これまでの台湾に対するイメージが大きく変わった書籍です。
一人でも多くの日本人(特に戦後生まれの世代)が読むべき書籍の一つです
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台湾人と日本精神 (小学館文庫 R さ- 16-1) 文庫 – 2001/8/3
蔡 焜燦
(著)
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『台湾論』騒動渦中に発行停止となった問題の書よみがえる!
近年、台湾では国民党主導による反日教育が改められ、日本統治時代を正しく評価する歴史教育がスタートした。ところが、日本では自虐史観という“虚構”が、日本人から「自信」と「誇り」を奪ってしまった。本書では、「台湾には日本が今こそ学ぶべき“正しい日本史”がある」とする筆者が、「日本人よ、自信と誇りを取り戻せ」と訴える。昨年7月に日本で単行本化されたものの、小林よしのり著『台湾論』を巡る一連の騒動の中で、販売中止に追い込まれた「問題の書」を緊急文庫化!
近年、台湾では国民党主導による反日教育が改められ、日本統治時代を正しく評価する歴史教育がスタートした。ところが、日本では自虐史観という“虚構”が、日本人から「自信」と「誇り」を奪ってしまった。本書では、「台湾には日本が今こそ学ぶべき“正しい日本史”がある」とする筆者が、「日本人よ、自信と誇りを取り戻せ」と訴える。昨年7月に日本で単行本化されたものの、小林よしのり著『台湾論』を巡る一連の騒動の中で、販売中止に追い込まれた「問題の書」を緊急文庫化!
- 本の長さ299ページ
- 言語日本語
- 出版社小学館
- 発売日2001/8/3
- 寸法10.5 x 2.9 x 14.8 cm
- ISBN-104094024166
- ISBN-13978-4094024166
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商品の説明
出版社からのコメント
『台湾論』騒動渦中に発行停止となった問題の書よみがえる!
登録情報
- 出版社 : 小学館 (2001/8/3)
- 発売日 : 2001/8/3
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 299ページ
- ISBN-10 : 4094024166
- ISBN-13 : 978-4094024166
- 寸法 : 10.5 x 2.9 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 135,091位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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2024年2月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
蔡焜燦さんの熱い想いがこもった渾身の書。
日本統治下の台湾に日本人として生まれ、1945年からは中華民国人として生きねばならなかった筆者。
台湾人としてのアイデンティティを意識していくまでの過程が描かれている。
戦後教育の中で台湾統治のことは学校教育では教えない。
なので多くの日本人が台湾統治について知らない。
一読すべき書。
日本統治下の台湾に日本人として生まれ、1945年からは中華民国人として生きねばならなかった筆者。
台湾人としてのアイデンティティを意識していくまでの過程が描かれている。
戦後教育の中で台湾統治のことは学校教育では教えない。
なので多くの日本人が台湾統治について知らない。
一読すべき書。
2023年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いつも良品を指定日に届けていただきありがとうございます。古書店を大事に思うものとして嬉しい限りです。
2024年8月27日に日本でレビュー済み
著者は1927年台湾生まれの台湾人。日本統治時代を経験し、日本から中華民国へと祖国が変わった稀有な体験を持つ人物。果たして、何を語るのか。金美齢氏が冒頭の紹介文で「愛日家」と評価する。戦後民主主義の時代で育った戦後日本人は、「愛日」という表現だけでアレルギー反応を示すかもしれない。
私も、過度な日本人受けの著書は読む気がない。だが、台湾に対して、かつて「日本が統治をしたんだろう」程度の知識しかなかったので読んでみた。
第1章の司馬遼太郎へのラブレターは評価ゼロ。中身がない。司馬が週刊朝日に『台湾紀行』を連載したらしい。台湾訪問した司馬の案内係をしたことが思い出と語る。ただ唯一「戦後、台湾は中華民国に接収され、祖国復帰に名を借りた中国人による支配がはじまった。蒋介石政権は、日本統治時代に教育を受けた台湾のエリート層を片っ端から抹殺し、無辜の人々が、裁判はおろかその罪状さえないまま凄惨なリンチや処刑によって消された。3万から5万人とも」(30頁)という記述のみ気になった。ほんとにそんなことをしたのか。なぜ蒋介石はそんなことをしたのか。ここが知りたい。日本統治以前から台湾に暮らす本省人(ほんしょうじん、台湾人)、蒋介石とともに台湾にやってきた外省人(がいしょうじん、中国人)との人種問題(31頁)があるとも。なんだ、それは??
