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三万年の死の教え―チベット『死者の書』の世界 (角川文庫ソフィア) 文庫 – 1996/6/1
現代人は、死から遠ざかろうとするあまり、生の意味を見失っている。チベット仏教が伝える人類数万年の叡智をたよりに、生と死の境界線にわけ入った、生きるための思想的冒険。・カラー版・
- 本の長さ186ページ
- 言語日本語
- 出版社角川書店
- 発売日1996/6/1
- ISBN-104041981018
- ISBN-13978-4041981016
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
誕生の時には、あなたが泣き、全世界は喜びに沸く。死ぬときには、全世界が泣き、あなたは喜びにあふれる。現代人は、死から遠ざかろうとするあまり、生の意味を見失っている。チベット仏教が伝える人類数万年の叡智をたよりに、生と死の境界線にわけ入った、生きるための思想的冒険。カラー版。
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登録情報
- 出版社 : 角川書店 (1996/6/1)
- 発売日 : 1996/6/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 186ページ
- ISBN-10 : 4041981018
- ISBN-13 : 978-4041981016
- Amazon 売れ筋ランキング: - 205,205位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 20位チベット仏教(一般)関連書籍
- - 1,292位仏教入門
- - 4,555位角川文庫
- カスタマーレビュー:
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著者について
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1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、多摩美術大学芸術人類学研究所所長。思想家。著書に『チベットのモーツァルト』(サ ントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)、『フィロソフィア・ヤポニカ』(伊藤整文学賞)など多数ある(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『カイエ・ソバージュ』(ISBN-10:4062159104)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
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ベスト500レビュアー
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三部構成。「第一部・死者の書のある風景」、「第二部・三万年の死の教え」、「第三部・カルマ・リンパの発見」。特に老僧と小坊主の対話形式によって死後の世界を描写してゆく第一部は「チベットの死者の書」の概要を理解するのに格好の手助けとなる部分。「チベットの死者の書」の日本語訳は現在、川崎信定『原典訳チベットの死者の書』が最もポピュラーなようだが、いきなりこの書に挑んでも何が何だかチンプンカンプンなので(少なくともわたし自身はそうだったので)、本書の第一部は『原典訳チベットの死者の書』を読む前の導入編としてとても役立つのではないかと思う。第二部はゾクチェンと「死者の書」、そしてゾクチェンと「死者の書」を結合させたと「太陽と月の結合」についての話。ゾクチェンとはチベット仏教のニンマ派における最も高度な教えを意味する語とのことだが、このゾクチェンによって体験されるもの(それは解脱ということなのだと思うが)と、「死者の書」によって説かれる体験は本質的には同じものである、という話から、このゾクチェンがチベットに仏教が伝来する以前の土着宗教ボン教にもあって、ニンマ派のゾクチェンもボン教のゾクチェンも共通の母体から展開していった、すなわち「三万年の死の教え」ということになったようだ。三万年前はまだネアンデルタール人の時代?いや、それだけ古い起源をもつ教えということの喩え。第三部カルマ・リンパとは「死者の書」を発掘した人物の名。仏教をインドからチベットにもたらしたのはバドマサンバヴァだが、そのバドマサンバヴァがチベットを去るにあたって膨大な数の経典を埋めたと言われ、「死者の書」はそのうちの一つということのようだ。まるで死海文書とかユダの福音書のような話だが、真相はよくわからない。第二部は内容が錯綜している感じが、また第三部は余談ような感じがしたが、第一部だけでも読む価値はある。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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ベスト1000レビュアー
