身内に介護者がいるので読んでみたが、やはり疑問が残る。
この手の本は、どこまで現実を見ているのか、いつも疑問が残るのだ。
自宅での看取りは、どんどん変化していく高齢者の状態に合わせて、看護婦、ヘルパーの人数を増やし、サービスを増やしていく。このとき費用を抑えるために、高齢者の状況に応じて、介護保険の等級(支援とか介護の等級)をどんどん変化させる。等級が高ければそれだけ公的な補助が増えるからだ。
こうした手続きのほとんどはケアマネージャーが行う。従ってケアマネにどんどんこちらの希望を出していかなければならない。
担当のケアマネ、事業所が手慣れていて行動が早ければいいが、看取りが出来る事業所は限られているから、事前によく探しておく必要がある。
さらに、どれだけ手厚い介護保険及び少々の私費を使っても、介護保険制度では、24時間介護者を貼り付ける事はできない。
24時間介護者を貼り付けるのは、(おそらく家政婦を雇った方がヘルパーを雇うより安い)施設に入るよりそうとう高くつく。
つまり何が言いたいかというと、年金と多少の蓄えで、自宅看取りをしようとすると、どれだけ介護保険を利用しても、1日のほとんどを高齢者本人1人で(もしくは家族と)過ごす事になる。
その時間の不安や体調の問題は、(本当に問題が起これば看護婦を呼べばいいのだが、それほどでもない、緩い不快感、不安感等々)自分自身で解決するのでなければ、同居の家族の負担になる。
24時間、高齢者の状況に付き合い続ける同居の家族の負担は相当重いので、家族が共倒れになるケースも少なくない。
それを防ぐために、またそもそも家族がいないならば、すべては高齢者自身が行う事になる。しかし、病状が進めば、身体も頭脳も疲弊し、判断が難しくなると言う現実は憶えておかなければならない。
次に、本人がぎりぎりまで自分で自分の事が出来るかどうか。出来なくても、寝たきりでおむつを着け、そのおむつが少々汚れても、次のヘルパーのおむつ交換まで我慢する。等々の不便さを我慢出来るかどうか。その辺の思い切りがないと、自宅介護は難しくなる。
こういう本を書く人、高齢者医療をしている医師は、実例を数多くは見ているし、中には家族をこの方法で送った人もいるだろうが、でも死んだことはないだろう(当たり前だが)。
実は死んでいく本人の意識は、介護者とも、家族ともかけ離れている。元気な人間が想像してもなかなかわからない状況になる。
私の経験から言えば、今まで見送った何人もの高齢者の中で、死に瀕して死にゆく覚悟が出来た人間は1人もいない。皆死が近づけば近づくほど、恐れ、おののき、不安定になり、感情の浮き沈みが起こる。このただ中を、たった1人で自宅で長い時間を過ごすのである。
施設に入ると言っても、適当な施設がない場合もある。優良な施設ばかりではないし、医療的な措置が必要だとは入れないときもある。自宅での看取りしか選択肢がない場合もある。
それを踏まえた上で、1つのテーゼとしては、この本は参考になるだろうが、これがすべてではないと思った方がいいだろう。
私の経験では、「1人で家で死ねますか?」と言う質問を、元気なうちに尋ねても意味が無いと思う。
介護制度、医療制度の活用法の情報は得られるが、では死に瀕した人に何が必要かは、実はそのときにならないとわからない。
様々な情報を集め、専門家ともよく相談して、ある程度の準備をしつつ、結論は出さないままに状況に応じて臨機褒貶に出来る余地を残しておくしかできない。「これで決まりだ!」的な決め打ちをして、将来の安心を得たい気持ちはわかるが、それはないものねだりだ。そんなことをしてしまうと、返ってその場になって慌てることになる。
と言う事で、資料の1つとして、参考程度に読むことを前提に、☆3つ 普通です。
上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? (朝日文庫) (日本語) 文庫 – 2018/6/7
上野千鶴子
(著)
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
この著者の 検索結果 を表示
あなたは著者ですか?
