「コリーニ事件」、「禁忌」、「テロ」の作者、フェルディナント・フォン・シーラッハの短編集「刑罰("STRAFE")」(東京創元社)を読む。12篇が収録されています。
「参審員」。ドイツの司法制度を理解しているわけではありませんが、森の中に一人ポツンといるような孤独。
「逆さ」。米国のクライム・ノヴェルよりもハードボイルド。
「青く晴れた日」。罪を背負えば、丸く収まる。
「リュディア」。ピグマリオン。未来のイブ。
「隣人」。もう一つの夢(笑)。
「小男」。ダスティン・ホフマン。ハンフリー・ボガート。鮮やかな切れ味。
「ダイバー」。救済の日。傑作だと思います。
「臭い魚」。少年の無垢と心のよきもの、そして無慈悲。
「湖畔邸」。盗聴について。アルプス山脈まで遠望できる土地は、シーラッハの夢?
「奉仕活動」。ヒジャブを捨てた弁護士。これもまた傑作だと思います。
「テニス」。欧米のスリラーにはあって、我が国のスリラーにはないもの。
「友人」。リルケの詩、罪と孤独。
都度切り口を変えながら、それぞれが鮮やかな幕切れを持っています。
シーラッハは、抑制し、多くを語らず、行間から多くの<罪>とそのことに苛まれる<孤独>を描き、最後までほどよい幸福を与えてくれることはありません。
誰もが<青い土地>を生きることはできない。
刑罰 (日本語) 単行本 – 2019/6/12
フェルディナント・フォン・シーラッハ
(著)
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
この著者の 検索結果 を表示
あなたは著者ですか?
著者セントラルはこちら
|
-
本の長さ213ページ
-
言語日本語
-
出版社東京創元社
-
発売日2019/6/12
-
ISBN-104488010903
-
ISBN-13978-4488010904
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- ブルックリン・フォリーズ (新潮文庫)文庫
- 【2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位】ザリガニの鳴くところディーリア・オーエンズ単行本(ソフトカバー)
- 朗読者 (新潮文庫)文庫
- コリーニ事件 (創元推理文庫)文庫
- ベルリン1919 赤い水兵(上) (岩波少年文庫)クラウス・コルドン単行本
- 風神雷神 Juppiter,Aeolus(上)単行本
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
黒いダイバースーツを身につけたまま、浴室で死んでいた男。誤って赤ん坊を死なせてしまったという夫を信じて罪を肩代わりし、刑務所に入った母親。人身売買で起訴された犯罪組織のボスを弁護することになった新人弁護士。薬物依存症を抱えながら、高級ホテルの部屋に住むエリート男性。―実際の事件に材を得て、異様な罪を犯した人々の素顔や、刑罰を科されぬまま世界からこぼれ落ちた罪の真相を、切なくも鮮やかに描きだす。本屋大賞「翻訳小説部門」第1位『犯罪』で読書界を揺るがした短篇の名手が、真骨頂を発揮した最高傑作!
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
シーラッハ,フェルディナント・フォン
1964年、ドイツ・ミュンヘン生まれの作家。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫。1994年からベルリンで刑事事件弁護士として活躍する。2009年に『犯罪』で作家デビューし、ドイツ屈指の文学賞であるクライスト賞を受賞した。同書は日本でも2012年本屋大賞「翻訳小説部門」第1位、『このミステリーがすごい!2012年版』海外編の第2位に輝いた
酒寄/進一
1958年生まれ。ドイツ文学翻訳家。上智大学、ケルン大学、ミュンスター大学に学び、新潟大学講師を経て和光大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1964年、ドイツ・ミュンヘン生まれの作家。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫。1994年からベルリンで刑事事件弁護士として活躍する。2009年に『犯罪』で作家デビューし、ドイツ屈指の文学賞であるクライスト賞を受賞した。同書は日本でも2012年本屋大賞「翻訳小説部門」第1位、『このミステリーがすごい!2012年版』海外編の第2位に輝いた
酒寄/進一
