おおまかに言えば、西洋思想におけるインターネットと日本のインターネット受容のダメダメさについて、といった内容
僕たちのインターネット史、ではない
日本のパソコン通信、インターネットに対する批判で埋まっている
本文は著者二人の会話なのだが、読者に伝わるようにするという気がまるでない
分かっている者同士の行間の広い会話が延々続く
本文下に注釈が添えられているが、それで初見の人が理解できるようなものではない
極端な例だと最初の注釈にミシェル・フーコーとか書いてしまう
その会話も斜に構えて半笑いで語っているような感じで、陰湿というかしょうもなさを感じる
既にサイバースペース独立宣言やら伽藍とバザールなどを読んでいるなら、この本は人の褌で相撲を取るとでもいうのか
借り物の思想を使ったグチグチとした会話を読まされてもうんざりするだけであって、ことさら読まなくてもいいと思う
はっきり言うと、タイトルで釣って好き勝手に喋っただけのものを買わせる、みたいな本である
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僕たちのインターネット史 単行本(ソフトカバー) – 2017/6/17
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私たちはインターネットに何を夢みてきたのか?
80年代のパソコン通信の時代から、インターネットの黎明期を経て現在まで。インターネットの「現場」を知り尽くした著者が、その歴史を総ざらいする! 愛と笑いの決定版インターネット・ヒストリー!
津田大介さん推薦! (帯文)
〈「インターネット民俗学」の泰山と北斗が織りなす知られざるインターネット言説史。
“失われた20年"のインターネットは、あまりにもいびつでチープ&アナーキーだったが、愛すべき混沌に満ちた豊穣な空間だった。〉
【目次】
第1章 80年代編 インターネット前史
第2章 90年代編 アングラ・サブカルチャーとしてのインターネット
第3章 00年代編 商業化するインターネット
第4章 10年代編 インターネットにミネルヴァの梟は飛んでいるのか?
【書評・メディア情報】
週刊金曜日(7月21日号)/書評(宮崎智之氏・ライター)
AERA(8月7日号)/著者インタビュー
80年代のパソコン通信の時代から、インターネットの黎明期を経て現在まで。インターネットの「現場」を知り尽くした著者が、その歴史を総ざらいする! 愛と笑いの決定版インターネット・ヒストリー!
津田大介さん推薦! (帯文)
〈「インターネット民俗学」の泰山と北斗が織りなす知られざるインターネット言説史。
“失われた20年"のインターネットは、あまりにもいびつでチープ&アナーキーだったが、愛すべき混沌に満ちた豊穣な空間だった。〉
【目次】
第1章 80年代編 インターネット前史
第2章 90年代編 アングラ・サブカルチャーとしてのインターネット
第3章 00年代編 商業化するインターネット
第4章 10年代編 インターネットにミネルヴァの梟は飛んでいるのか?
【書評・メディア情報】
週刊金曜日(7月21日号)/書評(宮崎智之氏・ライター)
AERA(8月7日号)/著者インタビュー
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社亜紀書房
- 発売日2017/6/17
- 寸法12.8 x 2 x 18.8 cm
- ISBN-104750515116
- ISBN-13978-4750515113
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
80年代のパソコン通信の時代から、インターネットの黎明期を経て現在まで。インターネットの「現場」を知り尽くした著者が、その歴史を総ざらいする!
