私は戦争に強い関心を持っているわけではありません。
この本を手に取った理由は、とある日本人兵士が死の直前まで書き留めていた手記が、奇跡のような偶然によって解読されたという点に惹かれたからです。
私事で恐縮ですが、今年の春に父が亡くなりました。
がんを宣告され、骨が浮き出るほど痩せ細りながら息を引き取った父の姿と、マーシャル諸島で餓死した兵士の佐藤冨五郎さんを、どこか重ねて見てしまったのです。
そんな、きわめて個人的で不謹慎なきっかけで読んだこの本でしたが、いい意味で期待を裏切ってくれました。
「歴史実践」とサブタイトルにあるように、日常から切り離された、遠く離れた出来事として過去を描くのではなく、もっと身近な、現代日本につながる話題がたくさんでした。
特に水本さんのお話は、つい2年前に最新作が大ヒットしたゴジラや、2年後に予定されている東京オリンピックとマーシャル諸島を見事に関連づけていて、目から鱗でした。
日本軍の残したワイヤーがマーシャルで造花になっている、数奇な巡りあわせにも驚きました。
三上さんも「共感する歴史学」と書いていますが、冨五郎さんの日記は、色んな角度から自分と結び付けられるのではないかと思います。
教育とは何か、日記とは誰のための記録なのか、それにフードロスや社畜の問題…。
現代日本が抱える問題について、改めて考えさせられました。
一見、無関係でバラバラのように思えることが、実はゆるやかに、でも確かに繋がっているのが、まるでマーシャル諸島の構成そのもののような一冊でした。
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マーシャル、父の戦場: ある日本兵の日記をめぐる歴史実践 単行本 – 2018/7/25
大川 史織
(著)
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楽シイ時モ 苦シイ時モ
オ前達ハ 互ヒニ 信ジ合 嬉シイ事 分チ合ヒ――
1945年、南洋のマーシャル諸島で多くの日本兵が餓死した。
そのなかのひとり、佐藤冨五郎が死ぬ直前まで綴った日記と遺書は、戦友の手を経て息子のもとへ渡り、73年の時を超えて解読されることになる。
そこには、住み慣れない島での戦地生活、補給路が絶たれるなかでの懸命の自給自足、そして祖国で待つ家族への思いが描かれ、混乱と葛藤のなか、自身も死へと向かう約2年間が精緻に記されていた。
〈70年以上前に・南洋で・餓死した〉日本人といまをつなぐ、〈想像力〉の歴史社会学。
大林宣彦監督インタビュー収録!!
「読むというより体験してほしい。できるだけ想像力を働かせて」
第6回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞・奨励賞」受賞!
オ前達ハ 互ヒニ 信ジ合 嬉シイ事 分チ合ヒ――
1945年、南洋のマーシャル諸島で多くの日本兵が餓死した。
そのなかのひとり、佐藤冨五郎が死ぬ直前まで綴った日記と遺書は、戦友の手を経て息子のもとへ渡り、73年の時を超えて解読されることになる。
そこには、住み慣れない島での戦地生活、補給路が絶たれるなかでの懸命の自給自足、そして祖国で待つ家族への思いが描かれ、混乱と葛藤のなか、自身も死へと向かう約2年間が精緻に記されていた。
〈70年以上前に・南洋で・餓死した〉日本人といまをつなぐ、〈想像力〉の歴史社会学。
大林宣彦監督インタビュー収録!!
「読むというより体験してほしい。できるだけ想像力を働かせて」
第6回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞・奨励賞」受賞!
