この本は2001年が初版です。日本美術史家山下裕二氏(たぶん若冲ブームの火付け役)と前衛アーチストの赤瀬川原平氏の二人が京都の名所を訪ねて、その感想を語り合っています。
20年もたっていても勉強になりました。コスパ絶大。それにはいくつか理由があります。
1)取り上げられている建物は古いものは平安遷都前から建立されていた清水寺、東寺、新しいものは幕末に突貫工事で再建された御所です。これらの建物に対して20年が誤差範囲かもしれません。
2)当初単行本を出した淡交社(京都検定テキストブックを出している)のコネで、二人は金閣や二条城などの非公開エリア(御所と桂離宮には特別措置なし)に入っていきます。最近はオンラインツアーなどで非公開場所も垣間見ることができるようになってきているので、今では逆にちょっと先がけ感ある内容です。これを伝統美術に媚びる必要のない前衛美術家と知識豊富な美術史家がコメントして、面白くないはずはありません。
この本で学んだ日本美術の特徴ですが、これも20年の歳月とはあまり関係ありませんね。
1、精神性
「こちらが見る力を出してはじめて作品の力が返ってくる」(p11)
これは少なくとも京都に残された日本の美術を総括する言葉として秀逸、と書くと上から目線で、僭越ですが…。仏像も寺も神社もみな同じに見える状態から卒業中を試みている私にはとても刺さる言葉です。
これは天皇家が続いていることとが関係しているのでしょうか。十分に権威付けされたものがあるから、これ見よがしにする必要がない。内輪でわかる人には、わかればいいという文化的態度が根底にあるかしら?皇室でなくても、利休あたりにも。
もちろん、二条城などの外様大名向けの部屋の襖絵はジャーンという感じで、権威を出しています。明らかな、例外は、金閣で、明の使節に国王だと認めてもらう必要があったので、これみよがしです。平城京も平安京も、中国を意識して、これ見よがしな建物だったはずですが、現存していません。
2、チームワーク
桃山時代から江戸時代にかけて障壁画を担っていた狩野派の仕事は三代目探幽から、いわばゼネコンの仕事で、個人の仕事としてみなしてはいけないそうです。ちなみに狩野家は400年続き、それは世界でも類がないらしい。きっと各種の家元制度もですね。
3、写生ではなく模写
絵師の修行は模写であって写生ではない。なるほど、そもそも竜も虎も写生は無理!
20年たってたぶん変わる兆しのあるものとして最後に一つ。
P28. 「日本人はとくに既知の保証された価値を確認する」というのはyou tube等のSNSで台頭で変わってきているかもしれません。
寺社の観光化の先駆けは金閣で、コマーシャルソングを芸者さんに歌わせたとか(P26)。インバウンドブームがコロナで終わって、観光の在り方や文化財保護のための財源確保の方法もこれから変わってくるでしょう。火事も台風も地震も、経年劣化も完全に避けられない、ということは残念ながら変わりません。
京都、オトナの修学旅行 (ちくま文庫) 文庫 – 2008/10/8
赤瀬川 原平
(著)
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山下 裕二
(著)
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
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本の長さ273ページ
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出版社筑摩書房
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発売日2008/10/8
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ISBN-104480424776
-
ISBN-13978-4480424778
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
京都といえば修学旅行。修学旅行といえば、お寺や仏像。イコール退屈。それは、子供の修学旅行だったから。お寺の造作や仏像、襖絵などの味わいを感じられるようになるにはオトナであることが必要だ。歳をとって初めて日本美術の愉しみ方が分かるようになるのだ。金閣寺や清水寺、桂離宮、平等院などの京都名所を「日本美術応援団」の2人が行く。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
赤瀬川/原平
1937年横浜生まれ。画家。作家。路上観察学会会員。武蔵野美術学校中退。前衛芸術家、千円札事件被告、イラストレーターなどを経て、1981年『父が消えた』(尾辻克彦の筆名で発表)で第84回芥川賞を受賞
