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[森下幸信]の京都歴史文化観光 いづみ路読本 笠置山寺 京の秘境: 笠置山...: 大磨崖佛 後醍醐天皇行在所 南朝玉座 笠置山寺行場巡り デジタル復元画像 お水取り起源 正月堂

京都歴史文化観光 いづみ路読本 笠置山寺 京の秘境: 笠置山...: 大磨崖佛 後醍醐天皇行在所 南朝玉座 笠置山寺行場巡り デジタル復元画像 お水取り起源 正月堂 Kindle版


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新品 中古品
Kindle版 (電子書籍), 2019/10/19
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販売: Amazon Services International, Inc.
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商品の説明

内容紹介

笠置寺・笠置山寺 京都府相楽郡笠置町にある真言宗智山派の佛教寺院。山号は鹿鷺山(しかさぎさん)。本尊は弥勒佛。開基は大友皇子または天武天皇と伝えられる。歴史的に南都(奈良)の東大寺や興福寺などと関係が深く、貞慶などの著名な僧が当寺に住まいしたことで知られ、日本仏教史上重要な寺院である。また、境内は鎌倉時代末期、元弘の乱の舞台となったことで知られる。笠置寺(笠置山寺)は京都府の南東部、奈良県境に位置する笠置町にあり、東西に流れる木津川の南岸、標高289mの笠置山を境内とする。笠置町は奈良方面からの月ヶ瀬街道と、京都方面から伊賀へ向かう伊賀街道の交わる地であり、地理的にも歴史的にも南都(奈良)との関わりが深い。また、平城京の宮殿や寺院などの建築用材は木津川の上流から舟で運ばれたとされており、笠置は水陸交通の要地でした。正月堂と弥勒磨崖仏 笠置寺は磨崖佛(自然の岩壁に直接彫り刻んだ佛像)の巨大な弥勒佛を本尊とする寺で、平安時代以降、弥勒信仰の聖地として栄えました。笠置山は、標高は300メートルに満たないが、山中の至るところに花崗岩の巨岩が露出し、古くから山岳信仰、巨石信仰の霊地であったと推定されています。日本では太古から山岳、滝、巨岩、巨樹などの自然物が崇拝の対象とされ、巨岩は磐座(いわくら)などと呼ばれて、神の依代(よりしろ)、すなわち目に見えないカミの宿る場所とされていました。笠置山はこうした巨石信仰、山岳信仰が佛教思想と結び付き、山中の巨岩に佛像が刻まれ、次第に佛教寺院としての形を整えていったものと推定されています。笠置寺の創建については諸説あって定かではありません。『笠置寺縁起』には白鳳11年(682年)、大海人皇子(天武天皇)の創建とある。一方、『今昔物語集』巻11には笠置の地名の起源と笠置寺の弥勒磨崖佛の由来について、次のように伝えています。天智天皇の第三皇子である川島皇子(657~)はある日、馬に乗って鹿狩りをしていた時、笠置山中の断崖絶壁で立ち往生してしまいました。鹿は断崖を越えて逃げ去り、自らの乗る馬は断崖の淵で動きがとれません。そこで山の神に祈り、「もし自分を助けてくれれば、この岩に弥勒佛の像を刻みましょう」と誓願したところ、無事に助かりました。川島皇子は次に来る時の目印として、自分の笠をその場に置いていかれました。これが笠置の地名の起こりであると言われています。その後、川島皇子が再び笠置山を訪れ、誓願どおり崖に弥勒の像を刻もうとしたところ、あまりの絶壁で思うにまかせません。しかし、そこへ天人が現れ、弥勒像を刻んだといわれ、これが笠置寺の弥勒磨崖佛の由来であると言われています。以上の話はむろん伝承にすぎませんが、笠置寺の始まりが弥勒磨崖佛造立であったことを示唆していると言えるでしょう。『東大寺要録』元慶元年(879年)条に「笠置寺八講始行」とあるのが笠置寺の文献上の初見ではございますが、実際の創建は奈良時代にさかのぼるものと思われます。「お水取り」の起源 また笠置寺には東大寺の開山で初代別当(寺務を統括する僧)であった良弁や、その弟子で「お水取り」の創始者とされる実忠にかかわる伝承も残っています。千手窟 伝承によれば、良弁は笠置山の千手窟に籠って修法を行い、その功徳によって木津川の舟運のさまたげとなっていた河床の岩を掘削することができたと言われています。一方、良弁の弟子・実忠にかかわる伝承は次のようなものです。笠置山には龍穴という奥深い洞窟があり、その奥は弥勒菩薩の浄土兜率天へつながっていると言われていました。実忠はある日、龍穴で修行中、思い立って龍穴の奥へと歩いていくとやがて兜率天に至りました。兜率天の内院四十九院をめぐった実忠が、そこで行われていた行法を人間界に伝えたのが東大寺のお水取りであるといわれています。貞慶の来山~元弘の乱 
後醍醐天皇の行在所遺址。笠置曼荼羅図(大和文華館蔵、鎌倉時代)に描かれた笠置寺。
平安時代後期には末法思想(釈迦の没後2,000年目を境に佛法が滅び、世が乱れるとする思想)の広がりとともに、未来仏である弥勒への信仰も高まり、皇族、貴族をはじめ当寺の弥勒仏へ参詣する者が多かった。永延元年(987年)、円融院の行幸(『百錬抄』)、寛弘4年(1007年)、藤原道長の参詣(『御堂関白記』)などが記録に残っています。
