青春時代、どっぷり萩尾望都先生の漫画に浸っていた世代なので、大泉サロンが突然解散したこと、当事者がそのことについて語らないことから、解散にあたってはなんらかの揉め事があったのだろう、と予想はしていました。
なので、竹宮惠子さんの「少年の名はジルベール」も、出版直後に購入して読みました。
そこに、大泉サロンの解散のきっかけは、自分の萩尾さんに対する嫉妬だった、と書かれていて、その率直さに驚いたものです。
竹宮さんは京都精華大の学長として社会的な成功もしており、青春時代の未熟な自分を懺悔する気持ちがあったのでしょう。竹宮さんにとっては半世紀以上も過去のこと、告白して、萩尾さんとの関係を修復するきっかけになれば、と思ったのかもしれません。
ただ、そこに書かれていなかった、あるいは竹宮さんが思い至らなかったのは、萩尾さんにとっては終わったことでなく、いまでも消化できない苦しい思い出として残っている、ということ。
リアルに、まるでつい昨日のことのように、この本の中で萩尾さんは苦しかった日々を書き留めています。
それほどに萩尾さんは繊細だし、傷も深かったということでしょう。
いじめっ子は忘れても、いじめられた側は忘れない、という言い方はちょっときついかもしれません。おそらく健全な竹宮さんには、それほどの繊細さが理解できなかったということではないかと思います。
どちらの言い分が正しいとか、それをジャッジする権利は我々にはありません。
ただ、この本でつらかった過去を萩尾さんが少しでも消化できますように。
それを私たちファンが受け止めることで、少しでも萩尾さんの慰めになりますように。
そう願わずにはいられません。
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一度きりの大泉の話 単行本 – 2021/4/21
購入を強化する
352ページ、12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。
出会いと別れの“大泉時代"を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。
「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」
――私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れれば呼吸ができました。体を動かし仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。
しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話しようと思います。
(「前書き」より)
――お話をずっと考えていると、深い海の底から、または宇宙の星々の向こうからこういうものが突然落ちてくることがある。落ちてこない時はただ苦しいだけだけど、でも、それがふっと目の前に現れる時、宝物を発見した、という気持ちになります。自分が見つけたというより、エーリクが見つけてくれた、そういう気分になります。
そしてこの言葉を見つけたことで、『トーマの心臓』を描いて本当に良かったと思いました。
(「17『ポーの一族』第1巻 1974年」より)
――今回、この筆記を書くに当たって、封印していた冷凍庫の鍵を探し出して、開けて、記憶を解氷いたしましたが、その間は睡眠がうまく取れず、体調が思わしくありませんでした。
なので、執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。
埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。
(「29 お付き合いがありません」より)
【目次】(※一部)
●前書き
●出会いのこと ― 1969年~1970年
●大泉の始まり ― 1970年10月
●1972年『ポーの一族』
●下井草の話 1972年末~1973年4月末頃
●『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月
●緑深い田舎
●引っ越し当日 1973年5月末頃
●田舎と英国 1973年
●帰国 1974年
●『トーマの心臓』連載 1974年
●『ポーの一族』第1巻 1974年
●オリジナルであろうと、原作ものであろうと
●排他的独占愛
