タイトルを「何者だったのか」としなかったところが本書のねらいですね。
つまり、この本は伝記的に二宮金次郎という人物を紹介するのを主としないで、「報徳」という運動がどのように社会的に広まり、利用され、現在もその命脈を保っているかを多様な資料をもとに歴史的に追っています。
尊徳の高弟、富田久助(高慶)が書いた『報徳記』の、特に幼少年期から青年期にかけての記述には事実として疑わしいものが多いようです。
あの薪を背負って歩く金次郎が読んでいる本が『大学』とされているのは富田の文章に拠るのですが、著者は金次郎が「『大学』を買い求めたのは文化十年(一八一三)で、このとき」すでに二十七歳だったと指摘しています。
著者は長年、多様な資料にあたって事の正否を確かめながら着実に書き進めているように見えます。
戊辰戦争での富田久助の働き(小藩である相馬藩のゆらぎと決断)、岡田良平・一木喜徳郎兄弟と品川弥二郎の関わり(報徳運動が政治的に取り込まれていく過程)、大石光之助の登場(2次大戦後のなかでの次の一歩)など、金次郎死後の後半は史実の裏付けをもとに興味深い(あまり知られていない)話が続きました。
参考文献にもある通り、吉田松陰、内村鑑三、徳富蘇峰、美濃部達吉、赤松貞雄、寺崎英成、高松宮宣仁親王、細川護貞、村松梢風、吉田裕、保坂正康、そして鈴木安蔵と関心の行き先にも共感を覚えた一冊となりました。
著者には、この本の続きを期待したいところ。
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