世の中には根強い差別がどこの国にもある。その一つに例としてユダヤ民族差別がある。サルトルは、その不当性について、哲学者らしく論理的分析を通してかなり突っ込んで書いている。少し難しいところもあるが、全体を読めば、かなり力を入れ、説得的に書かれていて、明確な反ユダヤ主義の「根拠のない差別」を告発している。
ただ、長い歴史を通して、多くの国でユダヤ人が、なぜ差別されるようになったと考えられるかについての考察がほとんどなく、「根拠のない差別」と書く。それはそうなのだが、やはり、私は例えば日本での「部落差別」も根拠にない差別だが、彼らの多くが他の人間が食べるための肉などを供給すること、つまり、動物の殺生をする生業をしてきたという事がある。これは「根拠にならない差別」だが、差別する人は「そういう殺生は「ある種」の人間にしかできない、そういう殺生をやってのけるレベルの人間である」と言う風に、きわめて「独善的な見方」で極端な差別が延々と続いている。これと同じように、間違っているが、何らかのそういう意識を生む要因を知りたいのである。ただ、わずか、79ページの最後から、一つは「彼がキリストの殺害者である(原註。それはキリスト教の宣伝のために作り上げられた伝説。十字架が、ローマの刑罰であり、キリストは政治的先導者として、ローマ人によって処刑されたことは明白である)」としている。そして、第二に、「ユダヤ人が常に惹き起こしてきた宗教的嫌悪のために他ならない。」と書いているが、それが何なのかが書いてないので、判然としない。それがもう少し具体的に書いてあればよかったのにと思うのだが。しかし、全体としては、理性的正論を丁寧に追い、きちんとした反ユダヤ主義批判の書になっている。また、現代にもあるその他の差別を分析してみる大いに参考になる書である。
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ユダヤ人 (岩波新書) 新書 – 1956/1/16
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- ISBN-104004110793
- ISBN-13978-4004110798
- 出版社岩波書店
- 発売日1956/1/16
- 本の長さ189ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
世界中の人びとがユダヤ人に対して抱いている偏見は、実に古くかつ根強い。サルトルは、まったく新しい観点から、数々の具体的事実をあげて、この根深い偏見の源をつきとめ、ユダヤ人問題の本質をはじめて明らかにした。たんにユダヤ人問題のみならず、今日の人種問題に対して正しい解決の方途を示唆した画期的な書。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
安堂/信也
1927年東京に生まれる。1951年早稲田大学文学部卒業。1952‐54年ソルボンヌ大学文学部留学。専攻はフランス演劇史。現在、早稲田大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1927年東京に生まれる。1951年早稲田大学文学部卒業。1952‐54年ソルボンヌ大学文学部留学。専攻はフランス演劇史。現在、早稲田大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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トップレビュー
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2020年7月16日に日本でレビュー済み
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4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は1954年、イスラエル建国から6年が経過した時期に出版されている。
そのためか、ここにはパレスチナ問題に関する言及がない。
もっぱら国内のユダヤ人問題に焦点を絞り、「反ユダヤ主義」という差別意識が批判されている。
第1章はその意識の心理的分析である。なかで興味深いのは、反ユダヤ主義の善悪二元論の
「生かさず、殺さず」式の矛盾心理が、今日のキリスト教原理主義がムスリムに抱く心理に酷似している点だ。
第3章においては、サルトルはユダヤ人を状況的存在と定義する。
ユダヤ人は近代国家によって同化を拒否され、キリスト教徒によって迫害された者たちである。
そのような状況がユダヤ人を作った、つまりユダヤ人は反ユダヤ主義者によって作られたのだ。
