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メーカーによる説明
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【Amazon.co.jp限定】劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」III.spring song(完全生産限定版) | 劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」III.spring song(通常版) [Blu-ray] | 劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」III.spring song(完全生産限定版) [Blu-ray] | 劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」III.spring song(通常版) [DVD] | |
仕様 | Blu-ray | Blu-ray | Blu-ray | DVD |
発売日 | 2021/3/31 | 2021/3/31 | 2021/3/31 | 2021/3/31 |
特典 | オリジナル特典:「F3サイズキャラファインキャンバスアート」付 |
曲目リスト
商品の説明
内容紹介
★イントロダクション
手にした者の願いを叶えるという万能の願望機「聖杯」をめぐる物語を描いた、
ヴィジュアルノベルゲーム『Fate/stay night』。
劇場版アニメ三部作として紡がれる最終ルート[Heaven's Feel](通称・桜ルート)が、ついに完結する。
アニメーション制作を担当するのは、2014年にTVアニメ版[Unlimited Blade Works]を手掛けたufotable。
キャラクターデザイン・作画監督として数々のTYPE-MOON作品のアニメ化を手掛けてきた須藤友徳が第一章、第二章に続いて監督を務める。
2019年に公開された第二章[lost butterfly]は109万人を動員、興行収入は16.7億円を記録。
2017年に公開された第一章[presage flower]を上回る成績を収めた。
第三章は「聖杯戦争」の真実と、少年と少女の物語の結末が語られるエピソード。
全三章で贈る[Heaven's feel]がたどり着く場所とは
──第三章[spring song]は咲き誇り、奏でられる。
★ストーリー
「俺は、桜にとっての正義の味方になるって決めたから」
少年は、真実からもう目を逸らさない。
少女を救うために。自分の選んだ正義を貫くために。
魔術師〈マスター〉と英霊〈サーヴァント〉が万能の願望機「聖杯」をめぐり戦う――「聖杯戦争」。その戦いは歪んでいた。
ひとりの少女――間桐 桜は犯した罪と共に、昏い闇に溺れてしまった。
桜を守ると誓った少年・衛宮士郎は遠坂 凛と共闘し、「聖杯戦争」を終わらせるため、過酷な戦いに身を投じる。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは闘争の真実を知る者として、その運命と向き合い、間桐臓硯は桜を利用して己が悲願を叶えようとする。
「だから──歯をくいしばれ、桜」
激しい風に抗い、運命に挑む少年の願いは、少女に届くのか。
終局を迎える「聖杯戦争」──。最後の戦いが、遂に幕を上げる。
★キャスト
・衛宮士郎 : 杉山紀彰
・間桐 桜 : 下屋則子
・セイバーオルタ: 川澄綾子
・遠坂 凛 : 植田佳奈
・イリヤスフィール・フォン・アインツベルン : 門脇舞以
・藤村大河 : 伊藤美紀
・言峰綺礼 : 中田譲治
・間桐臓硯 : 津嘉山正種
・ライダー : 浅川悠
・真アサシン:稲田徹
★スタッフ
・原作 : 奈須きのこ/TYPE-MOON
・キャラクター原案 : 武内崇
・監督 : 須藤友徳
・キャラクターデザイン : 須藤友徳、碇谷敦、田畑壽之
・脚本 : 桧山彬(ufotable)
・美術監督 : 衛藤功二
・撮影監督 : 寺尾優一
・3D監督 : 西脇一樹
・色彩設計 : 松岡美佳
・編集 : 神野学
・音楽 : 梶浦由記
・主題歌 : Aimer
・制作プロデューサー : 近藤光
・アニメーション制作 : ufotable
・配給 : アニプレックス
★主題歌
Aimer 『春はゆく』
【完全生産限定版特典】
・ 武内崇描き下ろしBOX
・ 須藤友徳描き下ろしデジジャケット
