国際連盟の依頼で、アインシュタインがフロイトに「人はなぜ戦争をするのか」との書簡を送った。ともにユダヤ系の人間であった。その問いは1932年の初めに出され、フロイトは76歳だったが、同年9月、第一次世界大戦を驚愕をもって経験したフロイトが、研究をつづけた晩年に至った,その集約的な回答をしている。ある程度短い回答の手紙が、最初に載せられている。これという大きな新味はないが、研究の結果を心理臨床医としての範囲で、一生懸命応えようとしているが、世界的権威たるアインシュタインの問いに十分こたえきれたかどうかは、自信を持てなかったようだ。1931年には、石原莞爾が満州事変(柳条湖事件)をすでに起こしている。
そして、次に載せられている論文が、さかのぼって、1914年の第一次世界戦争をドイツで真の当たりにしたフロイトが書いた少し長い「戦争と死に関する時評」(1915年)が載せられている。これはフロイトにとって驚愕の戦争体験での直後に書いた文章である。
まず、「今までの戦争と全く違っていたからである。それまでは軍人(将兵)同士の戦いであったものが、国を挙げての総力戦になり、戦闘員も民間人も関係なく攻撃し合い、殺し合いをし、ガス兵器まで使われた。さらには、教養ある立派な学者であった人たちが、きわめて感情的に突き動かされ、学問を敵と戦うために使い、文化人類学者は、敵を劣等で堕落した民族とし、精神医学者は、敵を精神障碍者と決めつけ、戦争をあおったのである」。
フロイトは、こんな事態を人間が起こすとは考えてもいなかったし、ある意味平和な研究をしていた。ところがこういう事態を見て、「戦争がもたらした幻滅と、死への心構えの変化」を中心に、ここからフロイトはさらなる真剣な研究と思索に入ったようである。
正にカントが『永遠の平和のために』の内容で書いていることが、アインシュタインとフロイトの間で再び、論じ合われたような感がする。
フロイトは、この時点では人間は「利己的な欲動と残酷さの欲動(こう表現しているが、研究が進むにつれて「愛の欲動・エロスと攻撃的欲動という言葉を使うようになる」というすさまじさを持っていて、アンビバレントな存在とし、それ自体はもともと人間が持っている自己保存的、生命体として当然持っているもので、それを単純に「悪と善」分ける意味はないし、人間はもともと道徳的動物ではないし、「悪が根絶することはない」とも言っているし「動物は皆殺しはしないが、人間は皆殺しをする」とも言い、かなり混乱しながら模索しながら書いている感じが良く分かる。ただ、そうはいっても、人間は社会的に見て、悪に行くか、善を通すかは分からない不思議な存在であるとして、性善説はとっていない。どちらかというと「欲動が強く働く」という表現で人間を見ていて、カントが「人間は自然状態では喧嘩ばかりする」という認識に近いものを感じさせる。
なお、その後1934年にヒトラーが総統及び大統領になり、1939年に第二次世界大戦を始めるが、フロイトはその前年の1938年にロンドンに亡命、翌年に亡くなった。ヒトラーは、ユダヤ人虐殺前に「独逸内の精神・身体障碍者、浮浪者、犯罪者など社会の役に立たないとみなしたものを監禁し、殺していった。優生保護法的考え方を持ち込んだ。おそらく、フロイトはそういう考え方に反対し、迫害されたと思われる。
翻訳は、非常に読み安い文章になっている。
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