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同和はこわい考―地対協を批判する (あうん双書) 単行本 – 1987/6/20
藤田 敬一
(著)
部落解放運動の存在根拠そのものを差別―被差別の関係総体のなかに問い直した本書は、「共同の営み」としての運動の創出を強く訴える。発刊以来増刷を重ね、今日、さらに多くの課題を提起する。
- 本の長さ135ページ
- 出版社阿吽社
- 発売日1987/6/20
- ISBN-104900590126
- ISBN-13978-4900590120
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登録情報
- 出版社 : 阿吽社; 初版 (1987/6/20)
- 発売日 : 1987/6/20
- 単行本 : 135ページ
- ISBN-10 : 4900590126
- ISBN-13 : 978-4900590120
- Amazon 売れ筋ランキング: - 587,670位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 56,539位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.2
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年7月10日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
同和問題を考えるうえで、当時その論争の中に一石を投じた画期的な一冊。「部落」「部落史」「部落民」とは何かをもう一度考えるきっかけを作ってくれたエポックメーキングな本だと確信します。さらには、ネット社会の現代において、個人のプライバシーが侵害されることが多い昨今、アイデンティティとは何かを私たちに教えてくれる貴重な一冊だと思います。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2003年6月3日に日本でレビュー済み
この本が出版されたのは15年以上も前のことになるが、その問題提起の意義は今もなお、まったく失われていない。
本書が生まれた切っ掛けは、1986年の地対協部会報告・意見具申で、政府の側が事態の変化をそれなりに反映した方針転換を示してきたのに対して、部落解放運動の側が、旧来の発想に固執したまま、反論をすることに終始していることについての、著者の危機感にあったといってよいだろう。
本書で著者は、部落解放運動に関わる二つの代表的なテーゼ「ある言動が差別に当るかどうかは、その痛みを知っている部落民にしかわからない」「日常部落に生起する、部落民にとって不利益となる現象は全て差別である」を批判し、「両側から超える」新たな部落解放運動のあり方を提唱する。本書に対し!て運動団体は、顕著な拒否反応を示したが、それだけ事の本質に迫った提起だったと言える。
著者は本書出版後、今日に至るまで「『同和はこわい考』通信」を発行し続け、発言を継続している。本書の個々の論点を現在でも全て著者が維持しているわけではないが、部落問題に関する公式的な物言いになにかしらしっくり来ないものを感じている人はぜひ一度、本書に目を通して頂きたい。小冊子ながらそれだけの価値のある本である。
本書が生まれた切っ掛けは、1986年の地対協部会報告・意見具申で、政府の側が事態の変化をそれなりに反映した方針転換を示してきたのに対して、部落解放運動の側が、旧来の発想に固執したまま、反論をすることに終始していることについての、著者の危機感にあったといってよいだろう。
本書で著者は、部落解放運動に関わる二つの代表的なテーゼ「ある言動が差別に当るかどうかは、その痛みを知っている部落民にしかわからない」「日常部落に生起する、部落民にとって不利益となる現象は全て差別である」を批判し、「両側から超える」新たな部落解放運動のあり方を提唱する。本書に対し!て運動団体は、顕著な拒否反応を示したが、それだけ事の本質に迫った提起だったと言える。
著者は本書出版後、今日に至るまで「『同和はこわい考』通信」を発行し続け、発言を継続している。本書の個々の論点を現在でも全て著者が維持しているわけではないが、部落問題に関する公式的な物言いになにかしらしっくり来ないものを感じている人はぜひ一度、本書に目を通して頂きたい。小冊子ながらそれだけの価値のある本である。
2012年7月5日に日本でレビュー済み
本書は、部落解放同盟の内部批判によって運動を強化したいという意図で書かれたようだ。
地対協「部会報告書」(たぶん1986年)が、解放同盟の「確認・糾弾」を批判したことに対して、<<「民間運動団体」つまり部落解放同盟の指弾、糾弾をすべて恣意的な判断にもとづくように描き、「独善的で閉鎖的な状況」をさも心配しているかのような「お爲ごかし」にはへどがでそうだ。>> (p72) とある。が、「恣意的」とは、客観的な基準がないことをいう。個々の事例の話ではない。自警団が怪しい者を片っ端から捕えて拷問したら「恣意的だ」と言われるだろう。「すべてが恣意的であるかのように言うのはおかしい」と言っても通用しない。非を指摘されて改めるのは当然で、「おためごかし」というのは感心しない。
「同和はこわい」と聞けば誰でも部落解放同盟の糾弾を思い浮かべるだろう。部落出身者がこわいという意味ではない。<<・・・聞き終わってから一人の老人が 先生、さきほどから"こういう所"とか"こういう所の人"とおっしゃってましたけど、いったいどういう所なんか教えてくれませんか。 とたずねた。とたんに先生、ふるえながら、顔面蒼白になって わたしが差別したというんですか とどなりだしたのである。・・・あたかも差別発言をしたようにいわれるのは、まことにもって心外だといいたげであった。このとき町会議員は最後まで自らの意識のひだに分けいろうとはしなかった。・・・」(pp45-47)>> 藤田氏は町会議員が糾弾を恐れて震えだしたとは思わなかったようで、もっぱらややこしい理屈をこねてその心理を分析している。観念的なインテリの愚論である。
地対協「部会報告書」(たぶん1986年)が、解放同盟の「確認・糾弾」を批判したことに対して、<<「民間運動団体」つまり部落解放同盟の指弾、糾弾をすべて恣意的な判断にもとづくように描き、「独善的で閉鎖的な状況」をさも心配しているかのような「お爲ごかし」にはへどがでそうだ。>> (p72) とある。が、「恣意的」とは、客観的な基準がないことをいう。個々の事例の話ではない。自警団が怪しい者を片っ端から捕えて拷問したら「恣意的だ」と言われるだろう。「すべてが恣意的であるかのように言うのはおかしい」と言っても通用しない。非を指摘されて改めるのは当然で、「おためごかし」というのは感心しない。
「同和はこわい」と聞けば誰でも部落解放同盟の糾弾を思い浮かべるだろう。部落出身者がこわいという意味ではない。<<・・・聞き終わってから一人の老人が 先生、さきほどから"こういう所"とか"こういう所の人"とおっしゃってましたけど、いったいどういう所なんか教えてくれませんか。 とたずねた。とたんに先生、ふるえながら、顔面蒼白になって わたしが差別したというんですか とどなりだしたのである。・・・あたかも差別発言をしたようにいわれるのは、まことにもって心外だといいたげであった。このとき町会議員は最後まで自らの意識のひだに分けいろうとはしなかった。・・・」(pp45-47)>> 藤田氏は町会議員が糾弾を恐れて震えだしたとは思わなかったようで、もっぱらややこしい理屈をこねてその心理を分析している。観念的なインテリの愚論である。