・ オリジナルサウンドトラック
・ 特典ディスク
スタッフ&キャスト登壇初日舞台挨拶&大ヒット御礼舞台挨拶映像収録
・ スペシャルブックレット
・ イラストブック
★特典ディスク内容
スタッフ&キャスト登壇による
・ 初日舞台挨拶
・ 大ヒット御礼舞台挨拶映像
を収録
※特典ディスクはDVDになります。
※初日舞台挨拶には、LIVEパートは収録されません。
※商品の特典および仕様は予告なく変更になる場合がございます。
(c)TYPE-MOON・ufotable・FSNPC
(c)TYPE-MOON
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
ビジュアルノベルゲーム「Fate/stay night」の最終ルート「Heaven's Feel」を劇場アニメ化した3部作の第三章。犯した罪と共に闇に溺れてしまった桜。彼女を守ると誓った少年・衛宮士郎は、過酷な戦いに身を投じる。特典ディスク付き。
内容(「Oricon」データベースより)
魔術師〈マスター〉と英霊〈サーヴァント〉が万能の願望機「聖杯」をめぐり戦う「聖杯戦争」。その戦いは歪んでいた。桜を守ると誓った衛宮士郎は遠坂凛と共闘し、「聖杯戦争」を終わらせるため、過酷な戦いに身を投じる。終局を迎える「聖杯戦争」。最後の戦いが、遂に幕を上げる―!ゲーム『Fate/stay night』の最終ルート[Heaven’s Feel]の劇場アニメ三部作第三章を収録。
登録情報
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 675 g
- EAN : 4534530126986
- 監督 : 須藤友徳
- メディア形式 : 色, 限定版
- 時間 : 2 時間 2 分
- 発売日 : 2021/3/31
- 出演 : 杉山紀彰, 下屋則子, 川澄綾子, 植田佳奈, 門脇舞以
- 販売元 : アニプレックス
- ASIN : B08P3R79M6
- 原産国 : 日本
- ディスク枚数 : 3
- Amazon 売れ筋ランキング: - 873位DVD (の売れ筋ランキングを見るDVD)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー

上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
しかしながら、作り上げられた当映像作品はHeaven's Feelシナリオのファンとしては、些かと呼べる範囲を超えて非常に残念でおおいにガッカリで失望させられる作品であったといわざるをえません。
一応告げておきますが、全否定しているわけではありません。動画としては随一のクオリティの高さといっても差し支えないものであると思います。特に今作では、アーチャーの左腕を解放した際の「ついてこれるか?」のシーンはよく映像で表現できていたと思いますし、セイバーオルタvsライダーとの戦闘描写の迫力は群を抜いていました。その他の演出で士郎がナインライブス・ブレイドワークスを投影する際にバーサーカー(ヘラクレス)の英雄時代の記憶がイラストや映像として登場した部分が興味深かったです。そして、イリヤが最期に母親のもとへと飛び込むシーンも。
それらの好感を台無しにしてくれるほど、原作からの改変とカットがあまりにも酷すぎでした。前章のアーチャーのロー・アイアスの使用等のように、すべての改変に不満を持ってるわけでなく、むしろ良い改変だと思えるものも確かにあるにはありましたが、それでも今作にあった改変は制作者(主に監督)の恣意的な改悪だと呼ぶには全くためらいがないほどです。
そもそも、そのような傾向があったのは1章2章のころからでしたが。
色々あるのですが、例えば1章では、ランサーと真アサシンの車上バトル。ここの戦闘シーン自体は絶賛するほどの出来ですが、設定ではランサーは令呪によってサーヴァントとの戦闘はすべて引き分けるように命じられているはずなので、本来ならば車上バトルが終わったらそこで退却しているはずなのに、何故か柳洞寺まで追撃している。戦闘シーンを増やしたかった為なのか知りませんが、原作の根本設定を無くしたこの展開には驚きました。士郎の淫夢ではなぜか、士郎が(夢を見た時点では)より心惹かれていた方は凛なのになぜか桜にいきなり変わっていたり、桜の士郎看病シーンや桜の凛に対する複雑な心境を描いた部分もカット。
