本書のタイトル名は『商店街はいま必要なのか』のはずなのだが、最後まで読み終えても、本書がそれを目的に論じたものとは、私には全く思えなかった。筆者は『プロローグ』で、本書はもともと、サブタイトルとして残している『「日本型流通」の近現代史』というタイトルで書き進めたもので、編集者からタイトルの変更を提案され、紆余曲折を経て、『商店街はいま必要なのか』に決まったと語っている。
しかし、『第1章 百貨店』は、百貨店の成立から1937年に至る時期を対象として、百貨店が華々しく発展していった様子と、それに対抗する小売商の対応を、『第2章 通信販売』では、1930年代までの時期を対象として、通信販売の勃興から発展までの歴史を、それぞれ見ているだけに終わっている。
肝心の『第3章 商店街』も、現在の商店街の活性化を図るための政策としての「まちづくり」の取り組みが、買い物の場としての商店街の利用に必ずしもつながっていないという問題提起だけはしているものの、その中身は、日本において商店街が成立し、発展を遂げていったプロセスを見て、当時の商店街が持っていた柔軟な対応力を評価しつつ、それが夫婦の長時間労働でようやく可能になっていたという指摘をするだけで終わっており、『商店街はいま必要なのか』については、全く論じていないのだ。
『第4章 スーパー』と『第5章 コンビニエンス・ストア』も、それぞれの歴史的展開を見るという構図は全く変わっておらず、「消費者の利益」とは?を再考し、コンビニのオーナーの長時間労働問題などを指摘したうえで、最後の締めで、取って付けたような形で『商店街はいま必要なのか』を取り上げ、それが、「問いに答えを出すのは、このような議論を積み重ねてからでも遅くはない」では、何のためのタイトル変更だったのかと思ってしまう。言いたくはないが、『「日本型流通」の近現代史』という地味なタイトルでは売れないからという打算が編集者にあったのではないかと、うがった見方もしてしまう。筆者も、タイトルを変えるのなら、それに沿った構成と内容に改編するべきだったと思う。
このタイトルとこの内容では、本来であれば星一つか二つにしかならないとは思うが、『「日本型流通」の近現代史』というもともとのタイトルの観点から見れば、詳細かつ非常に分かり易く書かれているので、その点は評価したいと思う。
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商店街はいま必要なのか 「日本型流通」の近現代史 (講談社現代新書) 新書 – 2015/7/16
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「安くて便利で消費者のため」のその先は? 百貨店、地方と都会、戦前の通販の黄金時代、商店街と地域、スーパーと消費者革命、家族経営が基本の、日本型コンビニの誕生と進化。1900年代から現代まで、日本人の買い物の歴史から考える。
「安くて便利で消費者のため」のその先は? 百貨店、地方と都会、戦前の通販の黄金時代、商店街と地域、スーパーと消費者革命、家族経営が基本の、日本型コンビニの誕生と進化。1900年代から現代まで、日本人の買い物の歴史から考える。
多くの商店街が、立地の変化を伴う小売革新の進展から取り残された結果、今では、地方都市を中心として、シャッター街と化している例が少なくありません。一方で、そうした現状を憂う声はよく聞かれますし、商店街の賑わいを取り戻そうとする取り組みも盛んです。このまま商店街がさびれていってしまうことには、多くの人がどこか抵抗を感じており、なにかもやもやした感覚を抱いているように見受けられます。――プロローグより
第1章 百貨店――大都市の百貨店が変えたもの
第2章 通信販売――戦前の婦人雑誌・百貨店通販の黄金時代
第3章 商店街――「商店街はさびれるのか?」を問い直す
第4章 スーパー――「流通革命」と消費者の時代
第5章 コンビニエンス・ストア――日本型コンビニと家族経営
著者・満薗 勇(みつぞの いさむ) 一九八〇年、千葉県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、現在、北海道大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本近現代史。著書に、『日本型大衆消費社会への胎動――戦前期日本の通信販売と月賦販売』(東京大学出版会)がある。
「安くて便利で消費者のため」のその先は? 百貨店、地方と都会、戦前の通販の黄金時代、商店街と地域、スーパーと消費者革命、家族経営が基本の、日本型コンビニの誕生と進化。1900年代から現代まで、日本人の買い物の歴史から考える。
多くの商店街が、立地の変化を伴う小売革新の進展から取り残された結果、今では、地方都市を中心として、シャッター街と化している例が少なくありません。一方で、そうした現状を憂う声はよく聞かれますし、商店街の賑わいを取り戻そうとする取り組みも盛んです。このまま商店街がさびれていってしまうことには、多くの人がどこか抵抗を感じており、なにかもやもやした感覚を抱いているように見受けられます。――プロローグより
第1章 百貨店――大都市の百貨店が変えたもの
第2章 通信販売――戦前の婦人雑誌・百貨店通販の黄金時代
第3章 商店街――「商店街はさびれるのか?」を問い直す
第4章 スーパー――「流通革命」と消費者の時代
第5章 コンビニエンス・ストア――日本型コンビニと家族経営
