政治改革法案が93年内に成立しない場合、政治責任を取る旨を就任後初の記者会見にて明言されたことを筆頭に、全体に渡り、行間に「泥を被ってでもやり抜く」覚悟が溢れている。その証左は例えば'94年1月21日参院本会議にて政治改革法案否決後の状況に係る成田憲彦氏(当時、首相秘書官)の証言に見られる;「否決後はケロッとしていました。激励に行った日本新党議員が「逆に励まされました」と言っていました。総理はそういう所は強い。誰それがどうしたからこうなったとか、過ぎたことは一切言わない。(p.296))」。
組閣人事について、「腹の据わった有能な人を選びたい。『七人の侍』ではないが、20人の閣僚の中で、何人か、本当にしっかりした人がいれば全然問題ない」(p.96)と述べている。基本的な考え方すら真逆の人たちの寄り合い所帯という点は、今日の民主党と共通であるが、最大の相違は強力な司令塔の有無であるように思われる。この日記を「内訟録」とした理由について次のように述べている。「未だ能くその過ちを見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり」という論語の言葉が、坐忘とか虚心とかよりも、その時の自分の心持ちにより一層ピタッとくる感じがしたからである。日常生活において、静座なり、内訟なり、細心の工夫を凝らすことは、ともすると惰性に流れがちな自分と戦う大事な心構えだと思われる(p.1-2)。漢詩の素読をして育った筆者らしく、漢文、和歌等の古典からの引用も多く、時々の筆者の心境との対比が面白い。例えば次の短歌には、本書の表題が旨とする深い静座の心を感じられる。
93年12月31日 久方の 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則(p254)
〈文中引用文献一覧〉
・トインビー, 歴史の研究 (p.21)
・佐藤一斎, 言志四録 (p.50, p.123)
・モンテスキュー, 法の精神 (p.63)
・中村隆英, 聞書 宮沢喜一回顧録 (p.116)
・Richard Milhous Nixon, 指導者とは (p.124, p.274)
・安永蕗子, 魚愁 (p.187)
・Harold George Nicolson, 外交 (p.227)
・張説, 唐詩選 (p.230)
・Carl Hilty, 幸福論 (p.262)
・横井小楠, 国是三論 (p.264)
・Max Weber, 職業としての政治 (p.354)
・魯迅, 半夏小集 (p.450)
内訟録―細川護熙総理大臣日記 (日本語) 単行本 – 2010/5/26
細川 護熙
(著)
-
ISBN-104532167434
-
ISBN-13978-4532167431
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出版社日本経済新聞出版
-
発売日2010/5/26
-
言語日本語
-
本の長さ536ページ
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商品の説明
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
細川/護煕
1938年生まれ。上智大学法学部卒。新聞記者を経て、1983年、熊本県知事。1992年5月、日本新党を旗揚げし代表就任。1993年7月の衆院選で初当選。1993年8月~1994年4月、第79代内閣総理大臣。1998年5月、衆議院議員辞職。現在は菜園をやりながら、やきものや書、油絵などを楽しむ
伊集院/敦
1985年、早稲田大学卒、日本経済新聞社入社。ソウル支局長、政治部次長、中国総局長などを経て、現在、アジア部編集委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1938年生まれ。上智大学法学部卒。新聞記者を経て、1983年、熊本県知事。1992年5月、日本新党を旗揚げし代表就任。1993年7月の衆院選で初当選。1993年8月~1994年4月、第79代内閣総理大臣。1998年5月、衆議院議員辞職。現在は菜園をやりながら、やきものや書、油絵などを楽しむ
伊集院/敦
1985年、早稲田大学卒、日本経済新聞社入社。ソウル支局長、政治部次長、中国総局長などを経て、現在、アジア部編集委員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 日本経済新聞出版 (2010/5/26)
- 発売日 : 2010/5/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 536ページ
- ISBN-10 : 4532167434
- ISBN-13 : 978-4532167431
