親の介護と正面から向き合うと、おのずと、人間と死と生について、真剣に考えさせられずにはいられない。
遥さんは、ここまで、正直に赤裸々に告白してよいものか?と、読んでいるこちらが、はらはらするほど、容赦なく、自分のエゴの深淵もつきつめる。
恋愛もそうである。恋人のただしについても、容赦がない。別れを決めるまでの心の内を、まっこうから赤裸々に語る。うそがない。
介護というより、痴呆と脳こうそくで、父親が最後に息をひきとるまでの看取りを、両親と自身、兄弟との家庭でのありかたも含めて、
幼いころを振り返るかたちで、家族のきずなを確認していく。彼女は6人兄弟の末っ子で兄5人と兄嫁5人とタッグを組んだ介護である。自宅での介護だ。
介護とは、看取りとは、自分も傷つく。家族も傷つく。そういうものだと思う。
自分のきしかたゆくすえを、親の老いともに、自分に問いかけるプロセスでもある。そこは、遥さんの独壇場である。彼女は正直である。
この延長上に恋愛(ただし)をもってきたら、そりゃあ、つらいかな?手厳しいかな?と思う。
恋愛に対して、ここまで手厳しいのも、介護と恋愛が同時進行したためであると思う。
ちょっと時期がずれていたら?? 介護と看取りが終わって数年して、おちついた時期に恋愛が生まれれば?
あるいは、結婚したのち、介護が始まったなら?
もう少し(恋人のただし)に対しても、視点が違っていたかもしれないが・・・とにかく別れる。
まあ・・遥さんにとって、恋愛は、この時点では縁がなかった・・そういうことだと思う。
遥さんは、全力投球で介護にぶつかった。仕事にも恋にも逃げずに、向き合った。
そして、得たものは大きい。仕事も果たした。そして、恋愛には辛口の評価で吹っ切れた。終止符をうった。
この現実感は、半端ではないし、きれいごとでもすまない。
本書は、そこに価値があると思う。本音だけの書である。そこに共感できる。
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