1958年生まれ。ドイツ文学翻訳家。上智大学、ケルン大学、ミュンスター大学に学び、新潟大学講師を経て和光大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 東京創元社 (2019/6/12)
- 発売日 : 2019/6/12
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 213ページ
- ISBN-10 : 4488010903
- ISBN-13 : 978-4488010904
-
Amazon 売れ筋ランキング:
- 375,046位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 564位ドイツ文学 (本)
- - 1,005位ドイツ文学研究
- - 8,698位ミステリー・サスペンス・ハードボイルド (本)
- カスタマーレビュー:
この商品を買った人はこんな商品も買っています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
30 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
ベスト100レビュアー
Amazonで購入
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
750ページ越えの長編を読んだ後、15ページ平均の短編12作が入った本作品集に取り組む。優れた長編小説はいくら分厚くとも読み進めてしまえる。逆に優れた短編集は、短いからと言って中身がスカスカというものではなく、むしろ長編にはないずしりとした重心を感じさせるものだ。すらすらと読める文章でも立ち止まり文章を味わう瞬間も多々生じたりする。
現在、短編小説における私的ベスト作家は、このシーラッハである。補足するなら作家の本業は弁護士である。さらに言えば、ナチ党指導者の一人ギョール・フォン・シーラッハの孫である。この出自が作品や仕事に影響を与えているかどうかは、全くわからない。読者としては無視してよいし、弁護士として、また作家としての彼の人生を想像してもよいだろう。
ともかくぼくは、彼の新刊が出る度、作品世界に導かれるのが待ち遠しく、一作一作を、ページ毎、否、一行毎に、味わってゆく。短く端的に出現してゆく文章。そこに描かれた個性的な人間模様。それらを読んでゆく時間は、いつもとても貴重で、代え難い体験となってゆく。そう。読書の充実を、短い短編の中で感じ取ることができる、その希少な手腕こそが、この作家の魅力である。
作家が、ドイツの裁判を通して関わってきた実際の事件に材を取り、普通の人間が人生を思いのままにならず、巻き込まれたり、逆に誰かを巻き込んでゆく様子を、小説として綴る。俗にいう法廷ミステリではなく、犯罪を犯したり巻き込まれたりする人間の悲喜劇を、ある距離を置いた特別な視点で描いてゆくものである。
本書は『刑罰』というタイトルなので、それを念頭に各短編を楽しんだのだが、後で本についている帯を見ると、「罰を与えられれば、赦されたかもしれないのに」「刑罰を課されなかった罪の真相」とあり、ああ、すべての主人公は法律上の刑罰を与えられていなかったのだ、と後から気づかされた次第。
どこかアイロニーに満ちた人間ドラマに満ちた作品集、と思いつつ読み終えたものの、そういうテーマで統一されていたとは気づかなかった。振り返れば、なるほどと思うことばかりである。法廷で本来与えられる刑罰を様々な理由から受けることなく、よって収監されることもなく、日常が続く。しかしその日常は、それまでと同じものではない。衝撃と驚きに満ちた結末が待つ、完全性の高い作品ばかりである。
一ダースの物語。それでいて凡百の長編作品を軽く凌駕してしまう一冊。濃密な圧力を秘めた10ページ余のそれぞれの小説。この一冊の本による不思議体験を味わいたい方は、是非、手に取って頂きたいと思う。シーラッハ未読の方は、本書に限らず是非彼の本を体験して頂きたいと思う。小説とは量ではなく質である。そんんなことが、今までよりずっと明確になることだろう。
現在、短編小説における私的ベスト作家は、このシーラッハである。補足するなら作家の本業は弁護士である。さらに言えば、ナチ党指導者の一人ギョール・フォン・シーラッハの孫である。この出自が作品や仕事に影響を与えているかどうかは、全くわからない。読者としては無視してよいし、弁護士として、また作家としての彼の人生を想像してもよいだろう。
ともかくぼくは、彼の新刊が出る度、作品世界に導かれるのが待ち遠しく、一作一作を、ページ毎、否、一行毎に、味わってゆく。短く端的に出現してゆく文章。そこに描かれた個性的な人間模様。それらを読んでゆく時間は、いつもとても貴重で、代え難い体験となってゆく。そう。読書の充実を、短い短編の中で感じ取ることができる、その希少な手腕こそが、この作家の魅力である。