- Amazon 売れ筋ランキング: - 585,880位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
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2014年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
福島の惨状を見るにつけ原発反対運動を長きに亘り闘ってきました。今回の都知事選に立候補され即原発ゼロを掲げる元総理に是非勝っていただきたいと切に思い乍ら、その歴史や人となりを詳しく知りたいと思ったのがきっかけです。勇気を貰いました。又本はとても丁寧にお読みになっておられ、気持ち良く読まさせて頂きました。今回で細川さんのその人間性に惹かれ、京都建仁寺の襖絵を見に行く事としました。ありがとうございました。
ベスト500レビュアー
細川護熙氏の『内訟録 細川護熙総理大臣日記』 (日本経済新聞出版社・伊集院敦氏構成)を読んだ。
それほど深みがある内容の日記とは感じなかった。長期政権を担った佐藤栄作氏程度の政治家であっても、朝日新聞社から刊行されていたその日記は表面的な記述が多くあまり面白くなかったという記憶がある(あの「密約外交」の忍者・若泉敬氏の名前は出てきても、具体的な指示などが書かれていたわけでもなし)。況んや短期政権で元祖丸投げ、投げ捨て総理では……。
佐藤氏の日記も週末は鎌倉の別荘に出掛けてゴルフ三昧云々の記述が多かった(もちろんゴルフしながらいろいろと密談してもその内容は日記に記さなかっただけかもしれないが)。
細川さんはもっぱらテニス。日記も誰と会ったとかそんなメモ的記述がほとんど。本なんかほとんど読んでいないようだ。正月休みは少し時間があったのか、ヒルティやニクソンの僕も読んだ覚えのある本などがちょこっと出てくるが、その程度。
日記だけではもたないと出版元も考えたのか、当時の首相官邸の動向(一日)などを下に載せたり、当時の政府関係者たちのコメントをあちこちに挿入して、史実関係を補強したりしている。
韓国の金泳三大統領との会談では、「ユニーク」な歴史観から謝罪を述べたりしたことを喜々として書き残している。金大統領側のコメントとしては、もちろんそうした謝罪的なことは歓迎しつつも、当時北朝鮮に日本からお金がかなり流れていたことに懸念を表明し、「私は、日本は本当におかしな国だと思いました。何のために、共産主義者にそんなことをするのか、と」。
圧巻は中国首脳との会談前の記述(九四年三月)。
天安門の記憶もまだ根強く、米中関係でも人権問題が注視されていた時期。日中首脳会談では向こうから「公式会談ではこれ(人権問題)を提起することは何としても取り止めて欲しき旨申し入れあり」と。 「先方がそこまで嫌というものを強行することは、感情的シコリとなり、訪中全体の雰囲気を悪くすること必定と思料、依って人権問題は首脳会談ではなく、晩餐会の席上で述ぶこととす」としたと書く。
殺人者李鵬首相とはトキ保存について協力を求め、相手の嫌がることを言わなかったおかげかどうかは別にして、積極的に協力する旨の回答を得たとも記している。
新潟のトキ程度のために、多くの中国内の人権被害者を見捨てるようなことをしたわけだ。かつての日本軍の蛮行を侵略戦争だと批判し反省するならば、同じことを、いやそれ以上の蛮行を行なっている中共に対しても批判的視点を持たないと矛盾ではないか。そうした矛盾を矛盾と感じるだけの知性は持ちたいものだ。
「国民福祉税」をめぐる抗争など、政権末期の状況に関してはあっさりとしか書かれていない。物足りない。
それほど深みがある内容の日記とは感じなかった。長期政権を担った佐藤栄作氏程度の政治家であっても、朝日新聞社から刊行されていたその日記は表面的な記述が多くあまり面白くなかったという記憶がある(あの「密約外交」の忍者・若泉敬氏の名前は出てきても、具体的な指示などが書かれていたわけでもなし)。況んや短期政権で元祖丸投げ、投げ捨て総理では……。
佐藤氏の日記も週末は鎌倉の別荘に出掛けてゴルフ三昧云々の記述が多かった(もちろんゴルフしながらいろいろと密談してもその内容は日記に記さなかっただけかもしれないが)。
細川さんはもっぱらテニス。日記も誰と会ったとかそんなメモ的記述がほとんど。本なんかほとんど読んでいないようだ。正月休みは少し時間があったのか、ヒルティやニクソンの僕も読んだ覚えのある本などがちょこっと出てくるが、その程度。
日記だけではもたないと出版元も考えたのか、当時の首相官邸の動向(一日)などを下に載せたり、当時の政府関係者たちのコメントをあちこちに挿入して、史実関係を補強したりしている。
