日本人のルーツ、非常に興味を引く問題である。
何故ならそれは日本人のアイデンティティに関わる根幹であり、引いては矜持・愛国感情に直結する極めて重大な要素だからである。
今日の定説では、弥生時代初めに大陸や朝鮮半島から大量の渡来人があり、それによって先住縄文人が人種置換されたとされる「二重構造説」が有力である。ちなみに学生時代自分もそう習い、そう思わされてきた。つまりこの説では「日本人のルーツ=朝鮮半島からの渡来人」、「倭王(天皇家の祖)=渡来人」となってしまうのだが、果たして本当にそうであろうか?と疑問を投げかけ、遺伝学的・科学的・地理的・歴史文化的証拠及び考察を踏まえ、上記の虚説を否定し、真実に迫った物が本書である。
古代朝鮮の優位性を疑わない史学・考古学・政治学者等からタブーとされてきた部分にも容赦なく切り込んでいる為、立場に依っては驚嘆もしくは愕然とする内容であるが、是非一読し他説と校勘し、その上でどちらに真実味、信頼・根拠性が有るのか、自らの頭で考え・判断して貰いたい。そして我々日本人が如何に優秀で素晴らしい民族の末裔なのかを知り、日本人で在る事に自信と誇りを持って貰いたい。
倭人はどこから来たのか Kindle版
孫子塾塾長 佐野寿龍
(著)
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言語日本語
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発売日2017/1/15
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2017年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
孫子兵法に関して、多数の著述を表している筆者が、我々日本人の祖先である倭人について書籍を上梓したということで、興味があり購読した。
『倭人はどこから来たのか』と題するその書籍に書かれていた内容は、いままで自分が漠然と信じてきたいわゆる「通説」とはまったく異なるものであった。いままで漠然と信じてきた通説とは、「日本列島の原住民であった縄文人が、大陸から渡来した渡来系弥生人によって人種置換(交替)および混血という形で大きな影響を受け、その後の日本人の基盤が形成された」というものであり、筆者はその通説を塩原和郎氏の日本人二重構造説として紹介している。
あたかも科学的事実に基づいた間違いのない真実であるがごとく流布され、多くの日本人が漫然と信じ込んでいるこの通説を、筆者はDNA解析という科学的根拠のみならず、言語学、人類学、民俗学などといった様々な証拠をもとに、間違った見方であると結論付けている。
筆者の展開する説の概略は以下のとおりである。約2万年前に日本は大陸から引き離されていまのような日本列島になっていったが、すでにそこには大陸からやってきたプロト(原始)モンゴロイドが流入しており、彼らが大陸から切り離なされいわばガラパゴス的な隔離状態の日本列島のなかで各地に分散し、それぞれの地域内で通婚しているうちに次第に分化・特殊化し、やがて同じ新人タイプとみなされる縄文人という人種となっていったのである。
彼ら縄文人は分散していった地域においてその気候、風土などの影響によって小進化し、北は北海道から東北、さらには現在の岐阜県関ケ原あたりまでの縄文「アイヌ」、西日本の縄文「倭人」、九州中南部から沖縄諸島までの縄文「熊襲(くまそ)」と大きく分けて3つに分類されるとのことである。つまり各地において独自の進化はあるものの、アイヌも倭人も熊襲もまぎれもなく縄文人であり、日本人として純血種・単一民族なのである。
これらはいままで信じていた日本人の起源とは大きく異なり、我々にとっては目を洗われる思いであるが、さらに驚かされるのはその縄文人の真の姿である。一般的に我々が想像している縄文人の姿とは、島国の民として内向きに慎ましく穏やかに生きているという姿である。この縄文人のプロトタイプを想像させるのに一役買っているのは、「稲作をはじめとする様々な先進文化は朝鮮半島からもたらされ、これによって日本の国の基盤を作り発展させていった」とするこれまた世間一般で信じられている説である。しかしこの説は史実とは全く異なるものであり、事実はむしろその逆であると筆者は喝破する。その裏には我々の想像を絶する、勇往邁進に海を行き交う海洋民族としての縄文人の姿があった。