著者・満薗 勇(みつぞの いさむ) 一九八〇年、千葉県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、現在、北海道大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本近現代史。著書に、『日本型大衆消費社会への胎動――戦前期日本の通信販売と月賦販売』(東京大学出版会)がある。
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/7/16
- 寸法10.8 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-104062883252
- ISBN-13978-4062883252
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「安くて便利で消費者のため」のその先は?百貨店、通販、商店街、スーパー、日本型コンビニ。1900年代から現代まで、日本人の買い物の歴史から考える。
著者について
満薗 勇
1980年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。文学博士。日本学術振興会特別研究員、立教大学講師などを経て、2014年4月から北海道大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本経済史。
著書に『日本型大衆消費社会への胎動~戦前期日本の通信販売と月賦販売』(東京大学出版会)がある。
1980年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。文学博士。日本学術振興会特別研究員、立教大学講師などを経て、2014年4月から北海道大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本経済史。
著書に『日本型大衆消費社会への胎動~戦前期日本の通信販売と月賦販売』(東京大学出版会)がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
満薗/勇
1980年、千葉県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、北海道大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1980年、千葉県生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、北海道大学大学院経済学研究科准教授。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/7/16)
- 発売日 : 2015/7/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 304ページ
- ISBN-10 : 4062883252
- ISBN-13 : 978-4062883252
- 寸法 : 10.8 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 74,656位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
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2015年8月21日に日本でレビュー済み
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著者は、1980年千葉県生まれ、現・北海道大学大学院経済学研究科准教授、両親は元コンビニオーナー
「商店街はなぜ滅びるか」(光文社新書 2012年)の著者新雅史氏(1973年生)も同じく両親はコンビニオーナーで、生活体験の中で商店街を論じているのは共通。基本的には商店街は衰退・滅亡の過程にあるが、それでいいんですか!という姿勢にある。
まず、一人の人間は、「消費者」であり、「労働者」であり、「地域社会の一員」である。この中で「消費者の利益」だけが重視され、日本の流通近代化は達成したが、ブラックバイトに表わされるように流通業の労働の内容が悪化し、シャッター商店街に見られるように地域社会が崩壊する。
「消費者」という概念は、1960年~1970年代、「流通革命」の理念に共鳴するかたちで使われるようになった。一人の人間が「消費者の私」の意識を持つようになったのは1960年代以降、1962年米国ケネディ大統領が「消費者の権利」を提唱したことも日本に大きな影響を与えた。当時の日本の消費者運動は、台頭してきたスーパーで買い物することこそが「賢い消費者」であり、徹底した「安売り」を礼賛した。
「消費者」としての普遍的価値である、“安くて便利”は、日本型コンビニシステムを小売業の最大勢力に押し上げたが、コンビニシステムは問題も多い。
日本型流通の歴史に重要な地位を占めていた商店街は、問題もあるが、消費(の論理)と労働(の論理)と地域(の論理)が総じてバランスがとれていた。著者はこの時代を懐かしんでるかのようだ。
現在行われている商店街をベースとした「まちづくり」の困難性は、「消費の論理」と「地域の論理」が接点を持ちにくいところにある。商店街をベースとした「まちづくり」が商業機能(モノの売り買い)と結びつかないのであれば、商店街というかたちはやがて消えていくだろう。
著者は歴史学者であるが、「商店街はいま必要なのか」というテーマに対して、「YESか?NOか?」という判断を下すために必要な知見がまだ十分で揃っていないという。