韓国の金泳三大統領との会談では、「ユニーク」な歴史観から謝罪を述べたりしたことを喜々として書き残している。金大統領側のコメントとしては、もちろんそうした謝罪的なことは歓迎しつつも、当時北朝鮮に日本からお金がかなり流れていたことに懸念を表明し、「私は、日本は本当におかしな国だと思いました。何のために、共産主義者にそんなことをするのか、と」。
圧巻は中国首脳との会談前の記述(九四年三月)。
天安門の記憶もまだ根強く、米中関係でも人権問題が注視されていた時期。日中首脳会談では向こうから「公式会談ではこれ(人権問題)を提起することは何としても取り止めて欲しき旨申し入れあり」と。 「先方がそこまで嫌というものを強行することは、感情的シコリとなり、訪中全体の雰囲気を悪くすること必定と思料、依って人権問題は首脳会談ではなく、晩餐会の席上で述ぶこととす」としたと書く。
殺人者李鵬首相とはトキ保存について協力を求め、相手の嫌がることを言わなかったおかげかどうかは別にして、積極的に協力する旨の回答を得たとも記している。
新潟のトキ程度のために、多くの中国内の人権被害者を見捨てるようなことをしたわけだ。かつての日本軍の蛮行を侵略戦争だと批判し反省するならば、同じことを、いやそれ以上の蛮行を行なっている中共に対しても批判的視点を持たないと矛盾ではないか。そうした矛盾を矛盾と感じるだけの知性は持ちたいものだ。
「国民福祉税」をめぐる抗争など、政権末期の状況に関してはあっさりとしか書かれていない。物足りない。
2011年11月16日に日本でレビュー済み
政権発足前夜、官房長官就任を打診された武村が早速マスコミにリーク
著者が田中秀征さきがけ代表代行に猛抗議する等
著者と武村の関係は当初から円滑を欠いていた。
国連安保理入りを目指す外務省とこれに反対するさきがけという構図も。
政治改革法案では問題先送りを目論んだ両院議長斡旋を毅然と退けた著者は立派だった。
(著者退出時に握手を拒んだ土井たか子は実に大人気ないが、
その後の社民党の衰勢を思えばいい様ではある。)
-
頻々と自民に接触し「与党の官房長官なのか野党の官房長官なのか」と批判されていた武村は
94年2月国民福祉税発表→撤回の局面で「相変わらずギラギラと動」き
「私心なく天下国家を憂う人とは思えず」と著者は不信感を吐露。
訪米の際には政権中枢内の親北分子(武村か社党か)に米側より懸念。
内閣改造(武村更迭・市川入閣)見送りに当り武村は職務精励を誓うが
裏では自民・社党左派・さきがけが細川潰しで合意(世にも醜怪な村山野合政権の萌芽がここに)。
獅子身中の虫武村は更迭要求が噴出した93年12月に斬っておくべきであった。
-
一方で著者は所謂一・一ライン主導の「二重権力構造との指摘」につき「実相からは遠い」と否定。
小沢は「物事を決めるときは、必ず相手の判断を求めながら議論を進めてい」た、
コメ開放・政治改革・内閣改造見送りでも
実は「私とは多少、考えの違いがあったんだが、結局は私の考えで進めさせてもらった」と。
-
「常に「退」を腹中に」が信念の著者に直接的に退陣を促したのは佐川急便からの借入金の件であるが
これは10年以上も前に完済した私人間の貸借であり
政権奪還のためには形振り構わずこんな下らない問題で国会を空転させる自民党の姿は醜悪極まりない。
これにつき河野洋平は「まあ、その方がわかりやすかったということでしょう」と。
有権者の政治リテラシーも随分と自民党に舐められたものである。
著者が田中秀征さきがけ代表代行に猛抗議する等
著者と武村の関係は当初から円滑を欠いていた。
国連安保理入りを目指す外務省とこれに反対するさきがけという構図も。
政治改革法案では問題先送りを目論んだ両院議長斡旋を毅然と退けた著者は立派だった。
(著者退出時に握手を拒んだ土井たか子は実に大人気ないが、
その後の社民党の衰勢を思えばいい様ではある。)
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頻々と自民に接触し「与党の官房長官なのか野党の官房長官なのか」と批判されていた武村は
94年2月国民福祉税発表→撤回の局面で「相変わらずギラギラと動」き
「私心なく天下国家を憂う人とは思えず」と著者は不信感を吐露。
訪米の際には政権中枢内の親北分子(武村か社党か)に米側より懸念。
内閣改造(武村更迭・市川入閣)見送りに当り武村は職務精励を誓うが
裏では自民・社党左派・さきがけが細川潰しで合意(世にも醜怪な村山野合政権の萌芽がここに)。
獅子身中の虫武村は更迭要求が噴出した93年12月に斬っておくべきであった。
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一方で著者は所謂一・一ライン主導の「二重権力構造との指摘」につき「実相からは遠い」と否定。
小沢は「物事を決めるときは、必ず相手の判断を求めながら議論を進めてい」た、
コメ開放・政治改革・内閣改造見送りでも