2章では、なぜか殺し殺されかけたイリヤと士郎が再会時にはいきなり互いにフレンドリーで、本来なら1章の期間中に何度か接するうちに敵意が解けていくはずだったのにその描写も無し。そして寒いのが苦手なはずなのに、冷たい雨が降りしきる中で士郎を励ますイリヤ。その時、己の理想と桜を秤にかけ懊悩としているはずなのに、それほど苦悩してるようにも見えない士郎。その後のアーチャーの腕と聖骸布の説明も、桜と凛の関係や確執を描いた「姉妹」も、イリヤと士郎の名場面「ローレライ」も、悩み苦しみ抜いた士郎が決意を新たにして桜を抱きしめる「美しいアリア」もカット。ローレライに関しては別媒体で監督は桜よりもイリヤのほうが引き立ってしまうから、というような禄でもない理由を述べていました。だからって本来は後半にほぼ出番がないはずの藤村を登場させて「好きな子を守るのは当たり前」の台詞をイリヤの代わりに喋らせるな。あれは、母をなくし切嗣にも助けてもらえず、ずっと孤独で救われることがなかったイリヤが懊悩する士郎に対して、本当はイリヤ自身も助けてほしかったという願望であると同時に、士郎には切嗣のように本当に救いたいものを救えなかったという思いをしてほしくないという姉としての想いがあったのに。だからこそ、物語後半にあるローレライが一層士郎とイリヤの絆を確認できる重要な場面となります。それを適当に流した監督の采配には無能っぷりを感じて呆れ果てました。
また慎二へ扱いもひっかかりました。原作では小物屑キャラの要素が強かったのに対して後年のキャラ設定が広がってきたせいもあるのか、やけに出番や描写が多く、「実は根は悪い奴じゃなかった」「間桐の家庭環境がひどいから」というような同情的な描写が強く見られました。監督が間桐家好きだからといっても、このアゲっぷりには辟易としました。特に2章ラストの桜を襲うシーンで、桜への劣等感に耐えかねたゆえか涙目にさせたのは、慎二が可哀想で同情を誘うような意図がありました。かなり贔屓目にしていることが窺えます。
今作において、それら1章と2章のカットや改変が今作にも影響が、前述の士郎とイリヤの再会時の場面のように、出てしまっていることも不満でした。
例えば士郎がセイバーを突き刺すシーンでは、1章ではセイバーとの絡みや親睦を深める場面が碌になかったので特に感慨が深くもなく、せめて数瞬回想的なものが入ればよかったかもしれないのに(原作ではHFでしか見れないセイバーと絡みの場面もあったのにこれらもカット)、すぐ刺して倒したのであっさり感が強調されたものになってしまいました。原作では、ここも本来すぐに突き刺したようにも見えるのですが、地の文では士郎のセイバーへの想いが滔々とつづられてのですがね。
とりわけ許しがたいものが、物語の佳境となる大空洞内で桜を凛がアゾット剣で刺そうとするシーン。ここでは凛は結局、桜を殺すことなんかできない自分に気が付き、自らが桜の黒い影によって返り討ちになってしまう、凛と桜の姉妹、凛の人となりを表すHFにおける代表的かつ印象深いシーンです。今作では、ここで回想シーンが入ります。
幼き頃、まだ二人が「遠坂」の姉妹であり、ポーカーで勝負をしている時の回想ですが、桜が自信満々でワンペアを出したものの、凛の手札はフルハウスで彼女は躊躇してしまう…。というものです。
何でしょうこれ?色々と人によっては様々な解釈があるかもしれませんが、要は健気にも頑張っているのに結局は姉にかなわない桜と、運がよくて妹に勝っている凛を対比して、桜は運がなくて不憫で可哀想であるということを描写しているように思えます。哀れで不幸な桜と運良く環境に恵まれてる凛との関係性を表すために入れたのでしょうか。桜の境遇を考えれば、確かに間桐の家で受けた仕打ちという不運な運命を鑑みると十二分以上に同情に値するものと思われます。
しかし、ここで凛は桜に対して一切の同情も哀れみの感情を抱かず一人の魔術師として相対して挑んだけれど、心の中では姉として妹をずっと想い続けており、その愛おしさを切り捨てられず、桜を殺せなかったシーンです。このような回想ではまるで「桜は不運で可哀想だから凛には殺せなかった」という演出に思えます。不幸であることしか自分を語れない、その結果の産物である黒い影の力に縋ろうとする桜を救ったのは決して「同情」や「哀れみ」なんかではなく、桜が苦悩していたのと同様にそんな彼女を不器用ながらも思いかけていて苦悩し続けていた凛の、「同情」なんかとは無縁な、ただただ純粋な「愛情」です。「他人の苦しみや不幸を理解したふりして同情するなんてことは偽善である」ということがこのシーンにおける核であるというのに、このような同情と哀れみばかりをアピールしているポーカー回想にしたことに胸糞が悪くなります。それこそ姉妹の思い出、幼きころ二人が笑いあっているシーン、桜が士郎と一緒にいてようやく笑えるようになっているシーン、凛が桜に自分のリボンをプレゼントするシーンとかのほうがだいぶ良かったことは確かだといえます。
