宗一郎はそれから40年後に「自動車殿堂のメダル」を得た。
宗一郎は帰国後真っ先に藤沢の家に向かい、位牌にメダルをかけ
「これは俺が貰ったんじゃねえ!俺とお前さんと二人で貰ったんだ」と泣きながら言った。
1991年のことですが、清水一行はこの二人の40年の友情をどう見ているのでしょうか。
清水(あえて呼び捨てにします)の「男の友情」への妬みが女々しいです。
流行作家の小説は私は一切読んでいませんが、ゲス!これに尽きます。
死人に鞭を打ちたくなる小説と断じざるを得ません。
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器に非ず (光文社文庫) Kindle版
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¥330
戦中、戦後の厳しい時代を生きぬいた神山竜男は、浜松の発明王と呼ばれ、“本州モーターズ”の社長である五十島繁哉を紹介された。神山は営業面で、技術屋の五十島を助け、オートバイの販売からスタートしたこの会社は、二十数年後、大企業にのし上がった。が、神山に最後の試練が……。栄光のNo2と呼ばれ、会社経営に生命を滾らせた男の“光と影”を鋭く抉った会心作。
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2006/2/16
- ファイルサイズ322 KB
商品の説明
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
清水/一行
1931年東京都生まれ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
1931年東京都生まれ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
エンジン開発に心血を注ぐ五十島繁哉と、会社経営の実務に辣腕を振るう神山竜男の運命的な出会い。この二人の男を軸に「本州モーターズ」は、小さなオートバイのメイカーから、世界的に有名な自動車会社へと飛躍する。だが、企業理念の差異、感情の行き違いから五十島と神山の間には、越えがたい溝ができる…企業の“虚”と“実”、経営者たちの夢を描いた長篇。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B009KZ5HCM
- 出版社 : 光文社 (2006/2/16)
- 発売日 : 2006/2/16
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 322 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 344ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 79,848位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1931年東京向島生まれ。週刊誌記者などを経て、’66年に証券界の内幕を抉った『小説兜町』でデビュー。一躍ベストセラー作家となる。’75年『動脈列島』で日本推理作家協会賞受賞。経済小説、犯罪小説、ミステリー、サスペンスなど、幅広いジャンルで活躍。著書多数(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 密閉集団 (ISBN-13: 978-4334742713 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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本田技研の副社長藤沢武夫のモデル作品である。最近大下英治著「人間・本田宗一郎 夢を語る」を読んだ直後の作品だったので両者の違いと類似点がよくわかった。同じ伝記ものでも作者、人物の視点を変えると随分人間の性格にも違いがあることがわかる。大下作品は本田と藤沢を生涯のパートナーとして二人の関係を好意的に扱っているが、清水作品は藤沢が一種の野心をもった人物に描かれている。表面上はパートナーであるにも関わらず本田はいわゆる名ばかり社長、藤沢は実質社長を強く打ち出している。決定的なところは最後に本田が次期社長を藤沢にしなかったことである。すなわち藤沢はエンジンのことはわからない、本田の夢を継げないということであった。このことが題名の「器に非ず」すなわち後継社長にはできない理由であったとは。本田の時代錯誤も甚だしいとか言いようがない。一般文学通算1639作品目の感想。2016/05/02 20:25