作家が、ドイツの裁判を通して関わってきた実際の事件に材を取り、普通の人間が人生を思いのままにならず、巻き込まれたり、逆に誰かを巻き込んでゆく様子を、小説として綴る。俗にいう法廷ミステリではなく、犯罪を犯したり巻き込まれたりする人間の悲喜劇を、ある距離を置いた特別な視点で描いてゆくものである。
本書は『刑罰』というタイトルなので、それを念頭に各短編を楽しんだのだが、後で本についている帯を見ると、「罰を与えられれば、赦されたかもしれないのに」「刑罰を課されなかった罪の真相」とあり、ああ、すべての主人公は法律上の刑罰を与えられていなかったのだ、と後から気づかされた次第。
どこかアイロニーに満ちた人間ドラマに満ちた作品集、と思いつつ読み終えたものの、そういうテーマで統一されていたとは気づかなかった。振り返れば、なるほどと思うことばかりである。法廷で本来与えられる刑罰を様々な理由から受けることなく、よって収監されることもなく、日常が続く。しかしその日常は、それまでと同じものではない。衝撃と驚きに満ちた結末が待つ、完全性の高い作品ばかりである。
一ダースの物語。それでいて凡百の長編作品を軽く凌駕してしまう一冊。濃密な圧力を秘めた10ページ余のそれぞれの小説。この一冊の本による不思議体験を味わいたい方は、是非、手に取って頂きたいと思う。シーラッハ未読の方は、本書に限らず是非彼の本を体験して頂きたいと思う。小説とは量ではなく質である。そんんなことが、今までよりずっと明確になることだろう。
2019年7月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これまで出版された著者の翻訳はすべて読んでいる。
さすがに本職の刑事専門弁護士だけあって、刑事手続のディテールがしっかり書いてあるし、ストーリー構成も確かである。
また、酒寄氏の翻訳も相変わらず素晴らしい。
本書は短編集であるが、解説がないために各短編の書かれた時期がわからない。もしかすると長編の合間に書きためたものかもしれない。
特筆すべきは、短編だけに刑事弁護人の本音と苦悩が垣間見えるように感じることである。
例えば、「参審員」では、ある女性参審員が自らの実体験に基づく感情を法廷で漏らしてしまったために不公正として排除されるが、結末はその危惧感どおりとなり、司法制度の冷酷な無情さが描かれる。
また、「奉仕活動」では、貧しい移民の少女が苦学して弁護士となり刑事弁護人に憧れるが、実際に担当した事件の被告人は残忍な悪党であったことが法廷で明らかとなり、弁護人辞任を申し出るが裁判所に拒否される。その後は弁護人としての成果をなんとか挙げるが、苦い結末となる。
その他の短編も、人間の犯罪に至る暗い衝動や司法制度の矛盾をシニカルに描いたものが多い。
結果的に悪が罰せられずに終わる展開が多く、ドイツの刑事司法制度に対してやや厳しすぎるように感じる。
最後の短編「友人」の末尾では、筆者とおぼしき一人称の話者が刑事弁護人としてのむなしさや空虚感を吐露しているが、これが著者の本音なら弁護士人生としては残念なことだろう。
あるいは、そうした刑事弁護人としてのむなしさを埋め、精神の平衡を保つために著者は小説を書いているのだろうか?
さすがに本職の刑事専門弁護士だけあって、刑事手続のディテールがしっかり書いてあるし、ストーリー構成も確かである。
また、酒寄氏の翻訳も相変わらず素晴らしい。
本書は短編集であるが、解説がないために各短編の書かれた時期がわからない。もしかすると長編の合間に書きためたものかもしれない。
特筆すべきは、短編だけに刑事弁護人の本音と苦悩が垣間見えるように感じることである。
例えば、「参審員」では、ある女性参審員が自らの実体験に基づく感情を法廷で漏らしてしまったために不公正として排除されるが、結末はその危惧感どおりとなり、司法制度の冷酷な無情さが描かれる。
また、「奉仕活動」では、貧しい移民の少女が苦学して弁護士となり刑事弁護人に憧れるが、実際に担当した事件の被告人は残忍な悪党であったことが法廷で明らかとなり、弁護人辞任を申し出るが裁判所に拒否される。その後は弁護人としての成果をなんとか挙げるが、苦い結末となる。
その他の短編も、人間の犯罪に至る暗い衝動や司法制度の矛盾をシニカルに描いたものが多い。
結果的に悪が罰せられずに終わる展開が多く、ドイツの刑事司法制度に対してやや厳しすぎるように感じる。
最後の短編「友人」の末尾では、筆者とおぼしき一人称の話者が刑事弁護人としてのむなしさや空虚感を吐露しているが、これが著者の本音なら弁護士人生としては残念なことだろう。
あるいは、そうした刑事弁護人としてのむなしさを埋め、精神の平衡を保つために著者は小説を書いているのだろうか?