そして、映画の入場者特典にて配布されたパンフレット(通称、桜パンフ)ではこのシーンについて須藤監督と原作者陣によって言及がなされています。それによると、
監督「『あなただったら(桜を刺すことが)できますか』」という映像をつけてあげるのが良いだろうと。」
原作者「(幼い桜がトランプで絶体絶命で、ようやくできた手札のワンペアを嬉しそうに見せていて)ここまでかわいそうで、けなげ生き物に対して、お前は得意げに満面の笑みをうかべたままフルハウスを出せるのかと。まあ出せないなあ。」
と語っています。はい、要は結局「桜は哀れで可哀想だから凛には殺せなかった」という理由づけのためにあんな回想をいれたことがはっきりしました。何が『あなただったらできますか』なんだろう。姉妹の絆、凛の姉として家族としての人の純粋な愛情、桜がそれに気づき姉への昏い負の感情から解き放たれる重要シーンに、その問いかけを視聴者に投げかけ「こんなに苦しそうなのに、可哀想でしょう?」と他人の良心を咎めさせて縋る展開に改悪すること自体がどうかしてますね。原作者も、ゲーム中のこの場面にて地の文で「桜の苦悩は桜だけのものだ。それを理解し、解放することは他人にはできない。そんな偽善は絶対にない。」と綴っていたはずですが、よくもこんなこと言えるものです。私自身、この台詞は当時とても心に焼き付けられていて心に残ったからこそ覚えていたというのに。まあ、この原作者、作り上げた設定を後の作品に整合性を合わせるために「焚書」するとかのたまうような方ですから今更仕方ないかもしれませんが。
この須藤監督は、世間では「間桐家」マニアで桜への愛が半端ないとか評されているようですが、甚だしいまでに疑問に感じますね。そこまで言われるなら恐らく私よりもHFをプレイしたことは確かなはずなのですが。ホントにこの人、原作プレイしたの?というよりHFへの「愛」自体あるの?
しかも、このポーカー回想シーン、限定版のジャケットイラストにも採用されています。監督はよほどこの自身の考え出したオリジナルシーンがお気に召したのでしょう。上述のことを考えれば最早、物語の大事な場面に込められているものに「桜たんは、こんなにもけなげでかわいそうな女の子なんだよ~。だから傷つけられるようなことなんかダメなんだよ~」みたいな自身の勝手な願望で塗り固めて上書きした、なんとも薄っぺらくて気持ち悪いものにしか思えません。
そして、士郎と言峰のラストの死闘。
お互い共に死にかけの体であり、魔術も駆け引きもない純粋な肉弾戦、自身の体を支えるのは片や明確に救いたい人がいるという確かな願望と、己の在り方への答えを得たいという一見歪んだ渇望。この二人の死力を尽くした闘いのシーンにとても期待していました。このシーン、原作では、言峰が自分のことについて事前に教会で語り、戦闘の直前に自身の胸中とかを含め問答を行って互いに覚悟を決めあっていました。士郎と言峰の在り方や、士郎が言峰に対して得心を抱く会話で結構大事な話であるので、映画では省略されてしまうのではないかと心配していたのですが、何と先に問答するどころか闘いながら問答を始めましたこの二人。士郎は体から刃が飛び出るほど体内の固有結界が暴走し、言峰は心臓がとっくに潰れている状態のはずなのですが?前述の通り互いに死力を尽くす闘いのはずなのに、会話しながらなんて、なんかお二人とも随分とまだ余裕があるみたいですねえ。おかげで期待していたギリギリの白熱感なんてほとんど感じられません。
ここでは、本来、終始自分よりも強い言峰の攻撃に防戦一方がやっとな士郎が致命的な一撃をくらい、もうこのまま力尽きてしまおうかという瞬間に、桜のことを思い出し、自らの体を奮起させて反撃と巻き返しを図るシーンがありました。アーチャーの左腕からの浸食と暴走により様々な記憶が欠落していき、切嗣との最期の記憶さえも消えてしまうような状態の中、桜のこととその想いだけは決して失わなかった主人公の衛宮士郎。原作中では、凛が士郎に「桜は士郎たち以外の前では笑ことなんてなかった」という話をしており(尚、映画ではカット)、「俺の前でしか笑わない桜が、いつか、強く、俺以外の前でも笑えるように」というような幾つもの台詞と回想の桜の笑顔が実に印象的で、熱さと切なさを同時に沸き立たせるシーンです。当時、原作でここをプレイした時は、かのBGM「消えない想い」も相まって、涙があふれ出てきてしまったことをよく覚えています。もし、HFが映像化されるのならば、このシーンで是非ともあの時感じた感動を再び得たいと、この日に至るまでの間、強く熱望し続けていたのですが…なんとすっぱりと丸々カット。こんなあまりにも陳腐なものへと貶められた展開に唖然として、まさに開いた口が塞がらないという状態にならざるを得ませんでした。