山下/裕二
1958年広島県呉市生まれ。明治学院大学教授。東京大学大学院修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1937年横浜生まれ。画家。作家。路上観察学会会員。武蔵野美術学校中退。前衛芸術家、千円札事件被告、イラストレーターなどを経て、1981年『父が消えた』(尾辻克彦の筆名で発表)で第84回芥川賞を受賞
山下/裕二
1958年広島県呉市生まれ。明治学院大学教授。東京大学大学院修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2008/10/8)
- 発売日 : 2008/10/8
- 文庫 : 273ページ
- ISBN-10 : 4480424776
- ISBN-13 : 978-4480424778
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Amazon 売れ筋ランキング:
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- - 1,047位紀行文・旅行記
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- - 8,211位エッセー・随筆 (本)
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2020年9月18日に日本でレビュー済み
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殿堂入りベスト10レビュアー
"日本美術を見るには、オトナであることが必要だと思う(中略)物に対する感覚的な経験がどうしても必要なのである(中略)とにかく京都修学旅行は、ぜったいにオトナになってからがおすすめである"2001年発刊の本書は単なるブランドではない『京都の眺め方・楽しみ方の勘どころ』を教えてくれる良書。
個人的には移住を機に、あらためて京都のお寺や旧跡巡りを楽しんでいる事から本書についても手にとってみました。
さて、そんな本書は誌面で展開されていた、日本美術史研究者と、職業"赤瀬川原平"の2人による『日本美術史応援団』が前作の『日本美術応援団』に続く第二弾として、今度は修学旅行の定番になっているような、金閣から始まる誰もが知る京都の観光名所をあらためて歩いて【なかなか気づかないような面白さを発見】紹介してくれているわけですが。
まず"まえがき"で赤瀬川原平が書いているように、率直に言って私も修学旅行時はもちろん、せっかく大学時代も京都で過ごしながらお寺や襖絵、仏像には【古さ以外は全く感じてこなかった】のですが。人生も後半戦、また多少は美術を齧ったり、移住した事でようやく味わいに気づき?俄然として観光名所を再訪【味わいつつ学び直している】進行形的なタイミングだったので、本書は兎角面白かった。
一方で、本書内で本人たちは謙遜しつつ【応援団として好き勝手に発言している】様に言ってますが、そこは日本美術史の専門家・大学教授、そして"もと"前衛芸術家にして芥川賞作家の2人。注釈や補足なしで語られている内容は【ある程度は日本史や美術史をかじってないと】人によっては多少わかりにくいかもしれませんが。そんな事もさておいて【おっさん2人の楽しげな様子が伝わってくる】のが気持ちいいんですね。これが。
金閣に銀閣、清水寺に平等院などなど。あまりにも有名な場所を【ちゃんと眺め直したい】オトナな方へ。また京都への旅のお供の一冊としてオススメ。
個人的には移住を機に、あらためて京都のお寺や旧跡巡りを楽しんでいる事から本書についても手にとってみました。
さて、そんな本書は誌面で展開されていた、日本美術史研究者と、職業"赤瀬川原平"の2人による『日本美術史応援団』が前作の『日本美術応援団』に続く第二弾として、今度は修学旅行の定番になっているような、金閣から始まる誰もが知る京都の観光名所をあらためて歩いて【なかなか気づかないような面白さを発見】紹介してくれているわけですが。
まず"まえがき"で赤瀬川原平が書いているように、率直に言って私も修学旅行時はもちろん、せっかく大学時代も京都で過ごしながらお寺や襖絵、仏像には【古さ以外は全く感じてこなかった】のですが。人生も後半戦、また多少は美術を齧ったり、移住した事でようやく味わいに気づき?俄然として観光名所を再訪【味わいつつ学び直している】進行形的なタイミングだったので、本書は兎角面白かった。
