日本人は「中国を知らない」から、中国に振り回される。ではなぜ、日本人は「中国を知らない」のか。それは日本人が、中国の真実の歴史を知らないからだ、と著者は主張する。「中国では史実である『三国志』よりも、大河小説である『三国志演義』のほうがよく読まれる。毛沢東は『三国志演義』を何回も読んだと自ら語っていた。歴史学者さえも『三国志』を読んでいる人は稀である。中国人は史実よりもフィクションを好む。」というのである。
孫文は辛亥革命の指揮者とされているが、当時、孫文はアメリカで蟄居中であり、孫文が革命を指揮したというのは、まったくの創作だという。孫文は十回の革命にすべて失敗、追放同然でアメリカにいたのである。孫文が「建国の父」と呼ばれるようになったのは、1940年代になってからであり、作られた虚像だといえる。「ドン・キホーテ」に似ている魯迅の代表作『阿Q正伝』は孫文革命をモデルとするものではないか、と著者は考える。
中国人には、古ければ古いほどよいという民族的性格があるので、歴史捏造もこの尚古(昔はよかった)主義の趣向から生まれたものが多い。この尚古の精神が、古典に対する批判精神を喪失させ、合理主義的思考方法をも窒息させる。儒家の権威の絶対化は、権威に対する懐疑と反抗の精神を失わせ、現体制を維持する保守主義精神を育成する。そして、すべてを「古」に従う超保守主義民族としての中国人が生まれたのだ。
尖閣は中国の領土と主張するのも、「古書に書いてある」からだという。シベリアやネパールでさえも、自国の固有領土と主張しているという。どこまでも、自国中心なのである。
中国が「道徳最低国」である理由は、儒教にあるのではないか、と著者はいう。「儒教は家族、宗族、社会に対する『仁義道徳』を盾に、人間の行為を外面から押し付けた規範によって、強制的に自己修正させる。だから、儒教社会は必然的に偽善者を育てていく。個人に対する外的規制は、天下国家のレベルでは必然的に政治的抑圧に変わっていく。儒教国家から必然的に専制独裁政治しか生まれてこない原理が、ここにある。」
「南京大虐殺」が創作であることが、日本国内ではかなり知られるようになってきた。中国の歴史は「創作」だらけなのである。日中共有の歴史教科書を作る努力は今も続いているようだが、こんな中国と歴史を共有できるはずがない。中国では、歴史も「政治」なのだから。
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