●鐘を鳴らす人
●BLの時代
●それから時が過ぎる 1974年~2017年
●お付き合いがありません
●あとがき(静かに暮らすために)
【特別掲載1】「萩尾望都が萩尾望都であるために」(文・マネージャー 城章子)
【特別掲載2】 萩尾望都が1970年代に描き溜めた未発表スケッチ
【特別掲載3】 マンガ『ハワードさんの新聞広告』31ページ
出会いと別れの“大泉時代"を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。
「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」
――私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れれば呼吸ができました。体を動かし仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。
しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話しようと思います。
(「前書き」より)
――お話をずっと考えていると、深い海の底から、または宇宙の星々の向こうからこういうものが突然落ちてくることがある。落ちてこない時はただ苦しいだけだけど、でも、それがふっと目の前に現れる時、宝物を発見した、という気持ちになります。自分が見つけたというより、エーリクが見つけてくれた、そういう気分になります。
そしてこの言葉を見つけたことで、『トーマの心臓』を描いて本当に良かったと思いました。
(「17『ポーの一族』第1巻 1974年」より)
――今回、この筆記を書くに当たって、封印していた冷凍庫の鍵を探し出して、開けて、記憶を解氷いたしましたが、その間は睡眠がうまく取れず、体調が思わしくありませんでした。
なので、執筆が終わりましたら、もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。
埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。
(「29 お付き合いがありません」より)
【目次】(※一部)
●前書き
●出会いのこと ― 1969年~1970年
●大泉の始まり ― 1970年10月
●1972年『ポーの一族』
●下井草の話 1972年末~1973年4月末頃
●『小鳥の巣』を描く 1973年2月~3月
●緑深い田舎
●引っ越し当日 1973年5月末頃
●田舎と英国 1973年
●帰国 1974年
●『トーマの心臓』連載 1974年
●『ポーの一族』第1巻 1974年
●オリジナルであろうと、原作ものであろうと
●排他的独占愛
●鐘を鳴らす人
●BLの時代
●それから時が過ぎる 1974年~2017年
●お付き合いがありません
●あとがき(静かに暮らすために)
【特別掲載1】「萩尾望都が萩尾望都であるために」(文・マネージャー 城章子)
【特別掲載2】 萩尾望都が1970年代に描き溜めた未発表スケッチ
【特別掲載3】 マンガ『ハワードさんの新聞広告』31ページ
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2021/4/21
- 寸法13.6 x 2.9 x 19.3 cm
- ISBN-104309029620
- ISBN-13978-4309029627
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出版社より

商品の説明
著者について
萩尾望都
漫画家。1949年、福岡県生まれ。1969年デビュー。
SFやファンタジーなどを巧みに取り入れた壮大な作風で唯一無二の世界観を表現し続け、あらゆる方面から圧倒的なリスペクトを受けている。
1976年『ポーの一族』『11人いる! 』で第21回小学館漫画賞、1997年『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞、2010年にアメリカ・サンディエゴ・コミコン・インターナショナル・インクポット賞、2011年に第40回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞、2012年に少女漫画家として初の紫綬褒章、2017年に朝日賞など受賞歴多数。