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2019年1月8日に日本でレビュー済み
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2016年5月2日に日本でレビュー済み
本田技研の副社長藤沢武夫のモデル作品である。
最近大下英治著「人間・本田宗一郎 夢を語る」を読んだ直後の作品だったので両者の違いと類似点がよくわかった。
同じ伝記ものでも作者、人物の視点を変えると随分人間の性格にも違いがあることがわかる。
大下作品は本田と藤沢を生涯のパートナーとして二人の関係を好意的に扱っているが、清水作品は藤沢が一種の野心をもった人物に描かれている。
表面上はパートナーであるにも関わらず本田はいわゆる名ばかり社長、藤沢は実質社長を強く打ち出している。
決定的なところは最後に本田が次期社長を藤沢にしなかったことである。
すなわち藤沢はエンジンのことはわからない、本田の夢を継げないということであった。
このことが題名の「器に非ず」すなわち後継社長にはできない理由であったとは。
本田の時代錯誤も甚だしいとか言いようがない。
一般文学通算1639作品目の感想。2016/05/02 20:25
最近大下英治著「人間・本田宗一郎 夢を語る」を読んだ直後の作品だったので両者の違いと類似点がよくわかった。
同じ伝記ものでも作者、人物の視点を変えると随分人間の性格にも違いがあることがわかる。
大下作品は本田と藤沢を生涯のパートナーとして二人の関係を好意的に扱っているが、清水作品は藤沢が一種の野心をもった人物に描かれている。
表面上はパートナーであるにも関わらず本田はいわゆる名ばかり社長、藤沢は実質社長を強く打ち出している。
決定的なところは最後に本田が次期社長を藤沢にしなかったことである。
すなわち藤沢はエンジンのことはわからない、本田の夢を継げないということであった。
このことが題名の「器に非ず」すなわち後継社長にはできない理由であったとは。
本田の時代錯誤も甚だしいとか言いようがない。
一般文学通算1639作品目の感想。2016/05/02 20:25

本田技研の副社長藤沢武夫のモデル作品である。
最近大下英治著「人間・本田宗一郎 夢を語る」を読んだ直後の作品だったので両者の違いと類似点がよくわかった。
同じ伝記ものでも作者、人物の視点を変えると随分人間の性格にも違いがあることがわかる。
大下作品は本田と藤沢を生涯のパートナーとして二人の関係を好意的に扱っているが、清水作品は藤沢が一種の野心をもった人物に描かれている。
表面上はパートナーであるにも関わらず本田はいわゆる名ばかり社長、藤沢は実質社長を強く打ち出している。
決定的なところは最後に本田が次期社長を藤沢にしなかったことである。
すなわち藤沢はエンジンのことはわからない、本田の夢を継げないということであった。
このことが題名の「器に非ず」すなわち後継社長にはできない理由であったとは。
本田の時代錯誤も甚だしいとか言いようがない。
一般文学通算1639作品目の感想。2016/05/02 20:25
最近大下英治著「人間・本田宗一郎 夢を語る」を読んだ直後の作品だったので両者の違いと類似点がよくわかった。
同じ伝記ものでも作者、人物の視点を変えると随分人間の性格にも違いがあることがわかる。
大下作品は本田と藤沢を生涯のパートナーとして二人の関係を好意的に扱っているが、清水作品は藤沢が一種の野心をもった人物に描かれている。
表面上はパートナーであるにも関わらず本田はいわゆる名ばかり社長、藤沢は実質社長を強く打ち出している。
決定的なところは最後に本田が次期社長を藤沢にしなかったことである。
すなわち藤沢はエンジンのことはわからない、本田の夢を継げないということであった。
このことが題名の「器に非ず」すなわち後継社長にはできない理由であったとは。
本田の時代錯誤も甚だしいとか言いようがない。
一般文学通算1639作品目の感想。2016/05/02 20:25
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2014年11月12日に日本でレビュー済み
藤澤武夫さんがモデルと知ってブックオフに落ちた100円本を買いました。 読み直して看過できないので再投稿します。
