カリスマ詩人・最果タヒの最新小説は17歳女子高生の“いま"を描く
主人公は17歳の女子高生・和葉。隣のクラスの沢くん(陸上部)に告白するも、「まあいいよ」という気のない返答に激怒、「やっぱやめよう」と撤回するところから物語は始まる。和葉と沢は、放課後の教室に1人残って掃除をしていたヘッドフォン女子の初岡に声をかけ、3人の奇妙な関係ができていくのだが……。
と、筋だけ聞くと、王道の学園青春小説のようにも思える本作。だが、頁を開いた読者は、独特のモノローグ文体に驚愕するはずだ。
「感情はサブカル。現象はエンタメ。
つまり、愛はサブカルで、セックスはエンタメ。」
この冒頭2行を皮切りに、和葉は世界に対してマシンガンのように言葉を放ち続ける。地の文もセリフも渾然一体となった彼女の怒濤の“語り"こそが、本書の読みどころなのだ。
「2年前、現代詩花椿賞をいただいた授賞式で、選考委員の小池昌代さんに小説の書き方を尋ねたんです。すると小池さんは、あなたの受賞の挨拶が面白かった、あんな感じで書けばいいのよ、とおっしゃった。そうか、じゃあ挨拶みたいな喋り言葉で書いてみようと思い、その日の夜に思いついたのが冒頭の2行でした」
初めに言葉ありき。和葉のキャラや、ストーリーは全く念頭になかったという。
「冒頭の2行を信じて、これを言う女の子ってどんな子だろう、この子の言葉を書いていけばいいという気持ちでした。そしたら3行目に『女子高生』という言葉が自然に出てきて、『あ、この子、女子高生なんだ』ってわかってきて(笑)」
初岡がいじめられていると思った和葉は、初岡を強くするため「私のこといじめていいよ」と提案。実際に和葉はクラスで嫌がらせの対象になっていく。しかし、初岡はただ弱く大人しいだけの女子ではなかった。物語の終盤、初岡が大学生と学外でバンドを組んでいることを知った時、和葉の“語り"は変貌する。
「和葉は沢のように部活をやってるわけでもなく、実は充実感がない。何者でもない自分をしょうもない奴と思いたくないから、ずーっと言葉を発して言い訳して、自分は他人とは違うと思いこもうとしてるわけです。ところが、自分より下だと思っていた初岡が、学校の外に全く違う世界を持っていたと知ったら、やっぱり言葉って止まりますよね。この場面は私が最も書きたかったところです」
“語り"には、言葉以前の和葉の感情が滲む。それが読む者の心に響くのだ。
評者:最果タヒ
(週刊文春 2017.04.27号掲載)
感情はサブカル。現象はエンタメ。つまり、愛はサブカルで、セックスはエンタメ。私は生きているけれど、女子高生であることのほうが意味があって、自殺したどっかの同い年がニュースで流れて、ちょっと羨ましい…。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
最果/タヒ
1986年、神戸市生まれ。詩人、小説家。2006年、現代詩手帖賞を受賞。2007年、詩集『グッドモーニング』刊行。同作で中原中也賞を受賞。2014年、第三詩集『死んでしまう系のぼくらに』刊行。同作で現代詩花椿賞を受賞。2016年に詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(リトルモア)を発表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)