一方こうした状況はユダヤ人自身の中に「反ユダヤ主義」を抱え込ませ、
アイデンティティの自己否定を醸成した。
第4章では、サルトルは反ユダヤ主義を「階級闘争のブルジョワ的あらわれ」だとして、
その解決は社会主義革命によって果たせるとしている。
こうした呼びかけがユダヤ人にどのように受け止められたか不明だが、
イスラエル建国にあたってその基礎となった社会主義的共同体キブツの存在を思い合わせると、
サルトルには何か期待するところがあったのかもしれない。
しかし社会主義も、またイスラエルのあり方も、その希望から大きく離れてしまったことに、
いまならサルトルはどう思うだろうか。
ところで私は本書を読みながら、絶えずパレスチナ人のことを考えていた。
本書の「ユダヤ人」を「パレスチナ人」に置き換えてみると、
その肖像のあまりにも酷似していることに改めて驚ろかされる。
しかもパレスチナ人迫害の張本人がユダヤ人であることの意味は何か。
差別意識の底深さを考えさせられる。
そのためか、ここにはパレスチナ問題に関する言及がない。
もっぱら国内のユダヤ人問題に焦点を絞り、「反ユダヤ主義」という差別意識が批判されている。
第1章はその意識の心理的分析である。なかで興味深いのは、反ユダヤ主義の善悪二元論の
「生かさず、殺さず」式の矛盾心理が、今日のキリスト教原理主義がムスリムに抱く心理に酷似している点だ。
第3章においては、サルトルはユダヤ人を状況的存在と定義する。
ユダヤ人は近代国家によって同化を拒否され、キリスト教徒によって迫害された者たちである。
そのような状況がユダヤ人を作った、つまりユダヤ人は反ユダヤ主義者によって作られたのだ。
一方こうした状況はユダヤ人自身の中に「反ユダヤ主義」を抱え込ませ、
アイデンティティの自己否定を醸成した。
第4章では、サルトルは反ユダヤ主義を「階級闘争のブルジョワ的あらわれ」だとして、
その解決は社会主義革命によって果たせるとしている。
こうした呼びかけがユダヤ人にどのように受け止められたか不明だが、
イスラエル建国にあたってその基礎となった社会主義的共同体キブツの存在を思い合わせると、
サルトルには何か期待するところがあったのかもしれない。
しかし社会主義も、またイスラエルのあり方も、その希望から大きく離れてしまったことに、
いまならサルトルはどう思うだろうか。
ところで私は本書を読みながら、絶えずパレスチナ人のことを考えていた。
本書の「ユダヤ人」を「パレスチナ人」に置き換えてみると、
その肖像のあまりにも酷似していることに改めて驚ろかされる。
しかもパレスチナ人迫害の張本人がユダヤ人であることの意味は何か。
差別意識の底深さを考えさせられる。
2014年1月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「『どんな作家も神格化されるに値しない』という理由でノーベル文学賞を辞退した人」として有名なフランスの行動する実存主義哲学者・作家、ジャン・ポール・サルトルのユダヤ人論です。
アルジェリアやキューバ問題に際してのサルトルの義挙やボーヴォワールとの一風変わった恋愛・結婚生活については多少の知識はあるものの、哲学書は難解なイメージのために敬遠し続け未読。しかしある本に「サルトルは、つねに弱者の側に立ち続けた人だった」と書かれており、どうしても気になって比較的読みやすそうな本書を読んでみました。
評論家の加藤周一さんは晩年のサルトルと懇意にされていたとのことで、『加藤周一セレクション1−科学の方法と文学の擁護』に収録されている「サルトルの知識人論」「サルトルのために」などのサルトルものエッセイにサルトルとの思い出が綴られていますが、そちらにも、「誰と接する時にも態度が変わらなかった」「心温かきこと彼の如き人を、わたしはほとんどほかに知らない」「心温かくしかも考える人間であるという、稀な人であった」と回顧されています。しかもノーベル文学賞辞退。名誉もいらない!もう殆ど信じがたい。なんというカッコよさでしょう。
本書は、第二次世界大戦時にフランスでも発生したユダヤ人排斥・迫害という「状況」に対し、ユダヤ人でもないサルトルが、迫害されたユダヤ人たちの立場を擁護して書かれたものです。その事実だけでもサルトルが世界史上に冠たる高貴なる知識人の一人であることの証明でありますし、本当にこの人の、理不尽と不寛容に苦しんでいるという理由で、自分とは無関係な他者のために闘おうというその心の優しさを思うと泣けてきます。カラス一家のために奔走したヴォルテール、アルジェリア独立を支持し逃走したマルローのようです。ユダヤ人の方たちはサルトルがこのような書物を書いてくれたことにどんなにか感動し感謝したことかと思います。利己主義と保身にまみれたこの競争社会にあって、このような気高き精神の貴族の魂に触れると、実に生き返る思いがします。若い人に是非読んでいただきたい。