印象 :「まちがって犬のうんこを踏んづけたときの、あのイヤーな感触と後悔の念」
感想 :「マイナス(清水)×マイナス(憶測)=プラス(反転する実像)」
清水は約10年以上にわたって取材活動を進め、知られざる裏側があったと確信を持ち著した。 とあるが、なぜ本田氏の
言質を反転してまで執拗に藤澤氏を悪者にするのか。 周知の事実を数多く加工する行為も清水の目的が藤澤氏へあてた
露骨な嫌がらせであることへの証だ。 この本を一言でいえば「悪意のかたまり」「嘘のかたまり」である。 藤澤氏の
予備的知識を持たない大多数の読者層を対象に、清水は多くの事実倒錯を駆使した。 一般読者層は鵜呑みにするだろう。
これは同時に、清水を支える読者をも蔑み、家畜扱いする行いでもある。 清水には良心の欠片さえも認められないのだ。
時代は変わり、なにをどう弁解しようと「清水の嘘はすべてバレている」。 60億円がどうのと具体的にここまで書いて
「あれは小説ですよ」で済むはずもない。 つまり「昔はメディア犯罪が大手を振るっていたことを端的に証明する一冊」
なのである。 この本自体がまごうことなき「悪質なモラル・ハラスメント」であり、「遷延性ストーカー行為」なのだ。
近年メイドイン・ジャパンの地位は世界で認められたが、その礎に位置する重要人物を己が小銭稼ぎで愚弄した罪は重い。
許せないのは、ご高齢であられた藤澤氏が旅立たれる二ヶ月前に「大衆娯楽雑誌」の連載を終えたことだ。 ここに清水
の非道な嫌がらせがある。 次に、本田氏が死去されて数年後に「書籍化」したことだ。 様子見しつつ、死人に口無し
とばかりにである。 10年にわたる取材活動で確信したなら「エロ小説屋」に持ち込まず警察に告発するのが普通だろう。
あろうことか書籍化した馬鹿の実行責任は重大だ。 出版側も関係者も同罪だ。 相手が相手だけに権利者は放置をせず、
ご遺族に侘びをいれて発禁するなり、然るべき行動があって当然なのだが。 血筋とは争えないものだ。 野放しのみな
らず、当然とばかりの Kindle版 だ。 世間はこれを「泥棒に追い銭」という。
通信は進化した。 "amazon" をふくめた新たな情報インフラが構築された今、人々は買い物に情報収集に、互いが得た
正しい情報を提供しあい拡散する。 過去の出来事は掘り起こされ、検証される運命にある。 当レビューもその一粒だ。
何事も無かったかのように振舞おうと、今になって内容を善意的であったかのようにすり替えようと遅い。 根拠に裏打
ちされた証言や情報が飛び交い、人目に付き、検証は進み、清水は多くを敵にまわすだろう。 明治時代の気骨と評され、
次代を担う日本のミレニアル世代を侮ってはいけない。 "鎖のように連鎖する正しい判断" を要求される彼らの時代こそ、
故、藤澤武夫氏の並外れた見識が、知恵が、判断力が、決断力が、度胸が。 高い知性が、品行が。 作り話しではない
本物が。 彼らの現実的な手本になり得るのである。 彼らを襲うであろう、逆境時の心強い拠り所になり得るのである。
本田宗一郎の才能を見抜き、切った張ったの世界に乗り込んだ男。 その才能を命がけでまもり、ついていった男がいた。
小者、小物を知る。 ばい菌、便所虫、お友達という。 清水は同類を主題に駄文でも書き、おもねる相手に媚びた提灯
小説でも書くのが相応だったのだ。 今回ばかりは相手を間違えた。 どうせ、わけ知り顔でノコノコ訪れたのであろう。
そこで、家人に追い返されたか、運が悪けりゃ「二度と来るな、馬鹿野郎!!」である。 そんなところだろう。 清水
はつね日ごろ一番気にする本当のことに図星喰らったと思い込み、悔しかったにちがいない。 この与太小説の着想など
想像に難くない。 清水の身勝手な妄執であろう。 しかし、いい迷惑だ。 阿保の一念、岩をも通すというではないか。
読み終えて感じたことは、事実を歪曲しつつ綺麗なものを汚したいという、清水の一途な悪意である。 藤澤武夫さんに
ついては「経営に終わりはない」「藤澤武夫の研究」で知っていたが、私の知識ですら重要部分がすりかえられ、意識的
に脚色されたことを見抜ける。 このようなヤッツケ仕事がまかり通る出版界は「詳しく知るのは少数派、鵜呑みにする
のが大多数、信義なんかくそくらえ」という暴力がはびこる世界でもあるのだろう。 清水は売れると踏めば、だれかれ
かまわず悪者に仕立てることに戸惑いがないようだ。 元共産党員の清水にとって、財界とは汚れた者の温床であらねば