著者セントラルはこちら
|
-
本の長さ280ページ
-
言語日本語
-
出版社朝日新聞出版
-
発売日2018/6/7
-
寸法14.8 x 10.5 x 1 cm
-
ISBN-104022619317
-
ISBN-13978-4022619310
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- もしも一年後、この世にいないとしたら。単行本(ソフトカバー)
- 情報生産者になる (ちくま新書)新書
- 上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!単行本(ソフトカバー)
- ビンボー病の治し方単行本(ソフトカバー)
- 穏やかな死に医療はいらない (朝日新書)萬田緑平新書
- 女ぎらい (朝日文庫)文庫
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
1分以内にKindleで 上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか? (朝日文庫) をお読みいただけます。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
末期がんの痛みはどうなる?夜間に何かあったら?認知症の場合は?ずばりお金はいくら必要か?「おひとりさま」の上野千鶴子が聞き、30年、高齢者の在宅死を支えてきた小笠原先生が、経験とノウハウを惜しみなく伝える。類書のない、「在宅ひとり死」のための教科書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
上野/千鶴子
1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。1994年、『近代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞、2011年朝日賞受賞
小笠原/文雄
1948年岐阜県生まれ。医学博士。日本在宅ホスピス協会会長。名古屋大学医学部特任准教授。岐阜大学医学部客員臨床系教授。73年名古屋大学医学部卒業。名古屋大学第二内科を経て、89年小笠原内科を開院し、院長をつとめる。99年医療法人聖徳会小笠原内科理事長となり、現在にいたる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。1994年、『近代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞、2011年朝日賞受賞
小笠原/文雄
1948年岐阜県生まれ。医学博士。日本在宅ホスピス協会会長。名古屋大学医学部特任准教授。岐阜大学医学部客員臨床系教授。73年名古屋大学医学部卒業。名古屋大学第二内科を経て、89年小笠原内科を開院し、院長をつとめる。99年医療法人聖徳会小笠原内科理事長となり、現在にいたる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2018/6/7)
- 発売日 : 2018/6/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 280ページ
- ISBN-10 : 4022619317
- ISBN-13 : 978-4022619310
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 136,658位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
この商品を買った人はこんな商品も買っています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
33 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
ベスト1000レビュアー
おひとり様の老後をずっと取り組んできた上野女史の、遂には終末期の課題が展開する。それは即ちわたしの課題でもある。
わたしには後悔がある。この10年間で3人の親族の終末期を、しかも2人は喪主として、わたしは関わった。他に手があったのではないか。とずっと思ってきたが、この本を読んで改めて強い痛みと共にその想いを強くした。3人とも、病院で死なせた。最後の死に方も本人の意思など確認できなかった。しなかった。1人目は「セデーション」を何の疑問もなく選択し、臨終時に兄の到着に間に合わせるために蘇生措置までしてしまった。2人目は、臨終のタイミングがわからずに一週間何も栄養を採っていなかったことに気がつかなかった(医師は苦しくはなかったと言っているが)。妻の見舞いを2回しか実現させなかった。3回目(その妻)は、(反省を活かして)胃瘻をしてしまった。その前に身体拘束が数週間続いたことを了承してしまった。なぜ、わたしがこんな事を判断しなくてはならないのか、ずっと戸惑いながらやってきた。
わたしには、まだ10年以上はあると思う。わたしの周りに環境はあるのか、そこから調べなくてはならないし、少なくとも終末期の医療の意思を病院に伝える工夫や、救急車を呼ばない仕組みや、介護必要時の家での介護体制構築の仕組みなど、準備体制を作らないとならない。
この本を読んで、終末期でも単身者は、充分希望し満足して死ぬことができることが(いまのところは)理論的に可能だということが知れた。現在、要介護の高齢者は高齢者人口の約1.8割、そのうちまた6割が認知症と言われているらしい。最悪の場合を考えながら、気楽に準備していきたい。1年に一回は読み返して、できる所から始めたい。
2018年7月読了
わたしには後悔がある。この10年間で3人の親族の終末期を、しかも2人は喪主として、わたしは関わった。他に手があったのではないか。とずっと思ってきたが、この本を読んで改めて強い痛みと共にその想いを強くした。3人とも、病院で死なせた。最後の死に方も本人の意思など確認できなかった。しなかった。1人目は「セデーション」を何の疑問もなく選択し、臨終時に兄の到着に間に合わせるために蘇生措置までしてしまった。2人目は、臨終のタイミングがわからずに一週間何も栄養を採っていなかったことに気がつかなかった(医師は苦しくはなかったと言っているが)。妻の見舞いを2回しか実現させなかった。3回目(その妻)は、(反省を活かして)胃瘻をしてしまった。その前に身体拘束が数週間続いたことを了承してしまった。なぜ、わたしがこんな事を判断しなくてはならないのか、ずっと戸惑いながらやってきた。
わたしには、まだ10年以上はあると思う。わたしの周りに環境はあるのか、そこから調べなくてはならないし、少なくとも終末期の医療の意思を病院に伝える工夫や、救急車を呼ばない仕組みや、介護必要時の家での介護体制構築の仕組みなど、準備体制を作らないとならない。
この本を読んで、終末期でも単身者は、充分希望し満足して死ぬことができることが(いまのところは)理論的に可能だということが知れた。現在、要介護の高齢者は高齢者人口の約1.8割、そのうちまた6割が認知症と言われているらしい。最悪の場合を考えながら、気楽に準備していきたい。1年に一回は読み返して、できる所から始めたい。
2018年7月読了