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侍 (新潮文庫) 文庫 – 1986/6/27

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商品の説明

受賞歴

第33回(1980年) 野間文芸賞受賞

内容紹介

藩主の命によりローマ法王への親書を携えて、「侍」は海を渡った。野心的な宣教師ベラスコを案内人に、メキシコ、スペインと苦難の旅は続き、ローマでは、お役目達成のために受洗を迫られる。七年に及ぶ旅の果て、キリシタン禁制、鎖国となった故国へもどった「侍」を待っていたものは――。政治の渦に巻きこまれ、歴史の闇に消えていった男の“生"を通して、人生と信仰の意味を問う。

商品の説明をすべて表示する

登録情報

  • 文庫: 422ページ
  • 出版社: 新潮社; 改版 (1986/6/27)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 410112325X
  • ISBN-13: 978-4101123257
  • 発売日: 1986/6/27
  • 商品パッケージの寸法: 15 x 10.6 x 1.8 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.2 26件のカスタマーレビュー
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カスタマーレビュー

トップカスタマーレビュー

形式: 文庫
基本的に史実を基にした(!)小説です、どの程度まで史実なのか?は分かりませんが、それでも凄い事件を扱った小説です。

東北のある藩に使える下級武士の「侍」が藩主からの命令で外国のノベスパニヤ(メキシコ!)に使節として任命されて海外に渡航する話しです。日本の東北から、太平洋を渡って一路アカプルコを目指す旅が始まります。私はローマにこの少し前の時代に日本人の子供がやはり使節として向かっているのは知っていましたが、この太平洋を横断してメキシコと交易をしようとしていた事実(しかも伊達政宗の命令)はびっくりしました。読み終えてからネットでも調べて見ましたが事実のようです。通辞(通訳)としてキリスト教徒ベラスコ(スペイン人の神父)が間に立っています。ベラスコ神父は日本にキリスト教をもっと布教させたい、そして自分がその指導者として、という野心を隠し持っています。藩主は交易を、ベラスコは布教を、それぞれが思惑を持っていますが、「侍」はただ役目を果たすだけです。そんな「侍」と「ベラスコ」の双方の視点から交互に描いた苦難の旅の過程と、それぞれの信念と、思想と、信仰の物語です。

この当時の太平洋横断がいかに危険なものであったかを考えると、またその役目についても、侍従関係の身分差別の厳しい時代の出来事と考えると、非常に難しい立場に立たされて選択肢の無い「侍」と、交
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形式: 文庫
当書は長谷倉六右衛門が〝殿〟の命を受けノベスパニア(=メキシコ)と通商を開くことを目的として太平洋を渡り、果てはスペイン・ローマへとキリスト教との狭間で苦難の旅をし、当書の目的が果たせないまま鎖国・切支丹禁制の日本に戻りさらに苦難の人生を送る半生が描かれています。モデルはあの支倉常長その人であり、その旅は後に〝慶長遣欧使節〟として歴史の教科書に載る程の偉業なのです。ただ、この遠藤周作の『侍』では苦難の末の帰国後も全くの評価・恩賞もなく失意のうちに最後にキリスト教に光明を見いだす主人公として描かれています。本書中のもう一人の主人公宣教師ベラスコ(=ソテロ)が『日本人にその存在を知らしめただけでも生きた意味がある』と言った表現をしていますが、常長は400年後の現代において大きく評価され仙台に銅像さえも建っている事こそが真の侍としての価値ではないかと思いました。映画で『ラストサムライ』が騒がれていますが全く異なるこちらの侍も日本人として迫力があると感じた次第です。
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形式: 文庫
2013年10月28日は、慶長遣欧使節船が石巻市月ノ浦を出帆して400年の記念すべき日。
この秋、使節関係の書物を再読中です。
小説「侍」は、慶長遣欧使節の大使支倉(本作では長谷倉)と、
使節を企画し導いたフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(本作ではベラスコ)をモデルに、
フィクションの強みを活かし、史料から知られている慶長遣欧使節の実像よりも
さらに彼らの内面や当時の幕府・仙台藩・スペイン政庁・カトリック教会・法王庁…の姿を
深く抉り出しています。
同時に、遠藤周作氏が作品群の中で描き続ける
「悲しむ者、不幸な者に寄り添うだけの、惨めで無力なイエス」と
「一度でもイエスに寄り添われた者は、その存在を決して忘れられない」という逆説的なキリスト像と、
『沈黙』などに描かれた日本の為政者がキリスト教を否定した理由、
切支丹とは本当に日本の風土に根付いたものだったのか、などの問題を提示してゆきます。
ノベスパニヤ(メキシコ)での旅の様子や出逢った日本人元修道士のエピソードは、
全くの創作でありながら、遠藤氏の丹念なメキシコでの取材や旅の印象が盛り込まれ、
この小説の白眉といえるリアリティを持ち、使節の胸に去来するさまざまな疑問や不安を
畳み
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投稿者 ぱすと〜る トップ1000レビュアー 投稿日 2015/8/26
形式: 文庫 Amazonで購入
 奇跡とは、驚くべき力で病気が治癒されることではない。治る見込みなどなく誰からも見捨てられた病人の傍らに、それでもイエスが自身も心身を痛めながら一晩ともに居続けたことだ。遠藤周作からこう学んだ。

 この小説、数百の各頁の土壌にも、救われない者からけっして離れないキリストが横たわり続けていた。

 尊敬するある新約聖書学者の口から「遠藤周作の書くお伽話のようなイエス」という評価を聞いたことがある。けれども、そうではない。遠藤周作は福音書記者と同じく、自分の生涯を通してご自身の在ることを示した神を、イエスの物語に描いているのである。その姿に、何もしてくれないように思えるが、どんな時でも見捨てず、ともに苦しみ、いや、自分に先立って自分以上に苦しみ、永遠にともにいてくれる神を見る時、人はイエスをキリストと呼ぶのだろう。

 神はどんなことがあっても、わたしたちをお見捨てにならない。わたしたちが、神さまを利用しても、信じてもいないのに信じているふりをしても、大罪と呼ばれることをなしても、けっしてお見捨てにならない。むしろ、そのような者とこそ、ともにいてくださる。

 侍の願いも誠実さも忠信も自分を曲げたことも、何一つ叶わず、何一つ報いられなかった。死のほかは、何も。その侍の背中に、さきに信仰を得た使用人が声をふ
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