下関条約で台湾を割譲された日本は、台湾総督府を設置し、海軍大将樺山資紀が初代台湾総督府に。が、近衛師団とともに台湾にやってきてから前途多難。清の台湾行政長官(台湾巡撫という役職)が、勝手に台湾民主国の独立を宣言した。一部の清国兵は本国からの帰還命令に従うも、ある陸軍部隊と現地義勇兵は日本と戦闘になる。が、すぐに敗走し、台湾民主国の高官らは支那大陸へさっさと引き上げ、残された兵士らは、略奪、殺人などあらん限りの悪事をはたらき、ついには台湾人商人が日本軍のところに来て、「台北への早期入城を求め、治安を回復してくれ」と泣きつく。南京攻略戦と同じ図式だ。その後、台北入城し、清国兵を相当し、降伏した兵士らを大陸へ送還し、ようやっと1895年6月17日から日本の台湾統治が始まる(52頁)。
ここで面白いのが、台湾が「植民地」になったのは戦後のことだと著者が述べているところ。植民地ではなく、「内地延長主義」として台湾を統治したのだという。一方で、日本は台湾を軍艦の補給基地として必要としたとも。2年間は住民に「国籍選択猶予期間」を与え、清を選び、大陸に戻っても良いとしたことを良心的と評価する(54頁)。
が、それでも土匪(抗日ゲリラ)や蕃地(原住民を蕃人、原住民の村を蕃社という)対策に明け暮れた日本。第4代総督の児玉源太郎、後藤新平コンビもひたすら懐柔政策。理蕃政策、原住民を懐柔策を含むあらゆる方法で帰順させ、蕃地の統治を図るという一大事業が必要だった。第13代総督の時代には、児童を含む日本人130名が蜂起した原住民に惨殺され、討伐のために300名の原住民が戦死する霧社事件が1930年に(56頁)。通州事件が想起される。そんな台湾に、なぜか日本は鉄筋コンクリート製の下水道設備を東京よりも早く整備し、マラリアなどの劣悪な伝染病を一掃。貧しい家庭には金を与えてまで就学を奨励したらしい(56頁)。日本人のお人好しもここまで来ると度が過ぎている。
一方で、著者は「多少なりとも差別はあった」(57頁)とも語る。台湾人よりも内地人の方が給料が高かったらしい。「外地手当」として6割増の賃金。外地手当は転勤で日本にやってきた内地人のみならず、台湾生まれの内地人にも支払われた。しかし、差別政策以上の近代化政策をしてくれたから「まあ大目に見てやる」とのこと。
台湾は化外の地、清国統治時代からも見放されていた、世界有数の伝染病根源地という悪地だ。台湾近代化の父と称される後藤新平が台湾総督府民生長官になると、まず大規模な土地・人口調査、道路・水路などのインフラ整備、台湾の衛生環境と医療の大改善などを次々と。アヘンという悪習も、中毒・常習者に限って販売を認め、徐々に減らしていったらしい。なんとも根気強いことか。1898年には日本の国家予算が約2億2千万のところ、台湾総督府は台湾開拓・整備予算として6千万を要求。結局、99年に4千万の予算を獲得する。この資金をもとに、南北縦貫鉄道の建設、新渡戸稲造が総督府技師としてサトウキビの品種改良、製糖業を興す。戦後も60年代まで台湾経済を支え続けた。こういった日本人の功績を挙げて、「植民地をプランテーション、鉱物採掘のために現地人を奴隷化し、富を搾取した欧米と違い、日本は逆に資金をつぎ込み医療や学校、道路を作り、本国と同等水準まで引き上げようとした」と評価する(60頁)。
戦後反日日本人は切歯扼腕し、「日本はそれでも悪いことをしたんだ!」と顔を真っ赤にするかもしれない。が、私は別の意味で憤る。なぜここまで台湾ごとき化外の地に資金をつぎ込んだのか。お人好しどころではない。日本のために資金を使うべきだった。こんなことをしていたから、日本の軍事力の近代化が遅れたのだと思う。必要な港湾だけ獲得し、整備し、後は放っておけばよかったのではないか。
お人好し日本人は他にも愚かなことをしている。今では台湾最大の穀倉地帯である台湾南部の嘉南平野一体も、日本統治前は一面不毛の台地だった。日本人技師、八田與一が大規模な灌漑施設を作るべく、烏山頭ダムをつくり始めたのだ。当時東洋一。八田は家族まで呼び寄せて、1920年から始め、1930年には完成。嘉南大圳とも。地元の人たちは大感謝し、八田の銅像を作った。戦争末期、不足する金属の供出を求められ、八田の銅像も。しかし、突如として銅像が消えてなくなる。その後、日本時代の銅像や痕跡をことごとく抹殺する蒋介石の国民党政府がやってきて、蒋経国の時代にようやく一息つく。その1981年に八田の銅像が突如現れた。地元に人々が隠していたらしい(67頁)。外国人にここまで感謝される八田と言う男の人物像が気になった。
児玉・後藤コンビの後に第7代台湾総督となったのが陸軍大将・明石元次郎。水力発電事業など手掛けたほかに、司法制度改革や教育改革にも。1919年の台湾教育令により、多くの学校が開校。第8代の田健二郎総督時代に「新教育令」となり、台湾人と日本人が机を並べることに(70頁)。45年時点で50年間日本領であった台湾の就学率は92%、一方で400年間オランダの植民地であったインドネシアのそれは3%。欧米列強諸国の植民地経営は、愚民化政策の下に一方的な搾取をし、現地民の民度向上や教育など考えなかった。ちがって、日本の台湾統治は「同化政策」の下に内地と同等の教育系統、インフラを整備した。そのように評価する(70頁)。著者は日本が台湾を「植民地」としたとは絶対に言わない。明石は1918年に総督府に就任し、1919年には死んでいる。が、赴任に際し「台湾に暮らす日本人よりも台湾島民を第一義にして統治を行わなければ、平等政策は行われない」と語っていたらしく、台湾人には人気らしい。とはいっても、たった1年の統治で、なぜここまで評価されるのか。人柄かな?
