侍女」。彼女達は、ギレアデ共和国において、貴重な国家資源である。「子供を産むことが可能な女」として。この国において、出生率は下降の一途を辿っている。環境汚染、エイズ、地震による原発事故、遺伝子実験…。
そんな環境の中で、子供を生む事が出来る女達は、侍女養成施設へ送られる。支配者層である司令官の子を産む道具として仕える様に教育されるのだ。
フェミニズム運動に携わっていた主人公の母や、「不完全女性」とみなされたり、体制に違反したり反抗した者は、コロニーへと送られ、死体や放射性物質の処理をさせられる。
「侍女」は希少価値を持ちながらも、高官達に産む子宮を差し出すだけの存在として、ほかの女達から、嫉妬や蔑みの目で見られている。
侍女の一人、「オブフレッド」(本名ではない。侍女は仕える高官の名前にofを付けた名で呼ばれる)が語る物語は、抑制の効いた美しい文と滑らかな翻訳で、長い物語がさらさらと読めた。然し、読み終わって、これは近未来ディストピアでは無く、過去にあった事、現在も何処かで起っている事だという気がしてならなかった。
ギレアデでは女に文字を教えない。女に書物は必要ない。産む、と言う事に全てが集約されて統制されているとさえ思う。
女に教育は必要ない。後継ぎを産む事が使命。嫁して三年子無きは去る。誰それの奥さん、誰それの女、と言う呼び方。足入れ婚。借り腹。代理母。フェミニズムは家庭を崩壊させ、出生率0へと突き進む危険思想。女は子を生む機械。etc,etc…。
祖母が、母や叔母が、私や友人達がたどってきた女としての道のりに、これらの言葉や思想は確実にあった。いや、今もある。ましてや地球上に女の人権を認めない国や地域はどれだけあるのだろう。
ギレアデ 共和国の「ギレアデ」は、旧約聖書に出て来るイスラエルの地名だが、本の中ではクーデターが起きた北米の何処か、という設定になっている。ギレアデの外では常に戦争が起っているようだが、侍女たちにはほとんど何も情報が入って来ない。バプテスト派を追い払った、クエーカー教徒の異端者を逮捕した、と言うニュースが入る所を読むと、個人の意思、個人の内面を尊重するプロテスタントの宗派が弾圧されているらしい。聖書の部分解釈を都合良く利用した全体主義的ギレアデの信仰と政治が歪んだ戦慄すべき社会を作っている。
印象に残ったのは、クーデターの始まりに、女性達は一斉に仕事を奪われ、カードで管理された財産は近親の男性に移される所。そして、侍女たちは名前を持たず、「オブグレン」とか、「オブフレッド」と言う、誰かの所有を表す「of」の後に仕える高官の名前を付けて呼ばれる。これは「結婚」する時、姓を変える事、仕事を変える事、家計を一つにする事に心理的抵抗を感じるのと似ているふと思った。
それと、作者が随所に言葉遊びや暗喩を用いている所。たとえば、乳と蜜の流れる土地、と言う聖書の記述があるが、「乳と蜜」という名の食料品店が出て来る。牛乳や卵を買うが、果物などは品薄らしい。野の百合を見よ、空の鳥を見よ、と言う記述からとったに違いない「野の百合」と言う洋服を注文する店。「食パンと魚」と言う店では魚を売るが、パンはほとんど売っていない。ここも、少ないパンと魚をキリストが多くの聴衆の為に増やしたエピソードを思わせる。それに、男の仕事=JOBと、ヨブ記(JOB記)を重ねているのには笑ってしまった。
また、文字に触れる事を許されていないはずの侍女の部屋に「信仰」の文字が刺繍されたクッションがある事。聖書の一節に、「信仰と希望と愛、この三つのものは限りなく残らん。然して最も大いなるは愛なり」というのがあるが、「希望」と「愛」のクッションは見当たらない。しかも「希望」と言う言葉が刻まれているのは古い墓石なのである。
この物語は、近未来ディストピアとして読むも良し、過去と現在の様々な因習を効果的に散りばめた架空の世界と読むも良し、聖書の言葉を歪めて解釈した宗教の暗い面を見る事も出来るだろう。また、女も産む性、いや人間の持つ性について考えさせられる物語とも言える。だが、これは決して架空の事では無いし、人間と言う種が存続して行く為にいついかなる所でも起きうる、起きて来た事なのだ。然し、陳腐なのは百も承知で言いたい。例え同じ様な状況であっても、一つだけ欠けていた「愛」をどう扱うかで、世界は全く違って来るのではないか、と。
オブフレッドは言う。「誰もセックスの欠如によって死にはしない。人は愛の欠如によって死ぬのだ。」この言葉を読んだ後に、思い返してかみしめた。
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