キャッチーなネーミングで、「いまどきの若者」を特徴づけるのは、いつの時代もあるのでしょうが、
この本は、そういった一方的なレッテルとは無縁で、むしろそのようなレッテルづけをする
社会じたいを分析の対象にしています。
非常に好感のもてる本です。
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ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて) 単行本(ソフトカバー) – 2012/10/20
ひきこもり、ニート、腐女子……ポスト近代社会を生きる若者たちに起こっているのは何か? 彼らの心の構造と彼らを取り巻く社会の変動を同時に分析し、心と社会のつなぎめで起こっている問題の核心に迫る。失われたモラトリアムを求める旅。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社世界思想社
- 発売日2012/10/20
- ISBN-10479071571X
- ISBN-13978-4790715719
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
失われたモラトリアムを求めて。ひきこもり、ニート、腐女子…現在を生きる若者たちに何が起こっているのか?いまや忘れられたモラトリアムという概念に新たな光をあて、若者たちの心理と彼らを取り巻く社会の両面から迫ることで、ポスト近代の青年期のリアルなあり方を探る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
村澤/和多里
1970年生まれ/北海道大学大学院教育学研究科満期退学、臨床心理士。現在、札幌学院大学人文学部准教授(臨床心理学)
山尾/貴則
1971年生まれ/東北大学大学院文学研究科単位取得退学、博士(文学)。現在、作新学院大学人間文化学部准教授(社会学・社会思想)
村澤/真保呂
1968年生まれ/京都大学大学院人間・環境学研究科単位取得退学。現在、龍谷大学社会学部准教授(社会学・社会思想)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1970年生まれ/北海道大学大学院教育学研究科満期退学、臨床心理士。現在、札幌学院大学人文学部准教授(臨床心理学)
山尾/貴則
1971年生まれ/東北大学大学院文学研究科単位取得退学、博士(文学)。現在、作新学院大学人間文化学部准教授(社会学・社会思想)
村澤/真保呂
1968年生まれ/京都大学大学院人間・環境学研究科単位取得退学。現在、龍谷大学社会学部准教授(社会学・社会思想)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 世界思想社 (2012/10/20)
- 発売日 : 2012/10/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 248ページ
- ISBN-10 : 479071571X
- ISBN-13 : 978-4790715719
- Amazon 売れ筋ランキング: - 183,395位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
5つ星のうち3.8
星5つ中の3.8
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年1月26日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2017年5月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は二十代の学生です。自分の歴史的な立ち位置を考える上でこの本を手に取りました。
主流マスメディアのテレビ番組に登場する"御用知識人"の表面的な"若者論"とは違い、複雑な社会構造を踏まえた議論が展開されています。
生きづらい思いをしている若者が産み出されていく構造を社会理論に適用させて説明しています。また、社会構造分析だけでなく、この社会で生きていくヒント(学術的ですが)ものべられています。当事者の方のみならず、思春期を迎えるお子さんを持つ親御さんや教育に従事されておられる方にもおすすめしたい一冊です。
