ライシャワーの昭和史 (日本語) 単行本 – 2009/11/17
ジョージ・R・パッカード
(著),
森山 尚美
(翻訳)
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本の長さ552ページ
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言語日本語
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出版社講談社
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発売日2009/11/17
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寸法14 x 3.2 x 19.5 cm
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ISBN-104062151952
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ISBN-13978-4062151955
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
宣教師の息子として日本に生まれ育ち、大戦中は米陸軍将校として暗号解読・翻訳者の養成に従事。戦後の、天皇制の下での占領政策に影響を与え、民主国家・日本を演出。駐日大使として沖縄返還、日韓・日中関係の改善にも尽力した学者の数奇な生涯を追う。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
パッカード,ジョージ・R.
1932年、米国フィラデルフィア生まれ。プリンストン大学卒業後、米国情報部員として1956年に初来日し、東京大学に留学。タフツ大学フレッチャー外交大学院で博士号取得。63~65年、ライシャワー駐日大使の特別補佐官を務める。その後、『ニューズウィーク』誌ワシントン特派員(65~67年)、『フィラデルフィア・ブレティン』紙編集長(68~75年)、76年には上院議員選挙に出馬。ウッドロー・ウィルソン国際センター副所長(76~79年)、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)長(79~93年)、新潟の国際大学学長(94~98年)などを歴任し、98年より米日財団の理事長
森山/尚美
翻訳家。1947年生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。日本NCR、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ勤務を経てフリー。実務翻訳のスペシャリストとして活動する傍ら、ジャーナリズム関係や外国人の目に映る日本にかんする論文等の翻訳に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1932年、米国フィラデルフィア生まれ。プリンストン大学卒業後、米国情報部員として1956年に初来日し、東京大学に留学。タフツ大学フレッチャー外交大学院で博士号取得。63~65年、ライシャワー駐日大使の特別補佐官を務める。その後、『ニューズウィーク』誌ワシントン特派員(65~67年)、『フィラデルフィア・ブレティン』紙編集長(68~75年)、76年には上院議員選挙に出馬。ウッドロー・ウィルソン国際センター副所長(76~79年)、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)長(79~93年)、新潟の国際大学学長(94~98年)などを歴任し、98年より米日財団の理事長
森山/尚美
翻訳家。1947年生まれ。東京外国語大学英米語学科卒業。日本NCR、ウォルト・ディズニー・プロダクションズ勤務を経てフリー。実務翻訳のスペシャリストとして活動する傍ら、ジャーナリズム関係や外国人の目に映る日本にかんする論文等の翻訳に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2009/11/17)
- 発売日 : 2009/11/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 552ページ
- ISBN-10 : 4062151952
- ISBN-13 : 978-4062151955
- 寸法 : 14 x 3.2 x 19.5 cm
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- - 1,202位昭和・平成
- - 20,100位日本史一般の本
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- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月17日に日本でレビュー済み