著者は日本統治時代の業績でもっとも評価したいのは教育と語る(80頁)。熱心な日本人教師が多く、戦後も台湾人が日本人教師の下を訪れて喜寿や白寿のお祝いをする。そんなことは一般的だとか。道徳教育、勤勉、遵法精神、時間厳守を「日本精神」=リップンチェンシンと呼び、今でも「勤勉で正直で約束を守る」という誉め言葉らしい(86頁)。本書の書名もここから来ている。そしてまた日本統治時代の教育こそ欧米植民地との違いだ(89頁)と強調する。著者は、戦前日本人の偉大さに関しては随所にほめたたえる。また一方で、戦後日本人の自虐史観を嘆かわしく思い、その惰弱した姿が心から許せないようだ。
著者は台湾人のアイデンティティも捨てきれなかったと正直に語る。日本の一視同仁という美辞麗句はお飾りであり、一旗組(新天地で事業を起こしてやろうと内地からやってきた日本人)は威張り散らして台湾人をチャンコロと馬鹿にしたいたらしい。チャンコロは支那人の蔑称。心無い一握りの内地人の言葉が、台湾人のアイデンティティを認識させた(98頁)と素直に語る。
その後、米国との戦争に突入する。台湾は日本の南方作戦にとって、戦略上の要衝。中継基地としても、航空基地としても。戦線拡大とともに42年には陸軍特別志願兵制度。ようやく台湾人にも軍人の門戸が開かれる(107頁)。著者も43年に少年兵募集に志願した。チャンコロと馬鹿にする内地人は嫌いだが、日本も天皇陛下も好きだから、立派に戦ってくる。著者は昭和20年に岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊へ入学。学校には朝鮮人、台湾人、日本人の生徒が混在していたらしい。
終戦をこの学校で迎えた著者。ここから台湾へ戻るまでの記述が実に興味深い。台湾出身生徒は悔しがる一方で、朝鮮出身の生徒らは「日本人を殴って『戦勝国になったんだ』と威張り散らす。あるいは、『独立だ』と気勢を上げる輩もいた」とのこと(131頁)。食糧倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、やりたい放題。台湾出身生徒らは複雑な心境でただそれを眺めていた。列車の中でも戦勝国となった朝鮮の連中が威張り散らす(135頁)とある。日本人をいびり続ける朝鮮人の暴虐非動さがこれでもかと強調される。
著者は戦勝国民となったわけだが、日本人、台湾人、あるいは中国人なのか。自分のアイデンティティが揺らぎ続ける。佐世保キャンプで臨時編成の「中華民国台湾青年隊」が組織され、小隊長からその腕章を渡される。途端に、朝鮮人らがおべっかを使いすり寄ってきたらしい(138頁)。著者は正直に彼ら朝鮮人を侮蔑する。が、台湾人のなかにも朝鮮人同様、終戦を契機に感心できない振る舞いをするものがいたことも悲しいことに事実であるとも。台湾へ日本海軍の新鋭駆逐艦で帰還する際に、台湾人復員兵の腕時計を米兵が奪い取る。俺たちは本当に戦勝国民なのだろうか。それでも、ようやく台湾に帰れるのだ。祖国に戻り、この日本の新駆逐艦は中華民国にそのまま接収され、TAIPEI号に改められる。が、そこにボロボロの制服の中華民国軍人の姿が。この頃には「我が祖国、中華民国」という認識を持ち、もう気持ちを切り替えてやっていくしかないと考えていた。夢や希望を中華民国に託していたのに。心の中で音をたてて崩れ落ちたと表現する(149頁)。
一緒に台湾に帰還した戦友の二人は、こんな連中と一緒になるのは嫌だと、引き上げる日本兵に紛れて台湾を去っていった。当時はIDカードもなく、日本軍の制服のまま日本語を話していれば、日本へ帰還できたらしいのだ。45年8月15日に台湾は中華民国に接収され、台湾民衆は”祖国復帰”という宣伝文句を前向きに受け止めた。とりわけ日本統治に恨みはなかったが、台湾光復のスローガンに酔い、戦勝国民となった自分たちは日本統治時代よりももっと幸福に暮らせるんだと(150頁)。が、中華民国の国民党軍は、日本統治時代には考えられなかった悪行を始める。賄賂の横行である。警察権力を握り、何の罪もない台湾人を微罪で捕らえ、あるいは罪をでっちあげて拘束し、保釈金稼ぎを競い合う。日本語は禁止され、北京語の強要。日本語を通じて多くの近代文明を吸収した台湾人知識人、技術者らは最新の知識や技術の習得が断念された。北京語の強要は台湾を前近代化社会へと逆戻り(156頁)とまで表現する。つまり、当時の日本語は、現代の英語みたいなものだったのだろう。台湾人は日本語が公用語であり、北京語に不慣れだったことの影響もある。とはいっても、前近代化社会は言い過ぎだと思うが。
戦後台湾の教育現場は、収賄や不正の世界に。生徒からのピンハネも当たり前。著者自身も不正に手を染める。これが中国式作法、生き残るためには割り切る以外にない(158頁)。外省人の本省人への差別、汚職や不正。「こんなはずではなかったのに」と日本統治時代を懐かしむ台湾人もちらほら。日本が育てた産業はすべて外省人のもとに。著者は台湾は中華民国の”植民地”となったと語る。おかしな表現だ。日本統治時代はあれほどまでに植民地と表現しなかったのに。中華民国は台湾を支配し、搾取するから植民地扱いをされたと憤る。多くの本省人は生きる糧をことごとく外省人に奪われ、路頭に迷った(169頁)らしい。そして1947年に、2.28事件が起きる。