著者について
ばるぼら
ネットワーカー・古雑誌蒐集家・周辺文化研究家。20世紀生まれ。インターネットおよび自主制作文化について執筆、調査・研究を行う。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)、『NYLON100%』『岡崎京子の研究』(共にアスペクト)他多数。共著に『20世紀エディトリアル・オデッセイ』(赤田祐一との共著/誠文堂新光社)、『定本 消されたマンガ』(赤田祐一との共著/彩図社)などがある。
さやわか
ライター・評論家・マンガ原作者。1974年北海道生まれ。大学卒業後は、個人ニュースサイト「ムーノーローカル」を運営(1999年~2001年)しつつ、音楽業界・出版業界での会社勤務を経て、ライターとして執筆活動を開始。小説、マンガ、アニメ、音楽、映画、演劇、ネットなどについて幅広く評論する。著書に『僕たちのゲーム史』『一〇年代文化論』(共に星海社新書)、『キャラの思考法』(青土社)他多数。マンガ原作に『qtμt キューティーミューティー』(作画・ふみふみこ/スクウェア・エニックス)がある。
ネットワーカー・古雑誌蒐集家・周辺文化研究家。20世紀生まれ。インターネットおよび自主制作文化について執筆、調査・研究を行う。著書に『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』『ウェブアニメーション大百科』(共に翔泳社)、『NYLON100%』『岡崎京子の研究』(共にアスペクト)他多数。共著に『20世紀エディトリアル・オデッセイ』(赤田祐一との共著/誠文堂新光社)、『定本 消されたマンガ』(赤田祐一との共著/彩図社)などがある。
さやわか
ライター・評論家・マンガ原作者。1974年北海道生まれ。大学卒業後は、個人ニュースサイト「ムーノーローカル」を運営(1999年~2001年)しつつ、音楽業界・出版業界での会社勤務を経て、ライターとして執筆活動を開始。小説、マンガ、アニメ、音楽、映画、演劇、ネットなどについて幅広く評論する。著書に『僕たちのゲーム史』『一〇年代文化論』(共に星海社新書)、『キャラの思考法』(青土社)他多数。マンガ原作に『qtμt キューティーミューティー』(作画・ふみふみこ/スクウェア・エニックス)がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ばるぼら
ネットワーカー・古雑誌蒐集家・周辺文化研究家。インターネットおよび自主制作文化について執筆、調査・研究を行なう
さやわか
ライター・評論家・マンガ原作者。1974年北海道生まれ。大学卒業後は、個人ニュースサイト「ムーノーローカル」を運営(1999年~2001年)しつつ、音楽業界・出版業界での会社勤務を経て、ライターとして執筆活動を開始。小説、マンガ、アニメ、音楽、映画、演劇、ネットなどについて幅広く評論する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ネットワーカー・古雑誌蒐集家・周辺文化研究家。インターネットおよび自主制作文化について執筆、調査・研究を行なう
さやわか
ライター・評論家・マンガ原作者。1974年北海道生まれ。大学卒業後は、個人ニュースサイト「ムーノーローカル」を運営(1999年~2001年)しつつ、音楽業界・出版業界での会社勤務を経て、ライターとして執筆活動を開始。小説、マンガ、アニメ、音楽、映画、演劇、ネットなどについて幅広く評論する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 亜紀書房 (2017/6/17)
- 発売日 : 2017/6/17
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 256ページ
- ISBN-10 : 4750515116
- ISBN-13 : 978-4750515113
- 寸法 : 12.8 x 2 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 370,192位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.1
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年1月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サブカルも含めて良くまとまっているため「そういえば、こんなのあったなぁ」と懐かしめるのみならず、日米のインターネットをめぐる歴史的・思想的背景の違いを学ぶにもとても良い本だと思います。米国では60年代のカウンターカルチャーの理想を体現するためのツールがインターネットであったのに対して、日本では現実のオルタナティブ(オタク文化・アングラ)として受容されたため、ビジネスとの相性が悪かったという指摘は的を得ていると思います。以下、概要です。