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ライシャワー氏に関する膨大な資料を元にして書かれているだけあって、読み応えがある。又、訳出も大変こなれている。特にライシャワー氏がアジア専門家となったいきさつ、駐日大使だった頃の栄光と苦悩、健康問題等詳細に書かれており興味深い。小生、以前ライシャワー氏の著書「ザ・ジャパニーズ」を読んだことがあるが、氏の洞察力の高さに舌を巻いた。今回この本を読んで、「ザ・ジャパニーズ」を再読しようかという気になった。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2012年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ライシャワー氏は日本の大恩人であります。今日の日本が在るのもライシャワー氏による貢献が大きいと思いました。彼は日本人を擁護され、アメリカでの間違った日本人観を正され、良好な日米関係の構築に大変努力されました。沖縄返還も彼による案とは知りませんでした。 私も一日本人として大変感謝しております。 皮肉にも、精神異常の日本人に刺され、それが原因で短命で亡くなられました。 大変申し訳なく、恩人を傷つけた事は日本人の恥だと感じました。
ライシャワー氏はアメリカの宣教師の子供として日本で生まれました。幼いころを日本で暮らし、アメリカに渡ってハーバード大学で歴史学の博士号を取得します。特に日本史中国史を専攻されアメリカのエリート大学のハーバードの教授をなされました。彼はリベラルな親日派で、第二次世界大戦のときは、日本軍の暗号解読任をまかされました。 また、終戦間際の原爆投下に反対意見の持ち主でもあられた。朝鮮、ベトナム戦争ぼ発時は両戦争に反対された、リベラルの考えの持ち主であった。ケネデイー政権下では日本大使に任命され、日米同盟に奔走されます。後のジョンソン政権下では、ベトナム戦争に関して、日本大使という立場上戦争継続賛成の立場をとります。著者はこれが彼の人生で最大の汚点であると記載されてお症ります。共産中国の承認も早くから唱えられリベラルな考えの持ち主であられ多様です。また、教育にも熱心なかたで、大平首相、や中曽根首相に大きな影響を与えられたかただと思われます。氏の遺言によれば、世界平和は国際間の理解にかっかており、理解し得るかどうかはコミニケーションの知識と技能にかっかている。したがって、平和はつきつめれば、教育しだいである。と言われ日本人また、アメリカ人の教育に熱心な方でした。
ライシャワー氏は狂人による刺傷事件の後遺症のC型肝炎により79才で他界されましたが、彼の意志はホプキンス大学にあるライシャワー東アジア研究所やハバード大学ライシャワー日本研究所に引き継がれ、交換留学制度等により、より良き日米関係の構築に努力しているとの事でした。
ライシャワー教授、日本は大変お世話になりなした。安らかに、御永眠ください。
ライシャワー氏はアメリカの宣教師の子供として日本で生まれました。幼いころを日本で暮らし、アメリカに渡ってハーバード大学で歴史学の博士号を取得します。特に日本史中国史を専攻されアメリカのエリート大学のハーバードの教授をなされました。彼はリベラルな親日派で、第二次世界大戦のときは、日本軍の暗号解読任をまかされました。 また、終戦間際の原爆投下に反対意見の持ち主でもあられた。朝鮮、ベトナム戦争ぼ発時は両戦争に反対された、リベラルの考えの持ち主であった。ケネデイー政権下では日本大使に任命され、日米同盟に奔走されます。後のジョンソン政権下では、ベトナム戦争に関して、日本大使という立場上戦争継続賛成の立場をとります。著者はこれが彼の人生で最大の汚点であると記載されてお症ります。共産中国の承認も早くから唱えられリベラルな考えの持ち主であられ多様です。また、教育にも熱心なかたで、大平首相、や中曽根首相に大きな影響を与えられたかただと思われます。氏の遺言によれば、世界平和は国際間の理解にかっかており、理解し得るかどうかはコミニケーションの知識と技能にかっかている。したがって、平和はつきつめれば、教育しだいである。と言われ日本人また、アメリカ人の教育に熱心な方でした。
ライシャワー氏は狂人による刺傷事件の後遺症のC型肝炎により79才で他界されましたが、彼の意志はホプキンス大学にあるライシャワー東アジア研究所やハバード大学ライシャワー日本研究所に引き継がれ、交換留学制度等により、より良き日米関係の構築に努力しているとの事でした。
ライシャワー教授、日本は大変お世話になりなした。安らかに、御永眠ください。
2018年8月24日に日本でレビュー済み
1960年から66年にかけて米国の駐日大使だったライシャワーについて大使時代の側近だったジョージ・R・パッカードの回想録。