生活のために露点でたばこを売っていた老婆を、外省人官憲がたばこも売上金も没収した。売上金だけでもと懇願した老婆の頭部を叩きつけた。日頃、外省人の差別や横暴に腹を立てていた民衆が集まり始め、ついには官憲がピストルで民衆の一人を殺す。翌日には多くの民衆が抗議活動を展開し、長官公署と呼ばれていた旧総督府前の広場でシュプレヒコール。憲兵隊は機銃掃射をし、十数名の死傷者が出る。群衆の怒りは頂点に達し、商店休業、学生の授業ボイコット、放送局を占拠し日本語で「元○○飛行隊の者は○○に結集せよ!」とラジオ放送。著者はこの非常事態にもかかわらず、のんびりと3月2日の時点で仲間とテニスに興じていたらしい。うーん。結構よい生活をしているではないか?が、北部の台北の暴動をニュースで知り、帰宅途中、外省人の警察局長宅に群衆が強奪する現場を目撃。筆者の住む町でも、外省人と結託し悪事を働いていた台湾人らも制裁を受けたとある(173頁)。ぼかして記載してあるが、この制裁とはなんぞや?日本語が話せない連中は外省人とみなし、「次々と打ちのめされていった」とも。
事件5日目の3月4日には、全省2.28事件処理委員会が設けられ、本省人と台湾省行政長官・陳儀と話し合い。台湾人の要職への登用や台湾の自治、腐敗官僚排除、人権尊重など。陳儀は全て承認。が、陳儀のそれは時間稼ぎのジェスチャーだったのである。台湾警備総司令部の戦力では台湾民衆を抑えられない。大陸で国共内戦を戦う蒋介石に民衆の反乱の報告と援軍要請の電文をひそかに送る。しかも、陳儀は共産党の反乱と事実を歪曲して伝える。蒋介石は、一人の共産党の反乱分子を始末するなら、100人の無辜の者を誤って殺しても構わないと命じた。2個師団が3月8~9日に送られ、台湾人への報復開始。機関銃を街で乱射し、片っ端から台湾人を射殺。無差別殺戮の始まりである。民家に押し入って、略奪、暴行、強姦と悪事の限りを尽くす中国軍兵士。台湾人の検挙・処刑を意味する「白色テロ」という大殺戮の幕開け(共産党を赤、国民党を白にたとえている)。白色テロの犠牲者は3~5万人とも。実態は解明されていないらしい。医師、学者、教師など知識層が無実のまま次々と逮捕され、裁判もなく虫けらのごとく処刑されていった(178頁)。
※こういった所行は中国共産党の専売特許化と思えば、台湾の国民党もやっていたのか。3~5万人の数字の出所を知りたいが、著者は語らず。先の機関銃での台湾民衆の無差別殺戮の死傷者数も気になるところだが、その点も著者は一切記述しない。資料もなく、実態が分からないということか。
上着やズボンは貴重品のため、国民党兵士によって強奪され、遺体は下着姿で放置。当時の中国人の処刑方法は異常なほど残酷であり、局部をつぶし、ガソリンをかけられてから焼き殺す。キリでてのひらとふくらはぎに穴をあけられ、ストロー大の針金を通し、横一列につながれた人々が銃で次々と打たれて海に捨てられる(181頁)。著者の弟・当時高校生も、北京出身の教師の言われるがままに、国民党の悪口を書いたメモ1枚で10年の懲役刑。台湾人が3人以上集まれば逮捕理由。図書館でよく本を借りて読んでいた高校生が知識層=危険人物扱いされ、投獄。25年もの牢獄生活を送る。「台湾全土がまさに監獄のような時代が、つい最近まで40年間も続いたのである」(183頁)。
49年12月7日に蒋介石の中華民国政府が中国共産党に敗れ、台湾に移転。台北を臨時首都とした。その後の台湾を恒久的に暗黒社会にしたのが、国共内戦の延長線上に施行された「戒厳令」と「動員戡乱時期臨時条款」(1948~1991)。中華民国憲法に優先し、総統に最大限の権限を付与した時限立法。立法議員(国会議員)も非改選。約40年間、万年議員となった。労賊とも(189頁)。一応、中華民国の認識では、支那大陸全てを統治する正統統治者であり、台湾はあくまでも台湾省らしい。金門・馬祖島は福建省の直轄。もちろん中華人民共和国も、同じことを主張している。
191頁で、筆者は日本人の愚かさを指摘する。蒋介石が戦後の賠償金を放棄したことを感謝する日本人がいることに呆れ果てる。蒋介石は台湾で強烈な反日教育を進め、日本を「東洋鬼」「小日本」と教え、日本統治時代の痕跡を抹消すべく記念碑や日本人の銅像をことごとく破壊した。一方で、台湾に残された”日産”または”敵産”と称された日本国の資産および日本人の私有財産の合計100億円(当時のレート)が全て国民党に接収されている。実質的には、日本はべらぼうな”賠償金”を支払っている。また日本の事業、産業もそのまま引き継ぎ、利益をあげ続けた。すなわち、日本は中華民国と言う国家を支えるうえでたいへん重要な財政基盤を提供したのだと。蒋介石は大戦中も不正蓄財に努め、台湾の至る所に「行宮(あんぐう)」という豪華な別荘。蒋介石夫妻の宿泊のたびに風呂場の浴槽、便器までも取り替えさせるというぜいたくぶり。妻の宋美齢の「私が”中華民国”だ」発言はあまりにも有名だと。そんな蒋介石にお礼を述べる日本人はどこまで世間知らずなのか。そう主張したいらしい。
台湾はその後、85年にレーガンより民主化促進の外圧を受け、もはや抗しきれないと判断した蒋介石の息子・蒋経国が同年に「蒋家の者が権力を継承することがない」と公言し、その2年後には「ここがやがてあなた達のものになる」と語り、87年7月に戒厳令を解除。「私も台湾人だ」とも(199頁)。散々搾取していたのに都合がいいことこの上ない。日本でも有名な李登輝氏が、88年1月13日の蒋経国の死去に伴い、台湾人として初めて台湾の政治の頂点に立つ。著者は、「台湾が”中国”という虚構を脱ぎ捨て、民族自決の道を歩み始める出発点となった」(200頁)という。
