実写版はストーリーというよりも俳優さんの力が強く印象に残ったが、アニメ版はストーリー展開がほぼ原作と同様なので結構話が面白く、実写では指摘・表現されていないところまで描かれていた。君すいは実写もアニメも両方見るべき。(涙腺崩壊度は実写の方が大きかった。多分俳優の力)
最初この作品を見たのは高校生の時(現在18歳の大学1年)でした。なので学生としての感情移入もしやすかったです。
ここからはもしかしたら自然にネタバレになるかもだけど自分的にこの映画の特徴は、『桜良』の死に方が『僕』との別れを最も切なくさせるものであったことと、『桜良』と『僕』との複雑な関係である壁を最後まで双方が取り除きに行かなかったこと。死という壁は最後まで取り除かれなかったことで二人の関係性は恋人にも友人にもならなかった。ただ『君の膵臓を食べたい』とでしか表せない関係に。これはお互いの『選択』により。
この作品の結末に違和感を覚えた人も多いと思います。『なぜ病気ではなく、通り魔に殺されたのか。』
この作品で言いたいこと、主題について考えて見てください。それは、『命の尊さと危うさ』です。劇中にもありますように、『現在』というのは各個人による『選択』によって成り立っているのです。しかし『桜良』が退院する日まで二人はあることを意識していなかった。劇中で『桜良』が言っていた『人の一日は平等。明日君が死ぬかもしれないんだよ。』という言葉です。二人は他人の『選択』によって引き裂かれることを考えていなかった。膵臓の病という『運命』だけを見ていた。『桜良』か死んだとTVでみた場面で私は毎回鳥肌が立ちます、『甘かった』と。『人生は選択によって成り立っている』こと、それは『命の尊さと危うさ』を表しているように私は感じました。
『桜良』は死ぬ寸前に、『僕』は『共病文庫』と『桜良』のメールの受信箱を見たときに、『桜良』と『春樹』は
『お互いを尊敬し、お互いに認め合い、お互いに憧れていた』
ことを確認したのです。分かり合えたのに結ばれなかった。伝えられたのに確認できなかった。言いたいことがあるのにその時間すら与えてもらえなかった。最後の言葉さえ伝えられなかった。。。
この切なさは『桜良』の死に方でないと表現できません。
『春樹』からのメールを見て、お互いの心が一緒だと気づいた時の『桜良』の笑顔が見てみたいです(^^)
『桜良』と『春樹』はお互いに出会うために生き、彼女の死の一年後には『桜良』との出会いが『春樹』を変えたのです。この要素は実写版映画にはなかったので残念です(TT)
『切なさをここまで磨き上げた作品は、これより他にないです』

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