思えば日本文学の文体に育てられたのではなく、少年少女世界の名作文学を読んで本が好きに育った。
だから、基本、翻訳が前提の世界で日本語を覚えたわけだ。
絵本・童話や名作文学、ホームズ・ルパン・クイーンの推理小説に至るまで、
聖書やカモメのジョナサン、指輪物語、ゲド戦記等々、
自分に影響を与えたのは翻訳文学だったことを思うと、
筆者の繰り広げる数々のエピソードは何と身近で、腑に落ちる話題であることか。
この人と友達になりたかったなあと、しみじみ思いながら随筆を読むなんて本当に久しぶり。
言葉の物語、背景を愛せる人だ。
エッセイとはこういう世界だったのだなあ、と。
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全身翻訳家 (ちくま文庫) 文庫 – 2011/8/9
何をやっても翻訳的思考から逃れられない。妙に言葉が気になり妙な連想に填る。翻訳というメガネで世界を見た貴重な記録(エッセイ)。
- 本の長さ265ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2011/8/9
- ISBN-104480428496
- ISBN-13978-4480428493
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
食事をしても子どもと会話しても本を読んでも映画を観ても旅に出かけても、すべて翻訳につながってしまう。翻訳家・鴻巣友季子が、その修業時代から今に至るまでを赤裸々かつ不思議に語ったエッセイ集。五感のすべてが、翻訳というフィルターを通して見える世界は、こんなにも深く奇妙でこんなにも楽しい。エッセイ集「やみくも」を大幅改編+増補した決定版。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鴻巣/友季子
東京生まれ。翻訳家・文芸評論家。クッツェー、アトウッド、クックなど英語文学の翻訳をメインに活躍。03年『嵐が丘』新訳で注目され、また09年には世界文学全集でヴァージニア・ウルフ「灯台へ」を翻訳し評判となる。他に翻訳書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
東京生まれ。翻訳家・文芸評論家。クッツェー、アトウッド、クックなど英語文学の翻訳をメインに活躍。03年『嵐が丘』新訳で注目され、また09年には世界文学全集でヴァージニア・ウルフ「灯台へ」を翻訳し評判となる。他に翻訳書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2011/8/9)
- 発売日 : 2011/8/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 265ページ
- ISBN-10 : 4480428496
- ISBN-13 : 978-4480428493
- Amazon 売れ筋ランキング: - 55,905位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 216位ちくま文庫
- - 1,966位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
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著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
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ベスト500レビュアー
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2011年8月31日に日本でレビュー済み
「全身翻訳家」というタイトルであるが、必ずしも本書が翻訳の事ばかりを書いているということではない。「あとがき」によれば、翻訳ばかりでなく、エッセイとか評論とかも書くようになった翻訳者鴻巣の思いが「まず翻訳ありき」ということからスタートしている、ということである。
だから、翻訳の苦労話というものもあまり書かれていない。この点、個人的には少々残念ではあるが・・・・。むしろ、スキーとかカヌー等々のスポーツの話とか、食事の話とか、後ろ向きに歩く老婆のような不思議な話とか・・・・。
カバー・デザインの意味するところは?
だから、翻訳の苦労話というものもあまり書かれていない。この点、個人的には少々残念ではあるが・・・・。むしろ、スキーとかカヌー等々のスポーツの話とか、食事の話とか、後ろ向きに歩く老婆のような不思議な話とか・・・・。
カバー・デザインの意味するところは?