2020年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者はドイツの現役弁護士。これは彼が体験した事件の調書なのだ。
無罪の人を裁かないために、犯罪は証拠に基づき法と判例に基づいて裁判にかけられる。証拠がなければ裁けないし、法に不備があれば裁けない。真実は神様しかわからないわけで人は無実の人を裁くか、犯罪者を無罪放免とするかどこかで線引をしなくてはならないのです。
性奴隷にされ訴えたら殺された少女。ダッチワイフにいたずらした隣人をボコボコにした男。妻に殺されたのか自殺したのかわからない男。そうした社会の歪曲した矛盾が裁判所に集まってくる。裁判所は怖い。シーラッハさん、良い本をありがとうございました。
無罪の人を裁かないために、犯罪は証拠に基づき法と判例に基づいて裁判にかけられる。証拠がなければ裁けないし、法に不備があれば裁けない。真実は神様しかわからないわけで人は無実の人を裁くか、犯罪者を無罪放免とするかどこかで線引をしなくてはならないのです。
性奴隷にされ訴えたら殺された少女。ダッチワイフにいたずらした隣人をボコボコにした男。妻に殺されたのか自殺したのかわからない男。そうした社会の歪曲した矛盾が裁判所に集まってくる。裁判所は怖い。シーラッハさん、良い本をありがとうございました。
殿堂入りNo1レビュアーベスト500レビュアー
刑事事件弁護士出身のドイツ人作家フェルディナント・フォン・シーラッハの『
犯罪
』『
罪悪
』に次ぐ最新短編集です。ドイツの司法制度が抱えている陥穽を、乾いた筆致で描く12の掌編が収められています。
人を守るはずの法が、決して万能ではないことをこれほどまでに苛烈な形で提示しつづけるフォン・シーラッハの手腕には本当に敬意を表します。
また、翻訳を担当したのはこれまでどおり酒寄進一・和光大学教授です。ドイツ語圏のミステリー小説を訳し続けてきた酒寄氏の翻訳には毎回ほれぼれとさせられますが、殊に今回はその和文をいつまでも読んでいたいと思わせるほどのものでした。
◇「参審員」
:事件ごとに選出される日本の裁判員と異なり、ドイツの参審制は任期制となっている。主人公のカタリーナは参審員に指名され、妻を虐待していた夫の裁判に参加する。被害者の妻の証言を聞いているうちにカタリーナは思わず泣き出してしまうが、これが予期せぬ結末を招くことに…。
物語の幕切れには言葉を失いました。ドイツの場合はわかりませんが、日本で裁判員裁判がスタートしたのは国民が刑事裁判に参加すると裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼が向上するからだと期待されたからでした。
しかしこの「参審員」を読む限り、ドイツの刑事司法は門外漢である市民が真摯な気持ちで参加するとますます国民から遠いものになってしまう可能性があることに思い至ります。後味の悪い、哀しい物語です。
◇「逆さ」
:刑事弁護人のシュレジンガーはかつて無罪を勝ち取った依頼人がその後殺人に走ったという経験をきっかけに酒におぼれていた。そんな彼に国選弁護人の依頼が来る。夫を射殺した容疑で逮捕された妻が、自分はやっていないと主張している。果たしてこの妻は無実なのか…。
凶悪犯をそうとは知らずに無罪放免させてしまったことに今も苛まれている男が主人公の、ちょっとハードボイルド気味な法廷ミステリーといった佳品です。やさぐれた弁護士シュレジンガーが最後はやくざ者の知己の手助けを得ながら被告人のために歯を食いしばって奔走する姿に心が添います。
◇「青く晴れた日」
:被告人は乳児の我が子を殺したとされる女。3年半の禁固刑を言い渡され、刑務所の家具工房での懲役を命じられた。しかし女には隠していたことがあった…。
10頁にも満たない掌編です。日本でも児童虐待の末の殺人が頻繁に報じられる時代になっていて、ドイツの話でありながら日本の身近な事件を扱ったミステリーとして読めてしまうことに悲しい現実を思いました。
◇「リュディア」
:妻に離婚されたマイヤーベックは独り暮らしを始めてからラブドールを購入し、リュディアと名付ける。ある日、リュディアが凌辱されてしまい、憤りを感じたマイヤーベックは犯人に復讐する…。
人形であるパートナーへの虐待に対する反撃を法はどう裁くべきかという思考実験のような物語です。マイヤーベックの嗜好を異常性愛ととるのか、たまさか相手が人形であっただけの幸福な関係ととるのか。読者の思想も試される好編だと感じました。
◇「隣人」
:初老のブリンクマンは長年連れ添った妻を癌で亡くしたばかり。そこへ隣家を購入した若い人妻アントーニアと出会う。夫がいない日中に彼女の家を訪ねるようになったブリンクマンは、ある日夫と初めて出会うのだが…。
他人の妻に横恋慕した男が引き起こす犯罪劇――というとありきたりに聞こえるでしょうが、フォン・シーラッハのどこまでも乾いた文章によって淡々と紡がれるのは、人生をある程度歩んできた男が見せる奇妙な達観です。
◇「小男」
:身長が低いことで女性からも相手にされずに生きてきたシュトレーリッツは、偶然にも自宅アパートの地下室で5キロのコカインを見つける。それを売りさばいて一儲けしようと画策するが、持ち主に追われて…。
