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住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち (講談社+α新書) 新書 – 2014/9/23
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この本を読むだけで、日本人が夢のような国に住んでいることがよくわかる――ドイツ在住30年、現地で結婚し子供を育てた著者の集大成、空前絶後の日欧比較論!! 日本人が憧れるヨーロッパの文化、街並み、そして生活レベル。しかし、本当のところはどうなのか? 街には泥棒が溢れ、古い街並みは奇妙に改悪され、馬の肉が牛の肉になり、建設工事は遅々として進まず、厄介な身分制度が残り、そして何より、あまりに不便すぎる!
大ベストセラー『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』に続く比較文化論、第2弾!
この本を読むだけで、われわれ日本人が夢のような国に住んでいることがよくわかる――ドイツ在住30年、現地で結婚し、3人の子供を育てた著者の集大成、空前絶後の日欧比較論!!
日本人が憧れるヨーロッパの文化、街並み、そして生活レベル。しかし、本当のところはどうなのか?……街には泥棒が溢れ、古い街並みは奇妙に改悪され、馬の肉が牛の肉になり、建設工事は遅々として進まず、厄介な身分制度が残り、そして何より、あまりに不便すぎる……日本人ならとても、生きてはいけない!!
大ベストセラー『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』に続く比較文化論、第2弾!
この本を読むだけで、われわれ日本人が夢のような国に住んでいることがよくわかる――ドイツ在住30年、現地で結婚し、3人の子供を育てた著者の集大成、空前絶後の日欧比較論!!
日本人が憧れるヨーロッパの文化、街並み、そして生活レベル。しかし、本当のところはどうなのか?……街には泥棒が溢れ、古い街並みは奇妙に改悪され、馬の肉が牛の肉になり、建設工事は遅々として進まず、厄介な身分制度が残り、そして何より、あまりに不便すぎる……日本人ならとても、生きてはいけない!!
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2014/9/23
- 寸法11.6 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-104062728664
- ISBN-13978-4062728669
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
劣化する欧州で見た進化する日本。
著者について
川口 マーン 惠美
川口マーン惠美(かわぐち・まーん・えみ)
1956年、大阪府に生まれる。ドイツ・シュトゥットガルト在住。作家。拓殖大学日本文化研究所客員教授。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科卒業。
著書には、ベストセラーになった『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)、『ドレスデン逍遥』(草思社)、『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)、『ベルリン物語』(平凡社新書)、『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)などがある。
川口マーン惠美(かわぐち・まーん・えみ)
1956年、大阪府に生まれる。ドイツ・シュトゥットガルト在住。作家。拓殖大学日本文化研究所客員教授。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科卒業。
著書には、ベストセラーになった『住んでみたドイツ8勝2敗で日本の勝ち』(講談社+α新書)、『ドレスデン逍遥』(草思社)、『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)、『ベルリン物語』(平凡社新書)、『ドイツで、日本と東アジアはどう報じられているか?』(祥伝社新書)などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
川口マーン/惠美
