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個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション) 単行本 – 2012/5/1
| アルフレッド アドラー (著) 著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます この著者の 検索結果 を表示 |
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- 本の長さ190ページ
- 言語日本語
- 出版社アルテ
- 発売日2012/5/1
- 寸法12.8 x 1.3 x 18.8 cm
- ISBN-104434163868
- ISBN-13978-4434163869
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
アドラー心理学入門の決定版!ウィーンからニューヨークへと活動の拠点を移したアドラーが初めて英語で出版したアドラー心理学全体を俯瞰できる重要著作。過去と自己への執着から離れ、仲間である他者に貢献することを目指す共同体感覚をいかに育成するべきかを人生の諸相の考察を通じて明らかにする。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
アドラー,アルフレッド
1870年‐1937年。オーストリアの精神科医。1902年からフロイトのウィーン精神分析協会の中核的メンバーとして活躍したが、1911年に学説上の対立から脱退した。フロイトと訣別後、自らの理論を個人心理学と呼び、全体論、目的論などを特色とする独自の理論を構築した。ナチズムの台頭に伴い、活動の拠点をアメリカに移し、精力的な講演、執筆活動を行ったが、講演旅行の途次、アヴァディーンで客死した
岸見/一郎
1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。現在、京都聖カタリナ高校看護専攻科(心理学)、近大姫路大学看護学部・教育学部(生命倫理学)、明治東洋医学院専門学校教員養成課程(教育心理学)非常勤講師。日本アドラー心理学会認定カウンセラー、日本アドラー心理学会顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1870年‐1937年。オーストリアの精神科医。1902年からフロイトのウィーン精神分析協会の中核的メンバーとして活躍したが、1911年に学説上の対立から脱退した。フロイトと訣別後、自らの理論を個人心理学と呼び、全体論、目的論などを特色とする独自の理論を構築した。ナチズムの台頭に伴い、活動の拠点をアメリカに移し、精力的な講演、執筆活動を行ったが、講演旅行の途次、アヴァディーンで客死した
岸見/一郎
1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。現在、京都聖カタリナ高校看護専攻科(心理学)、近大姫路大学看護学部・教育学部(生命倫理学)、明治東洋医学院専門学校教員養成課程(教育心理学)非常勤講師。日本アドラー心理学会認定カウンセラー、日本アドラー心理学会顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : アルテ (2012/5/1)
- 発売日 : 2012/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 190ページ
- ISBN-10 : 4434163868
- ISBN-13 : 978-4434163869
- 寸法 : 12.8 x 1.3 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 96,466位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年12月12日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
