歴史を調べていくと教科書的な機能論や目的論が如何に脆弱で、愚かでかつ純粋なまでに「快楽」を追求し続けた「国家」なる集合体(いや生命体)とは、如何にいびつなものかが分かってくる。
「反穀物」とタイトルで謳っているが、全体的には農業がいかに人類の手に余り、天候、災害、環境破壊や感染症などの被害によってもへこたれず、穀物を備蓄しようとした古代「国家」というものは何なのだろうと思ってしまう。深く考えれば疑問こそ生まれるが「答え」なるものを、明確に提示しろと言われてもこれは大変難しい。
著者も断っているが、歴史書の裏の部分まで考察するためには、歴史の「大きな物語」を疑う必要がいる。つまり、歴史の機能論や目的論を「相対化」して考察する必要があって、古文書を読むだけでは恐ろしい間違いに至ってしまうことを述べている。ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの「
サピエンス全史
」でも農業をせずとも狩猟や遊牧、採集などの方が圧倒的に生活に困らなかったはずだと述べている。農業そのものが「過剰」だったということだ。
ではなぜ、農業を営むことを考えたのか、実は著者もこの辺を具体的に答えていないのだが、医師の夏井睦氏の「
炭水化物が人類を滅ぼす【最終解答編】 植物vs.ヒトの全人類史
」によれば甘さ、つまり糖質中毒者になったことで、その快楽を得たいが故に穀物を栽培することを思いついたと結論している。麦を脱穀してビールを作ったり、パンを作ったりした。食事を作るだけを考えれば、相当な手間ではないだろうか?つまり、「文明」とは、糖質という「麻薬」が生んだ「過剰」であったということだ。既に引退した栗本慎一郎氏も似た考えで、シュメール文明は「病」にかかったと述べていた。
著者は80歳を超える高齢で、出版した2017年には文明論の中には「環境破壊」、「感染症」、「狩猟民族」、「遊牧民族」といった今まで歴史でクローズアップされていなかったことを追求して、歴史の「機能主義」を打倒したい考えの様だ。ただ、この著者には申し訳ないが、私如きでもこの論旨とほぼ同じ考えに至っていて、インパクトから言えば正直遅かったと思う。ただ、こういう内容に関して初読の人は、是非読んでみるといい。
最後に、翻訳をされた方がどうも歴史関係の専門家というわけではなさそうで、参考文献の中には、日本語訳で読める著書があるのだが、この辺の一覧の調査に不満が少しある。例えばヨアヒム・ラートカウ「
自然と権力―― 環境の世界史
」(原著Joachim Radkau ”Nature and Power")とかは2012年にすでに日本語訳が出版されている。多分Google検索で見つからなかっただけとしか思えないが、みすず書房の編集者がいいかげんなのか、翻訳者が調査不足なのかは知らない。それにこの判型と頁数で3800円とは高い!もっと厳しく仕事をして欲しい。私の様な素人が気づく位だ。
私は、参考文献一覧を調べることで、どの程度の論旨なのかが割とはっきりすると思っているが、この著者もかなり多くの著書を読んでいることがわかるが、どこか地に足が付いていないところは否めない。私ならデイビッド・モントゴメリーの様な、自らの足で調べた研究者に軍配を上げる。
実はデイビッド・モントゴメリーの三部作「
土の文明史
」、「
土と内臓 (微生物がつくる世界)
」、「
土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話
」でこの著者の論旨のほとんどを補填出来る。それにダーウィンは「
ミミズと土 (平凡社ライブラリー)
」で100年以上も前に土壌にいるミミズの効用を強く訴えていた。ミミズの繁栄無しに文明の繁栄もあり得ず、環境に背を向けた文明は、衰退しか道が残されていなかったことは明白な程わかる。モントゴメリーは「
土・牛・微生物ー文明の衰退を食い止める土の話
」で鍬こそ人類最悪の発明と喝破している。チグリス・ユーフラテス川流域の良質な土壌を削り取り、やがて岩肌が見える土地にしてしまったのは間違いなく人類なのだ。正直、著者の論旨は遅い位だった。真面目な論述であるだけに正直残念ではある。
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