ならぬのであろう。 清水こそが汚れきった「おぞましい毒虫」なのだ。 疑い深く奸知に長けた清水にも、理解し難い
例外があったにちがいない。 俺は金に汚く名声を求める、という清水の人格構成がこの「便乗小説」にあらわれている。
タイトルの「器に非ず」とは、清水自身の内面を偽りなく「投影」したものと理解できるのだ。
身勝手な悪意憶測を駆使して他者を中傷流布することは暴力であり犯罪だ。 倫理にもとる嫌がらせをする者をフランス
では刑務所にぶち込む。 これを読んで痛切に感じたこととは、我が国におけるモラス・ハラスメント法の制定であった。
清水には憶測や偏見という衣が生命線なのであろう。 それらを脱ぎ捨てることは、ゴキブリが日光浴をするにひとしく、
耐え難い苦痛をともなうのであろう。 この、「うすよごれた娯楽小説屋」の最低限の尊厳さえもが問われる一冊である。
この与太物語の特異性は、藤澤武夫という稀有な人物を貶することで、己への過大な称賛を読者に得ようと画策する清水
の意図にある。 結果、残忍かつ醜悪な精神構造が、自らの筆で克明に描き出された。 羨望と嫉妬、[破壊衝動] である。
精神医学をかじった者であれば、清水が典型的な [Narcissistic personality disorder (NPD) / 自己愛性人格障害] である
ことに気づくのは容易だ。 清水一行にとって人間は、もてあそび [消費] するべき [物] でしかないのだ。 狙った獲物
を不快にすることは、清水に秘められた抗いがたい [快楽] なのである。
卑しい「小者ライター」が、想像をはるかに超える大物を「器に非ず」とは、身のほど知らずも際限のない狂気のマヌケ。
いや「脳天パラダイス」とでもいっておこう。 昭和とはこんなチンピラが食っていけた時代でもあったんだと納得した。
ネット環境の整備がすすんだ現代では無理であろう。 ヨタ本は遺り、清水は死してなお醜態を晒す。 因果応報である。
それはさておき、
進化したスマホが語っている。 ホンダとは世界時計を無視して、三四半世紀はやく誕生した、我が日本のビジョナリー・
カンパニーではなかったのか? と。
*(14/11/12) まちがえてKindle版へ投稿してしまい 、(17/7/17) すこし加えて文庫版へ再投稿しました。 (18/9/10) 再投稿。
印象 :「まちがって犬のうんこを踏んづけたときの、あのイヤーな感触と後悔の念」
感想 :「マイナス(清水)×マイナス(憶測)=プラス(反転する実像)」
清水は約10年以上にわたって取材活動を進め、知られざる裏側があったと確信を持ち著した。 とあるが、なぜ本田氏の
言質を反転してまで執拗に藤澤氏を悪者にするのか。 周知の事実を数多く加工する行為も清水の目的が藤澤氏へあてた
露骨な嫌がらせであることへの証だ。 この本を一言でいえば「悪意のかたまり」「嘘のかたまり」である。 藤澤氏の
予備的知識を持たない大多数の読者層を対象に、清水は多くの事実倒錯を駆使した。 一般読者層は鵜呑みにするだろう。
これは同時に、清水を支える読者をも蔑み、家畜扱いする行いでもある。 清水には良心の欠片さえも認められないのだ。
時代は変わり、なにをどう弁解しようと「清水の嘘はすべてバレている」。 60億円がどうのと具体的にここまで書いて
「あれは小説ですよ」で済むはずもない。 つまり「昔はメディア犯罪が大手を振るっていたことを端的に証明する一冊」
なのである。 この本自体がまごうことなき「悪質なモラル・ハラスメント」であり、「遷延性ストーカー行為」なのだ。
近年メイドイン・ジャパンの地位は世界で認められたが、その礎に位置する重要人物を己が小銭稼ぎで愚弄した罪は重い。
許せないのは、ご高齢であられた藤澤氏が旅立たれる二ヶ月前に「大衆娯楽雑誌」の連載を終えたことだ。 ここに清水
の非道な嫌がらせがある。 次に、本田氏が死去されて数年後に「書籍化」したことだ。 様子見しつつ、死人に口無し
とばかりにである。 10年にわたる取材活動で確信したなら「エロ小説屋」に持ち込まず警察に告発するのが普通だろう。
あろうことか書籍化した馬鹿の実行責任は重大だ。 出版側も関係者も同罪だ。 相手が相手だけに権利者は放置をせず、
ご遺族に侘びをいれて発禁するなり、然るべき行動があって当然なのだが。 血筋とは争えないものだ。 野放しのみな
らず、当然とばかりの Kindle版 だ。 世間はこれを「泥棒に追い銭」という。
通信は進化した。 "amazon" をふくめた新たな情報インフラが構築された今、人々は買い物に情報収集に、互いが得た
