのようにプレイボーイの連載毎週2ページ分をまとめたような内容で「良いだろう」と、考えたのだろう。
読書もナメられたものだ。
だから、断固編集者の能力不足だと言いたい。