実は「私とは多少、考えの違いがあったんだが、結局は私の考えで進めさせてもらった」と。
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「常に「退」を腹中に」が信念の著者に直接的に退陣を促したのは佐川急便からの借入金の件であるが
これは10年以上も前に完済した私人間の貸借であり
政権奪還のためには形振り構わずこんな下らない問題で国会を空転させる自民党の姿は醜悪極まりない。
これにつき河野洋平は「まあ、その方がわかりやすかったということでしょう」と。
有権者の政治リテラシーも随分と自民党に舐められたものである。
VINEメンバー
選挙カーに乗って悠々として日本新党の地元候補者の話を聞いている姿を間近に見た一回きりだが
すでに地元は応援でいっぱいだった。記者会見でプロンプターを見ながら話したり会見で記者を指さしたり
海外訪問ではタラップを降りる首にはのけぞるようなマフラーが
何から何まで美しすぎる首相だったが献金問題であっというまに消えてしまった感じしか残っていない。
さて93年は自分にとってはそれほどの過去でなくほんのちょっとまえであり
尊敬する田中秀正さんのコメントありで結構楽しく読ませてもらっている。
ここまで民主党政治が劣化してしまうときっとうずうずしているのかもしれないが日記の背景には白州次郎や白州雅子氏など
彼が関わった人たちの生き様もあるのだろうと推測しながら読んでいる。
辞めていった首相で未だに恥ずかしくもなく政治家をやっている人もいるが
こうありたいと思える人であるので
日記を読みながら当時を思い浮かべながら葛藤や苦悩を深読みしてみたい。
それにしてもまだ日本に余裕のある時代だったと読みながらつくづく思う。
まさかここまで日本経済が低迷するとは
あの当時誰も想像しなかっただろう。
それは私もだがこのときからすでに同じ事の繰り返しで本当の問題に気がついていたかどうか
これから後半を読みながら見ることにしたい。
すでに地元は応援でいっぱいだった。記者会見でプロンプターを見ながら話したり会見で記者を指さしたり
海外訪問ではタラップを降りる首にはのけぞるようなマフラーが
何から何まで美しすぎる首相だったが献金問題であっというまに消えてしまった感じしか残っていない。
さて93年は自分にとってはそれほどの過去でなくほんのちょっとまえであり
尊敬する田中秀正さんのコメントありで結構楽しく読ませてもらっている。
ここまで民主党政治が劣化してしまうときっとうずうずしているのかもしれないが日記の背景には白州次郎や白州雅子氏など
彼が関わった人たちの生き様もあるのだろうと推測しながら読んでいる。
辞めていった首相で未だに恥ずかしくもなく政治家をやっている人もいるが
こうありたいと思える人であるので
日記を読みながら当時を思い浮かべながら葛藤や苦悩を深読みしてみたい。
それにしてもまだ日本に余裕のある時代だったと読みながらつくづく思う。
まさかここまで日本経済が低迷するとは
あの当時誰も想像しなかっただろう。
それは私もだがこのときからすでに同じ事の繰り返しで本当の問題に気がついていたかどうか
これから後半を読みながら見ることにしたい。
2010年8月10日に日本でレビュー済み
日本新党を率い、新党ブームを巻き起こし、非自民連立政権の首班になった細川護熙氏の総理在職期の現在公開できる部分の日記である。
「構成者」の力により、周辺の人物の証言や当時の新聞記事から、連立政権の様相を立体的に描き出した「本人日記+他人証言集」になっている。
新たな連立政権の時代に、政権運営の教訓にすべき様々が簡単な記述の中に埋め込まれている。
連立政権或いは二院制議会の「ねじれ」という政治に今だ馴染めずにいる日本に、ヒントを与えてくれるかもしれない一冊です。
細川家という脈々と続く政治文化体が、記録すること証言を残すこと選択したといえる。首相官邸内外の人々の思惑と力の行使のダイナミックな渦をどのようにコントロールするのか、国内外の日々起こる様々に如何に対応するのか、対応したのか、時間を細川政権時代に戻しこの一冊を紐解くのも今必要なことに思える。
「構成者」の力により、周辺の人物の証言や当時の新聞記事から、連立政権の様相を立体的に描き出した「本人日記+他人証言集」になっている。
新たな連立政権の時代に、政権運営の教訓にすべき様々が簡単な記述の中に埋め込まれている。
連立政権或いは二院制議会の「ねじれ」という政治に今だ馴染めずにいる日本に、ヒントを与えてくれるかもしれない一冊です。
細川家という脈々と続く政治文化体が、記録すること証言を残すこと選択したといえる。首相官邸内外の人々の思惑と力の行使のダイナミックな渦をどのようにコントロールするのか、国内外の日々起こる様々に如何に対応するのか、対応したのか、時間を細川政権時代に戻しこの一冊を紐解くのも今必要なことに思える。