1956年、大阪府に生まれる。ドイツ・シュトゥットガルト在住。作家。拓殖大学日本文化研究所客員教授。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1956年、大阪府に生まれる。ドイツ・シュトゥットガルト在住。作家。拓殖大学日本文化研究所客員教授。日本大学芸術学部音楽学科ピアノ科卒業。シュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2014/9/23)
- 発売日 : 2014/9/23
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4062728664
- ISBN-13 : 978-4062728669
- 寸法 : 11.6 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 346,164位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 241位ヨーロッパの地理・地域研究
- - 475位講談社+α新書
- - 12,978位社会学概論
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年2月7日に日本でレビュー済み
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日本っていい国だよ、大切だよねということに対して年々「右寄り」「愛国者」といい攻撃する人が増えているけど、自分の国を大切に思えない人は一度海外で生活してみると良いと思う。きっと日本のいいところが沢山見えてくると思う。当然ダメなところも沢山見えてくると思うけど。そういうことを思い出させてくれる一冊でした。
役に立った
殿堂入りNo1レビュアーベスト1000レビュアー
Amazonで購入
本書の著者については、『Voice(ボイス)』等で興味深い記事(ドイツ国内における中国進出など)を書いていたので本書を買ってみたが、タイトルの意義(趣旨)が良く判らないのが読後の感想である。前傾書での著者の検証と比較考察は判りやすく好感が持てたが、本書では著者が何を言いたいのか良く判らない。別言すると、ヨーロッパ(EU)各国に見えるグローバル化(治安事情の悪化、移民の流入、労働事情の悪化、「ロ マ」の増加)や宗教事情などの、殊にドイツに関する愚痴めいた筆致が散見されるのである。かかる事情をして、『9勝1敗で日本の勝ち』と意義付けているように思われるが(恐らく9割方日本の方が良いという意味合いかと推察する)、その割りに第4章の「イ ル カ」と「闘 牛」についてはスペインとフランスを取り上げつつ、歯切れの悪い印象も受ける(次段参照)。また第10章では文化・芸術(音楽)に関して、ドイツの「オペラ」事情と日本の「歌舞伎」事情を取り上げているが、著者の「オペラ」や「クラシック」への傾倒ぶりは伝わってくるが、著者が慕うところのドイツの歴史的芸術の衰退ぶりを切々と語られても、私のような読者にはどうしようもない。それ故に日本と欧州(ドイツ)の比較と言うよりも、欧州(EU)やドイツに対する著者の不満と感じられるところが多いのである。
構成・内容については、このページの上の「商品の説明」、同「登録情報」最下段の「目次を見る」に譲り、本稿では特に取り上げない。個人的に気になった点で前段で指摘した第4章だが、ここで著者は伝統的なスペインの「闘 牛」と、日本の「イ ル カ」漁を並列に取り上げている。スペインでは「闘 牛」が(2012年に)禁止されたらしいが、南フランスでは「伝統文化」として行われているらしい(60〜61頁)。その模様を詳細かつ批判的に綴りながらも、ドイツのテレビでの日本の「イ ル カ」漁を批判的に報じる映像をして、「映像は確かに残酷だ……『牛や豚や鶏も食べるではないか』といっても、何だか言い訳っぽく響いてよろしくない」(66頁)とトーンが下がってしまう。フランスの「闘 牛」は“見せ物”ないし“行事”であろうが、日本の「イ ル カ」漁は少なくともフランスの「闘 牛」のような“見せ物”という側面はないし生業である(但し件の「闘 牛」関係者の中には生業とする者も存在しうるだろう)。これらを同列に論じておいて、その映像を観たからと言って「確かに残酷だ」等と著者が同調するのでは、フランスが「伝統文化」と「言い訳」するところの「闘 牛」を批判的に論じてきた意義が埋没してしまうと思うのである。