〇80年代の日本のコンピュータ文化は、西海岸思想ではなく、サイバーパンク(SF小説の一潮流)として輸入された。サブカルの一種として受容されたため、同人文化などと融合し、マニア同士が趣味のおしゃべりをするツールとしてパソコン通信が普及した。79年には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で空前の好景気だったから、反体制的活動も下火で、思想は要らなかった。85年に通信自由化で電電公社が解体され、自由にパソコン通信を立ち上げられるようになった。80年代後半になってスティーブン・レヴィ―の「ハッカーズ」やスチュアート・ブランドの本の翻訳が進み、やっと西海岸思想の理解が進んでいった。
〇92年にIIJが日本初のインターネットプロバイダとして設立。93年11月にサービス開始。94年からインターネット雑誌も増えた。99年に2チャンネルが誕生。当時はマスメディアへの対抗文化(事後的に発見されたヒッピー文化)という評価だった。米国では95年には通信品位法を受けて「サイバースペース独立宣言」が出されていたが、日本では相変わらずサブカル路線(エロとアングラ)。「現実を補完・拡充するもの」というよりも「現実にとって代わるオルタナティブなもの」だった。99年には地下鉄サリン事件の余波で通信傍受法が、2000年には不正アクセス禁止法が成立し、それを境にアングラなノリは衰退。
〇90年代後半から2000年代初頭にかけて、三木谷やホリエモンなど起業家が出てきたが、西海岸とは対照的にメイクマネーに対する忌避感が(未だ)根強かった。UNIXなどのオープン・ソース的な思想は、西海岸思想の文脈から外れるとビジネスにはそぐわず根付かなかった。みんながプログラムできる時代ではなくなっていた。2004年に「電車男」が発売。作ったのはネット群衆でも実際には誰かが儲けていた。みんなが創作者という話自体が都市伝説だったかもしれない。このころの2ちゃんVIP版のノリはすべて「www」で笑い飛ばしていくというシニシズム。あらゆる言論をネタ化してまともに取り合わなかった。ネトウヨが本当に右翼なのかすら問題ではなく、嗤えれば何でもよかった(ネトウヨの構造がややこしいのは後にそれを本気で信じるやつが出てきたこと)。その結果、アクセス数を稼ぐためにコンテンツを作るという転倒した発想になってしまった。大衆のヤバさに気づく。バズることが目的化し、エビデンスがあるのか気にされなくなっていく。ネットに書かれた有象無象の意見を拾ってきて恣意的に方向付けをするまとめサイトが増えてゆく。自分の周りにいる人の意見しか目に入らない島宇宙(宮台真司ワード)と化し「俺は正しい」という確信だけが萬栄してしまう。凄く狭いところに投げている機関誌をみんなが読んでいるような状況。
〇2011年に震災が起きて雰囲気が変わっていく。この情報が正しいかどうかをだれがどう担保するのかが問題にならざるを得ない状況があった。「そろそろ真面目にいこうよ」というムードが漂い始めた。原発デモもアラブの春もウォールストリート占拠も同列に語られるようになっていった。しかし、行きついたのは島宇宙間がお互いの陣営に分かれて動員合戦をしている状況。動員を革命すれば社会を変えられるという話なので、変えていく社会の中身の話にはなっていかない。敵と味方を線引きして動員するわけなので、カール・シュミットの友敵理論的な価値観。その時の動員の革命のアツさだけを夢見てしまっている。タイムラインに浮上しなくなったら、そのことはみんな忘れてしまう。10年代には検索でたどり着けないデータが膨大な量になり、人々はもうスマホで一か所にしか飛ばない状態になっている。ネットサーフィンはしない。
〇今や技術的な知識が専門領域化してブラックボックスになってきたことによって、技術と連帯した言葉というのがどんどんなくなってきている。インターネットについて語る言葉がどんどん社会学的なものに偏ってきてしまった。他方で、ウェブ・アーキテクトの人たちは本当にギークのノリでやろうとするから、人文知に対する関心をどんどん失っている。人文学と工学が完全に分裂してしまっている。インターネットの言説史を誰も語れなくなる。人文側から何を言ってもダメで、設計の内側からそういう話が出てこないといけない。デジタルネイティブはデジタル環境があまりにも普通であるため、結局デジタルのエキスパートにはならないかもしれない。我々が水道の歴史に関心がないのと同じ。
