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[井上貫道]の井上貫道老師提唱録 修行の大前提:真実とは、悟りとは、修行とは、禅とは: 道元禅師『学道用心集・普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』から
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井上貫道老師提唱録 修行の大前提:真実とは、悟りとは、修行とは、禅とは: 道元禅師『学道用心集・普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』から Kindle版

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商品の説明

内容紹介

本書は、井上貫道老師による2016年東山寺攝心会での5日間にわたる提唱と、坐禅のやり方についての具体的な説明をまとめたものです。本書が真実を求め修行を志す方々の指標のひとつとなり、また、正師に実参するきっかけとなりますことを心より願っております。

【井上貫道老師略歴】
1944年、静岡県生まれ。曹洞宗師家、嵩山少林寺東堂。井上義衍(ぎえん)老師について参禅し、十六歳で大事了畢(だいじりょうひつ)、印可証明を受ける。半世紀以上にわたり禅の指導にあたっており、現在は、東京、静岡、関西、岡山など各地の坐禅会で出家および一般を指導。難解とされる『正法眼蔵』なども平易な現代語を使ってわかりやすく自由自在に説く。著作に『げんにーび 正法眼蔵現成公案提唱』『少林寺史』『井上貫道老師提唱録 修行の大前提:真実とは、悟りとは、修行とは、禅とは: 道元禅師『学道用心集・普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』から』がある。

【本文より抜粋】

「…修行するっていうことは、思量分別を扱う世界じゃないのですね。それをやったら、ものの真相がほとんど永遠にわからない。私の前に生きてきた人たちが、何億もいるでしょう。そういう人たちが皆、経験したことなのですよ。…気が付いた(悟りを開いた)人たちは、そういう(思量分別を扱う)ことをしないで、それで初めてものがわかったと皆さんに伝えているのだから、信じたらいいじゃない。数から言ったって、膨大な試験をやった上で、それが事実だっていうことは、もう明白なのです。一万人に飲ませたら、たった一人しか生き残らなかったというくらいの毒薬だったら、飲まないでしょうが。…それだのに、思量分別を取り扱うこと止めなさいって言っても、止めない。死んでもいいと思っているのだよ。」

「…ほとんどの人が、「私たちの生活しているのと違った別な教えが、諸仏方、悟りを開いた人たちにはあるんじゃないか。だからそういう人たちの素晴らしいものを、できたら自分も味わってみたい」。そう思って間違えているのでしょう。そもそもそれが間違えなのでしょう。なんで今こうやっているのに、これで満足できないかを尋ねた方がいいのでしょう。何が満足させていないのですか? それを本当に追求するためには、今まで使ってきた思量分別を一切使わずに、この事実にいてみることなんじゃないですか? それが、坐禅と言われる行なんじゃないですか?」 

「この生涯、一身、このひとつの体、ひとつの心のあり方で過ごしていくから、他所から貰うものは何もないよね。皆さんが他所から色んなものを貰うと思っているのは、取り込んで初めて自分のものになっていると思っているからです。こうやっている時、全て自分の生きている様子でしょ? それを頭の中で向こうの物っていうふうに勝手に皆さん方が切り離して、いわゆる分別をして、もともとひとつのものを分け隔て起こして見るような習慣になった。それで分け隔てがあるような気がしている時に気が付いたものだから、どうしたらひとつになれるかと思うようになった。そういうものが、一般の行です。 
 釈尊はそうではない。最初からひとつの様子であるということの上で、話をされる。そういうことに、気が付かれたからですね、よくわかっている。私たちが最初から別々でないのに、途中から分けて考えていたということを自分が気付いて、じゃあ最初からちゃんとしている様子を話した方が、伝えた方が、間違えないじゃないかということです。で、それを話しても…聞き入れられるだけの能力のある人はいなかった。なぜ聞き入れられないかというと、皆、自分を立てて物を見ている人ばかりだから。「そんなこと言ったって、そんなになっていない。あそこに座布団があるじゃないか。どうしてあれが私の様子?」ってそういうふうにしか見ないのですね。辛うじて言えば、「私があれを見ている」っていうぐらいの捉え方だから、やっぱり分別で分かれている。」