そもそも何であれ、私は“生き物”を食材加工する過程は、これを鑑賞または観察しその主観を評価・表現すべきものとは思わない。人間が生きるために、その食材加工された“生き物”は有り難く頂くものだと思っている。著者が指摘する「ヴィーガン」なる人々(95頁以下)は別論としても(野菜・植物でも“生き物”と言えなくもないがここでは措く)、“生き物”を食することに綺麗事を並べても意義のないことであり、著者の「言い訳」とする感覚には些か落胆させられる。かてて加えて著者は別章で「ノルウェー」につき物価高と国民1人当たりGNIで詳細に注目しながら、「ク ジ ラ」問題を論じる第4章では「ノルウェー」の“商業捕鯨”を全く取り上げていないのも疑問である。また第1章での「スペインの別荘地」での体験談(22〜29頁)も、私の深読みなのかも知れないが、どこか奥歯に物の挟まったような筆致が感じられる。全体に著者の主張は理解できなくもないが、愚痴めいた筆致や趣旨が散漫な印象を受ける。
構成・内容については、このページの上の「商品の説明」、同「登録情報」最下段の「目次を見る」に譲り、本稿では特に取り上げない。個人的に気になった点で前段で指摘した第4章だが、ここで著者は伝統的なスペインの「闘 牛」と、日本の「イ ル カ」漁を並列に取り上げている。スペインでは「闘 牛」が(2012年に)禁止されたらしいが、南フランスでは「伝統文化」として行われているらしい(60〜61頁)。その模様を詳細かつ批判的に綴りながらも、ドイツのテレビでの日本の「イ ル カ」漁を批判的に報じる映像をして、「映像は確かに残酷だ……『牛や豚や鶏も食べるではないか』といっても、何だか言い訳っぽく響いてよろしくない」(66頁)とトーンが下がってしまう。フランスの「闘 牛」は“見せ物”ないし“行事”であろうが、日本の「イ ル カ」漁は少なくともフランスの「闘 牛」のような“見せ物”という側面はないし生業である(但し件の「闘 牛」関係者の中には生業とする者も存在しうるだろう)。これらを同列に論じておいて、その映像を観たからと言って「確かに残酷だ」等と著者が同調するのでは、フランスが「伝統文化」と「言い訳」するところの「闘 牛」を批判的に論じてきた意義が埋没してしまうと思うのである。
そもそも何であれ、私は“生き物”を食材加工する過程は、これを鑑賞または観察しその主観を評価・表現すべきものとは思わない。人間が生きるために、その食材加工された“生き物”は有り難く頂くものだと思っている。著者が指摘する「ヴィーガン」なる人々(95頁以下)は別論としても(野菜・植物でも“生き物”と言えなくもないがここでは措く)、“生き物”を食することに綺麗事を並べても意義のないことであり、著者の「言い訳」とする感覚には些か落胆させられる。かてて加えて著者は別章で「ノルウェー」につき物価高と国民1人当たりGNIで詳細に注目しながら、「ク ジ ラ」問題を論じる第4章では「ノルウェー」の“商業捕鯨”を全く取り上げていないのも疑問である。また第1章での「スペインの別荘地」での体験談(22〜29頁)も、私の深読みなのかも知れないが、どこか奥歯に物の挟まったような筆致が感じられる。全体に著者の主張は理解できなくもないが、愚痴めいた筆致や趣旨が散漫な印象を受ける。
2020年8月25日に日本でレビュー済み
最初に少し読んで面白いと思ったのはマーンさんのヨーロッパに対するある意味批判なのかなーと感じたわけです。その根底には日本は素晴らしいという大前提がなければならないはずです。ヨーロッパにおける手の込んだ泥棒の多さ。運動神経の不思議、音楽大国なのにあまりよく知らない。建造物の建設の遅さ、宗教の不思議、歴史の解釈の違い、性に関する見方の違いなど、あくまでも日本とヨーロッパの対比になっています。
さてこの比較の仕方に私はよく韓国の人達が日本について書くときとよく似ていることに気ずきました。それは韓国が物事を進めるときなるべく速く、短時間にしかもすぐに効果を期待するということです。それに比べて日本の対応は遅いということです。それならなぜ日本は行動と決断が韓国と比べた場合遅いのか。現時点での即効性を期待するのではなく将来にわたっての効果を長く維持するために現在を我慢して未来に望みを託す生活方式であると言えます。まったくこの日本と韓国の比較と日本とドイツの比較は似ています。つまり日本は急がなくてもとりあえず大丈夫ですが韓国は急がないと社会システムの不足している部分を早急に埋めなければ支障がででしまう違いがあると思います。ドイツはそもそも日本と比べて労働に関して考え方が違っており日本では長時間誰も同じように働くという考え方だけれどヨーロッパでは自分たちのために働き会社のためには働かない。良いポジションがあれば今勤めている会社を止めて報酬や条件のよりよい会社に移っていく。勿論失敗すれば先がないかもしれない。そのリスクは非常に大きいと聞いています。あと逆に一度手にした職場はなかなか他の新しい人に譲らないと聞いています。新しい入ってきても仕事を教えてもらえないそうです。つまり自分のリスクで仕事をしろということなのかもしれません。どちらが良いかは分かりませんが、そういう違いがあることは確かです。