日本は四方を海に面する島国であるが、その最大の天恵は暖流に囲まれているということにある。それははやくから縄文人を海へと駆り立てるのに十分な要件を満たすものであり、必然的に縄文人は果敢に大海原に漕ぎだす海洋民族となっていった。その飽くなき冒険心は彼らを中国大陸へと向かわせ、そこから稲作をはじめとする様々な先進文化を日本にもたらすことができたのである。
一方、朝鮮半島も日本のように海に囲まれてはいるが、その大きな違いは囲まれている海は冷たい海、つまり寒流であったことである。それは朝鮮民族に海への恐怖や畏怖の念を抱かせるのに十分であり、結果、内陸へと内向きとならざるを得なかった。その内陸も寒冷地であり必然的に日本よりも文明・文化的に遅れたものとならざるを得なかった。
「水は高いところから低いところに流れる」の例えのとおり、文明的に進んでいる日本から遅れている朝鮮に文明が伝わることはあっても、その逆はありえないのである。それは朝鮮半島に残されている日本の史跡群からも明らかである。真の縄文人は我々が思っていたようなひ弱で内向き民族ではなく、勇敢で冒険心に富み、大陸の人々が畏敬の念すら覚える誇るべき民族であったのである。日本人として目から鱗が落ちる思いである。
まだまだ興味深い内容がいくつもあるので、是非とも書籍を読んで各自確かめてもらいたいが、日本人の起源とは別にいま日本人が陥っている問題点に対し、大きな危惧をもって筆者は最後の章を締めくくっている。
その危惧とは自分の頭で考えようとしないいまの日本人の姿である。人から言われること、テレビで言っていることなどをそのまま鵜呑みにしてしまい信じ込まされている日本人。それは「日本人は混血である」、「文明・文化は朝鮮半島からもたらされた」と信じ込まされている日本人が典型であり、今回の書籍でそれらがいかに間違っているものであるかを思い知らされた。私自身赤面の限りである。
その根底にあるのは、自分の頭で考えようとしない姿勢、さらにいうならば面倒なので自分で考えることを放棄し、他人の意見に乗っかってしまおうとする怠惰で横着ないまの日本人の姿勢であると筆者は警鐘を鳴らしている。その横着さは次第に自分に都合のよい意見だけを妄信する独善的な考えや、真実・事実とは乖離した妄想へと変化していく。そしてその行きつく先はあの悲惨極まりない前の敗戦ではないだろうか。
客観的に見ても日本人は優秀で世界に誇れる民族であることは間違いなく、その日本人が自らの頭で考え大所高所からの戦略眼を育てることができたならば、もはや鬼に金棒であると筆者は説いている。そしてそのために最も有効で適しているのが異民族との絶え間ない戦いの歴史の中で生み出された、筆者のライフワークとする「孫子兵法」であり、筆者が我々にこの「孫子兵法」の大切さと有効性を力説している所以である。
様々な問題が山積し、出口の見えない閉塞感に支配されているいまの日本。私たちの祖先である縄文人が勇気と冒険心をもって大海原に漕ぎだしていったように、我々も勇気をもっていままでの怠惰な自分と決別し、兵法的思考をもって自らの頭で考え、決断し、行動していく、そんな日本人に変わる時に来ているのかもしれない。
『倭人はどこから来たのか』と題するその書籍に書かれていた内容は、いままで自分が漠然と信じてきたいわゆる「通説」とはまったく異なるものであった。いままで漠然と信じてきた通説とは、「日本列島の原住民であった縄文人が、大陸から渡来した渡来系弥生人によって人種置換(交替)および混血という形で大きな影響を受け、その後の日本人の基盤が形成された」というものであり、筆者はその通説を塩原和郎氏の日本人二重構造説として紹介している。
あたかも科学的事実に基づいた間違いのない真実であるがごとく流布され、多くの日本人が漫然と信じ込んでいるこの通説を、筆者はDNA解析という科学的根拠のみならず、言語学、人類学、民俗学などといった様々な証拠をもとに、間違った見方であると結論付けている。
筆者の展開する説の概略は以下のとおりである。約2万年前に日本は大陸から引き離されていまのような日本列島になっていったが、すでにそこには大陸からやってきたプロト(原始)モンゴロイドが流入しており、彼らが大陸から切り離なされいわばガラパゴス的な隔離状態の日本列島のなかで各地に分散し、それぞれの地域内で通婚しているうちに次第に分化・特殊化し、やがて同じ新人タイプとみなされる縄文人という人種となっていったのである。