これもまた司法のからくりの中で翻弄される男の話ですが、これまでの物語とは打って変わって落語のようなオチがつきます。コミカルな展開に思わず苦笑いしてしまう一編です。
◇「ダイバー」
:頸動脈を自ら圧迫して性的オーガズムを感じる行為に浴室でふけっていた夫が死んだ。妻はスキャンダルを恐れ、夫の首からロープをはずしてベッドに運んでから警察に通報する。しかし妻は夫殺害の容疑で拘留されてしまう…。
北ドイツ出身の夫。その夫との結婚を親に反対された妻。物語は司祭の説教の場面から始まります。つまり北方プロテスタント信徒の夫、カトリック教徒の妻という宗教的な関係が横たわっています。
浴室で首をくくっていた夫を下す妻は、あたかもキリスト降架あるいは聖母マリアによるピエタ像のようです。そして聖金曜日から始まるドラマは復活祭の月曜に幕を閉じ、キリストの復活と主人公の復活とが重ね合わされるわけです。
◇「臭い魚」
:トムは160の異なる民族がひしめき合う地区に暮らす11歳の少年。その地区の、戦災に遭ったアパートに少年たちが「臭い魚」と渾名する老人が暮らしていた。人殺しの噂もある老人相手にトムは仲間たちから肝試しを要求される…。
トムが暮らす地区とはどこを指すのか、この間の戦争とはいつのことなのか――現実味を帯びない時空で展開する少年時代の苦い思い出の話です。トムは老人との邂逅の中に、人が生きる悲しい真実を一瞬垣間見るのですが、少年時代の記憶はやがてきれいさっぱり拭い去られて行ってしまいます。そのことのこの上なく苦いことを思わせる物語です。
◇「湖畔邸」
:フェーリクス・アッシャーは火炎状母斑があったが、祖父だけは「あざは秘密の地図だ」と語ってくれた。その祖父が所有していたオーバーバイエルンの湖畔邸をアッシャーは50代になってから手に入れて暮らし始める。静かな湖畔の村に別荘地開発の波が押し寄せてから、アッシャーの心は落ち着きを失っていき…。
アッシャーが引き起こした事件は、人間の思考は自由であるべきでそれを守るのが法治国家のあるべき姿だと考える捜査判事によって予期せぬ形で決着を見せます。これもまた、司法の理想と現実社会との関係を見せつける物語です。
◇「奉仕活動」
:トルコ移民の娘セイマはベルリンで弁護士になり、東欧女性の対象に人身売買をしていた男の弁護につくことになる。ルーマニアから拉致されて男の相手をさせられていた女性が証言台に立つのだが…。
セルマは厳格なイスラム教徒である父に反発して故郷を飛び出し、法律家になった女性です。就職試験でなぜ法学を学んだのかと問われ、セルマは「二度と他人から指図されたくないからです。法がわたしの権利をまもってくれるはずですから」と答えます。
しかし、彼女が法を使って守るのは極悪非道な犯罪者です。しかも被害者はかつての自分のように、女であるがゆえに他人から指図を受け、権利を守られなかった、力なき娘です。法が大きな力を持つときと、大きな壁となるときがある矛盾を前に、セルマが葛藤する姿に読者として大きく心が揺さぶられます。そして、セルマがそれでもこの法の世界に背を向けず、なんとか踏みとどまろうとする苦い心の内もまた、読み手に迫ってくる秀作です。
◇「テニス」
:フォトジャーナリストの女は夫の浮気相手が身に着けていた真珠のネックレスを見つけてしまう。かつてあれほど愛していた夫だが、その熱情も今はない。女は早朝、ネックレスを階段の一番上にこれ見よがしに置いてから、ロシア出張に出かけるのだが…。
ロシアでは薬物依存症患者のリハビリ施設を取材し、そこで娘に死なれた初老の父親と出会います。息子はチェチェン紛争で亡くし、ウサギと暮らす男の写真を撮ってドイツへ戻ると夫が入院していると知らされるのです。
結末では、長年つれそった男女でなければ理解できないような不思議な夫婦関係が描かれます。かつて読んだイーサン・フローム『 イーディス ウォートン 』(荒地出版社)に大変よく似た結末だと感じました。
◇「友人」
:幼少期を共に過ごしたリヒャルトはアメリカの大学を出て結婚し、ニューヨークで金融マンとして成功していた。しかしある日を境に「私」とは連絡をとらなくなってしまう。数年後に再会したリヒャルトは薬物に溺れていた…。
この物語を紡ぐ「私」が作家となるきっかけを与えた友人の記憶をたどる短編です。
リヒャルトが身を持ち崩したのは痛ましいことこの上ない事件がきっかけだと明らかになっていきます。彼は被害者であるはずなのに、その事件の遠因が自分にあると自身を責め続けています。「罪は犯していないが、罰は受けるしかない」と語るリヒャルトの言葉が、彼をとらえて放さない孤独感と疎外感を強く表していて、読者の胸を衝きます。
-------------------------------
*46頁:「凶器に使われたのはFNブローニングHPというピストル」で「ベルギーのハースタルにあるファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社によって製造され」たと説明されていますが、ここの和訳にいくつか気になる点があります。
まずHerstalはベルギーでもフランス語圏にあたる南部ですから、「ハースタル」ではなく「エルスタル」と発音すべきです。事実、「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社」の「デルスタル」は「d’Herstal」のことですから前置詞deを抜けば「エルスタル」となります。ハースタルは英語圏での発音です。
