「格差」や「不平等」に対する批判は近年強く行われている。
しかし、本書で問いかけているのは「そもそも格差があることは悪なのか」という、極めてラディカルな問いであり、そして本書はそれに対して「NO」と答えている。
本書は二部構成になっている。
第一部では「平等にするほど効用が上がる」という収穫逓減の法則が主として批判的に検討されている。
この考え方の問題点として、第一に個人の個性や特質を無視している点、第二に閾値を超えることで効用が大きく上がる状況を無視している点を挙げている。
後者の最も極端な例として、食料を一人5単位食べないと飢え死にするが、人は10人いて食料は40単位しかない状況を考え、均等な配分は全員の均等な死という最悪の状況をもたらすとしている。
こうした「犠牲の状況」の問題は
犠牲と羨望―自由主義社会における正義の問題 (叢書・ウニベルシタス)
などでも議論されていた問題であり、「最悪の人の改善」を最優先すると失敗する事例とされる。
本書後半では、相手に敬意を払うことは平等性とは基本的に関係がなく、むしろそれと対立することも多いことが論じられている。
ここでの問題もまた、相手の個別性の尊重が経緯には重要なのに、平等性はむしろそれを捨象してしまう点に求められている。
結局筆者は、他者との比較に基礎を置く平等主義に代わり、一人ひとり異なる各自の充足、各人が幸福であるのに十分な財が行きわたることを重視する十分主義を擁護する。
議論そのものは重要な点を指摘しているが、本書があまりに短く、論の深掘りは出来ていない印象を受けた。
特に平等主義に代わる十分主義の立場が何を志向するのかがあまり明快に語られていないため、筆者のオルタナティブが分からないというのは大きな問題と思った。
また、財の平等はまだしも「権利の平等」などまでさらりと批判しているのはかなり疑問が残った(どういう立場にせよ、
不平等の再検討―潜在能力と自由
が指摘するように「何らかの平等」には訴えざるを得ないのではないかと思う)。
もう少し長めの著作できちんと検討をしてもらいたいところである。
さて、本書の内容とは関係ないが、本書のレビューで「経済の本だと思って読んだら違った。星一つ」みたいなものを見かけ、開いた口がふさがらなかった。
キルケゴールの『死に至る病』に「致死性の病気に関する医学書かと思ったら違った。星一つ」とレビューするようなものである。
本書副題ははっきりと「格差は悪なのか?」、内容紹介でも「しかし、不平等それ自体が本当に問題なのか? 平等主義が隠してしまった最も重要なものとは?」と、格差や不平等の善悪の倫理的・道徳的問題が取り扱われることは書かれている(勿論本書を開けば一目瞭然である)。
訳者の山形浩生も法哲学や哲学の本(例えば
CODE VERSION 2.0
や
自由は進化する
)も翻訳しており、こういう哲学・倫理的な本の翻訳を手掛けるのも意外ではない。
最低限内容は調べてから本は購入するのがよいだろう。
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