アリストテレスの著作において,主語,主体,基体などと訳しわけられる単語は,「先言措定」と訳すべきものである。先言措定としての言葉によって,われわれは世界を〈掴む(つかむ)〉。
しかし,〈掴み〉としての言葉を通じた世界体験がすべてではない。公共語を通じた世界体験もあれば,存在の根拠から立ち現れるエネルゲイア言語による世界体験もある。
このように,井上氏は,言語を重層的なものとして把握し,もって重層的な世界体験を明らかにしようとした哲学者として,アリストテレスに語らせる。
「有りて在るもの」を根源的な主語とし,すべての存在するものはその述語であり,その述語同士が,つかの間,相互に主語-述語として関係し合う世界。これに迫るのが「モイラ言語」らしい。
わたしの不正確で浅い読解による紹介では,井上氏の思考のまぶしさや迫力や情緒が伝わらないのが惜しい。奇妙な題名からは想像がつかないくらい,豊かな井上哲学であり,アリストテレスやパルメニデスの語りである。
本書に先立って書かれた『哲学の現場』ともども,文庫化して多くの人に読まれたらいいのにと思う。そして誰かがもっと良いカスタマーレビューを書いてほしい。
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。