(上記の士郎の台詞があればカットした「桜が笑わない」話と整合性が合わないため、ということもカットの理由に含むのなら尚更、禄でもないことですね)。
自分の命を勘定にいれず、天秤の軽い方にばかり載せていた士郎が初めて、過去に受けた傷の呪いからではなく、自分で悩み苦しんで「救いたい」という対象が桜です。そのようにして人間として在り方を得ていく主人公の姿を描いていくうえで、HFにおけるテーマの軸として本シナリオルートのヒロインとして重要なファクターです。それを改めて深く強調するためのシーンの1つであり、ラストバトルを飾る最高のカタルシスであるはずなのにこれをカットする感性の悪さは理解の範疇を超えています。最早、不愉快極まりない。
本作シリーズの公開前に「HFは『人間』の物語」と誰かがどこかのインタビューかコメントで語っていたような気がするのですが、このラストバトル部分を鑑みた場合、それを当てはめようとするならまったくもって的外れもいいところだと思いますね。結局のところ、力をいれてたのはセイバーオルタとライダーのサーヴァント同士の戦闘のほうであることが明らかで、この最後の人間同士のぶつかり合いが中途半端でいい加減で陳腐なものへとつくり変えられてしまっているのですから。
更に意味不明だったのが、原作には出てこなかった映画オリジナルのミニ影キャラ(正確には原作での没キャラで、桜の使い魔的な立ち位置とのこと)。こいつは一体何のために登場させたのでしょう?監督曰く、「桜の、幼い心の化身」だそうですが、尚更意味不明です。
2章のラストで桜が黒桜に変貌しましたが、あのような白髪と黒い影を纏った姿になった時、あのミニ影がそれを施したように見えます。本来、原作では慎二を殺した直後に、その事実に桜の心が壊れてしまい、そんな姿に戦慄を感じさせるシーンだったのに、これでは桜が自分から壊れたのではなく、まるでこの黒いミニ影によって黒桜に変身させられたように改変させられたのが不満でした。ついでに言うと、黒桜に変貌したのも本来はこれより後で、まだ私服姿のまま、壊れてしまった戦慄の姿を見たかったのに残念です。
で、そのミニ影は、その後も真アサシンを殺したりとかするわけで、前述の黒桜変貌の件を含めて、あきらかに黒い影の一端にしか思えないのに、これを桜の幼い精神の現れとか理解できません。しかも何故か都合よく残り続けてエピローグにまでマスコットみたいに登場しています。士郎が「そんな奴とは縁を切れ」とようやく黒い影と関係を断ったはずなのに、これでは汚染された大聖杯からの禍根を断ち切れてないみたいで、前言の士郎の台詞を台無しにしており、あまりにもひどい改悪だと思いました。そんな映画観ただけでは解らない、無くても話には問題ないような二次創作設定みたいなオリジナルキャラ追加は同人作品とかでやってくれよ。
本作では、原作のトゥルーエンドを採用していますが、士郎が復活できた過程の描写や説明が無く、別作品のキャラとかをちらりと出すことによって、それとなく分かる人には分かる的なものしていますが、それにしたって説明や描写不足にもほどがあると思いました。原作でも説明はあったものの、具体的な復活時のシーンや描写がなかったので、今作では原作になかったそれらの描写をほのかに期待していたのですが、描写どころか具体的な説明も碌にないままで話が進行し続けていったことが残念でした。本来あったはずの、イリヤが士郎にかけた遠見の魔術のシーンという伏線となる部分をカットしていたことから、もとから説明部分なんて作る気もなかったかもしれません。1章の士郎と桜の出会いのような原作補完はあった分、期待があったのでより一層ガッカリです。復活した士郎に、桜や凛たちがどのような反応をしていたのか是非見たかったのに。
またエピローグ、原作でも見せた桜の満面の幸せそうな笑顔になるシーンがありましたが、前述のように、桜が笑わないという凛との会話や士郎の死闘中の回想シーンがカットされた為、それらのエピソードがあったからこそより強いカタルシスを得られるシーンになったので、映画では中途半端なものに感じてしまい残念且つ不満でした。
