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反市民の政治学: フィリピンの民主主義と道徳 (サピエンティア) 単行本 – 2013/4/1
日下 渉
(著)
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膨大な数の市民が立ち上がり、マルコス大統領の独裁政治に終止符が打たれてから約30年。貧富の差が拡大し、選挙のたびに票の売買が取りざたされるこの国に、「正しい」民主主義は根付かないのだろうか。著者はスラムに暮らし、したたかでたくましい庶民の声に耳を傾けて、新たな共同性の可能性を探る。国民の分断が進む日本社会に本書は参考となるに違いない。
- 本の長さ427ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日2013/4/1
- ISBN-104588603302
- ISBN-13978-4588603303
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
格差の激しいこの国では、票の売買や違法な生活様式は珍しくない。だが、市民的道徳を貫けば暮らしはよくなるのだろうか。スラムに生きる人々に寄り添いながら、新たな共同性を模索する。
著者について
日下 渉
1977年埼玉県生まれ.早稲田大学政治経済学部卒業.九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学.博士(比較社会文化).京都大学文学研究科グローバルCOE研究員,京都大学人文科学研究所助教を経て,現在,名古屋大学大学院国際開発研究科准教授.
主な業績:「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー――マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4), 2007: 20-36頁(第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞);「フィリピン市民社会の隘路──「二重公共圏」における「市民」と「大衆」の道徳的対立」『東南アジア研究』46(3), 2008: 420-441頁;Governing Informalities of the Urban Poor: Street Vendors and Social Order Making in Metro Manila, The Politics of Change in the Philippines, Yuko Kasuya and Nathan Quimpo (eds.), Pasig City: Anvil…
1977年埼玉県生まれ.早稲田大学政治経済学部卒業.九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学.博士(比較社会文化).京都大学文学研究科グローバルCOE研究員,京都大学人文科学研究所助教を経て,現在,名古屋大学大学院国際開発研究科准教授.
主な業績:「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー――マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4), 2007: 20-36頁(第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞);「フィリピン市民社会の隘路──「二重公共圏」における「市民」と「大衆」の道徳的対立」『東南アジア研究』46(3), 2008: 420-441頁;Governing Informalities of the Urban Poor: Street Vendors and Social Order Making in Metro Manila, The Politics of Change in the Philippines, Yuko Kasuya and Nathan Quimpo (eds.), Pasig City: Anvil…
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
日下/渉