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本書を読んで「輪廻転生」は、あらためて真実だと思った。しかし、釈迦は、来世について問われても何も答えなかった、と聞く。(異説はあるが、、、)このことを私は、疑問に思っていたが、先日、NHKのBSで、『お葬式破産』というドキュメントを観て合点がいった。亡くなった親族の来世の幸せを祈るあまり、葬式に法外な費用を強いられ、現世の生活が破綻してしまうのである。従って、『輪廻転生』が真実だとしても、そのことが直接に現世で正しく生きていくことにつながるわけではない。こうした点について、本書をよみながら、更に思索を深めていく必要があると痛感した。
2020年8月31日に日本でレビュー済み
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驚くべき教えと世界が、その技法と文化とそれらが息づいている社会と共に、平易に描出されている。
前世紀末の時代における、真に偉大な書というべきだろう。
しかしその後、もう20年もの歳月が流れている。おりしもコロナ禍は、近代社会を終焉に導きつつある。
今の時代、これからの世界に合わせて、よりリファインされた『チベット死者の書』の翻訳が、望まれる。
中沢新一氏はもうお歳だから難しいが、若い世代の哲学者や宗教学者が、この本の現代版を刊行してくれることを、願ってやまない。
前世紀末の時代における、真に偉大な書というべきだろう。
しかしその後、もう20年もの歳月が流れている。おりしもコロナ禍は、近代社会を終焉に導きつつある。
今の時代、これからの世界に合わせて、よりリファインされた『チベット死者の書』の翻訳が、望まれる。
中沢新一氏はもうお歳だから難しいが、若い世代の哲学者や宗教学者が、この本の現代版を刊行してくれることを、願ってやまない。
2005年5月8日に日本でレビュー済み
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この本で紹介されているのは、チベットの仏教のなかでも、もっとも古典的なニンマ派と呼ばれている教えに属するものである。ちなみに最も一般的で有名な宗派はゲルグ派と言って、歴代のダライラマもゲルグ派に属する。
さらに、本書の「チベット死者の書」というのは、その古典仏教の開祖であるパドマ・サンバヴァが、あまりにも高度すぎてその時の人々にはわかってもらえないだろうということで、その妻に密かに隠したという「埋蔵経典」が、その後、14世紀になってから「発見」され研究された究極奥義「ゾクチェン」について書いてある。
その経文をたまたま見つけたアメリカ人、エバンス・ヴェンツの紹介で、その頃盛んだったユングを中心とする心理学者や、フラワー・エイジ、LSDに夢中になっていた若者たちが、まさにルーツを見つけたとばかりに大きな広がりを見せた。
とはいえ、チベットではこの「死者の書」は、とてもマイナーであり、チベット人でも知る人は非常に少ないと思う。また、思うに、仏教の基本や、チベット文化・歴史を飛び越えて、このような「究極奥義」なんてものに珍しさのあまり、飛びついても理解できることは少ないか、また、多くのアメリカ人のように間違って理解してしまうだろう。
なので、なにかの入門というよりは、興味をわきたてる触媒と考えて、この本を読み終わってからじっくりとチベットの世界を紐解いてほしい。
個人的には、ミステリアスなチベットもよいが、今、チベットの人たちが置かれている状況をもっといろいろな人に理解してもらいたい。21世紀になって、チベット人が、敬愛するダライラマ14世の写真を持つと中国公安警察に逮捕されるってとんでもないことだと思いませんか?
さらに、本書の「チベット死者の書」というのは、その古典仏教の開祖であるパドマ・サンバヴァが、あまりにも高度すぎてその時の人々にはわかってもらえないだろうということで、その妻に密かに隠したという「埋蔵経典」が、その後、14世紀になってから「発見」され研究された究極奥義「ゾクチェン」について書いてある。
その経文をたまたま見つけたアメリカ人、エバンス・ヴェンツの紹介で、その頃盛んだったユングを中心とする心理学者や、フラワー・エイジ、LSDに夢中になっていた若者たちが、まさにルーツを見つけたとばかりに大きな広がりを見せた。
とはいえ、チベットではこの「死者の書」は、とてもマイナーであり、チベット人でも知る人は非常に少ないと思う。また、思うに、仏教の基本や、チベット文化・歴史を飛び越えて、このような「究極奥義」なんてものに珍しさのあまり、飛びついても理解できることは少ないか、また、多くのアメリカ人のように間違って理解してしまうだろう。
なので、なにかの入門というよりは、興味をわきたてる触媒と考えて、この本を読み終わってからじっくりとチベットの世界を紐解いてほしい。
個人的には、ミステリアスなチベットもよいが、今、チベットの人たちが置かれている状況をもっといろいろな人に理解してもらいたい。21世紀になって、チベット人が、敬愛するダライラマ14世の写真を持つと中国公安警察に逮捕されるってとんでもないことだと思いませんか?