殿堂入りNo1レビュアーベスト500レビュアー
英米文学の翻訳家として四半世紀活躍してきた著者のエッセイ集。『
やみくも―翻訳家、穴に落ちる
』として単行本出版されたものを土台に、加筆・修正・増補した一冊です。
「翻訳家のエッセイには間違いはない」というのが私の経験知ですが、この本もそれを裏切らないものでした。
ともすれば流れ行くだけの時間の狭間に独特の視点で何かを見いだし、それを味わい深く、練達の文章で綴って見せる手腕。
日々、常人の想像が及ばぬほどの密度で言葉と格闘し、また翻訳を通して原書の物語を奥の奥まで味わいつくしている人であるからこその文章が、250ページ強込められた書です。
話題は多岐にわたります。
翻訳家になったばかりのころのこと。
ひとり黙々と翻訳業を続ける中での孤独に関した一文。
子育てのこと。
食に関するエッセイなどなど。
小学一年生の娘の通う小学校を通してアフガニスタンの若い女性教師を一日ホームステイでひきうけることになったことを綴ったエッセイがなかなか読ませます。
タリバン政権崩壊でようやく女性の教育機会や歌舞音曲の演奏が解禁されたイスラム国からやってきた彼女。わずか一日とはいえ、驚きと理解に満ちた交流が終わった後、個人の住所がないというアフガニスタンに帰る彼女とは今後Yahooメールを通じた通信だけがたよりです。
国づくりの途上にあってまだまだ不安定な母国へもどる彼女とのやりとりも、いつかはなくなってしまうかもしれない。その先に自分に残されるのは「祈りをこめた傍観だけかもしれない」と著者は記します。この一文に胸を衝かれました。
最後に最も心に残った言葉を引き写します。
「翻訳とは、自分のことばの言語領域を離れて、訳語という仮住まいをただ訪ね歩くエトランジェになることだ。その圧倒的な心許なさのうちにも、ことばの非日常に暮らす一抹の華やぎがある。世界で十五億人が話す強大な英語を、今日もわたしは「小さな」日本語に訳している。相変わらず小さな筏で流れに翻弄され、ときどき転覆しかけながら、他者のことばの河をくだっていく。」(218頁)
「翻訳家のエッセイには間違いはない」というのが私の経験知ですが、この本もそれを裏切らないものでした。
ともすれば流れ行くだけの時間の狭間に独特の視点で何かを見いだし、それを味わい深く、練達の文章で綴って見せる手腕。
日々、常人の想像が及ばぬほどの密度で言葉と格闘し、また翻訳を通して原書の物語を奥の奥まで味わいつくしている人であるからこその文章が、250ページ強込められた書です。
話題は多岐にわたります。
翻訳家になったばかりのころのこと。
ひとり黙々と翻訳業を続ける中での孤独に関した一文。
子育てのこと。
食に関するエッセイなどなど。
小学一年生の娘の通う小学校を通してアフガニスタンの若い女性教師を一日ホームステイでひきうけることになったことを綴ったエッセイがなかなか読ませます。
タリバン政権崩壊でようやく女性の教育機会や歌舞音曲の演奏が解禁されたイスラム国からやってきた彼女。わずか一日とはいえ、驚きと理解に満ちた交流が終わった後、個人の住所がないというアフガニスタンに帰る彼女とは今後Yahooメールを通じた通信だけがたよりです。
国づくりの途上にあってまだまだ不安定な母国へもどる彼女とのやりとりも、いつかはなくなってしまうかもしれない。その先に自分に残されるのは「祈りをこめた傍観だけかもしれない」と著者は記します。この一文に胸を衝かれました。
最後に最も心に残った言葉を引き写します。
「翻訳とは、自分のことばの言語領域を離れて、訳語という仮住まいをただ訪ね歩くエトランジェになることだ。その圧倒的な心許なさのうちにも、ことばの非日常に暮らす一抹の華やぎがある。世界で十五億人が話す強大な英語を、今日もわたしは「小さな」日本語に訳している。相変わらず小さな筏で流れに翻弄され、ときどき転覆しかけながら、他者のことばの河をくだっていく。」(218頁)
2011年9月2日に日本でレビュー済み
子供の頃の夢、実現しましたか?女の子だったら、幼稚園の先生・花屋さん・ケーキ屋さんなどが多いのでしょうか?