一方で、本書内で本人たちは謙遜しつつ【応援団として好き勝手に発言している】様に言ってますが、そこは日本美術史の専門家・大学教授、そして"もと"前衛芸術家にして芥川賞作家の2人。注釈や補足なしで語られている内容は【ある程度は日本史や美術史をかじってないと】人によっては多少わかりにくいかもしれませんが。そんな事もさておいて【おっさん2人の楽しげな様子が伝わってくる】のが気持ちいいんですね。これが。
金閣に銀閣、清水寺に平等院などなど。あまりにも有名な場所を【ちゃんと眺め直したい】オトナな方へ。また京都への旅のお供の一冊としてオススメ。
殿堂入りNo1レビュアーベスト10レビュアーVINEメンバー
まずタイトルが秀逸で、『京都、オトナの修学旅行』って何だろう、と読む前からワクワクする題名です。
確かに、京都は今も昔も修学旅行の代名詞のような街ですが、廻った社寺仏閣の印象は退屈だったという印象しかないでしょうし、旅館での枕投げと新京極でのお土産物の購入しか記憶していない、というのもよくある話です。
京都を訪れるのは、まさしく「大人」のほうが良いですね。路上観察学会長老で芥川賞作家の赤瀬川原平氏と、日本美術史を専門とする明治学院大学教授山下裕二氏による京都の名所旧跡を巡る旅の全てが知的好奇心を満たす含蓄に富んだものでした。
取り上げた社寺は、確かに修学旅行で必ず廻るような場所ですが、「日本美術応援団」として著書を出している二人の会話は珍しい視点から対象物を取り上げていますので、子供の修学旅行で得られる体験とは全く違う次元のものでした。
本書の内容は、金閣―「むきだし」の金は今日もリニューアル中、二条城―ゼネコン狩野株式会社の大仕事、東寺―とうじのまんま、ぶっきらぼうに並んでます、高台寺・円徳院―和尚の留守中に描いちゃいました、清水寺―信仰と観光の幸福な結合、京都御所―ミカドの留守番130年、桂離宮―純粋な贅沢を死守してきました、平等院―平安貴族が夢見たサンダーバード基地、銀閣―砂に銀を映したアーティストは誰か?、楽美術館―楽茶碗、15代目も楽じゃない、待庵―利休がしかけたワナつき二畳、嵐山―マル貧修学旅行生、嵐山の秘部に迷い込む、となっており、総括 京都美術観光論、あとがき 日本美術応援団 京都へ(山下裕二)で締めくくられています。
本書の記載箇所は、待庵以外全て訪れていますが、物の見方を変えるとこうまで新鮮に映るのか、という感覚を覚えました。大人の鑑賞に堪えうる本です。
確かに、京都は今も昔も修学旅行の代名詞のような街ですが、廻った社寺仏閣の印象は退屈だったという印象しかないでしょうし、旅館での枕投げと新京極でのお土産物の購入しか記憶していない、というのもよくある話です。
京都を訪れるのは、まさしく「大人」のほうが良いですね。路上観察学会長老で芥川賞作家の赤瀬川原平氏と、日本美術史を専門とする明治学院大学教授山下裕二氏による京都の名所旧跡を巡る旅の全てが知的好奇心を満たす含蓄に富んだものでした。
取り上げた社寺は、確かに修学旅行で必ず廻るような場所ですが、「日本美術応援団」として著書を出している二人の会話は珍しい視点から対象物を取り上げていますので、子供の修学旅行で得られる体験とは全く違う次元のものでした。
本書の内容は、金閣―「むきだし」の金は今日もリニューアル中、二条城―ゼネコン狩野株式会社の大仕事、東寺―とうじのまんま、ぶっきらぼうに並んでます、高台寺・円徳院―和尚の留守中に描いちゃいました、清水寺―信仰と観光の幸福な結合、京都御所―ミカドの留守番130年、桂離宮―純粋な贅沢を死守してきました、平等院―平安貴族が夢見たサンダーバード基地、銀閣―砂に銀を映したアーティストは誰か?、楽美術館―楽茶碗、15代目も楽じゃない、待庵―利休がしかけたワナつき二畳、嵐山―マル貧修学旅行生、嵐山の秘部に迷い込む、となっており、総括 京都美術観光論、あとがき 日本美術応援団 京都へ(山下裕二)で締めくくられています。
本書の記載箇所は、待庵以外全て訪れていますが、物の見方を変えるとこうまで新鮮に映るのか、という感覚を覚えました。大人の鑑賞に堪えうる本です。
2013年3月12日に日本でレビュー済み
その昔、千円札の模写をして裁判沙汰になったヘンな前衛芸術家。
その後、尾辻克彦の筆名で芥川賞を受賞した小説家。
トマソンと呼ぶ、役立たずな物体を喜ぶヘンな路上観察者で、
中古カメラ好きでも知られる赤瀬川原平氏と
明治学院大学教授の山下裕二氏の雑誌対談をまとめたもの。
対談集というと、売れっ子の文筆家でこれ以上書くヒマが無いといって
いる人の本を、無理やり1冊でっち上げる手段という悪いイメージを
持っていたので、赤瀬川氏の路上観察、トマソン方面の著書と名画読本は
読んだことがあったが、本書の存在は知っていたのだがスルーしていた。
ところがブックオフの店頭で学生服姿のパッケージが目に付いて
赤瀬川氏の序文をよんで惹き込まれ、思わず買ってしまいました。