本のタイトルは、ギリギリまで「商店街はウォルマート化するのか」とか、当初の書き出しは「『日本型流通』の現近代史」だったということであったというが、本のタイトルと中身のアンバランス感は否めない。
「商店街はなぜ滅びるか」(光文社新書 2012年)の著者新雅史氏(1973年生)も同じく両親はコンビニオーナーで、生活体験の中で商店街を論じているのは共通。基本的には商店街は衰退・滅亡の過程にあるが、それでいいんですか!という姿勢にある。
まず、一人の人間は、「消費者」であり、「労働者」であり、「地域社会の一員」である。この中で「消費者の利益」だけが重視され、日本の流通近代化は達成したが、ブラックバイトに表わされるように流通業の労働の内容が悪化し、シャッター商店街に見られるように地域社会が崩壊する。
「消費者」という概念は、1960年~1970年代、「流通革命」の理念に共鳴するかたちで使われるようになった。一人の人間が「消費者の私」の意識を持つようになったのは1960年代以降、1962年米国ケネディ大統領が「消費者の権利」を提唱したことも日本に大きな影響を与えた。当時の日本の消費者運動は、台頭してきたスーパーで買い物することこそが「賢い消費者」であり、徹底した「安売り」を礼賛した。
「消費者」としての普遍的価値である、“安くて便利”は、日本型コンビニシステムを小売業の最大勢力に押し上げたが、コンビニシステムは問題も多い。
日本型流通の歴史に重要な地位を占めていた商店街は、問題もあるが、消費(の論理)と労働(の論理)と地域(の論理)が総じてバランスがとれていた。著者はこの時代を懐かしんでるかのようだ。
現在行われている商店街をベースとした「まちづくり」の困難性は、「消費の論理」と「地域の論理」が接点を持ちにくいところにある。商店街をベースとした「まちづくり」が商業機能(モノの売り買い)と結びつかないのであれば、商店街というかたちはやがて消えていくだろう。
著者は歴史学者であるが、「商店街はいま必要なのか」というテーマに対して、「YESか?NOか?」という判断を下すために必要な知見がまだ十分で揃っていないという。
本のタイトルは、ギリギリまで「商店街はウォルマート化するのか」とか、当初の書き出しは「『日本型流通』の現近代史」だったということであったというが、本のタイトルと中身のアンバランス感は否めない。
ベスト1000レビュアーVINEメンバー
似たようなタイトルの過去の類書が売れたのでしょう。この作品もタイトルとサブタイトルが倒立の状況にあります。中身は日本の流通の近現代史なのです。そしてその作業は丁寧に行われており、この種の通史を読んだことのない私のような読者には射程の長いバランスのとれた知識と見通しを与えてくれます。特に通信販売の章はこれまで知らなかった戦前における通信販売の歴史を知ることができました。特に面白いのはコンビニの部分で、この業態自体が大店法の規制の下で商店街の一部を侵食する形で初期に展開されたことが明らかにされます。
「商店街は必要なのか」というタイトルへの答えは直接には与えられていません。正直なところこのような設問の立て方自体を著者は疑問に思っているのが著者の立ち位置でしょうか。資本主義である日本では、経済的に必要とされるものは存在し続けますし、そうでないものは消えていきます。必要なのかどうかなどという規範的な議論は歴史学者である著者は封印しているような感さえあります。ましてや「どうすべきか」などと言う性急で現実的な技術論を著者に求めるのはお門違いです。むしろ著者の関心は消費者の大部分が商店街に経済的な必要を感じていないながら、商店街の存在自体を意識の上では必要としているという日本の消費者のその引き裂かれた認識の存在にあるようです。この歴史的に形成された意識の背後には日本の近代化の表と裏の側面を含む「特異な」構造があるわけで、この解明へのとっかかりがこの作品なのでしょう。
「商店街は必要なのか」というタイトルへの答えは直接には与えられていません。正直なところこのような設問の立て方自体を著者は疑問に思っているのが著者の立ち位置でしょうか。資本主義である日本では、経済的に必要とされるものは存在し続けますし、そうでないものは消えていきます。必要なのかどうかなどという規範的な議論は歴史学者である著者は封印しているような感さえあります。ましてや「どうすべきか」などと言う性急で現実的な技術論を著者に求めるのはお門違いです。むしろ著者の関心は消費者の大部分が商店街に経済的な必要を感じていないながら、商店街の存在自体を意識の上では必要としているという日本の消費者のその引き裂かれた認識の存在にあるようです。この歴史的に形成された意識の背後には日本の近代化の表と裏の側面を含む「特異な」構造があるわけで、この解明へのとっかかりがこの作品なのでしょう。
2017年9月11日に日本でレビュー済み
タイトルを見て買った人は騙された気持ちを抱くかもしれない。とうのも、この本は商店街を論じた本ではなく、日本の流通の歴史を述べたものであるからだ。出版社の営業戦略がミエミエで、ちょっと首をかしげざるを得ない。確かに、「流通業の歴史」本ではほとんど売れないだろうが。とはいえ、百貨店による通販の歴史などは面白く読めると共に勉強になった。ただ、近代史の部分はいいが、現代の商店街やコンビニに関する記述は今一つ客観性に欠けいまひとつであった。著者は歴史が専門のようだが、流通業の理解に関する基盤がやや不足しているようにも思えた。
2015年8月25日に日本でレビュー済み
巧みな構成である。