1977年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学。博士(比較社会文化)。京都大学文学研究科グローバルCOE研究員、京都大学人文科学研究所助教を経て、名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。主な業績に「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー―マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4)、2007:20‐36頁(第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1977年埼玉県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学。博士(比較社会文化)。京都大学文学研究科グローバルCOE研究員、京都大学人文科学研究所助教を経て、名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。主な業績に「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー―マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4)、2007:20‐36頁(第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (2013/4/1)
- 発売日 : 2013/4/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 427ページ
- ISBN-10 : 4588603302
- ISBN-13 : 978-4588603303
- Amazon 売れ筋ランキング: - 873,471位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 364位アジア・アフリカのエリアスタディ
- - 12,149位政治入門
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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4 件のグローバル評価
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上位レビュー、対象国: 日本
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2014年8月9日に日本でレビュー済み
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市民と大衆に分断されたフィリピンの社会を論じた本書だが、格差社会化し分断が深刻化する現代日本の市民社会を分析するためにも有効な概念を提供してくれる。なぜ大衆によってポピュリズムが支持されるのか、なぜ市民運動が広範な支持を得られないのか、ネオリベラリズムの進展によって「勝ち組」と「負け組」に分断される社会が抱える深刻な問題を解き明かす鍵がここに見出される。
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ベスト500レビュアー
書店でタイトルを見て「ん?」と思い、どういう本なのか気になったので読んでみた。
結果から言えば、「反市民」という話では別になく、サブタイトルの「フィリピンの民主主義と道徳」という方がより内容をよく表しているだろう。
しかし、予期とは違ったが、中身は非常に面白かった。
扱っている内容は、フィリピンの民主政治の苦闘の歴史である。
筆者自身がフィリピンに行って住民から聞き取り調査を行って得られた結果の集積が本書である。
フィリピンの政治なんてほとんど知らなかったが、読んでみると民主主義の難しさに直面していることがよく分かる。
フィリピンは、教育をきちんと受けており、よいところで働いている「中間層」と、貧乏な生活を送る「貧困層」とに分かれている。
人口が多いのは貧困層の方である。
貧困層は、犯罪に手を染めていたり、路上を勝手に占拠して露天商を営んでいたり、酒や女についてマナーが悪かったり、ということがあり、中間層からはそういった点は「不道徳」と見られている。
選挙時には、候補者が住民にお金を渡していたりして、賄賂や買収に簡単に屈しており、また映画スターなどによるポピュリズムの支持層にもなっているため、中間層は、貧困層のそうした「無思慮な投票」が民主主義の質を悪化させていると不満を募らせる。
一方、貧困層からは、中間層は「自分たちの金儲けばかりを考えているし、法律も金持ちに有利になっている」と批判的な目で見られがちである。
生きるためには金ももらわざるを得ないし、きちんとした店を出す土地もないから露天商もいたしかたない。そうした状況を批判する中間層は、むしろ「自分たちを汚いもの扱いして排除しようとする人々」と見られる。
フィリピンでは、独裁政権が人々のデモ(ピープル・パワー1)によって追放され、民主政治が始まった。
しかし、経済的な不平等の解決がなかなか進まず、映画スタ−のエストラダがポピュリズム的手法で貧困層の票を集めて大統領に選ばれる。
だが、エストラダは無教養なうえに酒好き、賭け好き、女好きであり、中間層としては「このような不道徳で堕落した人間が国の代表だというのは許し難い」と感じていた。