彼ら縄文人は分散していった地域においてその気候、風土などの影響によって小進化し、北は北海道から東北、さらには現在の岐阜県関ケ原あたりまでの縄文「アイヌ」、西日本の縄文「倭人」、九州中南部から沖縄諸島までの縄文「熊襲(くまそ)」と大きく分けて3つに分類されるとのことである。つまり各地において独自の進化はあるものの、アイヌも倭人も熊襲もまぎれもなく縄文人であり、日本人として純血種・単一民族なのである。
これらはいままで信じていた日本人の起源とは大きく異なり、我々にとっては目を洗われる思いであるが、さらに驚かされるのはその縄文人の真の姿である。一般的に我々が想像している縄文人の姿とは、島国の民として内向きに慎ましく穏やかに生きているという姿である。この縄文人のプロトタイプを想像させるのに一役買っているのは、「稲作をはじめとする様々な先進文化は朝鮮半島からもたらされ、これによって日本の国の基盤を作り発展させていった」とするこれまた世間一般で信じられている説である。しかしこの説は史実とは全く異なるものであり、事実はむしろその逆であると筆者は喝破する。その裏には我々の想像を絶する、勇往邁進に海を行き交う海洋民族としての縄文人の姿があった。
日本は四方を海に面する島国であるが、その最大の天恵は暖流に囲まれているということにある。それははやくから縄文人を海へと駆り立てるのに十分な要件を満たすものであり、必然的に縄文人は果敢に大海原に漕ぎだす海洋民族となっていった。その飽くなき冒険心は彼らを中国大陸へと向かわせ、そこから稲作をはじめとする様々な先進文化を日本にもたらすことができたのである。
一方、朝鮮半島も日本のように海に囲まれてはいるが、その大きな違いは囲まれている海は冷たい海、つまり寒流であったことである。それは朝鮮民族に海への恐怖や畏怖の念を抱かせるのに十分であり、結果、内陸へと内向きとならざるを得なかった。その内陸も寒冷地であり必然的に日本よりも文明・文化的に遅れたものとならざるを得なかった。
「水は高いところから低いところに流れる」の例えのとおり、文明的に進んでいる日本から遅れている朝鮮に文明が伝わることはあっても、その逆はありえないのである。それは朝鮮半島に残されている日本の史跡群からも明らかである。真の縄文人は我々が思っていたようなひ弱で内向き民族ではなく、勇敢で冒険心に富み、大陸の人々が畏敬の念すら覚える誇るべき民族であったのである。日本人として目から鱗が落ちる思いである。
まだまだ興味深い内容がいくつもあるので、是非とも書籍を読んで各自確かめてもらいたいが、日本人の起源とは別にいま日本人が陥っている問題点に対し、大きな危惧をもって筆者は最後の章を締めくくっている。
その危惧とは自分の頭で考えようとしないいまの日本人の姿である。人から言われること、テレビで言っていることなどをそのまま鵜呑みにしてしまい信じ込まされている日本人。それは「日本人は混血である」、「文明・文化は朝鮮半島からもたらされた」と信じ込まされている日本人が典型であり、今回の書籍でそれらがいかに間違っているものであるかを思い知らされた。私自身赤面の限りである。
その根底にあるのは、自分の頭で考えようとしない姿勢、さらにいうならば面倒なので自分で考えることを放棄し、他人の意見に乗っかってしまおうとする怠惰で横着ないまの日本人の姿勢であると筆者は警鐘を鳴らしている。その横着さは次第に自分に都合のよい意見だけを妄信する独善的な考えや、真実・事実とは乖離した妄想へと変化していく。そしてその行きつく先はあの悲惨極まりない前の敗戦ではないだろうか。
客観的に見ても日本人は優秀で世界に誇れる民族であることは間違いなく、その日本人が自らの頭で考え大所高所からの戦略眼を育てることができたならば、もはや鬼に金棒であると筆者は説いている。そしてそのために最も有効で適しているのが異民族との絶え間ない戦いの歴史の中で生み出された、筆者のライフワークとする「孫子兵法」であり、筆者が我々にこの「孫子兵法」の大切さと有効性を力説している所以である。