またドイツ語原文では銃器メーカーの名が「Fabrique National」としか表記されていません。それを「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社」と和訳していますが「fabrique」は「ファブリック」とするほうがフランス語原音に近いといえます。
ネット上で「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社」を使っている例を探ってみたところ、Wikipediaに立項されている「FNハースタル」に「正式社名はファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール (Fabrique Nationale d'Armes de Guerre) だった」という記述が見つかりました(2019年7月現在)。ですがこのWikipediaの説明は、和名が「デルスタル」となっている一方でフランス語名が「d'Armes」となっていて、一致が見られません。
-------------------------------
法について考える機会を与えてくれた書物をいくつか紹介しておきます。
◆橋爪大三郎『 裁判員の教科書 』(ミネルヴァ書房)
◆コリン・P. A. ジョーンズ『 アメリカ人弁護士が見た裁判員制度 』(平凡社新書)
◆コリン・P. A. ジョーンズ『 手ごわい頭脳―アメリカン弁護士の思考法 』(新潮社新書)
陪審員や裁判員の役割は、被告人が本当のことを言っているか、犯罪を本当に引き起こしているかどうかを判断すること、つまり裁く対象は被告人だと思い込んでいる読者が多いかもしれません。しかしこうした思い込みに対して、これら3つの書は共通して次のことを指摘しています。
陪審員や裁判員が判断するのは、検察側が出した証拠が十分であったかどうかという点です。つまり、被告人が起訴されている犯罪の構成要件について、すべて「合理的な疑問の余地がなくなるまで」の立証水準が満たされているかどうかを判断するのが陪審の役割だというのです。平たく言えば、陪審員や裁判員が裁く相手は検察官なのです。
◆大蔵 昌枝『 アメリカの陪審制度と日本の裁判員制度―陪審制の発展と意義 』(エディックス)
:O・J・シンプソン事件で陪審員は法廷に提出された証拠のみを考慮するよう判事から説示を受けます。そして実際にシンプソン事件に参加した陪審員は、被告が無罪だと結論づけたわけではないと言っているのだとか。シンプソン被告は有罪だとは思ったが、警察が提出した証拠が信用できなかったと彼らは言うのです。有罪だという思い込みに対して、提出された証拠が勝ったということですから、健全な評議がおこなわれたといえるかもしれません。
.
人を守るはずの法が、決して万能ではないことをこれほどまでに苛烈な形で提示しつづけるフォン・シーラッハの手腕には本当に敬意を表します。
また、翻訳を担当したのはこれまでどおり酒寄進一・和光大学教授です。ドイツ語圏のミステリー小説を訳し続けてきた酒寄氏の翻訳には毎回ほれぼれとさせられますが、殊に今回はその和文をいつまでも読んでいたいと思わせるほどのものでした。
◇「参審員」
:事件ごとに選出される日本の裁判員と異なり、ドイツの参審制は任期制となっている。主人公のカタリーナは参審員に指名され、妻を虐待していた夫の裁判に参加する。被害者の妻の証言を聞いているうちにカタリーナは思わず泣き出してしまうが、これが予期せぬ結末を招くことに…。
物語の幕切れには言葉を失いました。ドイツの場合はわかりませんが、日本で裁判員裁判がスタートしたのは国民が刑事裁判に参加すると裁判が身近で分かりやすいものとなり、司法に対する国民の信頼が向上するからだと期待されたからでした。
しかしこの「参審員」を読む限り、ドイツの刑事司法は門外漢である市民が真摯な気持ちで参加するとますます国民から遠いものになってしまう可能性があることに思い至ります。後味の悪い、哀しい物語です。
◇「逆さ」
:刑事弁護人のシュレジンガーはかつて無罪を勝ち取った依頼人がその後殺人に走ったという経験をきっかけに酒におぼれていた。そんな彼に国選弁護人の依頼が来る。夫を射殺した容疑で逮捕された妻が、自分はやっていないと主張している。果たしてこの妻は無実なのか…。
凶悪犯をそうとは知らずに無罪放免させてしまったことに今も苛まれている男が主人公の、ちょっとハードボイルド気味な法廷ミステリーといった佳品です。やさぐれた弁護士シュレジンガーが最後はやくざ者の知己の手助けを得ながら被告人のために歯を食いしばって奔走する姿に心が添います。
◇「青く晴れた日」
:被告人は乳児の我が子を殺したとされる女。3年半の禁固刑を言い渡され、刑務所の家具工房での懲役を命じられた。しかし女には隠していたことがあった…。
10頁にも満たない掌編です。日本でも児童虐待の末の殺人が頻繁に報じられる時代になっていて、ドイツの話でありながら日本の身近な事件を扱ったミステリーとして読めてしまうことに悲しい現実を思いました。
◇「リュディア」