さらに彼は政策を人に任せきりにする一方で、夜の接待で勝手な約束をしたり、批判的なメディアを力で押さえたり、と強引な方法を用いて人々の不満を強めた。
そして、彼が莫大な賭博のみかじめ料を不正に着服しているという疑惑が立ち、彼がそれを隠そうとすると、中間層の不満が爆発し、エストラダの辞任を訴える「ピープル・パワー2」が起きた。
彼はデモ隊の圧力を前に大統領を辞任するが、そうすると今度はエストラダを支持する貧困層の方から、選挙によらない強引な圧力の手法を批判し、エストラダを大統領に戻すようにするデモ(ピープル・パワー3)が起きた。
だがこれは警察により鎮圧され、アロヨ政権がスタートする。
アロヨ政権は中間層のサポートを受けているので、格差対策は疎かになりがちであり、貧困層は再び不満を募らせる。
実際にはもっと複雑だが、それは本書を実際に呼んで頂きたい。
単に選挙制度を入れればいいというわけではない、民主主義の難しさを実地で見せてくれる。
結果から言えば、「反市民」という話では別になく、サブタイトルの「フィリピンの民主主義と道徳」という方がより内容をよく表しているだろう。
しかし、予期とは違ったが、中身は非常に面白かった。
扱っている内容は、フィリピンの民主政治の苦闘の歴史である。
筆者自身がフィリピンに行って住民から聞き取り調査を行って得られた結果の集積が本書である。
フィリピンの政治なんてほとんど知らなかったが、読んでみると民主主義の難しさに直面していることがよく分かる。
フィリピンは、教育をきちんと受けており、よいところで働いている「中間層」と、貧乏な生活を送る「貧困層」とに分かれている。
人口が多いのは貧困層の方である。
貧困層は、犯罪に手を染めていたり、路上を勝手に占拠して露天商を営んでいたり、酒や女についてマナーが悪かったり、ということがあり、中間層からはそういった点は「不道徳」と見られている。
選挙時には、候補者が住民にお金を渡していたりして、賄賂や買収に簡単に屈しており、また映画スターなどによるポピュリズムの支持層にもなっているため、中間層は、貧困層のそうした「無思慮な投票」が民主主義の質を悪化させていると不満を募らせる。
一方、貧困層からは、中間層は「自分たちの金儲けばかりを考えているし、法律も金持ちに有利になっている」と批判的な目で見られがちである。
生きるためには金ももらわざるを得ないし、きちんとした店を出す土地もないから露天商もいたしかたない。そうした状況を批判する中間層は、むしろ「自分たちを汚いもの扱いして排除しようとする人々」と見られる。
フィリピンでは、独裁政権が人々のデモ(ピープル・パワー1)によって追放され、民主政治が始まった。
しかし、経済的な不平等の解決がなかなか進まず、映画スタ−のエストラダがポピュリズム的手法で貧困層の票を集めて大統領に選ばれる。
だが、エストラダは無教養なうえに酒好き、賭け好き、女好きであり、中間層としては「このような不道徳で堕落した人間が国の代表だというのは許し難い」と感じていた。
さらに彼は政策を人に任せきりにする一方で、夜の接待で勝手な約束をしたり、批判的なメディアを力で押さえたり、と強引な方法を用いて人々の不満を強めた。
そして、彼が莫大な賭博のみかじめ料を不正に着服しているという疑惑が立ち、彼がそれを隠そうとすると、中間層の不満が爆発し、エストラダの辞任を訴える「ピープル・パワー2」が起きた。
彼はデモ隊の圧力を前に大統領を辞任するが、そうすると今度はエストラダを支持する貧困層の方から、選挙によらない強引な圧力の手法を批判し、エストラダを大統領に戻すようにするデモ(ピープル・パワー3)が起きた。
だがこれは警察により鎮圧され、アロヨ政権がスタートする。
アロヨ政権は中間層のサポートを受けているので、格差対策は疎かになりがちであり、貧困層は再び不満を募らせる。
実際にはもっと複雑だが、それは本書を実際に呼んで頂きたい。
単に選挙制度を入れればいいというわけではない、民主主義の難しさを実地で見せてくれる。
2017年6月12日に日本でレビュー済み
階級や貧富の差はどこの国にある。
でも、過去の経緯からフィリピンの人々を隔てる壁はとてつもなく大きい。国民の8割以上の貧困層は銀行預金も年金も福祉もなく、税金もほとんど払わない。一握りの富裕層は様々な権益を持ち、土地と有価証券からの上がりだけで贅沢に生活している。そして、1割から2割程度のサンドイッチ状の中間層は厳しい状況で青息吐息の生活をしている。
経済的には富裕層が強者、貧困層が弱者なのだが、政治は反対だ。多数決の民主体制下では数で勝る貧乏人がキャスティングボードを握る。だったら貧者のための政治が行われても良いはずだが、貧者はいつまでも貧者のまま。ひとたび政権をとると、政治家は長期を見据えた社会・経済政策を取らないからだ。額に汗して働き、国を支え、理性を持つ市民である<中間層=市民>はその状況を嘆き、愚かな投票行動を取る貧困層を「悪」と糾弾する。中間層にとって、貧困層は教化の対象であったり、恐怖の対象であったりするが、同じ「市民」ではない。本書はそんな、中間層と貧困層の分断の構図をフィールドワークで分析した本だ。