「一切の生き物と、諸々の仏菩薩と一体にして、ひとつも違いがない、そう言われても、何となくこのままで済まないところがあるでしょう。人の話ってやっぱり役に立たないのでしょうね、いくら聞いても。「本源清浄」、底抜け、徹底して残り物がない、「清浄」。皆さん自身の様子を見ていただければわかる。否応なしにそうなっているでしょう。自覚をする、しない、関係なく。 
 だから更に自覚があれば、なおのこと有難いのでしょうね。そういうことで古来、「悟」というもの、「悟り」というものを大事にしてきている。自分自身のあり様に対して、自分自身の信憑性を自分で疑いなくいただけるっていうところまで連れて行ってくださるというのが悟りのあり様でしょう。だから一応それを大事にするし、そういうことを一回体験して超えないと、本当の意味では自分のものでありながら、借り物のような生活をしているのでしょうね。」

「坐禅の時の重要なことのなかに、「箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん。非思量これ坐禅の要術(法)なり」。そんなに難しいことが並べてあるわけじゃありません。人の見解をすっかり付けずに離れた様子はどうか、ということでしょう、「不思量底」。だからその時に、少し知ってもらいたいのは、ものに触れた時に、自分の見方、考え方、そういうものを付けている時と、付けていない時とが自分で判然としないと、この事は無理ですね。…「叩かれて腹がたつ」というのだけれども、その中にも不思量の時と、思量に渡っている時は、間違いなくあるでしょう。…だから、自分の思いが出てこない時、それはどうなっているだろうか。それを、修行する、坐禅の形を作って時を過ごす時のあり方として、最も重要なこととして挙げておられるのですね。これ、難しくはないでしょう?  
 例えば、山の中に行って、よく道に迷うというようなことを言う方がいますが、自分の思量分別、考え、そういうものを止めてみると、自分いる場所が現前として、今ある。迷わず、ここにいます。誰からも聞かなくても、ちゃーんと自分のいる場所の様子がさらけ出されている。迷いようのない程ちゃんとしている。そしてそういうふうな状況で、こうやって、そのままの様子に触れてみると、太陽があるとか、マイクがここにあるとか、色々ありますね。そういうことが皆出てくるのですよ。右の方見たら谷川があって、水が向こうの方からこっちの方に流れているとか、上の方見ると山が少し高いところで終わっているとか、あるいはずーっと続いているとか。とにかく、全部わかりますね。小学校一年生くらいでも大丈夫でしょうね。…この身心ひとつで、必ずそのとおり、今いる場所の様子が、全部そのとおりあるのですね、ピタ!っとズレずに。思量を用いると、わからない。思量を用いた人が、「迷っている、わからない」と言っています。最高の愚か者ですよね。 
 …そういうような、考えを付けているのか、考えを付けずに実物そのままでいるかということが、思量と不思量です。それは思量でよくわかるのですね。ものに対して、自分の考え方、見方を付けているか、付けていないかということは、皆さんの思量分別でわかるのでしょう? 思量分別でそのことがわかったら、今度は思量分別を使わずに、思量分別の付いてないままでいてごらん、と言うのです。そうすると本物がそのままわかるようになる。」

「外に出ると、色んなものが咲いているでしょうけれども、どの草花でも出会ったらそのままですよ、そのまま。何も人間的な追及をしなくても、いきなりズバリそのものです。「身心自然に脱落して」、身も心もそういうものをすっかり離れ切って、本来のあり様というものがそこにズバッと示されているじゃないか、と言っているのですね。それをもう一回戻ると、どういう名前の花だとか、いつ頃にどうだこうだとかいうたくさんの知識がありますから、そういうたくさんの知識をそこに出してくることで、本当にその花を理解できる、そういうふうに多くの人は思っている。それよりも、今直にその花の本物に触れているってことが本来の面目、目の当たりにそこにあるということでしょう。触れているということでしょう。その方が遥かに、言語を尋ねて理解するよりも深いし、一点の欠落もない。そういうものの触れ方をしているんじゃないでしょうかね。修行ってそんなことなのですよね。」