日本人のヨーロッパに対する幻想?または過度な期待からくるマーンさんの失望?なのかもしれません。私の父も65歳になるまで海外で働いていました。教員でしたけれど誰かは誰かの為に働かなければならないのです。マーンさんのヨーロッパは日本よりも効率が悪いというのは残念ながら承諾しかねます。日本がまだそういう意味で発展途上だと思わざる負えません。雇用を確保するためには賃金や労働時間に手を加えなければならないのです。もしヨーロッパのような生活体系にしたいのならすべてが自己責任となりより緊張のはしる生活にならざる負えないでしょう。
さてこの比較の仕方に私はよく韓国の人達が日本について書くときとよく似ていることに気ずきました。それは韓国が物事を進めるときなるべく速く、短時間にしかもすぐに効果を期待するということです。それに比べて日本の対応は遅いということです。それならなぜ日本は行動と決断が韓国と比べた場合遅いのか。現時点での即効性を期待するのではなく将来にわたっての効果を長く維持するために現在を我慢して未来に望みを託す生活方式であると言えます。まったくこの日本と韓国の比較と日本とドイツの比較は似ています。つまり日本は急がなくてもとりあえず大丈夫ですが韓国は急がないと社会システムの不足している部分を早急に埋めなければ支障がででしまう違いがあると思います。ドイツはそもそも日本と比べて労働に関して考え方が違っており日本では長時間誰も同じように働くという考え方だけれどヨーロッパでは自分たちのために働き会社のためには働かない。良いポジションがあれば今勤めている会社を止めて報酬や条件のよりよい会社に移っていく。勿論失敗すれば先がないかもしれない。そのリスクは非常に大きいと聞いています。あと逆に一度手にした職場はなかなか他の新しい人に譲らないと聞いています。新しい入ってきても仕事を教えてもらえないそうです。つまり自分のリスクで仕事をしろということなのかもしれません。どちらが良いかは分かりませんが、そういう違いがあることは確かです。
日本人のヨーロッパに対する幻想?または過度な期待からくるマーンさんの失望?なのかもしれません。私の父も65歳になるまで海外で働いていました。教員でしたけれど誰かは誰かの為に働かなければならないのです。マーンさんのヨーロッパは日本よりも効率が悪いというのは残念ながら承諾しかねます。日本がまだそういう意味で発展途上だと思わざる負えません。雇用を確保するためには賃金や労働時間に手を加えなければならないのです。もしヨーロッパのような生活体系にしたいのならすべてが自己責任となりより緊張のはしる生活にならざる負えないでしょう。
2021年3月13日に日本でレビュー済み
治安、文化、経済、歴史、教育と身近な話題から著者が考察し、読みやすい内容となっている。
以前欧州に住み、家族にドイツ人がいる私も、「そうそう。なるほど。」と同意するところが多かった反面、内容はヨーロッパ憧れ意識の強い(強かった)日本人が書いた欧州生活記止まりで、考察が浅く情報も古い印象を受けた。
また、「歴史の忘却」に関する章で著者が「日本が植民地化をされていたら、日本もフィリピンのようになっていた。」という表現を用いた点について、違和感を持った。著者が「過去の過ちを認め合う欧州人と比べ、アジア人はアジア人というアイデンティティーを形成できなかった。」と主張しているが、その原因は著者のように日本以外のアジア各国を無意識に下に見ている人間側にもあるのではないか。
(日本もかつてフィリピンを占領していたが、もし仮にドイツで、「ドイツが植民地をされていたら、ドイツもポーランドのようになっていた。」と主張したら大問題になるだろう。著者が長い欧州生活で何を学んだのかが、非常に気になった。)
以前欧州に住み、家族にドイツ人がいる私も、「そうそう。なるほど。」と同意するところが多かった反面、内容はヨーロッパ憧れ意識の強い(強かった)日本人が書いた欧州生活記止まりで、考察が浅く情報も古い印象を受けた。
また、「歴史の忘却」に関する章で著者が「日本が植民地化をされていたら、日本もフィリピンのようになっていた。」という表現を用いた点について、違和感を持った。著者が「過去の過ちを認め合う欧州人と比べ、アジア人はアジア人というアイデンティティーを形成できなかった。」と主張しているが、その原因は著者のように日本以外のアジア各国を無意識に下に見ている人間側にもあるのではないか。
(日本もかつてフィリピンを占領していたが、もし仮にドイツで、「ドイツが植民地をされていたら、ドイツもポーランドのようになっていた。」と主張したら大問題になるだろう。著者が長い欧州生活で何を学んだのかが、非常に気になった。)