原作をプレイしてから10年以上経過し、強く、最もこの好きなシナリオルートがアニメ化されることを熱望し、心待ちにしていた時期がありました。が、このような制作陣の都合や解釈によって好き勝手に改変、もとい改悪作になってしまったことを深く残念に思います。尺が足りないとかいうのなら最初からそれが限られてしまうだろう映画媒体で作るなよと言いたいところです。
こんな半端モノ且つ監督の◯ナニーが入り混じったまるで同人作品のような余計な二次創作的要素をいれた作品がFateの公式作として数えられ残ってしまうこと、そして監督をはじめ製作陣はこのような出来のもので満足してしまっているようですので(それにどうせ、きっとufotableはこれからはより利益が出るだろう鬼滅の刃のほうに注力するでしょうし)、もうHFの映像化作品としての新たな展開は閉ざされ、潰れ、消滅したという事実に更なる失望を与えられて滅入っています。
もう一度言うけれどそういうのは同人誌とかでやってくれよ、Fateを監督のオ○ニーに巻き込むな正統化するな。
よくホロウアタラクシアやdeen版でつくられたセイバー√のアニメ再作を望む声がありますが、こんな改悪が再びされるなら御免被るし、つくられたとしてもこの須藤とかいう監督の登板はやめてほしいものです。というか映画にするなら尺的にも規制と展開的にもセイバー√であったほうが良かったとさえ思います。
願わくば、そして叶うのならばド○えもんに「もしもボックス」を借りるか、別の並行世界に飛んでこのような映画が作られなかった世界、きちんとした作品として完成させられている世界に行きたいものです。
ここまで読んでくれた方、誠に有難うございました。
追記
劇中で「アヴェンジャー」という言葉が言峰騎礼の口からでてくるが、原作「ヘブンズフィール」にこの言葉は確か出てこなかった気がする。この言葉は「Fate/hollow ataraxia」で初めて出てきたはず。つまりこれは「『Fate/hollow ataraxia』やりますよ」と言う、ufotableさんのFateファンに対する宣戦布告ではないだろうか?!
まだだ! Fateはまだ、終わらんよ!!
そして何より、キャラクターの魅力を最大限引き出した声優さん達の演技が有っての劇場作品だったと
思いますし、近年のアニメ作品としても本作を作り出したufotableさんが成した貢献は、計り知れない
と思います。
私は原作を遊んでも居ないし、関連した読み物を一読すらした事がないので、あくまでも映像作品のみ
の印象でしかありませんが、本当に観れた事・出会えた事が幸せだったと感じる作品でした。
私の抱くこの作品の感想は「人と人のエゴが行き着く所まで行った姿」だと感じました。
黒桜が語ったセリフの数々は、「彼女が感じて抱いて来た事への本音」だったと思いますし、なればこそ、
黒桜の姿は「今迄の出来事へのうっ憤の発露」と「圧倒的な力を有して有頂天になってしまっている姿」
として映りました。だからこそ、知らない他人には非情になれるけれども、身内には「救い」や「承認欲求」
を求め、非情になりきる事が出来ない部分を感じました。
士郎は「例えどんなに彼女が間違いを犯しても、それを救って支えてあげたい」事だったと感じます。
終始、人としての迷いや感情がない交ぜになりながらもソレを果たしてくれたのは、桜にとっての
救いだったと思います。
特に最後のイリヤとのやり取りは、理想と現実に対してやっと本音を選んだと感じました。
私は士郎は理想家だと感じていたので、最後は一人の人間の姿として印象が残りました。
凛にしても、遠坂の人間として見逃す訳にはいかないけども、結局最後は「妹を助けたい」と言う甘え
が拭え切れなかった姿だと感じますし、最後の桜への「幸せ?」の問も、そうあって欲しい願いであり、
自分が桜を助けた結果の確認でもある気がします。
登場人物それぞれの思惑が複雑に折り重なり、それが一つ一つ消えていく。そして最後に残った物が
一人の少女のささやかな幸せだったと言うのが、非常に心に響いた最後でした。
当然その間に犠牲になったものが多過ぎるのは間違いありませんが、それに向き合いながらも、二人
で乗り越えて行くと言うメッセージが、最後の踏む出すシーンだったと思います。
個人的に今作のライダー姐さん凄く好い女です!
本当に最高の作品でした!!
ただポーカーのシーンだけは本当に意味不明。あそこだけは物語理解してんのか?ってなる。あれじゃ運も実力も姉に劣る可哀想な妹じゃん。このシーンの本意を理解してるとは思えない。
UFOはオリアニが下手って言われてるんだからオリジナル描写は極力控えれば良いのに。原作をアニメ化するに当たって必要な改変っていうのはあると思うけどこれはそういうの関係ないただの改悪。