漫画家。1949年、福岡県生まれ。1969年デビュー。
SFやファンタジーなどを巧みに取り入れた壮大な作風で唯一無二の世界観を表現し続け、あらゆる方面から圧倒的なリスペクトを受けている。
1976年『ポーの一族』『11人いる! 』で第21回小学館漫画賞、1997年『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、2006年『バルバラ異界』で第27回日本SF大賞、2010年にアメリカ・サンディエゴ・コミコン・インターナショナル・インクポット賞、2011年に第40回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞、2012年に少女漫画家として初の紫綬褒章、2017年に朝日賞など受賞歴多数。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2021/4/21)
- 発売日 : 2021/4/21
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 352ページ
- ISBN-10 : 4309029620
- ISBN-13 : 978-4309029627
- 寸法 : 13.6 x 2.9 x 19.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 23,392位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 948位エッセー・随筆 (本)
- - 38,412位コミック
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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萩尾望都先生、ありがとうございました。先生が自らを、罰してしまうほどの、あの時の【記憶】を<一度だけ>公表した、その思い。痛いほどに伝わりました。もう、十分です。どうぞ、この記憶は固く封じこめ、忘我のままに過ごして下さい。こんな陳腐な感想しか書けない自分ですが、先生が心穏やかに過ごされることを心の底から祈っています。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
レビューを書くつもりはなかったのですが、差別的レビューが500個以上の評価を受けていることに危機感を覚えたのでその件をお伝えします。
私の経験上、若い頃のトラウマ化した経験を、生涯洗い流すことができずに許すこともできないという事例は複数知っています。
彼らはそれをそのまま保持しつつ、かといって攻撃的なことは何もしません。何故ならその経験の結果が、外傷による後遺症の神経線維の痛みと同様に、減衰することなく24時間痛みとして苛むからです。
若さゆえの過ちとして水に流されない立場にすれば、随分冷酷で心が狭く頑なな人だと感じて、それであっさり忘れて、楽しく前に進む自分たちは成長していると思えるでしょう。それは結構ですが、そうしてさらに何度も性懲りもなく踏みつけている事実から彼らは目を逸らしています。
今回のレビューでそれが差別的であると考えたのは、許さない理由として、独身であること、普通の育ちではないからだとしていることです。
個人が社会に対して果たすべき義務として、萩尾氏は、期限を守って作品を提出する、PTSDとなった経験も個人的な事柄として世間には公表しないという行為を以て果たしてきています。
すべて憶測でしかないのですから、彼女が独身であること、親と感情的に葛藤があること、過去の経験を封じ込めて触れない選択をしたことについて、他人がとやかく言うことではないです。
また同時期に、萩尾氏の周りにいた同年代の少女漫画家は、竹宮氏一人ではありません。
本書に登場するだけでも十数人の、やはり才能が際立った漫画家たちが登場し、親密に交流しています。彼らも然り、萩尾氏が発表する作品群に動揺し、自分の才能と較べることもしたでしょう。とてもかなわないと思ったこともあるでしょう。しかしその人達の内、竹宮氏以外は誰一人として、本書に書かれているような筋違いのネガティヴな行ないはしておりません。
また萩尾氏自身も本書で述べておられる通り、竹宮氏の実務的有能さや絵のうまさ、雑誌媒体で読者からも編集部からも高く評価されていたことに、強い敗北感を持っていたことを認めています。