"ニート"や"引きこもり"を「どうしようもないやつ」「社会不適合者」などと本質的に規定し、切り捨てるのではなく、彼ら/彼女らを包摂的にとらえる社会が必要とされているのではないかと思いました。
主流マスメディアのテレビ番組に登場する"御用知識人"の表面的な"若者論"とは違い、複雑な社会構造を踏まえた議論が展開されています。
生きづらい思いをしている若者が産み出されていく構造を社会理論に適用させて説明しています。また、社会構造分析だけでなく、この社会で生きていくヒント(学術的ですが)ものべられています。当事者の方のみならず、思春期を迎えるお子さんを持つ親御さんや教育に従事されておられる方にもおすすめしたい一冊です。
"ニート"や"引きこもり"を「どうしようもないやつ」「社会不適合者」などと本質的に規定し、切り捨てるのではなく、彼ら/彼女らを包摂的にとらえる社会が必要とされているのではないかと思いました。
ベスト100レビュアー
同僚に勧められて本書を手に取った。著者の方々の凄みは相応に承知していたつもりであり、冒頭を読んで「ふむふむ、プルーストの「紅茶に浸したマドレーヌ」から入るのね。」などと思ってしまったのは、筆者自身が「消費社会型モラトリアム」を送った痕跡であったのか、と本書を読み進めるうちに知らされた。著者らは「モラトリアム」の在り方を「古典的ー 1970年代末ごろまで」「消費社会型ー1980年代前後」「ポストーおおよそ1990年代後半以降」と述べるが、このような類型を打ち出すのに先立ち、著者らは時代を遡りフォーディズムからポストフォーディズムへの「戦後」の産業資本主義の変遷を描く。それを踏まえて「現代」の若者が置かれた状況を俯瞰的・理論的に述べ、さらに「現代」の引きこもりの在り方に言及する。実際の「学生さん」にもふんだんに言及されるが、語り方のスタイルは総じて俯瞰的・理論的だ。ここまでの記述は簡潔で説得的であり、なるほど学者さんが書いた本だなと感心していると、いきなり「若者ミーティング」参加者が語り始めてびっくりした。今まで遠くから広角レンズで見ていた視野がいきなり顕微鏡に変わったぐらい驚いた。大胆な場面転換。筆者はここでやられてしまった。
さらに続けて「現代」の自己治療的なあり方である「腐女子」について述べられる。その上でルソーまでさかのぼって「近代」を定式化した上で、いよいよ冒頭に述べた「モラトリアム」の三相が提示され本書の核心となる。筆者は「もう無駄な抵抗はしません。」と降参したのにも関わらず「グラムシに言及するならネグリにも行って価値生産労働の話もしてほしい。」などと思ってしまう。「自分はこのような言葉を知っている/商品を持っている」という「消費社会型モラトリアム」根性丸出しである。
そのネグリも本書ではちゃんと出てくる。しかも安易に「用語」に頼らず概念がより包括的にスマートに説明されている。
本書217ページより引用
いいかえれば、かつて社会という目的に奉仕する手段であったはずの経済活動が今や目的に成り上がり、社会のほうが経済活動に奉仕する手段に成り下がっている。
このように本書には1980年代以降の時代・社会そのものが描かれている。そして本書を読んでいると、自ずと、その日々を過ごした筆者自身の姿が問われてしまう。
本書最終章では締めに再びプルーストが引用される。引用部に「見出された時」を具現する人物として登場するサン・ルー嬢は(大長編小説の主人公・マルセルの初恋の相手であり、もう一方の主人公(格)スワンの娘でもある)ジルベルトの娘なんだよなあ、と思いながら、色々連想してしまう。お約束通りの自分自身の反応に何か精密機械に絡め取られたような気がしてしまう。若い頃なら悔しさが先行しただろうけれど、もうおっさんなのでむしろとても心地よい。
それにしても本書は三人の著者による共著ということもあり、とても配慮の行き届いた作りである。余裕があれば、章や節ごとにまとめを作りながら読み返して、著者らの作為を堪能したい。
さらに続けて「現代」の自己治療的なあり方である「腐女子」について述べられる。その上でルソーまでさかのぼって「近代」を定式化した上で、いよいよ冒頭に述べた「モラトリアム」の三相が提示され本書の核心となる。筆者は「もう無駄な抵抗はしません。」と降参したのにも関わらず「グラムシに言及するならネグリにも行って価値生産労働の話もしてほしい。」などと思ってしまう。「自分はこのような言葉を知っている/商品を持っている」という「消費社会型モラトリアム」根性丸出しである。
