人間の運命 (日本語) 単行本 – 2009/8/29
五木 寛之
(著)
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本の長さ207ページ
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言語日本語
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出版社東京書籍
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発売日2009/8/29
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ISBN-104487804027
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ISBN-13978-4487804023
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
運命とは何か運命は変えられるのか。『大河の一滴』から11年―。いま五木寛之が到達した、究極の人間論!親鸞のことばの真実の意味がここによみがえる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
五木/寛之
1932(昭和7)年9月福岡県に生まれる。生後まもなく朝鮮にわたり47年引揚げ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で第6回小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞、76年「青春の門」筑豊編ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。ニューヨークで発売された英文版『TARIKI』は大きな反響を呼び、2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1932(昭和7)年9月福岡県に生まれる。生後まもなく朝鮮にわたり47年引揚げ。PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年「さらばモスクワ愚連隊」で第6回小説現代新人賞、67年「蒼ざめた馬を見よ」で第56回直木賞、76年「青春の門」筑豊編ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。ニューヨークで発売された英文版『TARIKI』は大きな反響を呼び、2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 東京書籍 (2009/8/29)
- 発売日 : 2009/8/29
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 207ページ
- ISBN-10 : 4487804027
- ISBN-13 : 978-4487804023
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 895,597位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 983位死生観
- - 3,163位直木賞受賞(51-75回)作家の本
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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ベスト1000レビュアー
齢80にならんとする五木が人間の運命について語ったエッセイ。気軽に読める語り口だが、激動の時代を生き抜いてきた者の言葉だけに、裏打ちされた彼の人生経験に想いを馳せると、その内容には大変な重みがあると言わざるを得ない。特に「あまりにも恥ずかしく、振り返りたくない」と言う冒頭のエピソードなど、言葉に言い表すことの出来ない思いがこれでもかという程、含まれているはずである。
人間には自分の力を超越した運命があり、その運命の中でどう生きるべきなのか。そんなことを80年近く生きた人間が考えるのだから、その言葉の深みを読者は自由で豊かな想像力をもって味わう必要がある。
人間には自分の力を超越した運命があり、その運命の中でどう生きるべきなのか。そんなことを80年近く生きた人間が考えるのだから、その言葉の深みを読者は自由で豊かな想像力をもって味わう必要がある。
2013年3月18日に日本でレビュー済み
看板にいつわりなし。人間の運命をめぐる哲学的エッセイです。
これは口述筆記をもとにしているんだろうか、たいへん平易な文章で万人に向けて書かれているので気軽に読めるはず。
五木さんの読者にとっては、前にもどこかで読んだことのあるエピソードがくりかえし出てきますが、それだけ強調しておきたい思い入れがあることが伝わってくる。
年齢を重ねないと書けない内容があるとおもいます。やはり、ご自身の体験談が、ひしひしと心にしみるものですね。
《人間は、運命に流されて生きていく。
それを認めたうえで、私はあえてこう言いたいと思う。
いまの自分の生き方は、自分で決めているようで、じつはひとつの大きな手のなかで導かれているのだ、と。
そして、その私たちの今日の運命に対する受け入れかたが、明日の未来の運命を左右するのではないか、と。
過去からせおわされた運命から逃れることはできない。しかし、明日の運命は、いまこの自分にかかっている。私はそう思う。》