本書で何度も述べられている通り、まだ巨匠などと言われる立場ではなかった二十代の漫画家にとって、それで自立して一生生活できるのかということが最も切実な問題であったと思われますが、その点において竹宮氏は既に地歩を固め、先輩巨匠作家からの寵愛、編集部での高い評価、読者アンケートでの多数の支持を手にしていたのであって、その格差に、萩尾氏が劣等感と将来への不安を抱いていたことは一目瞭然であり、発言から読み取れます。
人は誰しも、他の人に対して、妬ましさや敗北感を抱くことはあるでしょう。
しかしそれで、夜中に人を呼び立て、他に誰も居ない状況で、二対一で詰め寄るという形にすることは、誰でもそうだと言えることではありません。それは脅迫行為です。しかし萩尾氏が、脅迫されたとは死ぬまで云わないと決意したということは、感情的に許す許さないという以上の、他者への敬意の表れです。その行いが、人格に対する憶測に基づいた中傷を以て非難されることは、ハラスメントの二次加害と言って差し支えないと考えます。
ハラスメント被害者を更に有毒な言葉で貶める二次加害が、500以上の評価を得るという事実は、極めて遺憾なことであります。
本書における、インタビューから書き起こした言語表現が、二十代の拙さを思わせることは、ここで語られたことが50年にわたり完全に封印されていたトラウマ記憶であり、その苦痛に満ちた記憶の解凍である証左であると私は判断します。
これは大規模災害や傷害事件などで起きたトラウマ体験及びPTSDと同様の症例報告であり、述懐者の人格評価は行われるべきではないと表明します。
補足(5/06/2021)
出版されたものについて第三者からの批評があるのは止むを得ないということは同意します。
トラウマ体験及びPTSDについては、職業上幾らか勉強し、関心をもっているので、その私自身の前提を明示しておりませんでした。その点、不明になった文脈があると思います。
『小鳥の巣』発表時点でなぜそのような詰問を受けたのかは不思議に思っています。何故ならその約二年前、1971年秋に『11月のギムナジウム』が雑誌掲載されているからです。これは後に雑誌に再掲載されており、初出時より読者の反応が良かったものと思われます。この作品には、萩尾氏のギムナジウム物の原型がほぼ出揃っており、故に後の『小鳥の巣』『トーマの心臓』の発表はその発展形として理解しました。
竹宮氏の行為への批判について、それは、ただ一点を除いて批判されるべき点はない、しかしその一点に関しては、それが脅迫行為に当たると自覚する必要はあると考えています。対人上のトラウマ事象について、加害側に回ってしまった立場の病理は無視されがちですが、一線を越えてしまう過程には対人的な病理を抱えていると考えるものです。
50年前に竹宮氏が開けた地獄の蓋を萩尾氏が閉じ、50年近く経過して同じ地獄の蓋をまた竹宮氏が開けて萩尾氏が閉じようとしています。一見健康的に社会に適応していると自身も他者も認める人物が持っている病理は見えにくいものです。
天才という概念を以て解釈することには疑問を持っています。プロの漫画家はすべて同等の労力を以て作品を作り、雑誌掲載に値すると認められて発表しています。売れる、売れないという結果はあるにせよ、そこに優劣は本来ありません。
最終的には双方が癒されることを望むのは私も同じです。
私の経験上、若い頃のトラウマ化した経験を、生涯洗い流すことができずに許すこともできないという事例は複数知っています。
彼らはそれをそのまま保持しつつ、かといって攻撃的なことは何もしません。何故ならその経験の結果が、外傷による後遺症の神経線維の痛みと同様に、減衰することなく24時間痛みとして苛むからです。
若さゆえの過ちとして水に流されない立場にすれば、随分冷酷で心が狭く頑なな人だと感じて、それであっさり忘れて、楽しく前に進む自分たちは成長していると思えるでしょう。それは結構ですが、そうしてさらに何度も性懲りもなく踏みつけている事実から彼らは目を逸らしています。
今回のレビューでそれが差別的であると考えたのは、許さない理由として、独身であること、普通の育ちではないからだとしていることです。
個人が社会に対して果たすべき義務として、萩尾氏は、期限を守って作品を提出する、PTSDとなった経験も個人的な事柄として世間には公表しないという行為を以て果たしてきています。