:妻に離婚されたマイヤーベックは独り暮らしを始めてからラブドールを購入し、リュディアと名付ける。ある日、リュディアが凌辱されてしまい、憤りを感じたマイヤーベックは犯人に復讐する…。
人形であるパートナーへの虐待に対する反撃を法はどう裁くべきかという思考実験のような物語です。マイヤーベックの嗜好を異常性愛ととるのか、たまさか相手が人形であっただけの幸福な関係ととるのか。読者の思想も試される好編だと感じました。
◇「隣人」
:初老のブリンクマンは長年連れ添った妻を癌で亡くしたばかり。そこへ隣家を購入した若い人妻アントーニアと出会う。夫がいない日中に彼女の家を訪ねるようになったブリンクマンは、ある日夫と初めて出会うのだが…。
他人の妻に横恋慕した男が引き起こす犯罪劇――というとありきたりに聞こえるでしょうが、フォン・シーラッハのどこまでも乾いた文章によって淡々と紡がれるのは、人生をある程度歩んできた男が見せる奇妙な達観です。
◇「小男」
:身長が低いことで女性からも相手にされずに生きてきたシュトレーリッツは、偶然にも自宅アパートの地下室で5キロのコカインを見つける。それを売りさばいて一儲けしようと画策するが、持ち主に追われて…。
これもまた司法のからくりの中で翻弄される男の話ですが、これまでの物語とは打って変わって落語のようなオチがつきます。コミカルな展開に思わず苦笑いしてしまう一編です。
◇「ダイバー」
:頸動脈を自ら圧迫して性的オーガズムを感じる行為に浴室でふけっていた夫が死んだ。妻はスキャンダルを恐れ、夫の首からロープをはずしてベッドに運んでから警察に通報する。しかし妻は夫殺害の容疑で拘留されてしまう…。
北ドイツ出身の夫。その夫との結婚を親に反対された妻。物語は司祭の説教の場面から始まります。つまり北方プロテスタント信徒の夫、カトリック教徒の妻という宗教的な関係が横たわっています。
浴室で首をくくっていた夫を下す妻は、あたかもキリスト降架あるいは聖母マリアによるピエタ像のようです。そして聖金曜日から始まるドラマは復活祭の月曜に幕を閉じ、キリストの復活と主人公の復活とが重ね合わされるわけです。
◇「臭い魚」
:トムは160の異なる民族がひしめき合う地区に暮らす11歳の少年。その地区の、戦災に遭ったアパートに少年たちが「臭い魚」と渾名する老人が暮らしていた。人殺しの噂もある老人相手にトムは仲間たちから肝試しを要求される…。
トムが暮らす地区とはどこを指すのか、この間の戦争とはいつのことなのか――現実味を帯びない時空で展開する少年時代の苦い思い出の話です。トムは老人との邂逅の中に、人が生きる悲しい真実を一瞬垣間見るのですが、少年時代の記憶はやがてきれいさっぱり拭い去られて行ってしまいます。そのことのこの上なく苦いことを思わせる物語です。
◇「湖畔邸」
:フェーリクス・アッシャーは火炎状母斑があったが、祖父だけは「あざは秘密の地図だ」と語ってくれた。その祖父が所有していたオーバーバイエルンの湖畔邸をアッシャーは50代になってから手に入れて暮らし始める。静かな湖畔の村に別荘地開発の波が押し寄せてから、アッシャーの心は落ち着きを失っていき…。
アッシャーが引き起こした事件は、人間の思考は自由であるべきでそれを守るのが法治国家のあるべき姿だと考える捜査判事によって予期せぬ形で決着を見せます。これもまた、司法の理想と現実社会との関係を見せつける物語です。
◇「奉仕活動」
:トルコ移民の娘セイマはベルリンで弁護士になり、東欧女性の対象に人身売買をしていた男の弁護につくことになる。ルーマニアから拉致されて男の相手をさせられていた女性が証言台に立つのだが…。
セルマは厳格なイスラム教徒である父に反発して故郷を飛び出し、法律家になった女性です。就職試験でなぜ法学を学んだのかと問われ、セルマは「二度と他人から指図されたくないからです。法がわたしの権利をまもってくれるはずですから」と答えます。
しかし、彼女が法を使って守るのは極悪非道な犯罪者です。しかも被害者はかつての自分のように、女であるがゆえに他人から指図を受け、権利を守られなかった、力なき娘です。法が大きな力を持つときと、大きな壁となるときがある矛盾を前に、セルマが葛藤する姿に読者として大きく心が揺さぶられます。そして、セルマがそれでもこの法の世界に背を向けず、なんとか踏みとどまろうとする苦い心の内もまた、読み手に迫ってくる秀作です。
◇「テニス」
:フォトジャーナリストの女は夫の浮気相手が身に着けていた真珠のネックレスを見つけてしまう。かつてあれほど愛していた夫だが、その熱情も今はない。女は早朝、ネックレスを階段の一番上にこれ見よがしに置いてから、ロシア出張に出かけるのだが…。
ロシアでは薬物依存症患者のリハビリ施設を取材し、そこで娘に死なれた初老の父親と出会います。息子はチェチェン紛争で亡くし、ウサギと暮らす男の写真を撮ってドイツへ戻ると夫が入院していると知らされるのです。
結末では、長年つれそった男女でなければ理解できないような不思議な夫婦関係が描かれます。かつて読んだイーサン・フローム『 イーディス ウォートン 』(荒地出版社)に大変よく似た結末だと感じました。
◇「友人」
:幼少期を共に過ごしたリヒャルトはアメリカの大学を出て結婚し、ニューヨークで金融マンとして成功していた。しかしある日を境に「私」とは連絡をとらなくなってしまう。数年後に再会したリヒャルトは薬物に溺れていた…。