アドラー心理学をもっと詳しく学びたいと思い購入しました。成長過程での親の影響がいかに大きいかを自分と親、自分と子どもに重ねて振り返る機会となりました。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2015年11月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一文一文が長いので私はかなり鉛筆で線を引いたり、四角で囲ったりして読みました。内容自体は画期的。子どもは幼児期に「何かしら」で無力感、無能感を感じる。その「何かしら」によって人生のテーマや世の中の見方、行動パターンという「ライフスタイル」が決まる。そのライフスタイルに沿ってその人は生き続ける。「優越性の追求」とは自尊心という自分の価値を高める行動。しかし、「共同体感覚」という「皆とつながっている感覚」を持てるか持てないかで人生が大きく変わってしまう。共同体感覚が持てると健全なライフスタイルで優越性の追求が行われ、友人関係も仕事も結婚もうまくいく。しかし、共同体感覚が持てないと、「私的な論理」に入り込み、不健全な優越性の追求という「優等コンプレックス」のため、一向に自尊心は上がらず、その状態を「劣等コンプレックス」という。そのような人たちは、交友関係も仕事も結婚もうまくいかない。この本を読むと、人を見る目が変わります。「この人は共同体感覚があるかな」という視点で人が見れると、人を見る目が確かなものになります。
ベスト50レビュアー
『個人心理学講義――生きることの科学』(アルフレッド・アドラー著、岸見一郎訳、アルテ)で語られているアルフレッド・アドラーの声に耳を傾けたら、アドラーが一番伝えたいことが浮かび上がってきました。
人間は誰でも劣等感を持っている、その劣等感は自分を高める土台となる、こういう望ましい方向へ導くには子供時代の教育・指導が重要だ――というのです。
アドラーがよく口にする「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」とは、どういうものなのでしょうか。「劣等性と優越性に結びついたコンプレックスという言葉は、劣等感と優越感の追求の過度な状態に他ならないということを忘れてはならない」。「劣等コンプレックスを見出すケースにおいて、優越コンプレックスが、多かれ少なかれ、隠されているのを見出したとしても驚くにはあたらない。他方、優越コンプレックスを調べその連続性を探求すれば、いつも多かれ少なかれ、劣等コンプレックスが隠されているのを見出すことができる」。
「優越性の追求は、決してやむことはない。実際、それは個人の心、精神を構成するものである。人生は目標を達成しようとすること、あるいはそれに具体的な形を与えようとすることである。そして、具体的な形を達成することへと向けて人を動かすのは、優越性の追求である。それは、流れのようなものであって、途中にあるすべてのものを引きずり込む」。
「すべての人は劣等感を持っている。しかし、劣等感は病気ではない。むしろ、健康で正常な努力と成長への刺激である。無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人を落ち込ませ、成長できないようにするときに初めて、劣等感は病的な状態となるのである。優越コンプレックスは、劣等コンプレックスを持った人が、困難から逃れる方法として使う方法の一つである。そのような人は、自分が実際には優れていないのに、優れているふりをする。そして、この偽りの成功が、耐えることのできない劣等である状態を補償する。普通の人は優越コンプレックスを持っていない。優越感すら持たない。われわらは、皆成功しようという野心を持っているという意味で優越性を追求する。しかし、このような努力が仕事の中に表現されている限り、精神病の根源にある誤った価値観へと導くことにはならない」。アドラーは、劣等コンプレックスも優越コンプレックスも効果的に治療することができると主張しています。
アドラーの重要な概念である「共同体感覚」は、このように説明されています。「共同体感覚を理解することが必要である。なぜなら、共同体感覚は、われわれの教育や治療の中のもっとも重要な部分だからである。勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない。困難があることは知っているが、それを克服できることも知っており、すべて例外なく対人関係の問題である人生のあらゆる問題に対して準備ができているからである。人間的な観点からすると、対人関係的な行動に対して準備ができていることが必要である」。人間は他者と離れて生きていくことはできないのであり、他者を理解し、意思疎通を図るためには、共感することが土台になるというのです。
「子どもも大人も自分が弱いと感じれば、共同体感覚を持つのをやめ、個人的な優越性を追求するのが、人間の本性の特徴であるように思われる。人生の問題を、共同体感覚をいささかも交えることなく、個人的な優越感を得るという仕方で解決したいと思うのである。優越感を追求し、しかもそれに共同体感覚を交えるのであれば、そのような人は人生の有用な面において、よい結果をもたらすことができる。しかし、共同体感覚を欠いているならば、実際には、人生の問題を解決する準備ができていないのである。問題行動のある子ども、精神病者、犯罪者、自殺者は、このカテゴリーに入る」。