まったく台湾を知らなかった私には、非常に勉強になった。本書は台湾入門には最適である。著者は台湾統治時代の日本人の功績を評価する一方で、チャンコロと馬鹿にする嫌な日本人もいたと正直に語る。また、台湾が中国のものとなれば、台湾海峡含め、台湾周辺を日本へ石油など資源を運ぶ艦船・タンカーは通れなくなるぞ。中国におもねる戦後日本政治家を𠮟りつけ、現代日本人の精神的荒廃を嘆き、日本の国際社会のおどおどとした姿勢にいら立って仕方ないらしい。「かつての日本人は立派だった」(260頁)と嘆く。「愛日家」らしいが、著者が愛しているのは戦前の日本なのだ。決して、戦後日本ではないことを自覚したほうがよさそうだ。
※日本の敗戦時に18歳であった元日本人の台湾実業家の書いた著書。もちろん、本書のみで日本の台湾統治すべての功罪が確認できるわけではない。だが、著者の体験談もあって、生々しい敗戦時の状況、戦後台湾で起こった台湾人の悲劇がよく伝わってくる。褒められているのはあくまでも戦前の日本人だけ。叱られる一方である戦後日本人である私には少し堪えるところはあるが、日本の台湾統治から現代の台湾まで、網羅的に勉強できるのは確かだ。☆5つとしたい。
私も、過度な日本人受けの著書は読む気がない。だが、台湾に対して、かつて「日本が統治をしたんだろう」程度の知識しかなかったので読んでみた。
第1章の司馬遼太郎へのラブレターは評価ゼロ。中身がない。司馬が週刊朝日に『台湾紀行』を連載したらしい。台湾訪問した司馬の案内係をしたことが思い出と語る。ただ唯一「戦後、台湾は中華民国に接収され、祖国復帰に名を借りた中国人による支配がはじまった。蒋介石政権は、日本統治時代に教育を受けた台湾のエリート層を片っ端から抹殺し、無辜の人々が、裁判はおろかその罪状さえないまま凄惨なリンチや処刑によって消された。3万から5万人とも」(30頁)という記述のみ気になった。ほんとにそんなことをしたのか。なぜ蒋介石はそんなことをしたのか。ここが知りたい。日本統治以前から台湾に暮らす本省人(ほんしょうじん、台湾人)、蒋介石とともに台湾にやってきた外省人(がいしょうじん、中国人)との人種問題(31頁)があるとも。なんだ、それは??
下関条約で台湾を割譲された日本は、台湾総督府を設置し、海軍大将樺山資紀が初代台湾総督府に。が、近衛師団とともに台湾にやってきてから前途多難。清の台湾行政長官(台湾巡撫という役職)が、勝手に台湾民主国の独立を宣言した。一部の清国兵は本国からの帰還命令に従うも、ある陸軍部隊と現地義勇兵は日本と戦闘になる。が、すぐに敗走し、台湾民主国の高官らは支那大陸へさっさと引き上げ、残された兵士らは、略奪、殺人などあらん限りの悪事をはたらき、ついには台湾人商人が日本軍のところに来て、「台北への早期入城を求め、治安を回復してくれ」と泣きつく。南京攻略戦と同じ図式だ。その後、台北入城し、清国兵を相当し、降伏した兵士らを大陸へ送還し、ようやっと1895年6月17日から日本の台湾統治が始まる(52頁)。
ここで面白いのが、台湾が「植民地」になったのは戦後のことだと著者が述べているところ。植民地ではなく、「内地延長主義」として台湾を統治したのだという。一方で、日本は台湾を軍艦の補給基地として必要としたとも。2年間は住民に「国籍選択猶予期間」を与え、清を選び、大陸に戻っても良いとしたことを良心的と評価する(54頁)。
が、それでも土匪(抗日ゲリラ)や蕃地(原住民を蕃人、原住民の村を蕃社という)対策に明け暮れた日本。第4代総督の児玉源太郎、後藤新平コンビもひたすら懐柔政策。理蕃政策、原住民を懐柔策を含むあらゆる方法で帰順させ、蕃地の統治を図るという一大事業が必要だった。第13代総督の時代には、児童を含む日本人130名が蜂起した原住民に惨殺され、討伐のために300名の原住民が戦死する霧社事件が1930年に(56頁)。通州事件が想起される。そんな台湾に、なぜか日本は鉄筋コンクリート製の下水道設備を東京よりも早く整備し、マラリアなどの劣悪な伝染病を一掃。貧しい家庭には金を与えてまで就学を奨励したらしい(56頁)。日本人のお人好しもここまで来ると度が過ぎている。
一方で、著者は「多少なりとも差別はあった」(57頁)とも語る。台湾人よりも内地人の方が給料が高かったらしい。「外地手当」として6割増の賃金。外地手当は転勤で日本にやってきた内地人のみならず、台湾生まれの内地人にも支払われた。しかし、差別政策以上の近代化政策をしてくれたから「まあ大目に見てやる」とのこと。
台湾は化外の地、清国統治時代からも見放されていた、世界有数の伝染病根源地という悪地だ。台湾近代化の父と称される後藤新平が台湾総督府民生長官になると、まず大規模な土地・人口調査、道路・水路などのインフラ整備、台湾の衛生環境と医療の大改善などを次々と。アヘンという悪習も、中毒・常習者に限って販売を認め、徐々に減らしていったらしい。なんとも根気強いことか。1898年には日本の国家予算が約2億2千万のところ、台湾総督府は台湾開拓・整備予算として6千万を要求。結局、99年に4千万の予算を獲得する。この資金をもとに、南北縦貫鉄道の建設、新渡戸稲造が総督府技師としてサトウキビの品種改良、製糖業を興す。戦後も60年代まで台湾経済を支え続けた。こういった日本人の功績を挙げて、「植民地をプランテーション、鉱物採掘のために現地人を奴隷化し、富を搾取した欧米と違い、日本は逆に資金をつぎ込み医療や学校、道路を作り、本国と同等水準まで引き上げようとした」と評価する(60頁)。