正しい情報を提供しあい拡散する。 過去の出来事は掘り起こされ、検証される運命にある。 当レビューもその一粒だ。
何事も無かったかのように振舞おうと、今になって内容を善意的であったかのようにすり替えようと遅い。 根拠に裏打
ちされた証言や情報が飛び交い、人目に付き、検証は進み、清水は多くを敵にまわすだろう。 明治時代の気骨と評され、
次代を担う日本のミレニアル世代を侮ってはいけない。 "鎖のように連鎖する正しい判断" を要求される彼らの時代こそ、
故、藤澤武夫氏の並外れた見識が、知恵が、判断力が、決断力が、度胸が。 高い知性が、品行が。 作り話しではない
本物が。 彼らの現実的な手本になり得るのである。 彼らを襲うであろう、逆境時の心強い拠り所になり得るのである。
本田宗一郎の才能を見抜き、切った張ったの世界に乗り込んだ男。 その才能を命がけでまもり、ついていった男がいた。
小者、小物を知る。 ばい菌、便所虫、お友達という。 清水は同類を主題に駄文でも書き、おもねる相手に媚びた提灯
小説でも書くのが相応だったのだ。 今回ばかりは相手を間違えた。 どうせ、わけ知り顔でノコノコ訪れたのであろう。
そこで、家人に追い返されたか、運が悪けりゃ「二度と来るな、馬鹿野郎!!」である。 そんなところだろう。 清水
はつね日ごろ一番気にする本当のことに図星喰らったと思い込み、悔しかったにちがいない。 この与太小説の着想など
想像に難くない。 清水の身勝手な妄執であろう。 しかし、いい迷惑だ。 阿保の一念、岩をも通すというではないか。
読み終えて感じたことは、事実を歪曲しつつ綺麗なものを汚したいという、清水の一途な悪意である。 藤澤武夫さんに
ついては「経営に終わりはない」「藤澤武夫の研究」で知っていたが、私の知識ですら重要部分がすりかえられ、意識的
に脚色されたことを見抜ける。 このようなヤッツケ仕事がまかり通る出版界は「詳しく知るのは少数派、鵜呑みにする
のが大多数、信義なんかくそくらえ」という暴力がはびこる世界でもあるのだろう。 清水は売れると踏めば、だれかれ
かまわず悪者に仕立てることに戸惑いがないようだ。 元共産党員の清水にとって、財界とは汚れた者の温床であらねば
ならぬのであろう。 清水こそが汚れきった「おぞましい毒虫」なのだ。 疑い深く奸知に長けた清水にも、理解し難い
例外があったにちがいない。 俺は金に汚く名声を求める、という清水の人格構成がこの「便乗小説」にあらわれている。
タイトルの「器に非ず」とは、清水自身の内面を偽りなく「投影」したものと理解できるのだ。
身勝手な悪意憶測を駆使して他者を中傷流布することは暴力であり犯罪だ。 倫理にもとる嫌がらせをする者をフランス
では刑務所にぶち込む。 これを読んで痛切に感じたこととは、我が国におけるモラス・ハラスメント法の制定であった。
清水には憶測や偏見という衣が生命線なのであろう。 それらを脱ぎ捨てることは、ゴキブリが日光浴をするにひとしく、
耐え難い苦痛をともなうのであろう。 この、「うすよごれた娯楽小説屋」の最低限の尊厳さえもが問われる一冊である。
この与太物語の特異性は、藤澤武夫という稀有な人物を貶することで、己への過大な称賛を読者に得ようと画策する清水
の意図にある。 結果、残忍かつ醜悪な精神構造が、自らの筆で克明に描き出された。 羨望と嫉妬、[破壊衝動] である。
精神医学をかじった者であれば、清水が典型的な [Narcissistic personality disorder (NPD) / 自己愛性人格障害] である
ことに気づくのは容易だ。 清水一行にとって人間は、もてあそび [消費] するべき [物] でしかないのだ。 狙った獲物
を不快にすることは、清水に秘められた抗いがたい [快楽] なのである。
卑しい「小者ライター」が、想像をはるかに超える大物を「器に非ず」とは、身のほど知らずも際限のない狂気のマヌケ。
いや「脳天パラダイス」とでもいっておこう。 昭和とはこんなチンピラが食っていけた時代でもあったんだと納得した。
ネット環境の整備がすすんだ現代では無理であろう。 ヨタ本は遺り、清水は死してなお醜態を晒す。 因果応報である。
それはさておき、
進化したスマホが語っている。 ホンダとは世界時計を無視して、三四半世紀はやく誕生した、我が日本のビジョナリー・
カンパニーではなかったのか? と。
*(14/11/12) まちがえてKindle版へ投稿してしまい 、(17/7/17) すこし加えて文庫版へ再投稿しました。 (18/9/10) 再投稿。