ルイ・ヴィトンとかエルメス、グッチの話から稿を起こしながら
いつのまにかオトナの修学旅行の意義について語っている、
この卓抜した文書力には脱帽です。
昔、「私の本棚」というラジオの朗読番組で、名文家として知られる
内田百'聞の「漱石先生臨終記」を聴いて、スゲーと感動したことが
あったが、読み返してみると、何度も書いたり消したりしながら
時間を掛けて書いているのが感じられる。ところが、赤瀬川氏の
この序文にはそれが無い。氏の提唱する、老人力なのか、乱暴力なのか、
その両方なのか、無駄な力が入ってなく、スルスルと書いていながら
読者を唸らせる、達意の文です。
赤瀬川氏は、本書の前著、「日本美術応援団」に雪舟の「山水長巻」に、
筆が割れているのも構わず描き続けられている箇所があるにもかかわらず、
惹きつけられるという趣旨の事を書かれているが、本書も、決して時間を
掛けている訳ではなく、巻末の「修学旅行の手引き」なる項に、
暴飲暴食は慎みましょうなどという注意書きがあるように、
ちょっとお酒が入って対談している雰囲気がある箇所もあるが、
それでももう一度京都に行ってみたいと思わせる力があるのはさすがである。
その後、尾辻克彦の筆名で芥川賞を受賞した小説家。
トマソンと呼ぶ、役立たずな物体を喜ぶヘンな路上観察者で、
中古カメラ好きでも知られる赤瀬川原平氏と
明治学院大学教授の山下裕二氏の雑誌対談をまとめたもの。
対談集というと、売れっ子の文筆家でこれ以上書くヒマが無いといって
いる人の本を、無理やり1冊でっち上げる手段という悪いイメージを
持っていたので、赤瀬川氏の路上観察、トマソン方面の著書と名画読本は
読んだことがあったが、本書の存在は知っていたのだがスルーしていた。
ところがブックオフの店頭で学生服姿のパッケージが目に付いて
赤瀬川氏の序文をよんで惹き込まれ、思わず買ってしまいました。
ルイ・ヴィトンとかエルメス、グッチの話から稿を起こしながら
いつのまにかオトナの修学旅行の意義について語っている、
この卓抜した文書力には脱帽です。
昔、「私の本棚」というラジオの朗読番組で、名文家として知られる
内田百'聞の「漱石先生臨終記」を聴いて、スゲーと感動したことが
あったが、読み返してみると、何度も書いたり消したりしながら
時間を掛けて書いているのが感じられる。ところが、赤瀬川氏の
この序文にはそれが無い。氏の提唱する、老人力なのか、乱暴力なのか、
その両方なのか、無駄な力が入ってなく、スルスルと書いていながら
読者を唸らせる、達意の文です。
赤瀬川氏は、本書の前著、「日本美術応援団」に雪舟の「山水長巻」に、
筆が割れているのも構わず描き続けられている箇所があるにもかかわらず、
惹きつけられるという趣旨の事を書かれているが、本書も、決して時間を
掛けている訳ではなく、巻末の「修学旅行の手引き」なる項に、
暴飲暴食は慎みましょうなどという注意書きがあるように、
ちょっとお酒が入って対談している雰囲気がある箇所もあるが、
それでももう一度京都に行ってみたいと思わせる力があるのはさすがである。
2003年4月2日に日本でレビュー済み
ブランドや有名どころがなぜ良いのか。実はそれが分かるには、それ相応の大人の努力が欠かせないのではないかと思った。ではどうすればよいか。なにごとも自分の力で能動的に接すること。そうすれば見る力が養われ、新たな時間や空間を得、自由度も増すと著者たちは言う。もちろん楽しみも大きくなる。
狩野派はゼネコンでありマイクロソフト。一方等伯はマッキントッシュなど、現代にあわせた愉快で楽しくなる比喩が可能なのも二人の日ごろの鍛錬の賜物といえる。そして私たちを一級ブランド、京都の美術世界へやさしく案内してくれる。
この本を読むと凝り固まった体の疲れと緊張がほぐれ、なんだかほんわかと楽しくなってくる。
狩野派はゼネコンでありマイクロソフト。一方等伯はマッキントッシュなど、現代にあわせた愉快で楽しくなる比喩が可能なのも二人の日ごろの鍛錬の賜物といえる。そして私たちを一級ブランド、京都の美術世界へやさしく案内してくれる。
この本を読むと凝り固まった体の疲れと緊張がほぐれ、なんだかほんわかと楽しくなってくる。
2006年12月4日に日本でレビュー済み
この本を読んで、今まで行ったことのなかった高台寺を訪問したくなり、時雨亭、傘亭を見に行き、正直唖然とした。これが本来の茶室だったのか。園徳院の長谷川等伯の襖絵は、正直良さが良く分からず。東寺は何回も行っているが、仏像の記憶が全く無いことに気づいた。などなど、京都通と思っている人ほど、面白い本だと思います。今まで知っている筈の京都と、この二人が見ている京都は少し違うため、とても新鮮。これからは、彼らの(赤瀬川、山下両氏の)目で見た京都も加えれば、京都観光、いや、日本美術鑑賞の幅がぐーーんと広がるでしょう。