戦後反日日本人は切歯扼腕し、「日本はそれでも悪いことをしたんだ!」と顔を真っ赤にするかもしれない。が、私は別の意味で憤る。なぜここまで台湾ごとき化外の地に資金をつぎ込んだのか。お人好しどころではない。日本のために資金を使うべきだった。こんなことをしていたから、日本の軍事力の近代化が遅れたのだと思う。必要な港湾だけ獲得し、整備し、後は放っておけばよかったのではないか。
お人好し日本人は他にも愚かなことをしている。今では台湾最大の穀倉地帯である台湾南部の嘉南平野一体も、日本統治前は一面不毛の台地だった。日本人技師、八田與一が大規模な灌漑施設を作るべく、烏山頭ダムをつくり始めたのだ。当時東洋一。八田は家族まで呼び寄せて、1920年から始め、1930年には完成。嘉南大圳とも。地元の人たちは大感謝し、八田の銅像を作った。戦争末期、不足する金属の供出を求められ、八田の銅像も。しかし、突如として銅像が消えてなくなる。その後、日本時代の銅像や痕跡をことごとく抹殺する蒋介石の国民党政府がやってきて、蒋経国の時代にようやく一息つく。その1981年に八田の銅像が突如現れた。地元に人々が隠していたらしい(67頁)。外国人にここまで感謝される八田と言う男の人物像が気になった。
児玉・後藤コンビの後に第7代台湾総督となったのが陸軍大将・明石元次郎。水力発電事業など手掛けたほかに、司法制度改革や教育改革にも。1919年の台湾教育令により、多くの学校が開校。第8代の田健二郎総督時代に「新教育令」となり、台湾人と日本人が机を並べることに(70頁)。45年時点で50年間日本領であった台湾の就学率は92%、一方で400年間オランダの植民地であったインドネシアのそれは3%。欧米列強諸国の植民地経営は、愚民化政策の下に一方的な搾取をし、現地民の民度向上や教育など考えなかった。ちがって、日本の台湾統治は「同化政策」の下に内地と同等の教育系統、インフラを整備した。そのように評価する(70頁)。著者は日本が台湾を「植民地」としたとは絶対に言わない。明石は1918年に総督府に就任し、1919年には死んでいる。が、赴任に際し「台湾に暮らす日本人よりも台湾島民を第一義にして統治を行わなければ、平等政策は行われない」と語っていたらしく、台湾人には人気らしい。とはいっても、たった1年の統治で、なぜここまで評価されるのか。人柄かな?
著者は日本統治時代の業績でもっとも評価したいのは教育と語る(80頁)。熱心な日本人教師が多く、戦後も台湾人が日本人教師の下を訪れて喜寿や白寿のお祝いをする。そんなことは一般的だとか。道徳教育、勤勉、遵法精神、時間厳守を「日本精神」=リップンチェンシンと呼び、今でも「勤勉で正直で約束を守る」という誉め言葉らしい(86頁)。本書の書名もここから来ている。そしてまた日本統治時代の教育こそ欧米植民地との違いだ(89頁)と強調する。著者は、戦前日本人の偉大さに関しては随所にほめたたえる。また一方で、戦後日本人の自虐史観を嘆かわしく思い、その惰弱した姿が心から許せないようだ。
著者は台湾人のアイデンティティも捨てきれなかったと正直に語る。日本の一視同仁という美辞麗句はお飾りであり、一旗組(新天地で事業を起こしてやろうと内地からやってきた日本人)は威張り散らして台湾人をチャンコロと馬鹿にしたいたらしい。チャンコロは支那人の蔑称。心無い一握りの内地人の言葉が、台湾人のアイデンティティを認識させた(98頁)と素直に語る。
その後、米国との戦争に突入する。台湾は日本の南方作戦にとって、戦略上の要衝。中継基地としても、航空基地としても。戦線拡大とともに42年には陸軍特別志願兵制度。ようやく台湾人にも軍人の門戸が開かれる(107頁)。著者も43年に少年兵募集に志願した。チャンコロと馬鹿にする内地人は嫌いだが、日本も天皇陛下も好きだから、立派に戦ってくる。著者は昭和20年に岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊へ入学。学校には朝鮮人、台湾人、日本人の生徒が混在していたらしい。
終戦をこの学校で迎えた著者。ここから台湾へ戻るまでの記述が実に興味深い。台湾出身生徒は悔しがる一方で、朝鮮出身の生徒らは「日本人を殴って『戦勝国になったんだ』と威張り散らす。あるいは、『独立だ』と気勢を上げる輩もいた」とのこと(131頁)。食糧倉庫、被服倉庫を集団で強奪するなど、やりたい放題。台湾出身生徒らは複雑な心境でただそれを眺めていた。列車の中でも戦勝国となった朝鮮の連中が威張り散らす(135頁)とある。日本人をいびり続ける朝鮮人の暴虐非動さがこれでもかと強調される。