どんな習い事も長続きしなかった、友季子さんがたった一つだけ「英語がすき!!」と思って、やがて翻訳家を目指したそうです。
本書は努力して翻訳家になったサクセスストーリーではなく、日々の暮らしが全て“翻訳”に結びついてしまう友季子さんの毎日が
書かれています。
翻訳家でありエッセイストでもある彼女ですが、このエッセイは絶妙です。と言うより、まだ彼女の翻訳を読んだことがないのですが、
すでにしてエッセイの虜です。各編のエッセイは翻訳をまったく知らない私にも十分楽しめ、特にユニークでやさしいお嬢様が最高に
ラブリーです。特筆すべきは、各エッセイの最後の一行の“味わい”。心が震えます。そしてうれしくなります。
『訳者は他人のことばを生きる』というフレーズが出てきます。他人のことばと生きるためには、常に“全身翻訳家”であらねば
ならないのでしょう。
そして、読者に読んで欲しい原書がある限り、彼女はそこに立ち向かっていくのでしょう。
彼女の夢はいつまでも実現途上なのです。
どんな習い事も長続きしなかった、友季子さんがたった一つだけ「英語がすき!!」と思って、やがて翻訳家を目指したそうです。
本書は努力して翻訳家になったサクセスストーリーではなく、日々の暮らしが全て“翻訳”に結びついてしまう友季子さんの毎日が
書かれています。
翻訳家でありエッセイストでもある彼女ですが、このエッセイは絶妙です。と言うより、まだ彼女の翻訳を読んだことがないのですが、
すでにしてエッセイの虜です。各編のエッセイは翻訳をまったく知らない私にも十分楽しめ、特にユニークでやさしいお嬢様が最高に
ラブリーです。特筆すべきは、各エッセイの最後の一行の“味わい”。心が震えます。そしてうれしくなります。
『訳者は他人のことばを生きる』というフレーズが出てきます。他人のことばと生きるためには、常に“全身翻訳家”であらねば
ならないのでしょう。
そして、読者に読んで欲しい原書がある限り、彼女はそこに立ち向かっていくのでしょう。
彼女の夢はいつまでも実現途上なのです。
2011年9月24日に日本でレビュー済み
『嵐が丘』『灯台へ』の新訳等で知られる鴻巣友季子氏のエッセイ集。2007年刊『やみくも』(筑摩書房)に加筆・訂正し、多数のエッセイを追加収録した<リミックス>版。一般読書人には余り知られていなかったであろう「Mainichi Weekly」連載エッセイ(毎日新聞さん、御免なさい!)も熟読玩味していた鴻巣ファンからすると、この半・新刊は美味しいエキスが充満ていて、(自称他称)読書通が舌なめずりする一冊である。
まず、文章が上手い。これ見よがしの技巧過多のそれではなく、日夜横文字を縦文字にすることに腐心することで到達されたであろう、くどくなくサラっと読めてスッと頭に入ってくる達意の文体で書かれている。一例を挙げると、『真夜中のしめきり』中、娘さんが通っている保育園の「連絡ノート」を書く件:先日は、「お風呂で子どもが急に『ママ、お顔が汚れているからふいてあげるね』と言って、タオルでごしごしやってくれました。ただ、それは汚れではなく肌のシミだったのです…」という自虐ネタを書いたのに、先生から反応のコメントがなく、密かに傷ついた。−−こういう文章は書けそうで書けない。今谷崎が生きていたら新文章読本に引用するんじゃないかと思ふ。
次にネタが豊富。勿論翻訳に絡む話題は多いが、それだけにとどまらず、日常生活や食べ物・お酒等々身辺雑記として池波正太郎や向田邦子に充分肩を並べる多彩さと、それに見合ったクオィリティの高さに唸る(左党の筆者は、幾つかのエッセイでもう喉が鳴ってたまらなかった)。
この面白さは実際読んでいただくしかないのだが、筆者が最も共鳴した作品を二つ挙げておく。一つは『なにもないことの恵み』−−子どもを持つ親からすると、最後の4行に涙がこぼれそうになった。もう一つは『他者のことばを生きる』−−翻訳家としての決意と矜持がさりげなく、されど明確に示されている。
ああ、自分ももっと言葉を磨かねば!
まず、文章が上手い。これ見よがしの技巧過多のそれではなく、日夜横文字を縦文字にすることに腐心することで到達されたであろう、くどくなくサラっと読めてスッと頭に入ってくる達意の文体で書かれている。一例を挙げると、『真夜中のしめきり』中、娘さんが通っている保育園の「連絡ノート」を書く件:先日は、「お風呂で子どもが急に『ママ、お顔が汚れているからふいてあげるね』と言って、タオルでごしごしやってくれました。ただ、それは汚れではなく肌のシミだったのです…」という自虐ネタを書いたのに、先生から反応のコメントがなく、密かに傷ついた。−−こういう文章は書けそうで書けない。今谷崎が生きていたら新文章読本に引用するんじゃないかと思ふ。
次にネタが豊富。勿論翻訳に絡む話題は多いが、それだけにとどまらず、日常生活や食べ物・お酒等々身辺雑記として池波正太郎や向田邦子に充分肩を並べる多彩さと、それに見合ったクオィリティの高さに唸る(左党の筆者は、幾つかのエッセイでもう喉が鳴ってたまらなかった)。
この面白さは実際読んでいただくしかないのだが、筆者が最も共鳴した作品を二つ挙げておく。一つは『なにもないことの恵み』−−子どもを持つ親からすると、最後の4行に涙がこぼれそうになった。もう一つは『他者のことばを生きる』−−翻訳家としての決意と矜持がさりげなく、されど明確に示されている。
ああ、自分ももっと言葉を磨かねば!