すべて憶測でしかないのですから、彼女が独身であること、親と感情的に葛藤があること、過去の経験を封じ込めて触れない選択をしたことについて、他人がとやかく言うことではないです。
また同時期に、萩尾氏の周りにいた同年代の少女漫画家は、竹宮氏一人ではありません。
本書に登場するだけでも十数人の、やはり才能が際立った漫画家たちが登場し、親密に交流しています。彼らも然り、萩尾氏が発表する作品群に動揺し、自分の才能と較べることもしたでしょう。とてもかなわないと思ったこともあるでしょう。しかしその人達の内、竹宮氏以外は誰一人として、本書に書かれているような筋違いのネガティヴな行ないはしておりません。
また萩尾氏自身も本書で述べておられる通り、竹宮氏の実務的有能さや絵のうまさ、雑誌媒体で読者からも編集部からも高く評価されていたことに、強い敗北感を持っていたことを認めています。
本書で何度も述べられている通り、まだ巨匠などと言われる立場ではなかった二十代の漫画家にとって、それで自立して一生生活できるのかということが最も切実な問題であったと思われますが、その点において竹宮氏は既に地歩を固め、先輩巨匠作家からの寵愛、編集部での高い評価、読者アンケートでの多数の支持を手にしていたのであって、その格差に、萩尾氏が劣等感と将来への不安を抱いていたことは一目瞭然であり、発言から読み取れます。
人は誰しも、他の人に対して、妬ましさや敗北感を抱くことはあるでしょう。
しかしそれで、夜中に人を呼び立て、他に誰も居ない状況で、二対一で詰め寄るという形にすることは、誰でもそうだと言えることではありません。それは脅迫行為です。しかし萩尾氏が、脅迫されたとは死ぬまで云わないと決意したということは、感情的に許す許さないという以上の、他者への敬意の表れです。その行いが、人格に対する憶測に基づいた中傷を以て非難されることは、ハラスメントの二次加害と言って差し支えないと考えます。
ハラスメント被害者を更に有毒な言葉で貶める二次加害が、500以上の評価を得るという事実は、極めて遺憾なことであります。
本書における、インタビューから書き起こした言語表現が、二十代の拙さを思わせることは、ここで語られたことが50年にわたり完全に封印されていたトラウマ記憶であり、その苦痛に満ちた記憶の解凍である証左であると私は判断します。
これは大規模災害や傷害事件などで起きたトラウマ体験及びPTSDと同様の症例報告であり、述懐者の人格評価は行われるべきではないと表明します。
補足(5/06/2021)
出版されたものについて第三者からの批評があるのは止むを得ないということは同意します。
トラウマ体験及びPTSDについては、職業上幾らか勉強し、関心をもっているので、その私自身の前提を明示しておりませんでした。その点、不明になった文脈があると思います。
『小鳥の巣』発表時点でなぜそのような詰問を受けたのかは不思議に思っています。何故ならその約二年前、1971年秋に『11月のギムナジウム』が雑誌掲載されているからです。これは後に雑誌に再掲載されており、初出時より読者の反応が良かったものと思われます。この作品には、萩尾氏のギムナジウム物の原型がほぼ出揃っており、故に後の『小鳥の巣』『トーマの心臓』の発表はその発展形として理解しました。
竹宮氏の行為への批判について、それは、ただ一点を除いて批判されるべき点はない、しかしその一点に関しては、それが脅迫行為に当たると自覚する必要はあると考えています。対人上のトラウマ事象について、加害側に回ってしまった立場の病理は無視されがちですが、一線を越えてしまう過程には対人的な病理を抱えていると考えるものです。
50年前に竹宮氏が開けた地獄の蓋を萩尾氏が閉じ、50年近く経過して同じ地獄の蓋をまた竹宮氏が開けて萩尾氏が閉じようとしています。一見健康的に社会に適応していると自身も他者も認める人物が持っている病理は見えにくいものです。
天才という概念を以て解釈することには疑問を持っています。プロの漫画家はすべて同等の労力を以て作品を作り、雑誌掲載に値すると認められて発表しています。売れる、売れないという結果はあるにせよ、そこに優劣は本来ありません。
最終的には双方が癒されることを望むのは私も同じです。
ベスト1000レビュアー
Amazonで購入
届いて一気に読みました。