フィリピンの格差は深刻だ。貧困層と中間層は使う言語すら違う。土着語しか使えない貧困層は英語の政治論壇に参加できない。中間層と貧困層の「我ら」と「彼ら」の道徳的分断がマルコス以降のフィリピン政治の不安定さをもたらしてきたと本書はいう。日本語という共通言語や均質的な教育制度、天皇という象徴を持ち、「日本人」という磐石な民族基盤を持つ私たちにフィリピン人の分断の深刻さは想像を絶する。
そうした中で、2016年に就任したドゥテルテ大統領は、中間層からも貧困層からも高い支持を得ているという。本書で描かれているような深刻な分断をドゥテルテというカリスマ的指導者ならなんとかできるのでは、と思った。フィリピンの本当の敵は、階級の分断と国民国家の未成熟、その結果、人々が国民の課題に一丸となって生産的に取り組めないことだ。原住民的風貌を持ち、カトリックと旧宗主国を批判し、規律と法の遵守を唱える権威主義的・家父長的なドゥテルテ。ドゥテルテ政権下で本書で描かれたような問題が良い方向に向かっていくと良いと思う。
でも、過去の経緯からフィリピンの人々を隔てる壁はとてつもなく大きい。国民の8割以上の貧困層は銀行預金も年金も福祉もなく、税金もほとんど払わない。一握りの富裕層は様々な権益を持ち、土地と有価証券からの上がりだけで贅沢に生活している。そして、1割から2割程度のサンドイッチ状の中間層は厳しい状況で青息吐息の生活をしている。
経済的には富裕層が強者、貧困層が弱者なのだが、政治は反対だ。多数決の民主体制下では数で勝る貧乏人がキャスティングボードを握る。だったら貧者のための政治が行われても良いはずだが、貧者はいつまでも貧者のまま。ひとたび政権をとると、政治家は長期を見据えた社会・経済政策を取らないからだ。額に汗して働き、国を支え、理性を持つ市民である<中間層=市民>はその状況を嘆き、愚かな投票行動を取る貧困層を「悪」と糾弾する。中間層にとって、貧困層は教化の対象であったり、恐怖の対象であったりするが、同じ「市民」ではない。本書はそんな、中間層と貧困層の分断の構図をフィールドワークで分析した本だ。
フィリピンの格差は深刻だ。貧困層と中間層は使う言語すら違う。土着語しか使えない貧困層は英語の政治論壇に参加できない。中間層と貧困層の「我ら」と「彼ら」の道徳的分断がマルコス以降のフィリピン政治の不安定さをもたらしてきたと本書はいう。日本語という共通言語や均質的な教育制度、天皇という象徴を持ち、「日本人」という磐石な民族基盤を持つ私たちにフィリピン人の分断の深刻さは想像を絶する。
そうした中で、2016年に就任したドゥテルテ大統領は、中間層からも貧困層からも高い支持を得ているという。本書で描かれているような深刻な分断をドゥテルテというカリスマ的指導者ならなんとかできるのでは、と思った。フィリピンの本当の敵は、階級の分断と国民国家の未成熟、その結果、人々が国民の課題に一丸となって生産的に取り組めないことだ。原住民的風貌を持ち、カトリックと旧宗主国を批判し、規律と法の遵守を唱える権威主義的・家父長的なドゥテルテ。ドゥテルテ政権下で本書で描かれたような問題が良い方向に向かっていくと良いと思う。
2015年6月19日に日本でレビュー済み
社会を支配する上層階級と、税金を負担し社会を支えるという自負のある中産階級
そして英語が話せず都市で土地を不法占領するしかない貧困層
マルコスの独裁政権を倒すところまでは中産階級と貧困層は共に動いたが
中産階級は貧困層を軽蔑しあいつらから選挙権を取り上げろみたいな言説まで出てくる
例えば都市での土地の不法占領についても貧困層は生きるためだとし
地価の値上がりで郊外に住まざるを得ない中産階級はずるいと批判する
ことごとくにおいて中産階級と貧困層は対立するのである
そこで道徳的に劣っているという批判があるのである
もうなんつうか絶望的ではあるよな
少なくとも母国語で専門的な議論が出来ないというのが根っ子にあって
そこに開発独裁にも至れない深刻な断絶があるのだ
少なくとも学部の段階で英語で授業しようなどという
本邦の一部の勢力に対しては本書はその末路を示唆しているようにも感じる
そして英語が話せず都市で土地を不法占領するしかない貧困層
マルコスの独裁政権を倒すところまでは中産階級と貧困層は共に動いたが
中産階級は貧困層を軽蔑しあいつらから選挙権を取り上げろみたいな言説まで出てくる
例えば都市での土地の不法占領についても貧困層は生きるためだとし
地価の値上がりで郊外に住まざるを得ない中産階級はずるいと批判する
ことごとくにおいて中産階級と貧困層は対立するのである
そこで道徳的に劣っているという批判があるのである
もうなんつうか絶望的ではあるよな
少なくとも母国語で専門的な議論が出来ないというのが根っ子にあって
そこに開発独裁にも至れない深刻な断絶があるのだ
少なくとも学部の段階で英語で授業しようなどという
本邦の一部の勢力に対しては本書はその末路を示唆しているようにも感じる