ライシャワーの宣教師の子供としての日本での生い立ち、家庭環境、大学での研究生活、第二次大戦中の米陸軍将校として暗号解読・翻訳業務、駐日大使時代の八面六臂の活躍、日本近代化論についての後輩学者との論争等多岐にわたっていていますが、著者はライシャワーへの敬愛の念を持ちながらも客観的に語っており、気持ちよく読めました。
ライシャワー氏の家庭的なことについて簡単に述べますと
ライシャワーは宣教師の子として明治学院内の宿舎に生まれました。この生家は明治学院に保存されているとのことです。面白いのはライシャワーは宣教師の子として生まれながら日曜礼拝には熱心ではなかったとのこと。彼の仏教等のアジア思想の研究が関係あるのでしょうか。
ライシャワーの子供時代はアメリカンスクール通学で日本人の子供とは接触がほとんどなかった。日本人との付き合いで幼いライシャワーの懐かしい思い出に残っているのはお手伝いの女性との交流なんですね。
宣教師の父親も日本、中国の歴史に興味を持つ学者肌の人で東京女子大の創立に尽力しており、また母親は聾唖者であった娘(ライシャワーの妹)の関係で日本で最初の聾唖学校を創立した人なんです。兄もライシャワーに勝るとも劣らぬハーバード出身の優秀な学者だったのですが、上海の爆弾事故で亡くなっています。また、愛する妻を40代で失い、日本人のハル・松方と再婚しています。
さて、ライシャワーの日本観については、著書から直接引用しましょう。
ライシャワーの近代日本史解釈は、日本や西洋の左翼系学者のあいだで通用していた説を真っ向から否定した。徳川の日本といえば、マルクス主義のおもな歴史家は封建制の暗い側面にしか着目しなかったが、彼はそこに近代化の良質の起源をみいだした。明治時代(1868~1912年)に、植民地化を避け、西欧に追いつこうとした日本の努力を、西欧以外の国民としては異例の、みごとな勝利とみた。日本が早くから行った議会制民主主義の実験を高く評価し、日本国民は、1947年制定の新憲法のもとで、民主的政治をやっていく能力を十分持っていると考えた。要するに、ライシャワーは太平洋の両岸で定着していた日本観をゆるがしたのだった。そして、「月の裏側」に光をあてたのである。
人生の後半、1980年代には、ライシャワーは日本のために弁解をする「アポロジスト(弁明者)」だ、日本政府に甘すぎ、日本の民主主義についての見通しがナイーブだ、と「リビジョニスト」たちに一斉に叩かれる。だが、そのときにも、彼は日本の一般市民の良識と、成長を遂げ変化していく能力を疑うことはなかった。彼の確信の正しさは、まさに目をみはるほどに、証明されている。
ライシャワーはどうして、そのような確固とした、時代を考えれば斬新ともいえる見方をすることができたのか。どのような経験から、自分は普通の日本人をよくわかっていると公言するようになったのか。日本人の知人はほとんどが同業の学者であったのに、なぜ日本の「庶民」を理解している、といえたのか。ヒエラルキーと不平等と天皇崇拝が浸透していた社会に、民主主義が根づくと、どうして確信できたのか。この温厚な教授のいったい何が、他の学者やジャーナリストたちを激怒させたのか。それがこの本の物語である。
ライシャワー流の江戸時代の認識については、もはや現在の日本では常識化していますよね。
その意味ではライシャワーは先見の明があったといえますね。先般の政権交代も日本の民主主義の成熟と言えなくもないですね。ところでライシャワーが最も評価していた日本の政治家は元首相の大平正芳だったそうです
ライシャワーの宣教師の子供としての日本での生い立ち、家庭環境、大学での研究生活、第二次大戦中の米陸軍将校として暗号解読・翻訳業務、駐日大使時代の八面六臂の活躍、日本近代化論についての後輩学者との論争等多岐にわたっていていますが、著者はライシャワーへの敬愛の念を持ちながらも客観的に語っており、気持ちよく読めました。
ライシャワー氏の家庭的なことについて簡単に述べますと
ライシャワーは宣教師の子として明治学院内の宿舎に生まれました。この生家は明治学院に保存されているとのことです。面白いのはライシャワーは宣教師の子として生まれながら日曜礼拝には熱心ではなかったとのこと。彼の仏教等のアジア思想の研究が関係あるのでしょうか。
ライシャワーの子供時代はアメリカンスクール通学で日本人の子供とは接触がほとんどなかった。日本人との付き合いで幼いライシャワーの懐かしい思い出に残っているのはお手伝いの女性との交流なんですね。
宣教師の父親も日本、中国の歴史に興味を持つ学者肌の人で東京女子大の創立に尽力しており、また母親は聾唖者であった娘(ライシャワーの妹)の関係で日本で最初の聾唖学校を創立した人なんです。兄もライシャワーに勝るとも劣らぬハーバード出身の優秀な学者だったのですが、上海の爆弾事故で亡くなっています。また、愛する妻を40代で失い、日本人のハル・松方と再婚しています。
さて、ライシャワーの日本観については、著書から直接引用しましょう。