- 本の長さ406ページ
- 言語日本語
- 出版社みずき書林
- 発売日2018/7/25
- 寸法14.7 x 3 x 21 cm
- ISBN-104909710043
- ISBN-13978-4909710048
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
“70年以上前に・南洋で・餓死した”日本人といまをつなぐ、“想像力”の歴史社会学。
著者について
1988年生まれ。神奈川県出身。高校生の春休み、マーシャル諸島で聴いた歌に心奪われる。2011年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、3年間首都マジュロで暮らす。ドキュメンタリー映画『タリナイ』(2018)初監督。国立公文書館アジア歴史資料センター調査員(非常勤職員)。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大川/史織
1988年神奈川県生まれ。2011年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後マーシャル諸島に移住。日系企業で働きながら、マーシャルで暮らす人びとのオーラル・ヒストリーを映像で記録。マーシャル諸島で戦死(餓死)した父を持つ息子の慰霊の旅に同行したドキュメンタリー映画『タリナイ』(2018年)で初監督。現在は国立公文書館アジア歴史資料センター調査員(非常勤職員)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1988年神奈川県生まれ。2011年慶應義塾大学法学部政治学科卒業後マーシャル諸島に移住。日系企業で働きながら、マーシャルで暮らす人びとのオーラル・ヒストリーを映像で記録。マーシャル諸島で戦死(餓死)した父を持つ息子の慰霊の旅に同行したドキュメンタリー映画『タリナイ』(2018年)で初監督。現在は国立公文書館アジア歴史資料センター調査員(非常勤職員)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : みずき書林 (2018/7/25)
- 発売日 : 2018/7/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 406ページ
- ISBN-10 : 4909710043
- ISBN-13 : 978-4909710048
- 寸法 : 14.7 x 3 x 21 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 478,780位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2018年8月17日に日本でレビュー済み
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11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2018年8月21日に日本でレビュー済み
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本書は、編者である大川さんの初監督作品である映画「タリナイ」について、
「答えあわせ」ができる本だと感じています。
もちろん、本書だけでも冨五郎さんの日記をめぐる物語や、
戦争がかかえる「現代」の問題について、
十分すぎるほど考えることができ、
丁寧に書き起こされた冨五郎さんの日記の言葉のひとつひとつを、
とても詳細な補足情報とともに、
自分の想像力でたどっていく際に脳に走る衝撃は、
書籍というかたちだからこそ体験できるもの。
「我々が忘れていること」「忘れてはいけないこと」という問題を、
能動的に自分ごと化していくために、
この本は、とても必要なのだと感じます。
一方で、映画「タリナイ」は、
まさにドキュメンタリーといった没入感のある映像で、
その体験型の映像の中では、
ただ純粋に、戦争をめぐる悲劇とそれを忘れてしまう悲劇、
覚え続けていく強さと希望について、
自分がどう考え、どう感じるかということに向き合うことができ、