アドラー自身の声を聴くには、最適な一冊です。
人間は誰でも劣等感を持っている、その劣等感は自分を高める土台となる、こういう望ましい方向へ導くには子供時代の教育・指導が重要だ――というのです。
アドラーがよく口にする「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」とは、どういうものなのでしょうか。「劣等性と優越性に結びついたコンプレックスという言葉は、劣等感と優越感の追求の過度な状態に他ならないということを忘れてはならない」。「劣等コンプレックスを見出すケースにおいて、優越コンプレックスが、多かれ少なかれ、隠されているのを見出したとしても驚くにはあたらない。他方、優越コンプレックスを調べその連続性を探求すれば、いつも多かれ少なかれ、劣等コンプレックスが隠されているのを見出すことができる」。
「優越性の追求は、決してやむことはない。実際、それは個人の心、精神を構成するものである。人生は目標を達成しようとすること、あるいはそれに具体的な形を与えようとすることである。そして、具体的な形を達成することへと向けて人を動かすのは、優越性の追求である。それは、流れのようなものであって、途中にあるすべてのものを引きずり込む」。
「すべての人は劣等感を持っている。しかし、劣等感は病気ではない。むしろ、健康で正常な努力と成長への刺激である。無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人を落ち込ませ、成長できないようにするときに初めて、劣等感は病的な状態となるのである。優越コンプレックスは、劣等コンプレックスを持った人が、困難から逃れる方法として使う方法の一つである。そのような人は、自分が実際には優れていないのに、優れているふりをする。そして、この偽りの成功が、耐えることのできない劣等である状態を補償する。普通の人は優越コンプレックスを持っていない。優越感すら持たない。われわらは、皆成功しようという野心を持っているという意味で優越性を追求する。しかし、このような努力が仕事の中に表現されている限り、精神病の根源にある誤った価値観へと導くことにはならない」。アドラーは、劣等コンプレックスも優越コンプレックスも効果的に治療することができると主張しています。
アドラーの重要な概念である「共同体感覚」は、このように説明されています。「共同体感覚を理解することが必要である。なぜなら、共同体感覚は、われわれの教育や治療の中のもっとも重要な部分だからである。勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない。困難があることは知っているが、それを克服できることも知っており、すべて例外なく対人関係の問題である人生のあらゆる問題に対して準備ができているからである。人間的な観点からすると、対人関係的な行動に対して準備ができていることが必要である」。人間は他者と離れて生きていくことはできないのであり、他者を理解し、意思疎通を図るためには、共感することが土台になるというのです。
「子どもも大人も自分が弱いと感じれば、共同体感覚を持つのをやめ、個人的な優越性を追求するのが、人間の本性の特徴であるように思われる。人生の問題を、共同体感覚をいささかも交えることなく、個人的な優越感を得るという仕方で解決したいと思うのである。優越感を追求し、しかもそれに共同体感覚を交えるのであれば、そのような人は人生の有用な面において、よい結果をもたらすことができる。しかし、共同体感覚を欠いているならば、実際には、人生の問題を解決する準備ができていないのである。問題行動のある子ども、精神病者、犯罪者、自殺者は、このカテゴリーに入る」。
アドラー自身の声を聴くには、最適な一冊です。
2014年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「あなたがそう望むがゆえ、心が病んでいるのです」なんて言葉を人事に吐かれてしまいそうで、危ない本だなぁ、と。
自己治癒にとっても、「心の持ちよう」という「だけ」のことがいかに難しいか、当事者にとって安易にこの本の言葉を投げかけるのは暴力に近い。
かつて、「じゃがたら」の江戸アケミは、「心の持ちようさ」という言葉を、「もう我慢できない」という曲に用いました。
この言葉のつながりの方がよほど自然、人間の本質に迫っているように、私には思えます。
「遺伝子」の全てが解析されて、受精段階で何らかの病気などの因子が見つかったら、という、遠からず開かれるであろう「優性思想」の世界に近い、自らの与り知らないところで状況に追い込まれた当事者に、全てを追わせる、孤独を強いる、残酷な思想だなと。
