登場人物は複数いる設定だが、人格が1人分しかない。
登場するキャラクター全員が、一貫した著者が伝えたいのであろう一種類の説教をひたすら得々と語る、小説と言うよりは著者のお金観のエッセーだ。
いわゆる我々一般人が想像する「お金持ち」のイメージそのままの登場人物しか出てこず、皆お金全体を語る風を装いながら終始「お金と自分」と言う枠内だけで語っている。
10代の子供などがお金感の1つを学ぶには良いのかも知れない。
お金持ちの話題になると「そんなにお金欲しいかねえ?良い車とか興味ないしデカイ家や良いレストランなんてのもあまりいらないねえ。そんなに欲張ってどうするの?」などと言う意見を聞く。
「強欲な金持ちとは自分は違う」とか「私は足るを知っている賢者」アピールをしたいのだろうが、これは本人が気づいていないだけで実際は私利私欲にまみれた人のセリフである。
小説の例も全てそうだったが、上記は全て「自分が何かを手に入れる為のお金の使い方」でしかない。
社会において、やるべきだけれど税金では追いついていない部分や、有用だけれども赤字で続けられない事業や研究などはゴマンとある。被災地やもっと言えば自分の住んでいる町内や親戚、知人などでどうしてもお金を必要としている人や状況も「調べれば」幾らでもある。
ただこの「調べれば」がとても大変で、それらがどんな状況で何がどう、どれ位必要で、何をどうすれば良くなるのかを把握して適切に事を運ぶのは、事業を1つ起こすのと同じくらい大変な事だ。
これが「使う方が大変」の意味なのだが、本の中では上記のセリフ同様、ひたすら自己快楽の為のパーティやギャンブルなどで「沢山のお金なんて意味が無い」感を出している。
被災地や難民などに対する募金箱なども巷には溢れているが、実際にそのお金がそこがうたっている対象で有用に使われるのは、少しでもあれば、ほんの一部である。ただ自分で被災地や難民などの現状について調べて必要な所に必要なお金を送るのは面倒なので、その全てを代行してくれるであろう、レジの横にある募金箱にお金を入れる。楽して良い事をした気分にさせてくれるステキな箱な訳だが、皆私利私欲以外のお金の使用について脳を労働させるのは本当に嫌なのだ。そんな自分が楽をしていい気分になっているだけなのは棚に上げて、それをしない人間を責めたりする人もいるので厄介だ。
以前東北大震災の際に、某IT長者が新しい事業を立ち上げてそこからの利益は永続的に被災地に寄付すると発表した際に、それこそがお金を正しく使う為の多大な労力の良い例にも関わらず、「結局金儲けかよ」と面倒な事は全て人任せでただお金を箱に入れるだけの自己満足の人々がお門違いの非難をしていたのは皮肉としか言いようがない。
沢山のお金を正しく使う、と言うのはそういう意味で本当に大変な労力や判断力、実行力を要する事なのだが、多くは「お金使う=私利私欲」→ 「沢山欲しい=強欲」と言う一面しか見ず、この小説でもそれ以外の事は一切書かれていないのは、映画化などされ大きな影響力を持つものだけに、少し残念だと感じた。
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