萩尾先生のこれまでのインタビューなどを読んでいて、周囲の人との関係を築くのが難しい面がある方だと感じました。周囲の人の発言によって、それが周囲の人が想定しないようなことでも傷ついてしまう。親御さんとの関係もそうです。きっと、生きづらい思いもずいぶんしてこられたのではないかと思います。その分、素晴らしい作品を創り上げる才能に恵まれた。私も萩尾先生の数々の作品に魅了されている一人です。
大泉の話はかつて竹宮先生の本で読みました。それまでは萩尾先生、竹宮先生、増山氏の関係は全く知りませんでした。竹宮先生が萩尾先生に「距離を置きたい」と言った経緯はその本で読みましたが、詳しいやりとりについては書かれていなくて、ただ、その当時の竹宮先生の追い詰められた精神状態について理解するのみでした。
今回、萩尾先生のこの本を読み、その件についての詳しい流れがわかりました。なんとか抑えているものの、先生の怒りも伝わってきました。先生が周囲の人のはっきりした(先生にとってそれはきつかった)物言いに対し、違うと思うことがあってもそこで反論できず、封じ込めていってしまう心理も理解できました。
大泉と下井草での出来事もよくわかりました。こんなにきつい現実があった。竹宮先生とだけではなく、そこに増山氏が関わってくるので余計に難しくなる。というか、失礼ながら、増山氏が間に入らず竹宮先生と萩尾先生の間だけのやりとりだったら、こんなに話はこじれなかったという気がします。第三者が入ると人間関係は思わぬ方向にこじれることもあるものですから。
自分の作品について(詳細については実際に読んでください)お二人からこんな理不尽な追い詰められ方をされたら、もし私ならその場で怒るでしょう。でも萩尾先生にはそれができなかった。お辛かったと思います。両方の先生の作品を読んでいる私から見ると、萩尾先生の「小鳥の巣」と竹宮先生の「風と木の詩」は全く違う雰囲気の作品です。お二人共、ご自分の世界をしっかりと築き上げられています。
そして、結果として一方的に切られた萩尾先生。自分に悪いところがあったからそうなったのだろうといろいろと考え、ついには体調に変調をきたすほどになり、その記憶を封じ込めてなんとか生きてきた先生。
萩尾先生が今回この本を出されたのは、竹宮先生の本の出版のあと、様々なメディアの人間がなんとか竹宮先生と萩尾先生を対談させようなど、いろいろな企画を持って萩尾先生の元に来られたからだそうです。事情があってもう関わりたくないからと何度断っても話は持ち込まれる。
この本が出たことで、そういった申し出は多分なくなるだろうと期待します。萩尾先生には周囲に煩わされず、作品を生み出していただきたいです。
萩尾先生のこれまでのインタビューなどを読んでいて、周囲の人との関係を築くのが難しい面がある方だと感じました。周囲の人の発言によって、それが周囲の人が想定しないようなことでも傷ついてしまう。親御さんとの関係もそうです。きっと、生きづらい思いもずいぶんしてこられたのではないかと思います。その分、素晴らしい作品を創り上げる才能に恵まれた。私も萩尾先生の数々の作品に魅了されている一人です。
大泉の話はかつて竹宮先生の本で読みました。それまでは萩尾先生、竹宮先生、増山氏の関係は全く知りませんでした。竹宮先生が萩尾先生に「距離を置きたい」と言った経緯はその本で読みましたが、詳しいやりとりについては書かれていなくて、ただ、その当時の竹宮先生の追い詰められた精神状態について理解するのみでした。
今回、萩尾先生のこの本を読み、その件についての詳しい流れがわかりました。なんとか抑えているものの、先生の怒りも伝わってきました。先生が周囲の人のはっきりした(先生にとってそれはきつかった)物言いに対し、違うと思うことがあってもそこで反論できず、封じ込めていってしまう心理も理解できました。
大泉と下井草での出来事もよくわかりました。こんなにきつい現実があった。竹宮先生とだけではなく、そこに増山氏が関わってくるので余計に難しくなる。というか、失礼ながら、増山氏が間に入らず竹宮先生と萩尾先生の間だけのやりとりだったら、こんなに話はこじれなかったという気がします。第三者が入ると人間関係は思わぬ方向にこじれることもあるものですから。
自分の作品について(詳細については実際に読んでください)お二人からこんな理不尽な追い詰められ方をされたら、もし私ならその場で怒るでしょう。でも萩尾先生にはそれができなかった。お辛かったと思います。両方の先生の作品を読んでいる私から見ると、萩尾先生の「小鳥の巣」と竹宮先生の「風と木の詩」は全く違う雰囲気の作品です。お二人共、ご自分の世界をしっかりと築き上げられています。