様々な問題が山積し、出口の見えない閉塞感に支配されているいまの日本。私たちの祖先である縄文人が勇気と冒険心をもって大海原に漕ぎだしていったように、我々も勇気をもっていままでの怠惰な自分と決別し、兵法的思考をもって自らの頭で考え、決断し、行動していく、そんな日本人に変わる時に来ているのかもしれない。
ベスト500レビュアー
騎馬民族渡来説と云う説があった。
後日、著者はGHQの圧力によるものであったと述べ取り下げた。
同様に、弥生人渡来説なるものもあった。司馬遼太郎もそうであった。
同様、敗戦後の虚脱につけこんだプロパガンダであり、自虐史観の一種である。
普通に考えれば、食いつめた難民が散発的に来たのであろう。
韓国国立博物館資料によれば、朝鮮半島の旧石器時代の遺跡は僅か50個所しかない。そしてその後一旦、遺跡が無くなる。
その後、七千~八千年前の縄文土器が現れる。それは、半島北部まで及んでいる。黒曜石は佐賀県の腰岳産である。
縄文人は、稲作もしていた。
又、朝鮮半島南部には、壊されつつあるという情報もあるが前方後円墳が分布している。
日本人が朝鮮半島に渡来していたのである。
これらは、弥生人渡来説がフェイク以外の何ものでもないことを示している。
渡来は、朝鮮だけではなく沿海州南部・吉林省・山東省あたりからからも散発的にあっただろう。
現在では、Y染色体の解析により日本人・朝鮮人・中国人の違いがあることも分かっている。
日本列島には、旧石器時代に北周り・南周りの渡来があった。
それらとの混血が縄文人となった。
後日、著者はGHQの圧力によるものであったと述べ取り下げた。
同様に、弥生人渡来説なるものもあった。司馬遼太郎もそうであった。
同様、敗戦後の虚脱につけこんだプロパガンダであり、自虐史観の一種である。
普通に考えれば、食いつめた難民が散発的に来たのであろう。
韓国国立博物館資料によれば、朝鮮半島の旧石器時代の遺跡は僅か50個所しかない。そしてその後一旦、遺跡が無くなる。
その後、七千~八千年前の縄文土器が現れる。それは、半島北部まで及んでいる。黒曜石は佐賀県の腰岳産である。
縄文人は、稲作もしていた。
又、朝鮮半島南部には、壊されつつあるという情報もあるが前方後円墳が分布している。
日本人が朝鮮半島に渡来していたのである。
これらは、弥生人渡来説がフェイク以外の何ものでもないことを示している。
渡来は、朝鮮だけではなく沿海州南部・吉林省・山東省あたりからからも散発的にあっただろう。
現在では、Y染色体の解析により日本人・朝鮮人・中国人の違いがあることも分かっている。
日本列島には、旧石器時代に北周り・南周りの渡来があった。
それらとの混血が縄文人となった。
2017年2月15日に日本でレビュー済み
■ページを誤ってめくったかと思うほど、何度も同じ話が繰り返えされる。
■依拠する学術研究は鈴木尚教授の「変形説」のみ。
■リマン海流をマリン海流と書き間違える。一度だけリマン海流と正しく書いているが、他は全てマリン海流。(これは編集と校正の担当者も恥じるべき。)
■漢文読み下し風の重厚な文体を装いながら、「すべからく」を「おしなべて」の意味に誤用している。(些細なので、これには目をつぶってもよいが。)
と、こういった具合で、出版物としての品質が低い。編集者は著者任せにせず、十分に構成を練って著者と打ち合わせをして欲しい。話が外れるが、本書に限らず、近年の書籍は編集者の怠慢を感じるものが多い。こんな手抜き仕事をしていると(あるいは頑張ってもこの程度の出来なのかもしれないが)出版不況に拍車をかけることになる。
と、ここまでは貶しておいて、ここからは褒める。
本書は「弥生人は、大陸からやってきて縄文人を制圧し、稲作を教え、銅器と鉄器を教え、倭国を文明化してやったニダ」といった誤った常識を木っ端微塵に粉砕してくれる。漢民族、朝鮮民族、モンゴル人などは最初から存在していたかのように扱われながら、なぜ日本人だけが、どこからともなく流れ着いたとか、北方と南方の混血だとか、いちいち出自を問われねばならないのか。
著者の主張は要するに、約一万二千年前に日本が大陸から分離する以前に、他の民族が皆それぞれそこに有ったように、倭人も最初からそこに有ったのだ、日本列島が大陸と切り離されて以降、倭人はガラパゴス的に独自に分化・発展し、稲作導入や明治維新のように、外来文明による刺激によって小進化したのだ、ということだ。この説は広く認識されて欲しい。