2014年6月10日に日本でレビュー済み
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チベット仏教の先生に勧められて購入しました。
「死者の書=難しい」というふうにずっと思っていましたが、第1章の老僧と小坊主のやり取りを読んでから本章に入っていくと、書のイメージがすんなり入ってきたように思いました。
文庫なのにカラー資料も豊富に載っていてよかったです。
死者の書入門にはうってつけだと思います!
「死者の書=難しい」というふうにずっと思っていましたが、第1章の老僧と小坊主のやり取りを読んでから本章に入っていくと、書のイメージがすんなり入ってきたように思いました。
文庫なのにカラー資料も豊富に載っていてよかったです。
死者の書入門にはうってつけだと思います!
2017年5月2日に日本でレビュー済み
三万年くらい、三万年ほど、「三万年」という言葉で比喩的にいいあらわしてみたかった、気の遠くなるほど古い、と著者が云うように三万年ということに明確な根拠はなく、ただ、それくらいで言ってみたかったというのである。
歴史を超えているかいないかという意味で、一万年未満でないことは物凄く重要である。
問題は神智学の創設者ブラヴァツキー夫人が死者の霊や不滅を信じていなかったと捉えられる点と関わっている。
例えば、ピーター・ワシントンの『神秘主義の扉(原題はブラヴァツキー夫人のヒヒ(反進化論の象徴))』(中央公論新社)において「マスターは一段高い水準で暮らしているが、けっして死者ではない」(62頁)と夫人の言説を精確に紹介している箇所がある。マスターとは夫人の用語で霊的存在の意味であり、複数形であることから少なくとも宗教的な一者を意味しない。夫人の『インド幻想紀行』では死者に明確に触れられた箇所は二ヶ所あり、生者の能力を強調した箇所(ちくま学芸文庫版下巻159頁)と万人の不死を否定した箇所(同336頁)がある。
しかし、これが全否定でないことは、インドとエジプトの太古人が霊的存在の主である可能性を探っていることからすれば、明らかだ。ブラヴァツキー夫人は死者や不死を一見否定しているようでいて逆にそうではないのである。
他方で、『神秘主義への扉』では夫人のインド行きを大いに疑問視し(83頁)、それ自体がマスターからの啓示だったことにして納得させているが、そもそも『インド幻想紀行』を読めば、夫人はインドにこそ人類霊性の霊的起源を視ているのであり、インド文明はエジプト文明の親でなければ兄に違いないとされていることから、そういう確信があったということである。ワシントンがこれを疑問に付しているのは、『インド幻想紀行』が全く読めていないということである。
これに対して、中沢がざっと三万年だと言っているのは、エジプト文明、シュメール文明、最古の文明、歴史の起源だと考えられているものより遥かに古いということに他ならず、その意味ではブラヴァツキー夫人の真意を深く汲み取っていて、寧ろより精確なのであると言えるだろう。
もしかしたら、十万年かも知れないのではあるが。
歴史を超えているかいないかという意味で、一万年未満でないことは物凄く重要である。
問題は神智学の創設者ブラヴァツキー夫人が死者の霊や不滅を信じていなかったと捉えられる点と関わっている。
例えば、ピーター・ワシントンの『神秘主義の扉(原題はブラヴァツキー夫人のヒヒ(反進化論の象徴))』(中央公論新社)において「マスターは一段高い水準で暮らしているが、けっして死者ではない」(62頁)と夫人の言説を精確に紹介している箇所がある。マスターとは夫人の用語で霊的存在の意味であり、複数形であることから少なくとも宗教的な一者を意味しない。夫人の『インド幻想紀行』では死者に明確に触れられた箇所は二ヶ所あり、生者の能力を強調した箇所(ちくま学芸文庫版下巻159頁)と万人の不死を否定した箇所(同336頁)がある。