〇80年代の日本のコンピュータ文化は、西海岸思想ではなく、サイバーパンク(SF小説の一潮流)として輸入された。サブカルの一種として受容されたため、同人文化などと融合し、マニア同士が趣味のおしゃべりをするツールとしてパソコン通信が普及した。79年には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で空前の好景気だったから、反体制的活動も下火で、思想は要らなかった。85年に通信自由化で電電公社が解体され、自由にパソコン通信を立ち上げられるようになった。80年代後半になってスティーブン・レヴィ―の「ハッカーズ」やスチュアート・ブランドの本の翻訳が進み、やっと西海岸思想の理解が進んでいった。
〇92年にIIJが日本初のインターネットプロバイダとして設立。93年11月にサービス開始。94年からインターネット雑誌も増えた。99年に2チャンネルが誕生。当時はマスメディアへの対抗文化(事後的に発見されたヒッピー文化)という評価だった。米国では95年には通信品位法を受けて「サイバースペース独立宣言」が出されていたが、日本では相変わらずサブカル路線(エロとアングラ)。「現実を補完・拡充するもの」というよりも「現実にとって代わるオルタナティブなもの」だった。99年には地下鉄サリン事件の余波で通信傍受法が、2000年には不正アクセス禁止法が成立し、それを境にアングラなノリは衰退。
〇90年代後半から2000年代初頭にかけて、三木谷やホリエモンなど起業家が出てきたが、西海岸とは対照的にメイクマネーに対する忌避感が(未だ)根強かった。UNIXなどのオープン・ソース的な思想は、西海岸思想の文脈から外れるとビジネスにはそぐわず根付かなかった。みんながプログラムできる時代ではなくなっていた。2004年に「電車男」が発売。作ったのはネット群衆でも実際には誰かが儲けていた。みんなが創作者という話自体が都市伝説だったかもしれない。このころの2ちゃんVIP版のノリはすべて「www」で笑い飛ばしていくというシニシズム。あらゆる言論をネタ化してまともに取り合わなかった。ネトウヨが本当に右翼なのかすら問題ではなく、嗤えれば何でもよかった(ネトウヨの構造がややこしいのは後にそれを本気で信じるやつが出てきたこと)。その結果、アクセス数を稼ぐためにコンテンツを作るという転倒した発想になってしまった。大衆のヤバさに気づく。バズることが目的化し、エビデンスがあるのか気にされなくなっていく。ネットに書かれた有象無象の意見を拾ってきて恣意的に方向付けをするまとめサイトが増えてゆく。自分の周りにいる人の意見しか目に入らない島宇宙(宮台真司ワード)と化し「俺は正しい」という確信だけが萬栄してしまう。凄く狭いところに投げている機関誌をみんなが読んでいるような状況。
〇2011年に震災が起きて雰囲気が変わっていく。この情報が正しいかどうかをだれがどう担保するのかが問題にならざるを得ない状況があった。「そろそろ真面目にいこうよ」というムードが漂い始めた。原発デモもアラブの春もウォールストリート占拠も同列に語られるようになっていった。しかし、行きついたのは島宇宙間がお互いの陣営に分かれて動員合戦をしている状況。動員を革命すれば社会を変えられるという話なので、変えていく社会の中身の話にはなっていかない。敵と味方を線引きして動員するわけなので、カール・シュミットの友敵理論的な価値観。その時の動員の革命のアツさだけを夢見てしまっている。タイムラインに浮上しなくなったら、そのことはみんな忘れてしまう。10年代には検索でたどり着けないデータが膨大な量になり、人々はもうスマホで一か所にしか飛ばない状態になっている。ネットサーフィンはしない。
〇今や技術的な知識が専門領域化してブラックボックスになってきたことによって、技術と連帯した言葉というのがどんどんなくなってきている。インターネットについて語る言葉がどんどん社会学的なものに偏ってきてしまった。他方で、ウェブ・アーキテクトの人たちは本当にギークのノリでやろうとするから、人文知に対する関心をどんどん失っている。人文学と工学が完全に分裂してしまっている。インターネットの言説史を誰も語れなくなる。人文側から何を言ってもダメで、設計の内側からそういう話が出てこないといけない。デジタルネイティブはデジタル環境があまりにも普通であるため、結局デジタルのエキスパートにはならないかもしれない。我々が水道の歴史に関心がないのと同じ。
2017年9月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1992年に初めてインターネットに触れた自分としては、90年代の話などは懐かしく読めたが、ややアカデミックというか哲学よりというか、あまり右や左の話には興味がなかったのでもう少し、テクノロジーやエンタメを織り交ぜてもらえると自分にはちょうどよかったかもしれない。
この本を題材にしてディスカッションしたり、昔の仲間と一杯やる、とかにちょうどいいのかな。
この本を題材にしてディスカッションしたり、昔の仲間と一杯やる、とかにちょうどいいのかな。
2019年9月11日に日本でレビュー済み
期待していた内容と違った。