本書では、直接には具体的な問題である「ユダヤ人問題」を扱っていますが、内容には現代にも通じる普遍性があります。その点で反ユダヤ主義者への批判書であると同時に、社会学的な本であると言えます。
どこか死刑に反対して書かれたユゴーの『死刑囚最後の日』を彷彿とさせる本書は、ユダヤ人の方への謙虚な同苦の念に満ちた名著です。社会的に差別を作られその犠牲になり続けてきたユダヤの方がたがあまりにも気の毒で、どんな理由があろうと同胞をここまで苦しめることができるという人間の業に深さに、読んでいて気分が悪くなってしまうほどでした。
本書でサルトルは、ユダヤ人への迫害が、<多数の凡庸>の中に潜む顔のない人生を選択し、責任と自由を、孤独を恐れる<群衆>と、挙国一致のためには<反ユダヤ主義者>の不寛容といけにえを求める残酷さを、ある程度は罪悪感を感じながらも看過してしまう利己的な<民主主義者>たちの精神によるものであるということを喝破しています。
ユダヤ人差別が人為的に作られ、社会の機構の維持という名目で黙認され続けてきたことを、「ユダヤ人問題はわれわれの問題」と差別される側ではなく、する側に問題があるのだと批判しています。
このような現象は現代日本でも「いじめ」という形でごく日常的に起こっています。私自身も、よく他人とは違う行動をしたり、一人で読書にふけることが多いからか「難しい本読んで調子に乗ってる」「目立とうとしてる」「頭良くない奴が役にも立たない本沢山読んでどうするんよ。そんな暇があるなら働け」「たいした仕事もしてない癖にクラシック聴いて、おしゃれして、本なんか読んで生意気」とか「迷惑するわけじゃないんだからほっとけば?」と思わずにいられない意味不明な悪口を言われます。事実と異なっていても、そう噂され、イメージをつけられてしまうと、実に厄介です。ステレオタイプな偏見を刺激してやるだけなので扇動する側にしたら簡単でしょう(「一人で本を読んでいる奴は友達がいない」とか、ステレオタイプですね。わたしは友達いますけど、思考停止したひとたちはこういう決めつけをします)。
悔しいけれどもユダヤ人の方が「極力目立たないようにしよう」という諦念に至る気持ちも、僭越だとは思いますが多少は分かるつもりです。嘘でも大人数が誠と思えばそうなってしまう側面があるから、また、醜いことに、人間は自分より弱い他人の存在を歓迎するから、社会的に弱い存在が何を言っても、偏見や差別、誤解、先入観によってなかなか話を聴いては貰えないからです(勿論まともな方たちもいますが)。弱い奴に肩入れして何の得がある?面倒には巻き込まれたくない、長いものに巻かれた方が安全というわけです。だからこそ、サルトルの公平さ、勇気、優しさが心に沁みます。自分がそうされたからと言って弱い者いじめをするような人間にはならない、弱者に優しいサルトルのような男になりたい(わたしは女ですが・笑)と憧れてしまいます。
ある時期は共産主義に肩入れしていたサルトルですので、結論がそのようになるのはご愛嬌として、しかし様々の意味で勇気づけられる素晴らしい本だと思います。古い本ですが、お勧めです。
アルジェリアやキューバ問題に際してのサルトルの義挙やボーヴォワールとの一風変わった恋愛・結婚生活については多少の知識はあるものの、哲学書は難解なイメージのために敬遠し続け未読。しかしある本に「サルトルは、つねに弱者の側に立ち続けた人だった」と書かれており、どうしても気になって比較的読みやすそうな本書を読んでみました。
評論家の加藤周一さんは晩年のサルトルと懇意にされていたとのことで、『加藤周一セレクション1−科学の方法と文学の擁護』に収録されている「サルトルの知識人論」「サルトルのために」などのサルトルものエッセイにサルトルとの思い出が綴られていますが、そちらにも、「誰と接する時にも態度が変わらなかった」「心温かきこと彼の如き人を、わたしはほとんどほかに知らない」「心温かくしかも考える人間であるという、稀な人であった」と回顧されています。しかもノーベル文学賞辞退。名誉もいらない!もう殆ど信じがたい。なんというカッコよさでしょう。
本書は、第二次世界大戦時にフランスでも発生したユダヤ人排斥・迫害という「状況」に対し、ユダヤ人でもないサルトルが、迫害されたユダヤ人たちの立場を擁護して書かれたものです。その事実だけでもサルトルが世界史上に冠たる高貴なる知識人の一人であることの証明でありますし、本当にこの人の、理不尽と不寛容に苦しんでいるという理由で、自分とは無関係な他者のために闘おうというその心の優しさを思うと泣けてきます。カラス一家のために奔走したヴォルテール、アルジェリア独立を支持し逃走したマルローのようです。ユダヤ人の方たちはサルトルがこのような書物を書いてくれたことにどんなにか感動し感謝したことかと思います。利己主義と保身にまみれたこの競争社会にあって、このような気高き精神の貴族の魂に触れると、実に生き返る思いがします。若い人に是非読んでいただきたい。