この物語を紡ぐ「私」が作家となるきっかけを与えた友人の記憶をたどる短編です。
リヒャルトが身を持ち崩したのは痛ましいことこの上ない事件がきっかけだと明らかになっていきます。彼は被害者であるはずなのに、その事件の遠因が自分にあると自身を責め続けています。「罪は犯していないが、罰は受けるしかない」と語るリヒャルトの言葉が、彼をとらえて放さない孤独感と疎外感を強く表していて、読者の胸を衝きます。
-------------------------------
*46頁:「凶器に使われたのはFNブローニングHPというピストル」で「ベルギーのハースタルにあるファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社によって製造され」たと説明されていますが、ここの和訳にいくつか気になる点があります。
まずHerstalはベルギーでもフランス語圏にあたる南部ですから、「ハースタル」ではなく「エルスタル」と発音すべきです。事実、「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社」の「デルスタル」は「d’Herstal」のことですから前置詞deを抜けば「エルスタル」となります。ハースタルは英語圏での発音です。
またドイツ語原文では銃器メーカーの名が「Fabrique National」としか表記されていません。それを「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社」と和訳していますが「fabrique」は「ファブリック」とするほうがフランス語原音に近いといえます。
ネット上で「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール社」を使っている例を探ってみたところ、Wikipediaに立項されている「FNハースタル」に「正式社名はファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール (Fabrique Nationale d'Armes de Guerre) だった」という記述が見つかりました(2019年7月現在)。ですがこのWikipediaの説明は、和名が「デルスタル」となっている一方でフランス語名が「d'Armes」となっていて、一致が見られません。
-------------------------------
法について考える機会を与えてくれた書物をいくつか紹介しておきます。
◆橋爪大三郎『 裁判員の教科書 』(ミネルヴァ書房)
◆コリン・P. A. ジョーンズ『 アメリカ人弁護士が見た裁判員制度 』(平凡社新書)
◆コリン・P. A. ジョーンズ『 手ごわい頭脳―アメリカン弁護士の思考法 』(新潮社新書)
陪審員や裁判員の役割は、被告人が本当のことを言っているか、犯罪を本当に引き起こしているかどうかを判断すること、つまり裁く対象は被告人だと思い込んでいる読者が多いかもしれません。しかしこうした思い込みに対して、これら3つの書は共通して次のことを指摘しています。
陪審員や裁判員が判断するのは、検察側が出した証拠が十分であったかどうかという点です。つまり、被告人が起訴されている犯罪の構成要件について、すべて「合理的な疑問の余地がなくなるまで」の立証水準が満たされているかどうかを判断するのが陪審の役割だというのです。平たく言えば、陪審員や裁判員が裁く相手は検察官なのです。
◆大蔵 昌枝『 アメリカの陪審制度と日本の裁判員制度―陪審制の発展と意義 』(エディックス)
:O・J・シンプソン事件で陪審員は法廷に提出された証拠のみを考慮するよう判事から説示を受けます。そして実際にシンプソン事件に参加した陪審員は、被告が無罪だと結論づけたわけではないと言っているのだとか。シンプソン被告は有罪だとは思ったが、警察が提出した証拠が信用できなかったと彼らは言うのです。有罪だという思い込みに対して、提出された証拠が勝ったということですから、健全な評議がおこなわれたといえるかもしれません。
.
2019年9月6日に日本でレビュー済み
書評を参考に読みました。
著者の作品はこれが初めてですが、
褒めすぎではないでしょうか。
登場人物の人生観は、普通とは言わないまでも、
新鮮味がないというか、退屈です。これを
文学的に評価するなら、ほかのジャンルの本をお勧めします。
描き方や構成に独特のもはあっても絶賛されすぎで、
また、司法制度が云々という人は、
よほど法制度に疎かった人だと思います。
これについてもそのジャンルのガイドブックは
山のように存在しますので、
アマゾンで探して、ご一読ください。
著者の作品はこれが初めてですが、
褒めすぎではないでしょうか。
登場人物の人生観は、普通とは言わないまでも、
新鮮味がないというか、退屈です。これを
文学的に評価するなら、ほかのジャンルの本をお勧めします。
描き方や構成に独特のもはあっても絶賛されすぎで、
また、司法制度が云々という人は、
よほど法制度に疎かった人だと思います。
これについてもそのジャンルのガイドブックは
山のように存在しますので、
アマゾンで探して、ご一読ください。