五木寛之の著書をはじめて手に取るかたにも、かなりおすすめできる一冊ではないかしら。
これは口述筆記をもとにしているんだろうか、たいへん平易な文章で万人に向けて書かれているので気軽に読めるはず。
五木さんの読者にとっては、前にもどこかで読んだことのあるエピソードがくりかえし出てきますが、それだけ強調しておきたい思い入れがあることが伝わってくる。
年齢を重ねないと書けない内容があるとおもいます。やはり、ご自身の体験談が、ひしひしと心にしみるものですね。
《人間は、運命に流されて生きていく。
それを認めたうえで、私はあえてこう言いたいと思う。
いまの自分の生き方は、自分で決めているようで、じつはひとつの大きな手のなかで導かれているのだ、と。
そして、その私たちの今日の運命に対する受け入れかたが、明日の未来の運命を左右するのではないか、と。
過去からせおわされた運命から逃れることはできない。しかし、明日の運命は、いまこの自分にかかっている。私はそう思う。》
五木寛之の著書をはじめて手に取るかたにも、かなりおすすめできる一冊ではないかしら。
ベスト1000レビュアーVINEメンバー
本書で五木氏は「人間の運命」をテーマに自身が生涯を通じて考えてきたこと、悩んできたことを書き綴っている。後書きにもあるように書下ろしではなく、いくつかの文章の集まりであるため、理路整然としたものではないが、自己を形成した終戦時代の辛い体験を経た後に得た人生観が飾らず記されているため、書かれた言葉にはずっしりとした重みを感じた。
「人間は自分の運命を変えられるのか」というのは本書の一つのテーマであるが、これに対して単純なyes-noという答えはなされていない。それは著者が父親を始めとして、人間の力では抗うことのできない大きな運命のうねりの中で失意のうちに死んでいった人を多数見てきただけに、安易な言葉を記すことができないのだろう。
一方、自己の運命を切り開くことを諦めているわけではなく、「過去を変えることはできない。現在の生き方はなんとかなるかもしれない。」という一説が著者の結論なのだろう。五木氏のように外部から見れば十分な成功を収めた人でも暗闇の中で光を捜し求めて生きているのだから、自分も日々悩み苦しむのはむしろ当然で、でも諦めずに全力を尽くしていくしかないのだと感じた。
「人間は自分の運命を変えられるのか」というのは本書の一つのテーマであるが、これに対して単純なyes-noという答えはなされていない。それは著者が父親を始めとして、人間の力では抗うことのできない大きな運命のうねりの中で失意のうちに死んでいった人を多数見てきただけに、安易な言葉を記すことができないのだろう。
一方、自己の運命を切り開くことを諦めているわけではなく、「過去を変えることはできない。現在の生き方はなんとかなるかもしれない。」という一説が著者の結論なのだろう。五木氏のように外部から見れば十分な成功を収めた人でも暗闇の中で光を捜し求めて生きているのだから、自分も日々悩み苦しむのはむしろ当然で、でも諦めずに全力を尽くしていくしかないのだと感じた。
2011年4月12日に日本でレビュー済み
よく成功した人は、くじけず努力を重ねた結果だと言う
また努力を重ねるうちに
「チャンスの女神の前髪を」つかむことができるという
成功とは何かも人それぞれではあるが
生まれながらにして恵まれ努力を成功に向けて費やすことが出来る人
逆に人並みの生活を送るためにさえ努力が必要な人
常に人の手を借りないといけない人
人生のスタートの時点から違っている
それをさも自分の努力だけで上手くいったように吹聴する人
成功できなかった人は努力が足りない人であると見下す人
運や運命が影響しているのに傲慢な態度を取る
確かに努力は必要であるが
それだけではどうにもならない目に見えないものがあることを
彼らは知らず、もしくは目を伏せているように思える
中にはこの成功が自分の努力だけではないと感じ
成功の成果を社会に還元しているすばらしい人たちもいる
そう、成功も社会から与えられたととらえ
還元するということで、また自分や周りの人にも
還元されると考えられる
本書の著者、五木寛之氏は成功したにも関わらず
運、運命について冷静にとらえ
それらについて詳細に語っている
また努力を重ねるうちに
「チャンスの女神の前髪を」つかむことができるという
成功とは何かも人それぞれではあるが
生まれながらにして恵まれ努力を成功に向けて費やすことが出来る人
逆に人並みの生活を送るためにさえ努力が必要な人
常に人の手を借りないといけない人
人生のスタートの時点から違っている
それをさも自分の努力だけで上手くいったように吹聴する人
成功できなかった人は努力が足りない人であると見下す人
運や運命が影響しているのに傲慢な態度を取る
確かに努力は必要であるが
それだけではどうにもならない目に見えないものがあることを
彼らは知らず、もしくは目を伏せているように思える
中にはこの成功が自分の努力だけではないと感じ
成功の成果を社会に還元しているすばらしい人たちもいる
そう、成功も社会から与えられたととらえ
還元するということで、また自分や周りの人にも
還元されると考えられる
本書の著者、五木寛之氏は成功したにも関わらず
運、運命について冷静にとらえ
それらについて詳細に語っている
VINEメンバー
人は誰でも生まれながらにして邪悪な心を持っており、状況によっては自然や他人の犠牲無くして生き残れない。
だれでも自分が死に直面した時などは「他人を蹴落としてでも生きたい」という自我の生存欲求が瞬時に生じる。
人目がなければ、積み重ねてある一番上の傷んでる本や賞味期限が迫っている一番手前の食品をあえて選んで買う人はいない。傷んだものをおしのけて、自分だけ新しいものを求めるのは自然の行為である。