そのネグリも本書ではちゃんと出てくる。しかも安易に「用語」に頼らず概念がより包括的にスマートに説明されている。
本書217ページより引用
いいかえれば、かつて社会という目的に奉仕する手段であったはずの経済活動が今や目的に成り上がり、社会のほうが経済活動に奉仕する手段に成り下がっている。
このように本書には1980年代以降の時代・社会そのものが描かれている。そして本書を読んでいると、自ずと、その日々を過ごした筆者自身の姿が問われてしまう。
本書最終章では締めに再びプルーストが引用される。引用部に「見出された時」を具現する人物として登場するサン・ルー嬢は(大長編小説の主人公・マルセルの初恋の相手であり、もう一方の主人公(格)スワンの娘でもある)ジルベルトの娘なんだよなあ、と思いながら、色々連想してしまう。お約束通りの自分自身の反応に何か精密機械に絡め取られたような気がしてしまう。若い頃なら悔しさが先行しただろうけれど、もうおっさんなのでむしろとても心地よい。
それにしても本書は三人の著者による共著ということもあり、とても配慮の行き届いた作りである。余裕があれば、章や節ごとにまとめを作りながら読み返して、著者らの作為を堪能したい。
2012年11月14日に日本でレビュー済み
一言でいうと、とても興味深かったです。
単純に「楽しめる」と言うよりも、読み進める中で学びながら、そして自分を見つめ直しながら本の世界に入っていくことができました。
アマゾンで「若者」をテーマに本を調べているところ、この本に出会いました。
帯に「失われたモラトリアムを求めて」との言葉が真っ先に目に飛び込んできて、興味を抱きました。
「若者のモラトリアムが失われているのか?」と素朴な疑問を抱き、この本を購入しました。
かく言う私自身も「自分はモラトリアム人間だ」と思ってネガティブになっていました。
でも、この本が伝えたいことは、「モラトリアム」という言葉がもつイメージは決して悪いものではなく、
むしろ必要なものでもあるのだ、と読み取ることができて、私自身視点が広がったように感じます。
また、「ひきこもり」「腐女子」「ニート」など、私たちにとって身近なテーマが、取りあげられていて、親近感が持てました。
そんな若者たちを、社会から逸脱した者として捉えるのではなく、現在の排除型社会という状況の中で必然的に生み出されたものとして捉え直すことを、著者たちはしています。
私自身、とても納得することが多々あり、「研究者」や「大人」が書いた文とは思えなかった。
これまでの心理系の本では人格の偏りのように捉えられがちで違和感があっりました。けれど、この本は凄くしっくり感がありました。
現在を生きる私たち若者にとって、この本は「新たな自分自身」を見つめ直すキッカケになるのではないかと感じ、他の方たちにも是非読んで欲しいと思います。
単純に「楽しめる」と言うよりも、読み進める中で学びながら、そして自分を見つめ直しながら本の世界に入っていくことができました。
アマゾンで「若者」をテーマに本を調べているところ、この本に出会いました。
帯に「失われたモラトリアムを求めて」との言葉が真っ先に目に飛び込んできて、興味を抱きました。
「若者のモラトリアムが失われているのか?」と素朴な疑問を抱き、この本を購入しました。
かく言う私自身も「自分はモラトリアム人間だ」と思ってネガティブになっていました。
でも、この本が伝えたいことは、「モラトリアム」という言葉がもつイメージは決して悪いものではなく、
むしろ必要なものでもあるのだ、と読み取ることができて、私自身視点が広がったように感じます。
また、「ひきこもり」「腐女子」「ニート」など、私たちにとって身近なテーマが、取りあげられていて、親近感が持てました。
そんな若者たちを、社会から逸脱した者として捉えるのではなく、現在の排除型社会という状況の中で必然的に生み出されたものとして捉え直すことを、著者たちはしています。
私自身、とても納得することが多々あり、「研究者」や「大人」が書いた文とは思えなかった。
これまでの心理系の本では人格の偏りのように捉えられがちで違和感があっりました。けれど、この本は凄くしっくり感がありました。
現在を生きる私たち若者にとって、この本は「新たな自分自身」を見つめ直すキッカケになるのではないかと感じ、他の方たちにも是非読んで欲しいと思います。