それは映画ならではの思考方法だと強く感じます。
私は本書を読む前に映画を拝見する機会に恵まれたため、
そのあとに本書を読み、
映画や、冨五郎さんと勉さんの物語について、
いろいろな方の考えに触れられたことで、
ひとりで映画を見ただけでは得られなかった共感と、
本書なしでは気づけなかった自分の想像力の足りなさをひしひしと感じ、
この「タリナイ」の問題について、
立体的に考えられるようになりました。
映画は「没入できるリアル」、
本書は「熟考できるツール」、
本書によって、
両方の媒体の強みの中で、
この問題について考えられたこと、
とてもとても感謝しています。
「答えあわせ」ができる本だと感じています。
もちろん、本書だけでも冨五郎さんの日記をめぐる物語や、
戦争がかかえる「現代」の問題について、
十分すぎるほど考えることができ、
丁寧に書き起こされた冨五郎さんの日記の言葉のひとつひとつを、
とても詳細な補足情報とともに、
自分の想像力でたどっていく際に脳に走る衝撃は、
書籍というかたちだからこそ体験できるもの。
「我々が忘れていること」「忘れてはいけないこと」という問題を、
能動的に自分ごと化していくために、
この本は、とても必要なのだと感じます。
一方で、映画「タリナイ」は、
まさにドキュメンタリーといった没入感のある映像で、
その体験型の映像の中では、
ただ純粋に、戦争をめぐる悲劇とそれを忘れてしまう悲劇、
覚え続けていく強さと希望について、
自分がどう考え、どう感じるかということに向き合うことができ、
それは映画ならではの思考方法だと強く感じます。
私は本書を読む前に映画を拝見する機会に恵まれたため、
そのあとに本書を読み、
映画や、冨五郎さんと勉さんの物語について、
いろいろな方の考えに触れられたことで、
ひとりで映画を見ただけでは得られなかった共感と、
本書なしでは気づけなかった自分の想像力の足りなさをひしひしと感じ、
この「タリナイ」の問題について、
立体的に考えられるようになりました。
映画は「没入できるリアル」、
本書は「熟考できるツール」、
本書によって、
両方の媒体の強みの中で、
この問題について考えられたこと、
とてもとても感謝しています。
2018年8月30日に日本でレビュー済み
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神は細部に宿り、歴史は個人の記録に宿る。個人の記録は記憶とともに時が永遠に消し去る。後には残骸のような真偽織り交ぜられた複数の物語が大きな歴史的事実と呼ばれ、語られ、議論される。まれにではあるが個人の記録が岩の中に置き去りにされた化石のように掘り出される。本書は37歳の平凡な日本人、佐藤富五郎氏が充員招集を受け2年後にマーシャル群島で餓死に至るまでの日々を綴った日記と、永遠に失われる運命にあった記録と記憶が化石のように取り戻された物語である。
招集から餓死前日まで連綿と書き続けられた日記には映画やアニメや戦争画で私たちの中に刻み込まれている華々しい戦闘や英雄的行為のような戦争イメージはない。病と怪我に苦しみながら、兵站を絶たれた中で唯々飢えをしのぐために畑を作り、蛸を取って明け暮れる日々、爆撃を受けるためにだけ存在しているのではないかと思われるような状況下での兵役のルーチーンと死に行く人々の姿が記録されている。日記をゆっくりと読み進めていくと(本当は映画タリナイのtwitterにあるように今日は今日の日付の日記だけを2年かけて読み進んでいくのが正しい読み方であろう)自分が富五郎氏と溶け合って行くのを感じる。平凡な日本人の私は戦いにあれば平凡な日本人の富五郎氏そのものになり、李徴(山月記、中島敦)のように「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生き物の定めだ。」と述懐するだろう。死の前日の最後の記述を読み終え、小さく「最後カナ」とつぶやいて見たとき私は底知れない悲哀と絶望におそわれた。