通信販売、百貨店、商店街、量販店など、これらの流通販売のスタイルを日本的なありように変化させ、またその展開を促進し支えていった要素の多くが、人々の「生活」を結ぶものとしての商店街に由来していることが、全体を通読するとじわじわとわかってくる。
言い方を変えれば、いまや衰退しつつあるように見える商店街の遺産によって、現在の小売業態の中核であるコンビニなどが日本においては成立し得ているという示唆が本書を通じてなされているのである。
『商店街はいま必要なのか』という書名に対しては、〈いまの日本的流通が成立するためには商店街が歴史的に必要であった〉という答えが本書の記述を通じて著者からなされていると言えるだろう。
自分は商店街を日常的にはさほど重用してないが生活圏に商店街はあって欲しい、という、一見勝手な言い分のように思われるいまの人々の声が本文でも言及されているが、こういった感覚が根強く存在する理由は著者の明らかにしたことを踏まえて考えればわかりやすい。
この本が明らかにした歴史的理解を踏まえて、日本人の生活を支える流通と小売の形をどうすべきなのか――商店街そのものを復興するのか、別の形をめざすのか、他にも様々な方向性が考えられるだろうが――、といったことをより開かれた形で著者はこの本を通じてさらにその先へ問いかけているのである。『商店街はなぜ滅びるのか』という問いよりも広く、開かれた射程を持っている。
通信販売、百貨店、商店街、量販店など、これらの流通販売のスタイルを日本的なありように変化させ、またその展開を促進し支えていった要素の多くが、人々の「生活」を結ぶものとしての商店街に由来していることが、全体を通読するとじわじわとわかってくる。
言い方を変えれば、いまや衰退しつつあるように見える商店街の遺産によって、現在の小売業態の中核であるコンビニなどが日本においては成立し得ているという示唆が本書を通じてなされているのである。
『商店街はいま必要なのか』という書名に対しては、〈いまの日本的流通が成立するためには商店街が歴史的に必要であった〉という答えが本書の記述を通じて著者からなされていると言えるだろう。
自分は商店街を日常的にはさほど重用してないが生活圏に商店街はあって欲しい、という、一見勝手な言い分のように思われるいまの人々の声が本文でも言及されているが、こういった感覚が根強く存在する理由は著者の明らかにしたことを踏まえて考えればわかりやすい。
この本が明らかにした歴史的理解を踏まえて、日本人の生活を支える流通と小売の形をどうすべきなのか――商店街そのものを復興するのか、別の形をめざすのか、他にも様々な方向性が考えられるだろうが――、といったことをより開かれた形で著者はこの本を通じてさらにその先へ問いかけているのである。『商店街はなぜ滅びるのか』という問いよりも広く、開かれた射程を持っている。
2015年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
製本されていないものが届きました。課題の為に購入し他にも関わらず、読める状態ではなかったので、読まずに書くことになりました。
ただ、製本されていない本を持っているなんて珍しい上に面白いので返品しませんでしたし、レポートも終わったので問題ないのですが、商品としての価値は0なので星は1にしました。
ただ、製本されていない本を持っているなんて珍しい上に面白いので返品しませんでしたし、レポートも終わったので問題ないのですが、商品としての価値は0なので星は1にしました。
製本されていないものが届きました。課題の為に購入し他にも関わらず、読める状態ではなかったので、読まずに書くことになりました。
ただ、製本されていない本を持っているなんて珍しい上に面白いので返品しませんでしたし、レポートも終わったので問題ないのですが、商品としての価値は0なので星は1にしました。
ただ、製本されていない本を持っているなんて珍しい上に面白いので返品しませんでしたし、レポートも終わったので問題ないのですが、商品としての価値は0なので星は1にしました。
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2015年9月1日に日本でレビュー済み
日本における小売業の発展の歴史をコンパクトにまとめた良書だと思います。
江戸時代の呉服屋が明治以降に百貨店に転換していくところから始まり、
百貨店、通信販売、商店街、スーパー、コンビニまで、時代を象徴する
小売業が展開されていく流れを興味深い資料や図表を用いながら説明しており、
この分野の入門書として適していると思います。
一点だけ残念だったのは、他の方も書いておられますが、
この本のタイトルである「商店街はいま必要なのか」は、この本の
根本のテーマとは思えないこと。
サブタイトルの「日本型流通の近現代史」がこの本の主要テーマで、
「現代における商店街の必要性を見直したいぞ」という問題意識の方が
この本を読むと肩すかしを食らった気分になると思います。
江戸時代の呉服屋が明治以降に百貨店に転換していくところから始まり、
百貨店、通信販売、商店街、スーパー、コンビニまで、時代を象徴する
小売業が展開されていく流れを興味深い資料や図表を用いながら説明しており、
この分野の入門書として適していると思います。
一点だけ残念だったのは、他の方も書いておられますが、
この本のタイトルである「商店街はいま必要なのか」は、この本の
根本のテーマとは思えないこと。
サブタイトルの「日本型流通の近現代史」がこの本の主要テーマで、
「現代における商店街の必要性を見直したいぞ」という問題意識の方が
この本を読むと肩すかしを食らった気分になると思います。