しかし、これが全否定でないことは、インドとエジプトの太古人が霊的存在の主である可能性を探っていることからすれば、明らかだ。ブラヴァツキー夫人は死者や不死を一見否定しているようでいて逆にそうではないのである。
他方で、『神秘主義への扉』では夫人のインド行きを大いに疑問視し(83頁)、それ自体がマスターからの啓示だったことにして納得させているが、そもそも『インド幻想紀行』を読めば、夫人はインドにこそ人類霊性の霊的起源を視ているのであり、インド文明はエジプト文明の親でなければ兄に違いないとされていることから、そういう確信があったということである。ワシントンがこれを疑問に付しているのは、『インド幻想紀行』が全く読めていないということである。
これに対して、中沢がざっと三万年だと言っているのは、エジプト文明、シュメール文明、最古の文明、歴史の起源だと考えられているものより遥かに古いということに他ならず、その意味ではブラヴァツキー夫人の真意を深く汲み取っていて、寧ろより精確なのであると言えるだろう。
もしかしたら、十万年かも知れないのではあるが。
2012年2月10日に日本でレビュー済み
著者の中沢新一さんは宗教学者で、チベット仏教の修行経験もあるそうである。チベット人にとって、死と生は表裏一体・ワンセットであり、死は主要な話題であり、仏教の勉強や修行も死を軸として意味づけされる、とのこと。
死にゆく人の耳元で、ラマ僧がバルド・トドゥルというお経を詠唱して死者を導く(死後も聴覚はしばらく残る、とされる)、という描写があるだが、それは現代の日本からすると非常に特異な世界観でもある。わたしたちの社会は死はみたくないもの・考えたくないものとして忌避されている。しかし、それは人生の片手落ちなのではないか、と感じさせられる。
・人は美しいものにひかれ、恐ろしいものや醜いものに嫌悪感を抱くけれども、幻影が絶え間なくその姿を変えるものなのだから、そのいずれにも執着してはならない。
・色も形もない心の本性(イェシェ)という無衣の道人をつかみとることが仏教の修行だが、体という物理的制約や言葉という構造的制約がそれを阻害する。しかも、大脳異常発達動物である人間は幻想力にも制約されやすい。しかし、死によってこれらの制約が解除されるときがイェシェに触れる最大のチャンスである。
・・・など我々の一般感覚とは哲学の違い・根本の違いを感じる。なお、LSDの服用時の体験は、チベットの死者の書に描写されている臨死体験に共通する部分があるとか。
正直、わかりにくいところやマニアックすぎるところもあるが、驚くような感覚世界を意識させられるという意味ではとてもおもしろい本である。
死にゆく人の耳元で、ラマ僧がバルド・トドゥルというお経を詠唱して死者を導く(死後も聴覚はしばらく残る、とされる)、という描写があるだが、それは現代の日本からすると非常に特異な世界観でもある。わたしたちの社会は死はみたくないもの・考えたくないものとして忌避されている。しかし、それは人生の片手落ちなのではないか、と感じさせられる。
・人は美しいものにひかれ、恐ろしいものや醜いものに嫌悪感を抱くけれども、幻影が絶え間なくその姿を変えるものなのだから、そのいずれにも執着してはならない。
・色も形もない心の本性(イェシェ)という無衣の道人をつかみとることが仏教の修行だが、体という物理的制約や言葉という構造的制約がそれを阻害する。しかも、大脳異常発達動物である人間は幻想力にも制約されやすい。しかし、死によってこれらの制約が解除されるときがイェシェに触れる最大のチャンスである。
・・・など我々の一般感覚とは哲学の違い・根本の違いを感じる。なお、LSDの服用時の体験は、チベットの死者の書に描写されている臨死体験に共通する部分があるとか。
正直、わかりにくいところやマニアックすぎるところもあるが、驚くような感覚世界を意識させられるという意味ではとてもおもしろい本である。


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