鎌倉時代初期の建久4年(1193年)には、日本仏教における戒律の復興者として知られる興福寺出身の僧・貞慶が笠置寺に住まいしていました。貞慶は藤原通憲(信西)の孫にあたり、鎌倉時代に台頭した新佛教(浄土教など)に対する旧佛教側の代表的な僧。学僧として名が高かったが、南都の佛教の退廃を嘆き、笠置に隠棲。以後、承元2年(1208年)、観音寺(海住山寺)に移るまでの十数年間を笠置で過ごしていました。この時期に寺は最盛期を迎え、伽藍が整備され、建久5年(1194年)には般若台が建立されました。これは『大般若経』を安置する六角形の堂で、建久7年(1196年)には重源によって梵鐘(現存)や『宋版大般若経』が施入され、建久9年(1198年)には木造の十三重塔が建立されました。元久元年(1204年)には源頼朝が礼堂(弥勒磨崖佛を礼拝するための建物)の再興費として砂金を寄進しています。寛喜2年(1230年)には東大寺の学僧・宗性が入寺しました。元弘元年(1331年)8月、鎌倉幕府打倒を企てていた後醍醐天皇は御所を脱出して笠置山に籠り、挙兵しました(元弘の乱)。笠置山は同年9月に落城、後醍醐天皇は逃亡するが捕えられ、隠岐国へ流罪になりました。この戦乱時の兵火で笠置山寺は炎上し、弥勒磨崖佛も火を浴びて石の表面が剥離してしまいました。笠置山には弥勒磨崖佛の他に薬師石、文殊石、虚空蔵石、両界曼荼羅石などがあり、かつてはそれぞれに線刻の佛像や曼荼羅図が刻まれていましたが、兵火でほとんど失われ、わずかに虚空蔵菩薩像の刻まれた石のみが当初の姿をとどめています。弥勒磨崖佛は高さ約16メートル、幅約15メートルの岩に刻まれたが、現状では光背の窪みが確認できる程度で像の姿は全く失われており、往時の像容は『覚禅鈔』(『図像集』)所収の図像や、大和文華館所蔵の『笠置曼荼羅図』(重要文化財)から偲ぶ他ありません。(資)文化財復元センターのご努力により、弥勒菩薩磨崖佛のデジタル復元を、2010 年 8 月初め より着手し同年10月に復元が完成されました。『笠置曼荼羅図』には、弥勒磨崖佛と木造十三重塔が描かれており、最盛期の境内の様子がこの絵から想像されます。なお、奈良県宇陀市の大野寺に現存する弥勒磨崖佛は笠置山寺の磨崖佛を模したものとされています。寺は暦応2年(1339年)に再興されますが、文和4年(1355年)再び焼失。永徳元年(1381年)には本堂が再興されますが(文明14年・1482年の勧進帳)、応永5年(1398年)に焼失するなど、再興と焼失を繰り返すが、以後、最盛期の規模が復活することはありませんでした。元和5年(1619年)、笠置は伊勢国津藩の所領となりました。藩主の藤堂高次は慶安年間(1648~1652年)に笠置寺本堂を再興しました。しかし、近世末には衰退して明治時代初期には無住となってしまいました。現在の寺は、明治9年(1876年)に再興されたのです。重要文化財④ 石造十三重塔 かつて存在した木造十三重塔の跡に建てられている。鎌倉時代末~室町時代の建立。解脱鐘(梵鐘) 建久7年(1196年)の作。銘文から、大和尚南無阿弥陀仏(俊乗房重源)が笠置寺の般若台(『大般若経』を安置する六角堂)の鐘として寄進したことがわかります。最下部に6つの切り込みを入れて六葉形にするのは中国鐘に見られる形式で、日本の梵鐘には珍しいものです。また、銘文を鐘の側面でなく下面に刻むのも珍しいと言えます。大佛殿再建の偉業を成し遂げられた俊乗房重源の「南無阿弥陀佛」署名銘文を持つ名鐘です。正月堂を背にすると、前には右から「弥勒」「文殊」「薬師」と呼ばれる
三つの巨石が並んでいます。「弥勒磨崖佛」は笠置山寺の御本尊で、高さ15の壁面には、弥勒菩薩立像が刻まれていました。弥勒菩薩は、お釈迦さまの滅後、56億7千万年の未来にこの世に現れ、佛教を再興する佛といわれています。この佛は「天人の作」といわれ664年の作と伝えられています。伝虚空蔵磨崖仏 12mの岩肌に刻まれた9mの佛さま
その作成年代は、弥勒磨崖佛と同時期とも、平安時代とも伝えられています。周囲に建造物がなかったため、元弘の戦乱の炎からも守られ、今日もそのお姿を拝むことができます。
ゆるぎ石 元弘の戦乱。笠置山を取り囲む鎌倉幕府方に対し、武器によって応戦していた天皇方でしたが、続く戦いの中、武器だけでなく、下から攻める敵方に岩を落として応戦したと伝えられています。「ゆるぎ石」はその名残で、不安定なため、端を押すとゴトゴトと揺れるので、この名が付きました。後醍醐天皇行在所
笠置山の頂上に、後醍醐天皇行在所(ごだいごてんのうあんざいしょ)が作られています。
 京の都を追われ、奈良、和束も安住の地でなかった後醍醐天皇は、この地に三種の神器とともに行幸され、この地が南朝の皇居となりました。 後醍醐天皇はこの地で「うかりける 身を秋風にさそわれて 思わぬ山のもみじを見る」と詠まれました。大きな石が重なった間を路が通り抜けています。この大石は「太鼓石」と言って上の石をたたくと太鼓のような音が出るそうです。石に少し隙間があり反響して太鼓のような音がでるといわれています。

登録情報

  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 11255 KB
  • 同時に利用できる端末数: 無制限
  • 販売: Amazon Services International, Inc.
  • 言語: 日本語
  • ASIN: B07ZC5BRFB
  • Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能): 有効
  • X-Ray:
  • Word Wise: 有効にされていません
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