思わず「Gattaca」のDVDを観なおしてしまいました。
アドラー系の学会は2つあると聞きますが、もう一方も、このあたりの基礎認識は同一なのでしょうか。
この1冊だけでアドラーに嫌悪を抱くのも早計だと思うところもありますし、もし、違うというのなら、そちら側の方の訳された「個人心理学講義」も読んでみたいと思います。
河合隼雄演出の「ユング心理学入門」でユングに興味を持って大学に入ってみたら、当のユングの著書はただの「オカルト本」だった、という悲しい過去も経験しましたので。
自己治癒にとっても、「心の持ちよう」という「だけ」のことがいかに難しいか、当事者にとって安易にこの本の言葉を投げかけるのは暴力に近い。
かつて、「じゃがたら」の江戸アケミは、「心の持ちようさ」という言葉を、「もう我慢できない」という曲に用いました。
この言葉のつながりの方がよほど自然、人間の本質に迫っているように、私には思えます。
「遺伝子」の全てが解析されて、受精段階で何らかの病気などの因子が見つかったら、という、遠からず開かれるであろう「優性思想」の世界に近い、自らの与り知らないところで状況に追い込まれた当事者に、全てを追わせる、孤独を強いる、残酷な思想だなと。
思わず「Gattaca」のDVDを観なおしてしまいました。
アドラー系の学会は2つあると聞きますが、もう一方も、このあたりの基礎認識は同一なのでしょうか。
この1冊だけでアドラーに嫌悪を抱くのも早計だと思うところもありますし、もし、違うというのなら、そちら側の方の訳された「個人心理学講義」も読んでみたいと思います。
河合隼雄演出の「ユング心理学入門」でユングに興味を持って大学に入ってみたら、当のユングの著書はただの「オカルト本」だった、という悲しい過去も経験しましたので。
2016年2月27日に日本でレビュー済み
書店で購入しました。
書店でアドラーの解説書はブームとなり多く並んでいます。
アドラー心理学についての本は読みましたが、あまりにも解説者のバイアスがかかりすぎていると感じていたので、アドラー本人の書物に目を通すことにしました。
アドラーは劣等感を優越性の目標としてかかげ社会適応のための共同意識の必要性を強調しておりますが、優劣といった比較にもとづかない自尊心や人間の尊厳自体にまるで触れていないように思えます。
目的にもとづいて人間は行動するということに全面的な異論はありませんが、それほど人間は単純でなく人間と言う存在自体が複雑即ちコンプレックであり、多種多様な人間であるからして他者の身になって考えたところで知識育った環境や趣向など人それぞれ違うヴィジョンにより、どうしてもヴィジョンの違う人が対立し共通の意識の共有をできないように思えます。
コモンセンスも時代によりまちまちであり主体性のない大衆が中心としてつくり上げたものに重点を置きすぎる危険性は、戦前に日本を見れば明らかなのです。
他には同性愛者や性不一致障害の人を異端視しているとみられる発言もあり、それを個性や多様性として社会の中に活躍の場を提供する考えなどまったくなく、国家のため社会適応のための教育の色が強いように思われ、目的論では戦争や震災で大きな心の傷をもった人々が同情を買うという支配のためにPTSDと解釈されかねなくなり、欝が甘えだという風潮にもなりかねないので星一つにしました。
書店でアドラーの解説書はブームとなり多く並んでいます。
アドラー心理学についての本は読みましたが、あまりにも解説者のバイアスがかかりすぎていると感じていたので、アドラー本人の書物に目を通すことにしました。
アドラーは劣等感を優越性の目標としてかかげ社会適応のための共同意識の必要性を強調しておりますが、優劣といった比較にもとづかない自尊心や人間の尊厳自体にまるで触れていないように思えます。
目的にもとづいて人間は行動するということに全面的な異論はありませんが、それほど人間は単純でなく人間と言う存在自体が複雑即ちコンプレックであり、多種多様な人間であるからして他者の身になって考えたところで知識育った環境や趣向など人それぞれ違うヴィジョンにより、どうしてもヴィジョンの違う人が対立し共通の意識の共有をできないように思えます。
コモンセンスも時代によりまちまちであり主体性のない大衆が中心としてつくり上げたものに重点を置きすぎる危険性は、戦前に日本を見れば明らかなのです。
他には同性愛者や性不一致障害の人を異端視しているとみられる発言もあり、それを個性や多様性として社会の中に活躍の場を提供する考えなどまったくなく、国家のため社会適応のための教育の色が強いように思われ、目的論では戦争や震災で大きな心の傷をもった人々が同情を買うという支配のためにPTSDと解釈されかねなくなり、欝が甘えだという風潮にもなりかねないので星一つにしました。