「おわりに」の最初で述べられているように、この本のテーマは、インターネットのコンテンツや技術ではなく、人がどのようにインターネットを捉えてきたのかだ。コンテンツの栄枯盛衰に理由付けする本だと思っていた私からすると思っていたものと違う。また、タイトルの「僕らの」というのも著者であるばるぼら氏とさやわか氏の視点からみてという意味で、インターネット利用者視点という意味ではない。
しかし、ニコニコ動画が匿名から顕名にシフトしていき、みんなで作るニコ動から有名歌い手の動画投稿を待つだけのニコ動になっていったという説明は、私の思っていたことをうまく言語化してくれていた。それ以外にも、今のSNSや広告がはびこるインターネットという状況をうまく説明してくれている部分が多い。
星3の理由は、タイトルが勘違いを生む点以外に、対話形式の進行がわかりづらい点がある。対話形式のためか、取り扱う内容があっちいったりこっちいったりもどったりと、頭の中で解釈するのに時間がかかる。内容も想像していたより難しい。普段からインターネットについて言及する本を読んでいる方なら、すんなり二人の会話についていけるのかもしれない。また、嘲る表現が鼻についた。インターネット史に理解がある著者らが、インターネットに評価を下すのはとても意義のあることだと思うが、史実を述べるパートでは中立な文章の表現を心がけてほしかった。
良い点としては、大量の文献を紹介している点と、それらの文献を引用して話を展開している点。期待していた内容と違っていた私も、いくつか読んでみたい文献を見つけられた。
「おわりに」の最初で述べられているように、この本のテーマは、インターネットのコンテンツや技術ではなく、人がどのようにインターネットを捉えてきたのかだ。コンテンツの栄枯盛衰に理由付けする本だと思っていた私からすると思っていたものと違う。また、タイトルの「僕らの」というのも著者であるばるぼら氏とさやわか氏の視点からみてという意味で、インターネット利用者視点という意味ではない。
しかし、ニコニコ動画が匿名から顕名にシフトしていき、みんなで作るニコ動から有名歌い手の動画投稿を待つだけのニコ動になっていったという説明は、私の思っていたことをうまく言語化してくれていた。それ以外にも、今のSNSや広告がはびこるインターネットという状況をうまく説明してくれている部分が多い。
星3の理由は、タイトルが勘違いを生む点以外に、対話形式の進行がわかりづらい点がある。対話形式のためか、取り扱う内容があっちいったりこっちいったりもどったりと、頭の中で解釈するのに時間がかかる。内容も想像していたより難しい。普段からインターネットについて言及する本を読んでいる方なら、すんなり二人の会話についていけるのかもしれない。また、嘲る表現が鼻についた。インターネット史に理解がある著者らが、インターネットに評価を下すのはとても意義のあることだと思うが、史実を述べるパートでは中立な文章の表現を心がけてほしかった。
良い点としては、大量の文献を紹介している点と、それらの文献を引用して話を展開している点。期待していた内容と違っていた私も、いくつか読んでみたい文献を見つけられた。
2017年7月1日に日本でレビュー済み
ばるぼらさんの名著『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』が出たのは2005年。刊行時の帯には竹熊健太郎さんが「教科書に載らないのではなく、これが教科書だ」との文を寄せていたが、まさしくあそこにあったのは、僕たちのインターネットの「リアル」に即した、生の歴史だった。あれからはや12年も経つのかと感慨深い。
本書はそのばるぼらさんと、かつてウェブサイト「ムーノーローカル」を運営していたrhymeことさやわか氏の手になるインターネットの歴史の総括本。
パソコン通信時代から現在まで10年ごとの歴史が現在の視点から振りかえられており、コンテンツの図版もたくさん掲載されていることから、懐かしさと感傷と愛おしさ? のような複雑な気分に圧倒される。
まるで僕たちの青春のインターネットの同窓会のような気分。思えば遠くに来たものだ。あの頃僕らが夢見たインターネットの姿はいまはもうないけれど、これからも誰かが夢見たインターネットの歴史は進んでいくのだろう。
本書はそのばるぼらさんと、かつてウェブサイト「ムーノーローカル」を運営していたrhymeことさやわか氏の手になるインターネットの歴史の総括本。
パソコン通信時代から現在まで10年ごとの歴史が現在の視点から振りかえられており、コンテンツの図版もたくさん掲載されていることから、懐かしさと感傷と愛おしさ? のような複雑な気分に圧倒される。
まるで僕たちの青春のインターネットの同窓会のような気分。思えば遠くに来たものだ。あの頃僕らが夢見たインターネットの姿はいまはもうないけれど、これからも誰かが夢見たインターネットの歴史は進んでいくのだろう。






