リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間 「生演奏つきの面接は生まれてはじめての
経験だったろう」
リッツ・カールトンが
大切にする
サービスを超える瞬間
ザ・リッツ・カールトン・ホテルの日本支社長が語るのは“おもてなしの極意だ。よくありがちな従業員と顧客との心温まるエピソードなどではない。欧米の上流社会で脈々と受け継がれてきた最高のサービスとは、設備でもマニュアルでもなく “人の価値だと言い、その育て方を指南する。教育は入社面接時から始まっていると言う。面接会場はホテルの大宴会場。ドアマンとピアノの生演奏が志願者を迎える。たとえスタッフの面接だろうと、宿泊客と同様にもてなすことで、同社の理念やサービスの質を伝えるのだと説く。
(日経ベンチャー 2006/01/01 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
接客の仕事に役立てたいと手にとりました。まさにホスピタリティの原点、自分の中で租借し、実践していきたいと思います。(38歳女性・会社員) 明日からの仕事の意識が変わりました。(25歳女性・サービス業) 社会人になる前に読み、サービスについてとても勉強になった。また、このホテルもいつか利用してみたいと感じた。それほど素晴らしい内容だった。(22歳女性・学生) 周りの人たちに伝えて共有したいと思った。自分を変えるきっかけになりそうだ。(45歳男性・会社員)
内容(「BOOK」データベースより)
「お客様自身が気づかれていない望みとは何か」「それに対して自分ができる最高のおもてなしは何か」これらを常に、考え、思い、感じること…心が暖まる「人との接し方」ホスピタリティの原点。
抜粋
1983年にアトランタで誕生したザ・リッツ・カールトン・ホテル・カンパニーは、わずか20数年間で世界のホテル地図を塗り替えてきました。
米国のビジネス誌やレジャー誌ではつねにトップクラスの評価を得るまでになったのです。アジアにおいても、シンガポール、上海、香港などのリッツ・カールトンは、従業員にとって、もっとも働きがいのあるホテル・カンパニーとしての評価を受けています。(ベスト・エンプロイヤー賞。)
1997年に開業した大阪のリッツ・カールトンもまた、日経ビジネス誌をはじめ、国内外の主要誌によるホテルランキングで高い評価をいただいています。
しかし、リッツ・カールトンが目指しているものは、じつはホテル・カンパニーの運営ではなく、新しいライフスタイルとしてのブランドを確立していくということなのです。
たとえば大阪のリッツ・カールトン。小さくしつらえたロビー、自動ドアのない玄関、ちょっと分かりにくいエレベーターの位置、暖かいお部屋、グルメをうならせるレストラン、など等。それらはすべて綿密に設計された、「ラグジュアリー・ライフスタイルのブランド」の舞台装置なのです。
そして500人の紳士淑女、つまり従業員が、主役であるお客様に対していろいろな形でホスピタリティを生み出していきます。その舞台がたまたま宿泊施設の体裁を取っているだけなのです。その意味からすると、リッツ・カールトンはホテル産業ではなく、ホスピタリティ産業といえるでしょう。
ホスピタリティには、思いやりや親切心、心からのおもてなしという意味があります。つまりリッツ・カールトンが提供しているのは、単なる物や技術ではなく、まさに心そのもの。私たちのホテルが多くのお客さまから高い評価をいただいているとしたら、最大の理由もそこにあるのではと考えています。
私は20代前半に単身アメリカへ渡りました。それからニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコの大小さまざまなホテルで修行を積み、リッツ・カールトンと出会いました。それまでのホテルでもサービスの真髄をいろいろと学ばせてもらいましたが、リッツ・カールトンのサービスに対する考え方は大きく違いました。
何より驚いたのは、リッツ・カールトンでは、従業員も“お客様”として扱われることです。
たとえば以前、ボストンの従業員食堂では、入り口で黒服のスタッフが満面の笑みで出迎えてくれました。
「Welcome to my dining room!」
これはあとで知ったことですが、従業員を“内部顧客”と呼び、同じ目線でお互いを理解しあい、、心から尊敬しあう。それがリッツ・カールトンのサービス哲学であり、普段からごく自然に行われていることでした。
・どうすればお客様に感動を与えられるのか
・従業員が誇りと喜びを持てる職場環境とは何か
・お客様が言葉にされない願望を先読みして満たすためのチームワークとはどういう
ものか
豪華な建物と完璧なサービスマニュアルがあっても、こうした企業の熱いパッションが根底に流れていなければ、ホテルが宿泊産業の域を超えることはない。企業の“心”と“魂”が従業員を通してお客様に伝わって、初めてホテルは、ひとつのブランドへと昇華されるのです。
リッツ・カールトンの従業員は、クレド(信条)と呼ばれるカードを肌身離さず持っています。クレドはゴールド・スタンダードとも呼ばれ、経営理念や哲学がすべて凝縮されています。リッツ・カールトンにおいてホスピタリティの実現、つまりサービスを超える瞬間は、クレドの精神を全従業員が共有して初めて成し得るものなのです。
本書がビジネスを超えて、人と接するときのヒントになれば、嬉しく思います。
著者について
1953年、長野県戸隠生まれ。ホテルスクールを卒業し、渡米。NYプラザホテルに勤務した後、LAボナベンチャー、SFフェアモントホテルなどでマネジメントを経験。90年にリッツ・カールトンでサンフランシスコをはじめ、マリナ・デル・レイ、ハンティントン、シドニーなどの開業をサポートし、同時に日本支社を立ち上げる。93年にホノルルオフィスを開設した後、翌94年、日本支社長として日本に戻る。リッツ・カールトンの日本における営業・マーケティング活動をしながら、97年にザ・リッツ・カールトン大阪、2007年にザ・リッツ・カールトン東京の開業をサポートする。
09年にリッツ・カールトンを退社し「人とホスピタリティ研究所」を設立。以来、“ホスピタリティの伝道師"としてセミナーや講演、研修などで全国を飛び回り、企業、病院、学校、地方自治体などの組織づくりのサポートを行っている。また、長野、東京、北九州、鎌倉など各地で「寺子屋百年塾」を立ち上げ、善光寺や増上寺などを拠点に独自の勉強会を主宰。100年先を見据えて今を生きる人財の育成にも尽力している。
著書にシリーズ30万部を超えるベストセラーとなった『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』『絆が生まれる瞬間』『リッツ・カールトンで育まれたホスピタリティノート』(いずれもかんき出版)などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
高野/登
1953年、長野県戸隠生まれ。プリンス・ホテル・スクール(現日本ホテルスクール)第一期生。卒業後、ニューヨークに渡る。ホテルキタノ、NYスタットラー・ヒルトンなどを経て、1982年、目標のNYプラザホテルに勤務。その後、LAボナベンチャー、SFフェアモントホテルなどでマネジメントを経験し、1990年にザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に携わった後、リッツ・カールトンLAオフィスに転勤。その間、マリナ・デル・レイ、ハンティントン、シドニーの開業をサポートし、同時に日本支社を立ち上げる。1993年にホノルルオフィスを開設した後、翌94年、日本支社長として転勤。リッツ・カールトンの日本における営業・マーケティング活動をしながら、ザ・リッツ・カールトン大阪の開業準備に参画。現在は、ザ・リッツ・カールトン東京の開業を見据えながら、ブランディング活動を中心とした、メディア・パブリシティ戦略に積極的に取り組む。リッツ・カールトンの成功事例を中心に、企業活性化、人材育成、社内教育などの講演依頼が後を断たない(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)