日記は閉じられ闇に紛れかけたが、60年後に淡い光が差し込み、数奇な運命のように編者の大川史織氏の手に渡り、70年余りの後に金曜調査会のメンバーらと共に可能な限りの全文解読に到り、本書が出版されたようだ。その過程の物語は本書と出版元のブログを読んで頂けばいいのだが、極めて興味深く、「奇跡的」と大げさな言葉を使ってもあながち批判はされないと思う。さらに私は大川史織氏の人生を垣間見て正直「この女性は何者なのだ」と感嘆し、日記解読に参加した人達をうらやましく思い、このような人達がいることで日本の未来をも少し楽観した。
招集から餓死前日まで連綿と書き続けられた日記には映画やアニメや戦争画で私たちの中に刻み込まれている華々しい戦闘や英雄的行為のような戦争イメージはない。病と怪我に苦しみながら、兵站を絶たれた中で唯々飢えをしのぐために畑を作り、蛸を取って明け暮れる日々、爆撃を受けるためにだけ存在しているのではないかと思われるような状況下での兵役のルーチーンと死に行く人々の姿が記録されている。日記をゆっくりと読み進めていくと(本当は映画タリナイのtwitterにあるように今日は今日の日付の日記だけを2年かけて読み進んでいくのが正しい読み方であろう)自分が富五郎氏と溶け合って行くのを感じる。平凡な日本人の私は戦いにあれば平凡な日本人の富五郎氏そのものになり、李徴(山月記、中島敦)のように「理由も分からずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生き物の定めだ。」と述懐するだろう。死の前日の最後の記述を読み終え、小さく「最後カナ」とつぶやいて見たとき私は底知れない悲哀と絶望におそわれた。
日記は閉じられ闇に紛れかけたが、60年後に淡い光が差し込み、数奇な運命のように編者の大川史織氏の手に渡り、70年余りの後に金曜調査会のメンバーらと共に可能な限りの全文解読に到り、本書が出版されたようだ。その過程の物語は本書と出版元のブログを読んで頂けばいいのだが、極めて興味深く、「奇跡的」と大げさな言葉を使ってもあながち批判はされないと思う。さらに私は大川史織氏の人生を垣間見て正直「この女性は何者なのだ」と感嘆し、日記解読に参加した人達をうらやましく思い、このような人達がいることで日本の未来をも少し楽観した。
2018年10月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マーシャルで戦死した父を持つ佐藤勉さんと編著者である大川史織さんとの対談を始め、実際に日記の解読に携わった人々や、映画監督、国際政治学者など、様々な立場の人が「マーシャル」に焦点を当てて寄稿したオムニバス形式のドキュメンタリー。
私の場合これを読んだあとに大川さんが監督した映画『タリナイ』を観たので、本を読んで想像していた情景が、映画によって美しくかつ多くの笑顔を伴って具現化され、シリアスなテーマながらも楽しく映画を鑑賞することができた。
さて、この『マーシャル、父の戦場』についてだが、はじめにインパクトを感じたのは47ページで書かれているように、父の日記を読むと中学時代の勉さんが「やんちゃしたい気持ち」を抑えられたということだ。父・富五郎さんが自分の病苦と家族への愛を綴った日記が、確実に家族の心に届き、遺書となって富五郎氏の「生」に意味づけをしているといえるだろう。池上哲司氏が『傍らにあること-老いと介護の倫理学』で論じているように、故人の「残された足跡を辿る人間には、その足の運びの運動性が感得される」つまり、故人が残した記録や過ごした場所を訪れるなどして故人の生を追体験することで、故人の「生」に意味づけを行うことが可能なのだ。そして富五郎さんの「生」は、本人が亡くなってもなお勉さんの「生」に影響を与え続けている。
130ページで水本さんが論じているようにマーシャル諸島がいわゆる「世界史」の一部として取り扱われることはほぼない。しかし、佐藤親子が互いに「生」の意味付けを行ったという事実が個人の「記憶」となり、歴史の一部として多くの人に認識して欲しいと願うようになった。
これは102ページで大川史織さんが、はじめは富五郎さんに共感を覚えることもなかったが、記録から「家族を想う気持ちに触れるたび、次第に書き手の富五郎さんに想いを寄せ、感情移入していく」ようになったと書いていることからも、この本が多くの人に読まれれば、富五郎さんの記録は人々の集合的記憶となるのではないだろうか。そして、これが直接的に歴史の教科書に書かれることはなくとも、人々の歴史認識の一部となって受け継がれていくことは可能なように思えた。