ライシャワーの近代日本史解釈は、日本や西洋の左翼系学者のあいだで通用していた説を真っ向から否定した。徳川の日本といえば、マルクス主義のおもな歴史家は封建制の暗い側面にしか着目しなかったが、彼はそこに近代化の良質の起源をみいだした。明治時代(1868~1912年)に、植民地化を避け、西欧に追いつこうとした日本の努力を、西欧以外の国民としては異例の、みごとな勝利とみた。日本が早くから行った議会制民主主義の実験を高く評価し、日本国民は、1947年制定の新憲法のもとで、民主的政治をやっていく能力を十分持っていると考えた。要するに、ライシャワーは太平洋の両岸で定着していた日本観をゆるがしたのだった。そして、「月の裏側」に光をあてたのである。
人生の後半、1980年代には、ライシャワーは日本のために弁解をする「アポロジスト(弁明者)」だ、日本政府に甘すぎ、日本の民主主義についての見通しがナイーブだ、と「リビジョニスト」たちに一斉に叩かれる。だが、そのときにも、彼は日本の一般市民の良識と、成長を遂げ変化していく能力を疑うことはなかった。彼の確信の正しさは、まさに目をみはるほどに、証明されている。
ライシャワーはどうして、そのような確固とした、時代を考えれば斬新ともいえる見方をすることができたのか。どのような経験から、自分は普通の日本人をよくわかっていると公言するようになったのか。日本人の知人はほとんどが同業の学者であったのに、なぜ日本の「庶民」を理解している、といえたのか。ヒエラルキーと不平等と天皇崇拝が浸透していた社会に、民主主義が根づくと、どうして確信できたのか。この温厚な教授のいったい何が、他の学者やジャーナリストたちを激怒させたのか。それがこの本の物語である。
ライシャワー流の江戸時代の認識については、もはや現在の日本では常識化していますよね。
その意味ではライシャワーは先見の明があったといえますね。先般の政権交代も日本の民主主義の成熟と言えなくもないですね。ところでライシャワーが最も評価していた日本の政治家は元首相の大平正芳だったそうです
2017年11月5日に日本でレビュー済み
ライシャワーが大使であったころ、私はまだ小学校高学年であった。ちょうどトンキン湾事件が
起きたころで、アメリカの北爆が激しくなることであった。ライシャワー氏の名は懐かしいが
その業績は全くと言って良いほど知らなかった。
本書を読んで非常に驚いたのは、次のライシャワー氏の指摘である。
1.沖縄は、早期に日本に返還すべきである。そうしないと日米同盟は、崩れ落ちる恐れがある。
2.ベトナムに、アメリカは介入すべきでない。ベトナムが共産側に落ちでも、基本は共産主義
運動が根底にあるのでなく、ナショナリズムなので、東欧のユーゴスラビアのような立場をとり、
中国の影響力の防波堤になるに過ぎない。
3.21世紀には、貧小国が大量破壊兵器を手にするであろう。
これらは、いずれもその後の歴史がその正しさを証明している。
しかし、本書であり難かった思うのは、当時アメリカ人が日本を敗戦者として下僕のように扱って
いた関係を、対等関係(イコール・パートナーシップ)へと転換させたとことである。
また、米国における日本研究の礎をつくり、多くの優れた日本研究社を輩出することになった
ということも実にありがたいことであった。
さらに、ライシャワー氏の離任後、駐日大使には、一流の者でないと任命されないようになった
とのことである。
また、日本での刺傷事件を原因にc型肝炎を患い、その後遺症にも悩まされたが、事件後、このことで
恨みつらみを言うことはなかったとのことだ。
日米関係を研修する方だけでなく、多くの人に読んでほしい本である。
起きたころで、アメリカの北爆が激しくなることであった。ライシャワー氏の名は懐かしいが
その業績は全くと言って良いほど知らなかった。
本書を読んで非常に驚いたのは、次のライシャワー氏の指摘である。
1.沖縄は、早期に日本に返還すべきである。そうしないと日米同盟は、崩れ落ちる恐れがある。
2.ベトナムに、アメリカは介入すべきでない。ベトナムが共産側に落ちでも、基本は共産主義
運動が根底にあるのでなく、ナショナリズムなので、東欧のユーゴスラビアのような立場をとり、
中国の影響力の防波堤になるに過ぎない。
3.21世紀には、貧小国が大量破壊兵器を手にするであろう。
これらは、いずれもその後の歴史がその正しさを証明している。
しかし、本書であり難かった思うのは、当時アメリカ人が日本を敗戦者として下僕のように扱って
いた関係を、対等関係(イコール・パートナーシップ)へと転換させたとことである。
また、米国における日本研究の礎をつくり、多くの優れた日本研究社を輩出することになった
ということも実にありがたいことであった。
さらに、ライシャワー氏の離任後、駐日大使には、一流の者でないと任命されないようになった
とのことである。
また、日本での刺傷事件を原因にc型肝炎を患い、その後遺症にも悩まされたが、事件後、このことで
恨みつらみを言うことはなかったとのことだ。
日米関係を研修する方だけでなく、多くの人に読んでほしい本である。