著者は戦勝国民となったわけだが、日本人、台湾人、あるいは中国人なのか。自分のアイデンティティが揺らぎ続ける。佐世保キャンプで臨時編成の「中華民国台湾青年隊」が組織され、小隊長からその腕章を渡される。途端に、朝鮮人らがおべっかを使いすり寄ってきたらしい(138頁)。著者は正直に彼ら朝鮮人を侮蔑する。が、台湾人のなかにも朝鮮人同様、終戦を契機に感心できない振る舞いをするものがいたことも悲しいことに事実であるとも。台湾へ日本海軍の新鋭駆逐艦で帰還する際に、台湾人復員兵の腕時計を米兵が奪い取る。俺たちは本当に戦勝国民なのだろうか。それでも、ようやく台湾に帰れるのだ。祖国に戻り、この日本の新駆逐艦は中華民国にそのまま接収され、TAIPEI号に改められる。が、そこにボロボロの制服の中華民国軍人の姿が。この頃には「我が祖国、中華民国」という認識を持ち、もう気持ちを切り替えてやっていくしかないと考えていた。夢や希望を中華民国に託していたのに。心の中で音をたてて崩れ落ちたと表現する(149頁)。
一緒に台湾に帰還した戦友の二人は、こんな連中と一緒になるのは嫌だと、引き上げる日本兵に紛れて台湾を去っていった。当時はIDカードもなく、日本軍の制服のまま日本語を話していれば、日本へ帰還できたらしいのだ。45年8月15日に台湾は中華民国に接収され、台湾民衆は”祖国復帰”という宣伝文句を前向きに受け止めた。とりわけ日本統治に恨みはなかったが、台湾光復のスローガンに酔い、戦勝国民となった自分たちは日本統治時代よりももっと幸福に暮らせるんだと(150頁)。が、中華民国の国民党軍は、日本統治時代には考えられなかった悪行を始める。賄賂の横行である。警察権力を握り、何の罪もない台湾人を微罪で捕らえ、あるいは罪をでっちあげて拘束し、保釈金稼ぎを競い合う。日本語は禁止され、北京語の強要。日本語を通じて多くの近代文明を吸収した台湾人知識人、技術者らは最新の知識や技術の習得が断念された。北京語の強要は台湾を前近代化社会へと逆戻り(156頁)とまで表現する。つまり、当時の日本語は、現代の英語みたいなものだったのだろう。台湾人は日本語が公用語であり、北京語に不慣れだったことの影響もある。とはいっても、前近代化社会は言い過ぎだと思うが。
戦後台湾の教育現場は、収賄や不正の世界に。生徒からのピンハネも当たり前。著者自身も不正に手を染める。これが中国式作法、生き残るためには割り切る以外にない(158頁)。外省人の本省人への差別、汚職や不正。「こんなはずではなかったのに」と日本統治時代を懐かしむ台湾人もちらほら。日本が育てた産業はすべて外省人のもとに。著者は台湾は中華民国の”植民地”となったと語る。おかしな表現だ。日本統治時代はあれほどまでに植民地と表現しなかったのに。中華民国は台湾を支配し、搾取するから植民地扱いをされたと憤る。多くの本省人は生きる糧をことごとく外省人に奪われ、路頭に迷った(169頁)らしい。そして1947年に、2.28事件が起きる。
生活のために露点でたばこを売っていた老婆を、外省人官憲がたばこも売上金も没収した。売上金だけでもと懇願した老婆の頭部を叩きつけた。日頃、外省人の差別や横暴に腹を立てていた民衆が集まり始め、ついには官憲がピストルで民衆の一人を殺す。翌日には多くの民衆が抗議活動を展開し、長官公署と呼ばれていた旧総督府前の広場でシュプレヒコール。憲兵隊は機銃掃射をし、十数名の死傷者が出る。群衆の怒りは頂点に達し、商店休業、学生の授業ボイコット、放送局を占拠し日本語で「元○○飛行隊の者は○○に結集せよ!」とラジオ放送。著者はこの非常事態にもかかわらず、のんびりと3月2日の時点で仲間とテニスに興じていたらしい。うーん。結構よい生活をしているではないか?が、北部の台北の暴動をニュースで知り、帰宅途中、外省人の警察局長宅に群衆が強奪する現場を目撃。筆者の住む町でも、外省人と結託し悪事を働いていた台湾人らも制裁を受けたとある(173頁)。ぼかして記載してあるが、この制裁とはなんぞや?日本語が話せない連中は外省人とみなし、「次々と打ちのめされていった」とも。
事件5日目の3月4日には、全省2.28事件処理委員会が設けられ、本省人と台湾省行政長官・陳儀と話し合い。台湾人の要職への登用や台湾の自治、腐敗官僚排除、人権尊重など。陳儀は全て承認。が、陳儀のそれは時間稼ぎのジェスチャーだったのである。台湾警備総司令部の戦力では台湾民衆を抑えられない。大陸で国共内戦を戦う蒋介石に民衆の反乱の報告と援軍要請の電文をひそかに送る。しかも、陳儀は共産党の反乱と事実を歪曲して伝える。蒋介石は、一人の共産党の反乱分子を始末するなら、100人の無辜の者を誤って殺しても構わないと命じた。2個師団が3月8~9日に送られ、台湾人への報復開始。機関銃を街で乱射し、片っ端から台湾人を射殺。無差別殺戮の始まりである。民家に押し入って、略奪、暴行、強姦と悪事の限りを尽くす中国軍兵士。台湾人の検挙・処刑を意味する「白色テロ」という大殺戮の幕開け(共産党を赤、国民党を白にたとえている)。白色テロの犠牲者は3~5万人とも。実態は解明されていないらしい。医師、学者、教師など知識層が無実のまま次々と逮捕され、裁判もなく虫けらのごとく処刑されていった(178頁)。
※こういった所行は中国共産党の専売特許化と思えば、台湾の国民党もやっていたのか。3~5万人の数字の出所を知りたいが、著者は語らず。先の機関銃での台湾民衆の無差別殺戮の死傷者数も気になるところだが、その点も著者は一切記述しない。資料もなく、実態が分からないということか。