「では坐っているときにどうやって過ごすか。坐る時のあり方として、問題になるのは思量分別、色々なことが思えるというか、出てくるというか、あるいはこちらから(意図的に)考えるということがあります。…坐禅中はそういうものを、とにかく相手にしない。出てくる思いに対して、自分の見解で識別しない。いわゆる善し悪しを図らない。これは良いこと、これは悪いこと、これは正しい、これは間違っているというようなことをやらない、ということです。 
 もう少し具体的に話をすれば、坐っていて色々なことが出てきたときに、人間と言うものは、気に掛かることが結構あるものです。ですから通常は、その気になっていることを解決しようと思って、自分の頭の中で色々なことを始めます。これを、とにかくやらないことですね。だからどのようなことが出てきても、思い出したものや考えたことで気にかかることがあっても、それを相手にどうこうする、手を付けて過ごすということをしない。また、その出てくるものに対して、出ないようにするようなことも一切しません。こちらから造作をして、作り変えるようなことは一切しないで坐るのですね。それが坐禅をする時の工夫と言われる修行のあり方です。」

登録情報

  • フォーマット: Kindle版
  • ファイルサイズ: 1862 KB
  • 紙の本の長さ: 118 ページ
  • 販売: Amazon Services International, Inc.
  • 言語: 日本語
  • ASIN: B01L27SDQ2
  • X-Ray:
  • Word Wise: 有効にされていません
  • おすすめ度: 5つ星のうち 5.0 8件のカスタマーレビュー
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トップカスタマーレビュー

形式: Kindle版 Amazonで購入
以前よりその著作の刊行が待望されていた、井上貫道老師の(私家版の本を除けば)初の著書が遂に出版された。

内容は、2016年に行われた東山寺における攝心会での提唱録が中心。

提唱の教材としては、道元禅師の『学道用心集』と『普勧坐禅儀』、そして黄檗希運禅師の『伝心法要』が取り上げられている。

曹洞宗の僧侶が道元禅師の著作を元に提唱するのは珍しくないと思うが、『臨済録』で知られる臨済義玄の師である黄檗希運禅師の『伝心法要』が提唱のテーマとして取り上げられているのが興味深い。

もちろん、そうした目新しい教材に対しても、貫道老師の提唱はいつも通り縦横無尽であり、あらゆる角度から極めて明快に法が説かれている。

個人的には、貫道老師による、「無所得・無所悟」の説明が分かりやすく、腑に落ちた。

提唱以外では、只管打坐の坐り方についての具体的な説明が独立した一章としてあり、即実践を始められるようになっている。

貫道老師の主著でありながら、現在は私家版でしか流通していない『げんにーび』も、ぜひ電子書籍化してほしいものだ。
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形式: Kindle版
これは凄い本です。井上老師の禅の核心を突く提唱が鮮やかに、しかも親切丁寧に再現されており、その場にいなかった者でも接心を追体験出来る様に工夫されています。本気で修業に励む者にとってまさに珠玉の一冊になると思います。
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形式: Kindle版 Amazonで購入
色々な解釈がある中、この本は、本来の坐禅のあり方を明らかに示してくれる名著でした。
単に道を説く専門書ではなく、語りかける言葉で綴られている(実際の老師の話しを書き起こしてある)ので、道を極める方には勿論のこと、初心者にもわかりやすく、私も気がむいた時にページをめくって、そこで出会った言葉を日々の糧にしています。
最近は日本のメディアでも数多く取り上げられる座禅。海外に在住していますが「ZEN」は、既に多くの外国人にとっても日常。
この本でしたら、回り道をせず禅の本物に出会えると思います。
翻訳本を期待します。
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投稿者 アッキー 投稿日 2016/9/6
形式: Kindle版
井上貫道老師が、まさに禅の核心を手を変え品を変え、懇切丁寧に解説されている
素晴らしい本だと思います。これから禅を始める人にとってはもちろん、既に禅道
を歩んでいる人にとっても原点に立ち戻るよい機会となると思います。
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