本書では、直接には具体的な問題である「ユダヤ人問題」を扱っていますが、内容には現代にも通じる普遍性があります。その点で反ユダヤ主義者への批判書であると同時に、社会学的な本であると言えます。
どこか死刑に反対して書かれたユゴーの『死刑囚最後の日』を彷彿とさせる本書は、ユダヤ人の方への謙虚な同苦の念に満ちた名著です。社会的に差別を作られその犠牲になり続けてきたユダヤの方がたがあまりにも気の毒で、どんな理由があろうと同胞をここまで苦しめることができるという人間の業に深さに、読んでいて気分が悪くなってしまうほどでした。
本書でサルトルは、ユダヤ人への迫害が、<多数の凡庸>の中に潜む顔のない人生を選択し、責任と自由を、孤独を恐れる<群衆>と、挙国一致のためには<反ユダヤ主義者>の不寛容といけにえを求める残酷さを、ある程度は罪悪感を感じながらも看過してしまう利己的な<民主主義者>たちの精神によるものであるということを喝破しています。
ユダヤ人差別が人為的に作られ、社会の機構の維持という名目で黙認され続けてきたことを、「ユダヤ人問題はわれわれの問題」と差別される側ではなく、する側に問題があるのだと批判しています。
このような現象は現代日本でも「いじめ」という形でごく日常的に起こっています。私自身も、よく他人とは違う行動をしたり、一人で読書にふけることが多いからか「難しい本読んで調子に乗ってる」「目立とうとしてる」「頭良くない奴が役にも立たない本沢山読んでどうするんよ。そんな暇があるなら働け」「たいした仕事もしてない癖にクラシック聴いて、おしゃれして、本なんか読んで生意気」とか「迷惑するわけじゃないんだからほっとけば?」と思わずにいられない意味不明な悪口を言われます。事実と異なっていても、そう噂され、イメージをつけられてしまうと、実に厄介です。ステレオタイプな偏見を刺激してやるだけなので扇動する側にしたら簡単でしょう(「一人で本を読んでいる奴は友達がいない」とか、ステレオタイプですね。わたしは友達いますけど、思考停止したひとたちはこういう決めつけをします)。
悔しいけれどもユダヤ人の方が「極力目立たないようにしよう」という諦念に至る気持ちも、僭越だとは思いますが多少は分かるつもりです。嘘でも大人数が誠と思えばそうなってしまう側面があるから、また、醜いことに、人間は自分より弱い他人の存在を歓迎するから、社会的に弱い存在が何を言っても、偏見や差別、誤解、先入観によってなかなか話を聴いては貰えないからです(勿論まともな方たちもいますが)。弱い奴に肩入れして何の得がある?面倒には巻き込まれたくない、長いものに巻かれた方が安全というわけです。だからこそ、サルトルの公平さ、勇気、優しさが心に沁みます。自分がそうされたからと言って弱い者いじめをするような人間にはならない、弱者に優しいサルトルのような男になりたい(わたしは女ですが・笑)と憧れてしまいます。
ある時期は共産主義に肩入れしていたサルトルですので、結論がそのようになるのはご愛嬌として、しかし様々の意味で勇気づけられる素晴らしい本だと思います。古い本ですが、お勧めです。
2012年11月4日に日本でレビュー済み
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イスラエル国家について知ろうと思ったのがきっかけでこの本に行き当たった。
ユダヤ人とは何かということがイスラエル国を知るために必要だったからである。もちろんイスラエルを知ろうと思ったその動機もあった分けで、イスラエルと言う国家が世界政治にそれから日本の政治外交へも極めて重要な影響を及ぼしているという認識が私にはあったのである。 イスラエルとは何か (平凡社新書)
私はサルトルの本は今まで読んだことがなかった。しかしサルトルの本を初めて読んでみてサルトルという作家はこのような魅力ある文章を書くのかという驚きがあった。これなら他のサルトルの本も読んでみたいと直ぐに思ったのである。
サルトルはこの本で、ユダヤ人というものは存在せずそれはヨーロッパの反ユダヤ主義者が作り上げたものであるということを数々の事例をあげて途方もない洞察力をもって論じ切った。そこではユダヤ人を作っているものはユダ人が置かれている状況でありそこではユダヤ人は不可避的にユダヤ人にならざるを得ずユダヤ人迫害も不可避的なのである。
ところで、ここでサルトルはユダヤ人を論じているのだろうか?それとも反ユダヤ主義者を論じているのだろうか?明らかにサルトルは反ユダヤ主義者を論じておりユダヤ人に論じているのはそういう状況に置かれた時のユダヤ人の対応(反応)を論じているだけのようにも読める。