また、「歴史認識」であるだけでなく、人々の死生観にも影響を与える一冊となるだろう。145ページで一ノ瀬さんが論じているように、病魔に侵された富五郎さんにとって「死」はいつしか厭うべきものから救済へと転化していた。この一文だけでは凝縮しきれない死の希求へのプロセスが、富五郎さんの日記の行間からはひしひしと伝わってくる。このプロセスを克明に記した書物はなかなか存在しないのではないか。
ところで、日本やアメリカはマーシャルで行った支配(=加害)の歴史を意図的に記憶喪失しているとも言えるようだ。この「日米両政権の健忘症に対して、マーシャル諸島の人々は想起することで抵抗しているのである。」(340ページ)
385ページで寺尾さんが言うように、「本来は死人に口なし」であるはずの戦死者の「記録」を遺族の「記憶」とする作業を行い、さらにそれを本や映画という「記録」にまとめた編著者の功績は大きい。この本が、日本とマーシャルの架け橋となり、共に美しい海に囲まれた島国である日マ両国の「記憶」を風化から守る防波堤となることを願ってやまない。
私の場合これを読んだあとに大川さんが監督した映画『タリナイ』を観たので、本を読んで想像していた情景が、映画によって美しくかつ多くの笑顔を伴って具現化され、シリアスなテーマながらも楽しく映画を鑑賞することができた。
さて、この『マーシャル、父の戦場』についてだが、はじめにインパクトを感じたのは47ページで書かれているように、父の日記を読むと中学時代の勉さんが「やんちゃしたい気持ち」を抑えられたということだ。父・富五郎さんが自分の病苦と家族への愛を綴った日記が、確実に家族の心に届き、遺書となって富五郎氏の「生」に意味づけをしているといえるだろう。池上哲司氏が『傍らにあること-老いと介護の倫理学』で論じているように、故人の「残された足跡を辿る人間には、その足の運びの運動性が感得される」つまり、故人が残した記録や過ごした場所を訪れるなどして故人の生を追体験することで、故人の「生」に意味づけを行うことが可能なのだ。そして富五郎さんの「生」は、本人が亡くなってもなお勉さんの「生」に影響を与え続けている。
130ページで水本さんが論じているようにマーシャル諸島がいわゆる「世界史」の一部として取り扱われることはほぼない。しかし、佐藤親子が互いに「生」の意味付けを行ったという事実が個人の「記憶」となり、歴史の一部として多くの人に認識して欲しいと願うようになった。
これは102ページで大川史織さんが、はじめは富五郎さんに共感を覚えることもなかったが、記録から「家族を想う気持ちに触れるたび、次第に書き手の富五郎さんに想いを寄せ、感情移入していく」ようになったと書いていることからも、この本が多くの人に読まれれば、富五郎さんの記録は人々の集合的記憶となるのではないだろうか。そして、これが直接的に歴史の教科書に書かれることはなくとも、人々の歴史認識の一部となって受け継がれていくことは可能なように思えた。
また、「歴史認識」であるだけでなく、人々の死生観にも影響を与える一冊となるだろう。145ページで一ノ瀬さんが論じているように、病魔に侵された富五郎さんにとって「死」はいつしか厭うべきものから救済へと転化していた。この一文だけでは凝縮しきれない死の希求へのプロセスが、富五郎さんの日記の行間からはひしひしと伝わってくる。このプロセスを克明に記した書物はなかなか存在しないのではないか。
ところで、日本やアメリカはマーシャルで行った支配(=加害)の歴史を意図的に記憶喪失しているとも言えるようだ。この「日米両政権の健忘症に対して、マーシャル諸島の人々は想起することで抵抗しているのである。」(340ページ)
385ページで寺尾さんが言うように、「本来は死人に口なし」であるはずの戦死者の「記録」を遺族の「記憶」とする作業を行い、さらにそれを本や映画という「記録」にまとめた編著者の功績は大きい。この本が、日本とマーシャルの架け橋となり、共に美しい海に囲まれた島国である日マ両国の「記憶」を風化から守る防波堤となることを願ってやまない。
2018年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonの説明から想像したのとは違う、ちょっと変わった本でした。