韓国人は「日本人の祖先」ということにして日本人よりも上位であることを主張したいのだ。中国人は「日本人は徐福の子孫」と信じている。これらの言説に対し、日本人が信じている常識「現在の日本人はどこからかやってきて原住民たる縄文人を駆逐して日本列島に住み着いた」という考え方は互いを補強し共鳴する。日本人は最初から日本人だったという考え方は中韓にとって不都合だ。
また話が逸れるが、私の娘が通っていた中学校の校長は、もと社会科教師で歴史研究家を自認していたが、「天皇の祖先は百済人」とか「任那日本府はでっち上げ」とかのトンデモ説を真顔で主張していた。呆れ果てて文字通り鼻で笑ったところ激怒され、このことで娘からは内申書が滅茶苦茶になると泣いて責められた。渡来人起源説の根深さと闇の深さよ。
民族の出自が、これ程プロパガンダの餌食となっている現状を考えてみて欲しい。日本人以外にどれだけの民族が一万年以上前にまで遡って出自を問われ、誰の子孫だとか言われ、それら民族に対する序列確認を求められているのか。
本書は、このよう疑問に対する回答だ。日本人も他のアジア民族と並列に、プロト(原始)モンゴロイドから分化した縄文人としてここに居て、地域と時代に応じて小進化してきたのだ。書籍名「倭人はどこから来たのか」は逆説である。倭人の出自を問うのは無意味だと著者は主張している。
■依拠する学術研究は鈴木尚教授の「変形説」のみ。
■リマン海流をマリン海流と書き間違える。一度だけリマン海流と正しく書いているが、他は全てマリン海流。(これは編集と校正の担当者も恥じるべき。)
■漢文読み下し風の重厚な文体を装いながら、「すべからく」を「おしなべて」の意味に誤用している。(些細なので、これには目をつぶってもよいが。)
と、こういった具合で、出版物としての品質が低い。編集者は著者任せにせず、十分に構成を練って著者と打ち合わせをして欲しい。話が外れるが、本書に限らず、近年の書籍は編集者の怠慢を感じるものが多い。こんな手抜き仕事をしていると(あるいは頑張ってもこの程度の出来なのかもしれないが)出版不況に拍車をかけることになる。
と、ここまでは貶しておいて、ここからは褒める。
本書は「弥生人は、大陸からやってきて縄文人を制圧し、稲作を教え、銅器と鉄器を教え、倭国を文明化してやったニダ」といった誤った常識を木っ端微塵に粉砕してくれる。漢民族、朝鮮民族、モンゴル人などは最初から存在していたかのように扱われながら、なぜ日本人だけが、どこからともなく流れ着いたとか、北方と南方の混血だとか、いちいち出自を問われねばならないのか。
著者の主張は要するに、約一万二千年前に日本が大陸から分離する以前に、他の民族が皆それぞれそこに有ったように、倭人も最初からそこに有ったのだ、日本列島が大陸と切り離されて以降、倭人はガラパゴス的に独自に分化・発展し、稲作導入や明治維新のように、外来文明による刺激によって小進化したのだ、ということだ。この説は広く認識されて欲しい。
韓国人は「日本人の祖先」ということにして日本人よりも上位であることを主張したいのだ。中国人は「日本人は徐福の子孫」と信じている。これらの言説に対し、日本人が信じている常識「現在の日本人はどこからかやってきて原住民たる縄文人を駆逐して日本列島に住み着いた」という考え方は互いを補強し共鳴する。日本人は最初から日本人だったという考え方は中韓にとって不都合だ。
また話が逸れるが、私の娘が通っていた中学校の校長は、もと社会科教師で歴史研究家を自認していたが、「天皇の祖先は百済人」とか「任那日本府はでっち上げ」とかのトンデモ説を真顔で主張していた。呆れ果てて文字通り鼻で笑ったところ激怒され、このことで娘からは内申書が滅茶苦茶になると泣いて責められた。渡来人起源説の根深さと闇の深さよ。
民族の出自が、これ程プロパガンダの餌食となっている現状を考えてみて欲しい。日本人以外にどれだけの民族が一万年以上前にまで遡って出自を問われ、誰の子孫だとか言われ、それら民族に対する序列確認を求められているのか。
本書は、このよう疑問に対する回答だ。日本人も他のアジア民族と並列に、プロト(原始)モンゴロイドから分化した縄文人としてここに居て、地域と時代に応じて小進化してきたのだ。書籍名「倭人はどこから来たのか」は逆説である。倭人の出自を問うのは無意味だと著者は主張している。