この本はユダヤ人を考えるに当たっては極めて重要な本であることには間違いないが、それにも関わらずサルトルのユダヤ人論はどこか正しくないのである。サルトルのこのユダヤ人に対する言明は明瞭すぎるのである。問題を何ら解決していないのである。
迫害には迫害される側にも原因があるという論及は政治的は不正義とされるだろう。したがって迫害される側には何ら原因がないという言明にならざるを得ないのである。しかし迫害される側に原因がないとしてもどうしてそういう状況が生じるのかという究明がなされない限りこの問題は解明されることがない。サルトルはそこには成功していないように思うのである。
ユダヤ人とは何かということがイスラエル国を知るために必要だったからである。もちろんイスラエルを知ろうと思ったその動機もあった分けで、イスラエルと言う国家が世界政治にそれから日本の政治外交へも極めて重要な影響を及ぼしているという認識が私にはあったのである。 イスラエルとは何か (平凡社新書)
私はサルトルの本は今まで読んだことがなかった。しかしサルトルの本を初めて読んでみてサルトルという作家はこのような魅力ある文章を書くのかという驚きがあった。これなら他のサルトルの本も読んでみたいと直ぐに思ったのである。
サルトルはこの本で、ユダヤ人というものは存在せずそれはヨーロッパの反ユダヤ主義者が作り上げたものであるということを数々の事例をあげて途方もない洞察力をもって論じ切った。そこではユダヤ人を作っているものはユダ人が置かれている状況でありそこではユダヤ人は不可避的にユダヤ人にならざるを得ずユダヤ人迫害も不可避的なのである。
ところで、ここでサルトルはユダヤ人を論じているのだろうか?それとも反ユダヤ主義者を論じているのだろうか?明らかにサルトルは反ユダヤ主義者を論じておりユダヤ人に論じているのはそういう状況に置かれた時のユダヤ人の対応(反応)を論じているだけのようにも読める。
この本はユダヤ人を考えるに当たっては極めて重要な本であることには間違いないが、それにも関わらずサルトルのユダヤ人論はどこか正しくないのである。サルトルのこのユダヤ人に対する言明は明瞭すぎるのである。問題を何ら解決していないのである。
迫害には迫害される側にも原因があるという論及は政治的は不正義とされるだろう。したがって迫害される側には何ら原因がないという言明にならざるを得ないのである。しかし迫害される側に原因がないとしてもどうしてそういう状況が生じるのかという究明がなされない限りこの問題は解明されることがない。サルトルはそこには成功していないように思うのである。
2017年9月9日に日本でレビュー済み
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40年程前、モサド(イスラエルの諜報機関)を知って以来、ユダヤ人(ユダヤ教)の事は知りたいと思っていました。最近旧約聖書(これは凄い
ので一度は読んだ方が良いと思います。)に関して少し勉強しました。今の米大統領トランプ氏の娘婿がそうであるばかりでなく、数千年に渡って流浪して来たユダヤ人が1948年に建国宣言してからの4回の、所謂『中東戦争』は『冷戦時代』と並んで第二次大戦後の大きなテーマでしょう、もひとつ。戦後日本の女性詩人の長女と言われた茨木のり子女史がサルトルのこの本を絶賛していました、ので買いましたが、私はチットも良くないと思いました。若い頃、埴谷雄高氏が「サルトルは政治的な文章は多少読ませるが、哲学的な文章は全く良くない』と言っていましたが、やはりそうなんだろうな、と思いました。私が昔、読んだのは、『弁証法的理性批判』の序説としての薄い『方法の問題』位ですが。これはマルクス主義批判として日本では言われていない事を指摘していました。
ので一度は読んだ方が良いと思います。)に関して少し勉強しました。今の米大統領トランプ氏の娘婿がそうであるばかりでなく、数千年に渡って流浪して来たユダヤ人が1948年に建国宣言してからの4回の、所謂『中東戦争』は『冷戦時代』と並んで第二次大戦後の大きなテーマでしょう、もひとつ。戦後日本の女性詩人の長女と言われた茨木のり子女史がサルトルのこの本を絶賛していました、ので買いましたが、私はチットも良くないと思いました。若い頃、埴谷雄高氏が「サルトルは政治的な文章は多少読ませるが、哲学的な文章は全く良くない』と言っていましたが、やはりそうなんだろうな、と思いました。私が昔、読んだのは、『弁証法的理性批判』の序説としての薄い『方法の問題』位ですが。これはマルクス主義批判として日本では言われていない事を指摘していました。