そして、結果として一方的に切られた萩尾先生。自分に悪いところがあったからそうなったのだろうといろいろと考え、ついには体調に変調をきたすほどになり、その記憶を封じ込めてなんとか生きてきた先生。
萩尾先生が今回この本を出されたのは、竹宮先生の本の出版のあと、様々なメディアの人間がなんとか竹宮先生と萩尾先生を対談させようなど、いろいろな企画を持って萩尾先生の元に来られたからだそうです。事情があってもう関わりたくないからと何度断っても話は持ち込まれる。
この本が出たことで、そういった申し出は多分なくなるだろうと期待します。萩尾先生には周囲に煩わされず、作品を生み出していただきたいです。
2021年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
じっくり読んだ後、この嵐のような感情を落ち着かせるにはレビューを書かねばと、Amazonのレビューページを開きました。
すごい!私などが分析するまでもなく、先行レビュアーの方々が見事かつ完璧な分析をされていました……。
なので、個人的な感想を少しだけ。
萩尾望都さんが「少女漫画の神」であることは、世間の評価が十二分に示しています。
だから、私は勝手に思っていました。
竹宮さんは、萩尾さんにとっては遠い過去の友人であり、とっくに凌駕した存在であり、竹宮さんが自伝で叙述されていたように、竹宮さんの(ほぼ一方的な)片想いに過ぎないのだと。
そんな思い込みの全てが覆されました。
竹宮さんの自伝を読んだ時、「ああ、これは『アマデウス』だな、天才に嫉妬する秀才の物語だな」と陳腐に考えていた自分が恥ずかしいです。
萩尾さんにとっては、竹宮さんの想像以上に、竹宮さんの存在は大きく、かけがえのない友だった。
決裂とも言えないような、竹宮さんからの一方的な拒絶がどれほど萩尾さんを傷付けたか、竹宮さんは想像できなかった……何故なら、恐らく誰よりも、萩尾さんの才能を理解していたのが竹宮さんだったから。
竹宮さんにとって、萩尾さんは神そのもののように圧倒的な存在で、神がまさか、自分が離れたくらいで深く傷付くとは思いもしなかったのでしょう。
でも、親友との別れに傷付かないような人間が、あの読み手の魂を震わせる物語を紡げますか?
一コマ一コマに、登場人物の心の揺れを表現できる漫画家たりえますか?
自分の才能と友の才能を比較し、「自分の方が上だ」と思えるような人間(そう思ってしまう人間は凡人なのでしょう)が、人の感情の機微をあれだけ細やかに描けますか?
その想像力の差が、萩尾さんと竹宮さんの才能の差だったのかもしれません。
そしてその差こそが、萩尾さんが「少女漫画の神様」たる理由なのではないでしょうか。
すごい!私などが分析するまでもなく、先行レビュアーの方々が見事かつ完璧な分析をされていました……。
なので、個人的な感想を少しだけ。
萩尾望都さんが「少女漫画の神」であることは、世間の評価が十二分に示しています。
だから、私は勝手に思っていました。
竹宮さんは、萩尾さんにとっては遠い過去の友人であり、とっくに凌駕した存在であり、竹宮さんが自伝で叙述されていたように、竹宮さんの(ほぼ一方的な)片想いに過ぎないのだと。
そんな思い込みの全てが覆されました。
竹宮さんの自伝を読んだ時、「ああ、これは『アマデウス』だな、天才に嫉妬する秀才の物語だな」と陳腐に考えていた自分が恥ずかしいです。
萩尾さんにとっては、竹宮さんの想像以上に、竹宮さんの存在は大きく、かけがえのない友だった。
決裂とも言えないような、竹宮さんからの一方的な拒絶がどれほど萩尾さんを傷付けたか、竹宮さんは想像できなかった……何故なら、恐らく誰よりも、萩尾さんの才能を理解していたのが竹宮さんだったから。
竹宮さんにとって、萩尾さんは神そのもののように圧倒的な存在で、神がまさか、自分が離れたくらいで深く傷付くとは思いもしなかったのでしょう。
でも、親友との別れに傷付かないような人間が、あの読み手の魂を震わせる物語を紡げますか?
一コマ一コマに、登場人物の心の揺れを表現できる漫画家たりえますか?
自分の才能と友の才能を比較し、「自分の方が上だ」と思えるような人間(そう思ってしまう人間は凡人なのでしょう)が、人の感情の機微をあれだけ細やかに描けますか?
その想像力の差が、萩尾さんと竹宮さんの才能の差だったのかもしれません。
そしてその差こそが、萩尾さんが「少女漫画の神様」たる理由なのではないでしょうか。