上着やズボンは貴重品のため、国民党兵士によって強奪され、遺体は下着姿で放置。当時の中国人の処刑方法は異常なほど残酷であり、局部をつぶし、ガソリンをかけられてから焼き殺す。キリでてのひらとふくらはぎに穴をあけられ、ストロー大の針金を通し、横一列につながれた人々が銃で次々と打たれて海に捨てられる(181頁)。著者の弟・当時高校生も、北京出身の教師の言われるがままに、国民党の悪口を書いたメモ1枚で10年の懲役刑。台湾人が3人以上集まれば逮捕理由。図書館でよく本を借りて読んでいた高校生が知識層=危険人物扱いされ、投獄。25年もの牢獄生活を送る。「台湾全土がまさに監獄のような時代が、つい最近まで40年間も続いたのである」(183頁)。
49年12月7日に蒋介石の中華民国政府が中国共産党に敗れ、台湾に移転。台北を臨時首都とした。その後の台湾を恒久的に暗黒社会にしたのが、国共内戦の延長線上に施行された「戒厳令」と「動員戡乱時期臨時条款」(1948~1991)。中華民国憲法に優先し、総統に最大限の権限を付与した時限立法。立法議員(国会議員)も非改選。約40年間、万年議員となった。労賊とも(189頁)。一応、中華民国の認識では、支那大陸全てを統治する正統統治者であり、台湾はあくまでも台湾省らしい。金門・馬祖島は福建省の直轄。もちろん中華人民共和国も、同じことを主張している。
191頁で、筆者は日本人の愚かさを指摘する。蒋介石が戦後の賠償金を放棄したことを感謝する日本人がいることに呆れ果てる。蒋介石は台湾で強烈な反日教育を進め、日本を「東洋鬼」「小日本」と教え、日本統治時代の痕跡を抹消すべく記念碑や日本人の銅像をことごとく破壊した。一方で、台湾に残された”日産”または”敵産”と称された日本国の資産および日本人の私有財産の合計100億円(当時のレート)が全て国民党に接収されている。実質的には、日本はべらぼうな”賠償金”を支払っている。また日本の事業、産業もそのまま引き継ぎ、利益をあげ続けた。すなわち、日本は中華民国と言う国家を支えるうえでたいへん重要な財政基盤を提供したのだと。蒋介石は大戦中も不正蓄財に努め、台湾の至る所に「行宮(あんぐう)」という豪華な別荘。蒋介石夫妻の宿泊のたびに風呂場の浴槽、便器までも取り替えさせるというぜいたくぶり。妻の宋美齢の「私が”中華民国”だ」発言はあまりにも有名だと。そんな蒋介石にお礼を述べる日本人はどこまで世間知らずなのか。そう主張したいらしい。
台湾はその後、85年にレーガンより民主化促進の外圧を受け、もはや抗しきれないと判断した蒋介石の息子・蒋経国が同年に「蒋家の者が権力を継承することがない」と公言し、その2年後には「ここがやがてあなた達のものになる」と語り、87年7月に戒厳令を解除。「私も台湾人だ」とも(199頁)。散々搾取していたのに都合がいいことこの上ない。日本でも有名な李登輝氏が、88年1月13日の蒋経国の死去に伴い、台湾人として初めて台湾の政治の頂点に立つ。著者は、「台湾が”中国”という虚構を脱ぎ捨て、民族自決の道を歩み始める出発点となった」(200頁)という。
まったく台湾を知らなかった私には、非常に勉強になった。本書は台湾入門には最適である。著者は台湾統治時代の日本人の功績を評価する一方で、チャンコロと馬鹿にする嫌な日本人もいたと正直に語る。また、台湾が中国のものとなれば、台湾海峡含め、台湾周辺を日本へ石油など資源を運ぶ艦船・タンカーは通れなくなるぞ。中国におもねる戦後日本政治家を𠮟りつけ、現代日本人の精神的荒廃を嘆き、日本の国際社会のおどおどとした姿勢にいら立って仕方ないらしい。「かつての日本人は立派だった」(260頁)と嘆く。「愛日家」らしいが、著者が愛しているのは戦前の日本なのだ。決して、戦後日本ではないことを自覚したほうがよさそうだ。
※日本の敗戦時に18歳であった元日本人の台湾実業家の書いた著書。もちろん、本書のみで日本の台湾統治すべての功罪が確認できるわけではない。だが、著者の体験談もあって、生々しい敗戦時の状況、戦後台湾で起こった台湾人の悲劇がよく伝わってくる。褒められているのはあくまでも戦前の日本人だけ。叱られる一方である戦後日本人である私には少し堪えるところはあるが、日本の台湾統治から現代の台湾まで、網羅的に勉強できるのは確かだ。☆5つとしたい。
2020年8月13日に日本でレビュー済み
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高齢の台湾人が親日とは昔から言われている。
その理由を知りたくて読んでみたが成程と合点がいった。
日本人の良さが染み出ていて読んでいて気持ちが良かった。自信を持とう・・・。
その理由を知りたくて読んでみたが成程と合点がいった。
日本人の良さが染み出ていて読んでいて気持ちが良かった。自信を持とう・・・。
2023年10月7日に日本でレビュー済み
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曾て日本人として教育を受け、生涯日本人の誇りを持ち続けた多くの台湾人の一人である著者。
涙しながら読みました。
素晴らしい日本精神。世界に誇れる日本精神を取り戻せと訴えています。
涙しながら読みました。
素晴らしい日本精神。世界に誇れる日本精神を取り戻せと訴えています。
2015年10月14日に日本でレビュー済み
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サブタイトル通り日本人が胸を張れる内容であった。昨今の歴史問題で悔しい思いをしていましたが、少し溜飲が下がりました。