それは「魔が差した」というような罪を感じて恥じるものではなく、生まれもった本能から来る当然の行動であるかもしれない。
きれいごとだけで表面を繕い悪を押し隠して生きていても、いざという時は「悪のささやき」に従ったり、自分なりの正義や正論を振りかざして他人を押しのけなければ、人間社会や自然界ではのしあがっていけないこともある。
それが客観的にみて罪業であっても、「自分は過去の人生の局面において常に正しい(やむを得ない)選択をしてきたのだ」と割り切って生きていかなければならない。
著者は「生まれ変わり」という意味での輪廻転生には否定的であるが、生まれもった宿命や先祖伝承の宿業を背負って生きていかなければならないという。 「現在は過去から成り立っている」という視点で語られているが、「現在は未来によって決まってくる」とか「現在・未来が変われば過去も変わっていく」いう最近流行りの運命論は展開されていない。未来の進歩・発展のために過去を悔いない程度に受け止めることも大切なのであろうか。
たとえ現実の実体はなにも変わっていかなかったとしても、見方や受け止め方のフォーカスを変えるだけで(著者のフォーカスとは見たいものに焦点を絞るというより、都合の悪い背景をぼやかして忘れること)見えてる現実は変わってくるかもしれない。
結果的には宿命の中をもがいているだけの現世かもしれないが、新しい言葉や新しい見方による希望の光によって、自由意思で運命を切り開いているのだと実感することが大切である。
だれでも自分の中に悪があることに気づき、悪い自分も認めてこそ、初めて他人の悪も許せるようになるのだろう。
だれでも自分が死に直面した時などは「他人を蹴落としてでも生きたい」という自我の生存欲求が瞬時に生じる。
人目がなければ、積み重ねてある一番上の傷んでる本や賞味期限が迫っている一番手前の食品をあえて選んで買う人はいない。傷んだものをおしのけて、自分だけ新しいものを求めるのは自然の行為である。
それは「魔が差した」というような罪を感じて恥じるものではなく、生まれもった本能から来る当然の行動であるかもしれない。
きれいごとだけで表面を繕い悪を押し隠して生きていても、いざという時は「悪のささやき」に従ったり、自分なりの正義や正論を振りかざして他人を押しのけなければ、人間社会や自然界ではのしあがっていけないこともある。
それが客観的にみて罪業であっても、「自分は過去の人生の局面において常に正しい(やむを得ない)選択をしてきたのだ」と割り切って生きていかなければならない。
著者は「生まれ変わり」という意味での輪廻転生には否定的であるが、生まれもった宿命や先祖伝承の宿業を背負って生きていかなければならないという。 「現在は過去から成り立っている」という視点で語られているが、「現在は未来によって決まってくる」とか「現在・未来が変われば過去も変わっていく」いう最近流行りの運命論は展開されていない。未来の進歩・発展のために過去を悔いない程度に受け止めることも大切なのであろうか。
たとえ現実の実体はなにも変わっていかなかったとしても、見方や受け止め方のフォーカスを変えるだけで(著者のフォーカスとは見たいものに焦点を絞るというより、都合の悪い背景をぼやかして忘れること)見えてる現実は変わってくるかもしれない。
結果的には宿命の中をもがいているだけの現世かもしれないが、新しい言葉や新しい見方による希望の光によって、自由意思で運命を切り開いているのだと実感することが大切である。
だれでも自分の中に悪があることに気づき、悪い自分も認めてこそ、初めて他人の悪も許せるようになるのだろう。
2009年11月13日に日本でレビュー済み
相変わらず帯の宣伝文句の仰々しさに閉口するが、
内容としては奇を衒うことも、読者に媚びることもしない淡々としたエッセーだ。
敗戦から戦後の混乱期に辛酸を舐め、まざまざと人生の理不尽に直面させられた五木氏は、
人生というものを、大河に流される木片のように、抗いがたく運命に翻弄される人間の姿として捉える。
だが、それは単純に悲観的な人生観ではない。
個人の努力では如何ともし難いことを認めながらも、いかに運命に前向きに向き合えるかを探る。
彼自身が、「夢は叶う」的な単純なるポジティブ言説に疑義を差し挟んでいるように、
本書では道徳を説教するのでもなく、熱い激励を飛ばすのでもない。
ゆえに、読後に強烈な感動を伴うような刺激的な書では決してない。
しかし、そこには自力で解決できない人生に対し、飽くことなく思索を続ける著者の姿がある。
明晰で痛快な応えは返ってこないが、そのように人生を単純化してしまう言説を斥ける声が、
日本において権威ある五木氏から発せられているということの意義は少なくないだろう。
内容としては奇を衒うことも、読者に媚びることもしない淡々としたエッセーだ。
敗戦から戦後の混乱期に辛酸を舐め、まざまざと人生の理不尽に直面させられた五木氏は、
人生というものを、大河に流される木片のように、抗いがたく運命に翻弄される人間の姿として捉える。
だが、それは単純に悲観的な人生観ではない。
個人の努力では如何ともし難いことを認めながらも、いかに運命に前向きに向き合えるかを探る。
彼自身が、「夢は叶う」的な単純なるポジティブ言説に疑義を差し挟んでいるように、
本書では道徳を説教するのでもなく、熱い激励を飛ばすのでもない。
ゆえに、読後に強烈な感動を伴うような刺激的な書では決してない。
しかし、そこには自力で解決できない人生に対し、飽くことなく思索を続ける著者の姿がある。
明晰で痛快な応えは返ってこないが、そのように人生を単純化してしまう言説を斥ける声が、
日本において権威ある五木氏から発せられているということの意義は少なくないだろう。