本を開く前には、南洋で亡くなった日本兵の日記と、おまけにちょっとした解説や大林宣彦監督のインタビューが載っている感じかな? と勝手に考えていました。著者もAmazonだと編者である大川史織さんしか出てないんですが、本の後ろにはたくさんの執筆者プロフィールが並んでいます。そこに名前が挙がっていなくても、実際にはこれはたくさんのいろいろな人たちによってできあがった本です。日記を持ち帰った戦友、受け継いだ息子、解読に関わったほんとうに様々な分野の専門家たち、論考やエッセイを寄せた研究者やクリエーター、マーシャル諸島の人々…。
もちろん主役のひとりは間違いなく死の直前まで日記を綴った佐藤冨五郎さんで、日記と家族に向けた遺書は第6章で読むことができます。冨五郎さんは家族思いで、自制心がある、そんなお父さんが、どうしてこんな風にどんどん弱っていって、死なねばならなかったのか、痛ましい。この章だけを一冊の本にしても十分価値のあるものになったと思います。
でも、これはかわいそうな兵隊さんだけの物語ではなかった。この本をユニークにしているのは、人や国、島々、その技術や思いの交錯、めぐりあわせであって、研究者のちょっと難しい言葉も、ちょっと恥ずかしいくらい感傷的な言葉も、たくさんの声がある。余計なものが多すぎるとか、中には書いてあることに反発や困惑を抱く人もいるかもしれない、それでも、とにかくもっと知りたい、考え続けたい、という気持ちがある、良い本だと思います。
第6章の次に私が読めて良かったと思ったのは第2章で、冨五郎さんの息子である勉さんと、勉さんとの偶然の出会いから、歴史学専門でもないのに日記解読を最初に始めた仁平先生へのインタビューが載っています。奇跡の連鎖の結果としてこの本が私の手元にあるんだ、世の中素晴らしい人がいるものだな、天丼食べたいな、とか思います。
70年前の戦争について知りたいという人だけでなく、知的好奇心を満たすことは楽しいが、今更昔々の遠くの南の島のことで感傷に浸っている暇はないという人、それから太平洋の島に遊びに行きたい人にも、ついオススメしたくなる本でした。
本を開く前には、南洋で亡くなった日本兵の日記と、おまけにちょっとした解説や大林宣彦監督のインタビューが載っている感じかな? と勝手に考えていました。著者もAmazonだと編者である大川史織さんしか出てないんですが、本の後ろにはたくさんの執筆者プロフィールが並んでいます。そこに名前が挙がっていなくても、実際にはこれはたくさんのいろいろな人たちによってできあがった本です。日記を持ち帰った戦友、受け継いだ息子、解読に関わったほんとうに様々な分野の専門家たち、論考やエッセイを寄せた研究者やクリエーター、マーシャル諸島の人々…。
もちろん主役のひとりは間違いなく死の直前まで日記を綴った佐藤冨五郎さんで、日記と家族に向けた遺書は第6章で読むことができます。冨五郎さんは家族思いで、自制心がある、そんなお父さんが、どうしてこんな風にどんどん弱っていって、死なねばならなかったのか、痛ましい。この章だけを一冊の本にしても十分価値のあるものになったと思います。
でも、これはかわいそうな兵隊さんだけの物語ではなかった。この本をユニークにしているのは、人や国、島々、その技術や思いの交錯、めぐりあわせであって、研究者のちょっと難しい言葉も、ちょっと恥ずかしいくらい感傷的な言葉も、たくさんの声がある。余計なものが多すぎるとか、中には書いてあることに反発や困惑を抱く人もいるかもしれない、それでも、とにかくもっと知りたい、考え続けたい、という気持ちがある、良い本だと思います。
第6章の次に私が読めて良かったと思ったのは第2章で、冨五郎さんの息子である勉さんと、勉さんとの偶然の出会いから、歴史学専門でもないのに日記解読を最初に始めた仁平先生へのインタビューが載っています。奇跡の連鎖の結果としてこの本が私の手元にあるんだ、世の中素晴らしい人がいるものだな、天丼食べたいな、とか思います。
70年前の戦争について知りたいという人だけでなく、知的好奇心を満たすことは楽しいが、今更昔々の遠くの南の島のことで感傷に浸っている暇はないという人、それから太平洋の島に遊びに行きたい人にも、ついオススメしたくなる本でした。